5話 見えないところも傷が付く
誰だって、傷がある。
放課後になって、私は施設に帰る前にあるところに寄り道をした。
その場所は古いアパートの二階で、チャイムを鳴らした。
「はい、どちら様ですか? 」
あのさんの声が、ドアの向こうから聞こえた。
「あのさん、彩香里です」
「彩香里?えっ?」
あのさんは、まさか私が家に来ると思っていなかったのか動揺をしていた。
でも、すぐにドアを開けてくれた。
「とりあえず、中に入って」
「はい、お邪魔します」
私はあのさんに促され家の中に入った。
あのさんが前に言ったとおりに、部屋は整理整頓され掃除が行き届いていた。
私達は、向かい合うようにして座った。
「親父が、奥の部屋で寝てるから静かにな」
「はい」
「さっきのチャイムには気がついてないから。大丈夫だからな」
「はい」
「彩香里が、家に来たってことは、先生から聞いたんだよな? 」
「はい」
「俺から誘っていたのに、本当にすまん」
あのさんは深く頭を下げた。
「あのさん、顔を上げてください。私、怒ってないですよ」
「えっ? 」
「約束は完全に確定していません。それに喧嘩はいけないけど、人を守るためにしたことは良いと思います。でも……」
「でも? 」
「あのさんが傷付くのは嫌です」
あのさんの頬には、殴られて少し腫れてて湿布が貼ってあった。手には殴った時の傷が痛々しく残っていた。
「あのさん、痛くないですか? 」
「こんなのかすり傷だ」
「大丈夫なフリをしないで下さい。あのさん、強がる必要なんてないです」
私はあのさんの手を優しく握る。あのさんも私の手を優しく握り返した。
「あのさんは手以外にも傷がついているところがあります。どこか分かりますか? 」
「……どこだ? 」
「心です。あのさんは、気が付かないうちに傷ついているんです。みんな心が傷付いても、気付かないフリをしてしまいます。だから周りに言われて、やっと気付くんです。あぁ、痛かったんだって……」
私が思っていることをあのさんにぶつけた。出会った頃から変わらず、あのさんは私が言い終わるまで、優しくて待ってくれた。
「俺さ、殴られてる人をみつけたんだ。相手を殴ったら殴り返されられて、助けたヤツにまで怯えられて。俺のしたことって何だったんだろうって、いつも考えるんだ。これが彩香里が言う痛かったってことだよな」
あのさんは、「いつも口より先に手がでてしまう)と言って拳を握る。
「……はい」
「ごめんな。もう、俺喧嘩しないから。彩香里、頼むから泣くなよ」
いつの間にか私は泣いていて、あのさんはそっと指で涙を拭き取ってくれた。
そして、あのさんはそっと優しく胸に私を抱きしめてくれた。
あのさんから伝わるぬくもりに、私は安心して涙が引っ込んだ。
「あのさん、もう大丈夫ですよ? 」
「……そっか」
あのさんは、そっと身体を離した。それがなぜか、また寂しいと思ってしまった。
「心配をかけて、ごめんな」
「はい。誰かを守るのも大事ですが、自分も守ってください」
「おう! 」
「戦わないやり方を一緒に考えましょう」
「おう! 」
私達は、小さく笑いあった。あのさんのお父さんが起きないように小さな声で会話をしていた。
「彩香里、そろそろ帰りな。親父が起きてくるし、外が暗くなったら危ないからな。俺はお前を送りたくても出来ないし」
あのさんはそう言いながら、下を向いた。きっと自分を責めているのだろう。
自分でしたことで、自宅謹慎になって、真面目にそれを守ることしか出来ない自分に対して。
「分かりました。ありがとうございます。実は私、ここに一人で来たわけじゃないんです」
「ハァ? 」
「私と同じ施設で暮らしてる兄的な人がいまして、その人が心配して学校からここまでつけて来て近くに待機を……」
「……そうか。その人は玄関から見えるか? 」
「たぶん、呼べば来てくれますよ」
「呼んでくれるか? 」
「はい」
私が荷物を持って玄関に向かうと、あのさんに呼び止められた。
「彩香里、今度の休みの日のことごめんな。埋め合わせはするから」
「あのさん」
「はい? 」
「あれは、約束が確定してないって、私言いましたよね? 」
「そうだったな」
「じゃあ、謝らないでください。そして、埋め合わせもしなくて大丈夫です」
「でも……」
「それでも何かしたいのなら、自分を傷つけることをしないで、今まで通り私といてください」
「分かった」
あのさんは優しい顔をしていた。
それから私は玄関を出て、共有廊下から兄的な人にこっちに来るように合図をした。
その人は頷き、階段を上がってあのさんの部屋の前に来てくれた。
「この度は、すみません」
「えっ? 」
「「えっ? 」」
あのさんが突然頭を下げ謝罪をしたので、私とその人は驚いた。
「アンタ、何謝ってんの? 」
「鶴ケ谷? 」
あのさんは、その人の声に聞き覚えがあって頭を上げた。
「そうでーす!彩香里ちゃんの兄の鶴ケ谷生未渡だ! 」
「お前、きょうだいがたくさんいて、妹が同じ学校にいるって……。ハァ? 」
その人こと生未渡くんは明るい性格で、そんな彼が施設育ちを初めて知って、あのさんは混乱をしていた。
元々聞いていた情報を脳内で整理をしているのを口に出して、そして逆ギレをした。
それから、頭を抱え込んだ。
「キレんなよ!何で、俺の秘密が明らかになって驚いてんの。でも、アンタの立場になったら分かるからな! 」
「生未渡くん、黙って! 」
「はい! 」
なぜか生未渡くんは、私に怒られているのにいつも嬉しそうにしている。
だんだんと深く考えるのやめようと思うようになった。
「鶴ケ谷は、彩香里の本当の兄じゃないってこと? 」
「そうです。だからさっき、兄的な人と言いました」
「理解した」
「あのさんと生未渡くんは、知り合いなんですか? 」
「そうでーす! 」
「何回か同じクラスになったことあるよな? 」
「何で、そこで不安になるの?大丈夫、合ってるよ! 」
「彩香里、コイツは、何でテンション変なん? 」
「私は、深く考えるのやめました」
「鶴ケ谷、可哀想に」
生未渡くんは、私と同じで親がいない。他人には傷ついた心を守るように、ワザとテンションが高くて明るい性格をしている。
それがなぜか、だんだんとクセになってる。彼はなかなか他人に素の自分を見せようとしない。
「彩香里ちゃんとは血がつながって無くても、俺にとってはかわいい妹だから!だって、俺が最初に見つけたから」
「生未渡くん、余計なこと言わないで! 」
私は触れられたくないことを言われて、思わず大声になってしまった。
「あっ、すみません。今日はもう帰りますね」
私は急いで、会話を終わらせ廊下を走り階段を降りて帰った。
「ごめんな、今の聞かなかったことにして。彩香里ちゃんが秘密にしたいこと言っちゃった……。俺たちは他人に本当の自分を知られたくないから」
「分かった。俺はなんにも聞いてない。鶴ケ谷、さっきは話合わせてくれてありがとうな」
「いいよ!彩香里ちゃんから話聞いてて、すぐにアンタだって分かってたからね。こっちこそ、大切にしてくれてありがとう」
「あぁ」
「それじゃあ、俺は彩香里ちゃんを追いかけて、仲直りしてくるとしようじゃないか! 」
「俺のせいで、ごめんな」
「だから、お前はすぐに謝るのやめろよ。さっきのは俺が悪いから」
「あぁ」
「それと、お前も無理をするなよ?なんかあったらすぐに言って。俺たち友達だからな! 」
「そうだな」
生未渡くんたちはその場で別れ、それぞれのところに向かった。
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