夢見好し
夢子には習慣があった。毎朝小学校へと通う道にある神社への参拝がそれだ。
「神様仏様、どうか私を幸せにしてください」
神社と寺の区別もつかない夢子は毎日々々そんなふうに願い、なけなしの小銭を投げ入れ何度も手を叩いた。
夢子のいう幸せというのは神様や宇宙人に出会うことであったり、こことは別の世界で信じられない不可思議な技術に出会うことであったり、あるいはその別世界で救世主となることであったり、その時々で様相を変えた。そのどれもが叶うことは終ぞなかった。
電灯やコンロのスイッチを点けるたびに、いつもとは何か違うのではないか――例えば機械音が人の声に聞こえてきはしないか、光の瞬きが何かを伝えようとはしていないか――と想い願ってじっと待ち続け、ひとつ扉を開ければその向こうに自分の想像もつかない世界が広がっていないかと胸をときめかす。今のところその期待は常に裏切られていたが、夢子は一向にやめようとは思わなかった。
ある日どことも知れない場所で夢子は白い狐と出会った。三つに分かれた尾を揺らめかすその狐は人の言葉を操り夢子へ語りかけた。
「おまえは我の社を百度も詣でてくれたね。けれども、そのたびに同じようなことを願っている」
「退屈で仕方がないの。灰色の世界から私を連れ出して、お願い」
夢子は数多の流行歌で使われたような陳腐な言い回しでもって今度こそと迫ったが、当の狐は憂鬱そうに頭を振った。「可哀そうに」
「目の前にあるものを大切にしない限り、満たされることはないだろう」
夢子は目を覚ます。つまりは少し不思議な夢路を辿ったに過ぎなかった。内容など数分後にはきれいさっぱり抜けてしまい、この世界にないものを探し求める日々が続く。
夢子は大人になっていた。大人になれば夢を見てばかりもいられない。精を出して働き、真面目だけが取り柄に見える男と籍を入れ、子供を二人産んだ。いつの間にかそうなっていた。
「あたしには何が不幸なのか、これっぽっちも分からないね」
すぐ後ろでそうささやかれ、夢子はぎょっとして振り返った。丁度そんなふうに思っていたのだ。
「大人の目には捉えられないよ。いや子供の時分だって、あんたに見えやしなかったろうが」
「あなたは妖精なの?私を連れて行って」
「まだ言っているの。この家以上に幸せになれる場所なんてないよ。夫はあんたが選んで、子供も自分で産んだの。一人でいることだってできた。子供じみた夢想を、ぼうっと続けることだってできたの」
「無体をいわないで…」
「何もかもすぐそこにあるのに。目を逸らしてると消えっちまうよ」
声は聞こえなくなる。夢子は自分の口が開いていることに気づき、今何か口にしたかしらと考えた。
白寿を迎えようという頃、夢子は床に就いたぎり起き上がれなくなった。重湯を数口しかとらず、すわ危篤かと古い家に親戚・知人が続々と集った。財産分与も夫が生きていたころに済ませており、遺言を伝えようにも今更言うことが見当たらない。
(つまらない人生だったわ。たった一回きりでもいい、不思議なことに出会えていたら。それだけで生きて行けたのに、せめてお仕舞いの時くらい、天使様が迎えに来てくださらないかしら。)
しかし天使も悪魔も枕元にやってはこなかった。不承不承に夢子は目をつむり、そのまま醒めない幻を選んだ。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。ええ故人は眠りの魔法を得意とし、生前は…」
「いやあこんなに来ていただいて、母さんも嬉しいだろうね。まさに大往生だ」
と頭のやや薄くなった男――夢子の息子は感慨に浸った。
「そうかしらね。あの人は最期まで、不満たらたらに見えたけど」
隣の席を陣取る夢子の娘はそう返し、数珠を握りなおした。紐が擦り切れかかっている。
「不満って何だい。母さんは国内でも指折りの――」
「そういうんじゃないの。お金とか魔力の多寡じゃないのよ、あの人はもっと…
いえ、きっと駄目ね、どんなファンシーな世界でも」
「ないものねだりばかり、自分の手元に無いものばかりあの人は探していたからね」
娘はそう言って主玉を空に浮かし、新しい紐に繋ぎ直した。