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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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二、中華大乱の史

 この世界は、中華と呼ばれる。


 その歴史の大半は戦乱にまみれている。

 今から千年以上前、この地は無数の国々が乱立する戦国の世だった。

 数百年、世界各地の戦いは続き、やがて七つの国が台頭していく。


 七つの国は以前にもまして激しい戦いを繰り返し、そしてついに一つの国によって中華の地は統一された。

 始まりの帝国であるシンによって。


 その秦も長くは続かなかった。

 苛烈な支配によって、圧政をしいられた民衆の中から反乱が沸き上がった。

 民たちから起こった乱は、やがて豪族、旧王家らを巻き込み、ついに秦を打ち倒すまでに拡がった。


 だが、戦乱の世界はまだその火を消してはいない。


 圧政の大帝国が倒れても、まだ戦いは終わらない。


 反乱軍の中で、二つの勢力が台頭していた。

 倒すべき相手がいなくなれば力を持つ二つの勢力はぶつかり合うしかない。

 それぞれが中華の頂点を目指し、旗を掲げたならば同じものを目指す相手は倒してしまうしかないではないか。


 一方の雄は、楚の覇王“項羽こうう”。

 かつて中華の外と言われ、実力で七国にのしあがった“楚”国。

 その楚が秦に敗れるまで護国の守護神であった“項燕こうえん”の血を引く英雄である。

 覇王は戦乱の世界を凝縮したような天才であり、その指揮する楚軍はまさに中華最強の軍隊だった。


 対するは漢の劉邦りゅうほうは、何か不思議な王であった。


 弱い。


 彼は弱かったのだ。

 戦いの才能は人並みであり、大軍を率いても覇王の小勢の前に敗れることも多々あった。

 しかし、なぜか魅力があり、多くの才がそのもとに集っていく。

 国士無双と謳われた武人、伝説の軍師、補給の達人、覇王の元にいたはずの有能な人物もいつの間にか漢軍にいることもあった。


 その不思議な王を担ぐ才人の集まりは、徐々に劣勢を覆し、ついに楚の覇王軍を倒した。


 長く続いた大乱は、漢の国によって再び統一されたのだった。


 漢帝国は神話の時代を除けば、史上最も長く続いている国家だ。

 途中、奸臣によって乗っ取られたこともあった。

 だが、皇族の血を引く大英雄によって、奸臣は倒され、帝国は再興された。

 前後合わせて、漢帝国は四百年の長きに渡って中華を治めた。



 しかし、漢帝国の外にも世界は拡がっている。

 歴史書には残されていないことも。


 戦国時代と言われた七つの国のころから、中華の外には“異民族”が割拠していた。


 漢の皇帝を散々に破り、その娘を交渉によって貢がせた“匈奴キョウド”。

 烏丸山に居を構える東胡族の末裔“烏丸ウガン”。

 同じく東胡の末裔であり、鮮卑山に割拠した騎馬民族“鮮卑センピ”。

 西へと去り商業都市を築いた“月氏ゲッシ”。

 一度は中華に巴国を建てたが秦によって滅ぼされ、遊牧の民に戻った“テイ”。

 南から西にかけても“南蛮”勢力も数多く存在する。


 そして、強大な騎馬民族として幾度も漢帝国を襲い続けた“羌”。


 漢帝国、そしてそれ以前の始まりの秦帝国は、異民族を恐れた。

 否。

 それは伝説的な周王朝のころから、戦国の七つの国を経て秦帝国にいたるまで、異民族を恐れ続けた。

 その恐怖はついに、中華の内外を分断する長城の建設へと結実した。

 各国は国境の北限に城を築き、騎馬を主体とする異民族が国土に侵入できないようにした。

 秦の始皇帝はその国境の城を繋ぎ、ついには万里の長城へと作り替えた。


 その圧倒的な恐怖。


 漢民族の中に刷り込まれた恐怖。

 それを祓うべく、漢の武帝は匈奴を倒し征服せんとした。

 その試みはある程度成功し、匈奴はその勢威を大きく落とした。

 だが、一つの勢力が落ちたとて、漢帝国の周囲の脅威が去るわけではない。

 烏丸や鮮卑と言った騎馬民族は、いまだ漢帝国を脅かし続けていた。


 そして、羌族もまたその一つとして漢帝国の辺縁を襲う勢力であり続けた。

 先代の皇帝である順帝の頃は連年、回数にして十度以上も涼州へ侵攻し、今上の御代にも涼州、益州に羌族は侵攻している。


 長く辺境の夷狄を討伐した馬賢ばけんや武威太守、護羌校尉を歴任した趙沖ちょうちゅうらの活躍もあり、ここ数年大規模な侵攻は無い。

 そのために、シーエイのような漢人の若者が漢帝国の外である羌族の土地を旅することもできるようになっていた。

 これが平穏の始まりなのか、次なる大乱の前の静けさなのか、それは当の羌族の戦士たちにもわからぬことだった。



 この羌という民族はどこから来たのか。


 彼らはもともとジュウという部族だった。

 まあ、これは大きなくくりである。

 中華にまつろわぬ異民族を蔑む意味がある言葉だ。

 夷や、狄、蛮といった中華の外にいる者たちを蔑むような言葉と同じものだ。


 その戎の中に無弋爰剣むよくえんけんという人物が現れ、何百人かの支援者を率いて、部族を出て独立を果たしたという。


 彼は奴隷であった。

 その名にある無弋という字には羌族の言葉で、そのまま奴隷の意味がある。

 使役されていた戎から逃げ出した彼は、その戎の部族と秦国の兵士から追われる身となった。

 当時の秦国は、まだ中華統一前。

 秦国自体が、中華の中心から外れた認識をされていたころだ。

 洞窟に逃げ込んだ爰剣は、秦兵に火をかけられた。

 今にも焼け死にそうな爰剣は、突如虎のような影に包まれ、炎から逃れることができたのだという。

 炎から逃れて、生還した爰剣に彼と共に逃れてきた民らは驚き、そして敬服した。

 やがて、彼らはチャン族を名乗り、遊牧の民として草原に住まいはじめた。


 爰剣の子孫を豪帥として、数百年の長きに渡り草原を遊牧し続けている。


 彼らはなぜ漢帝国、そしてそれ以前の国家に対し侵攻を続けているのか?


 もちろん、食糧不足を解消したりするための略奪の側面はある。

 むしろ、だいたいはそれが本質だったかもしれない。


 そうでない場合もある。

 例えば、五十年ほど前に朝廷は涼州の羌族を徴発して西域討伐を目論んだ。

 兵にされた羌人たちは、故郷に帰れなくなることを恐れ逃げ出した。

 漢兵はそれに憤り、羌人の村や家々を焼き壊し、隠れていた者を連行した。

 この仕打ちに羌族の豪帥は激怒し、反乱を起こした。

 後に永初の大乱と呼ばれた戦いの始まりである。


 羌が奪ったのが原因か、漢が蔑んだのが原因か、もはやどちらにもわからなくなっている。

 怒りが憎しみとなり、憎悪が降り積もり、凝り固まっていく。

 争うしかない。

 何かきっかけがあれば大乱は巻き起こるだろう。



「そして、俺はそのチャンの娘と馬に乗っているというわけか」


 シーエイの言葉に、ティナは呆れたように笑う。

 枯れかけた草原には、風が吹いている。


「嫌なら降りていいぞ」

「嫌ではない。ただ俺の運命は不可思議だと思ってな」

「不可思議か」

「俺の父は、中原の小さな県の官吏だった。だがそこに馴染めずに涼州に来た。それがなければ俺はここにはいなかったと思ってな」

「……父親などお前の運命には関係ないぞ。この地では」


 どこか遠くを見るように、ティナは前を見ていた。

 シーエイにはその顔を覗き込むことはしなかった。


 ただ、その背だけを見ていた。

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