魔法の消しゴムとひと夏の思い出
僕の消しゴムはみんなが持ってるものよりちょっと特別だ。
学校の廊下に落ちてたヤツなんだけど、拾った時にこの消しゴムは特別なんだってなんとなく分かったんだ。
悪いことがあったらそのことを紙に書く。そしてこの魔法の消しゴムで消す。そうすると僕の意識はちょっとの間飛んで、戻ってきたら悪いことをきれいさっぱり忘れることが出来るんだ。
もちろん何を忘れようとしてたかは覚えていないんだけどね。
じゃあ何で忘れたことが分かるかって?
何かを消そうとしていたことは何となく思い出せるんだ。意識が戻った時に、まるで夢を忘れた時みたいに何かを覚えていたことを思い出すんだ。
別に何かに役立つということでもないけど、例えばお母さんに怒られたときに悲しくなったらそのことを忘れられるし、僕はけっこう使ってる。おかげで僕はこの消しゴムを手に入れてから誰にも怒られることは無くなったし、とにかく悲しいことがなくなったんだ。
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「健司くん、おはよう。」
「あ、海ちゃん。おはよう!」
この子は海ちゃん。僕のおさななじみだ。
家が隣だから夏休みに入ってから毎日のように一緒に遊んでる。学校に行くときも一緒に登校してるから、時々友達からからかわれるんだ。
でも本当のことを言うとそんなに悪い気はしていないんだ。海ちゃんはいっつも僕の友達がそう言ったらうるさいってボコスカ殴るけど多分恥ずかしいだけなんじゃないかななんて思ってる。
そうだと良いなって思ってるだけなんだけどね。
「今日はどこ行こうか?」
「公園行こ!」
「良いね!」
僕たちは近くの公園に行った。
そこに行くといっつも誰かが居て、その中に混ざれば遊ぶことには困らない。
かくれんぼ、おにごっこ、缶蹴り、サッカーに野球。公園にはシーソー、ブランコ、ジャングルジム。何から何まであるから朝から晩まで遊べるってわけだ。
僕は海ちゃんと遊ぶのが楽しくて仕方ない。
外はものすっごく暑いけど、全然気にならないんだ。
その日はものすっごく暑い日でニュースでも最高気温を更新しましたって言ってた。
でも、僕たちはそんなに気にしてなくていつもみたいに外に飛び出して、遊びに出た。公園はいっつもより人が少なくてちょっとがっかりした。
でも二人っきりになれたような気分でちょっとだけ嬉しかった。
だから僕ははしゃいでいて気づかなかったんだ。
彼女の異変に。
彼女はぼうっとした顔をしてゆらゆらと歩いていた。
「遅いよー。」
「あー、ごめ――」
その時、後ろで何かが倒れるような音が聞こえた。
僕はあんまり気にしなかったけど、物音が全く聞こえなくなって自分の足音が妙に大きく聞こえた気がしたんだ。それで何となく悪い予感がして足を止めた。
僕は運動した時の汗とも、テストの悪い点が見つかった時の汗とも取れない汗を流しながら後ろを振り向いた。
それが海ちゃんを見た最後だった。
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「まだ若かったのにねぇ。」
「熱中症だったみたいよ。ちゃんと水分取ってなかったらしいわ。」
「そんな日に外で遊ばせる親も親よねぇ。」
「ホント、気の毒よねぇ。」
僕はそこに居るのがたまらなく嫌になってそこを飛び出した。
夏休みの最中だというのに制服を着て、あんなことを小声で言う黒い服の大人たちのなかでご飯を食べるのがとても嫌になった。吐き気にも似た感じがした。
大人の視線が自分を責めているような気がした。
僕はあの時、あそこにいた。にもかかわらずそれを見た瞬間どうすることも出来なくなってそこに立っているしかなかった。
もしも僕があの時動けていたら。
僕はそこから抜け出すことしかできなかった。
逃げてしまいたい気分になったんだ。
そしてそれを誰も止めようとはしなかった。
お父さんとお母さんと僕はお通夜に出ていたんだけど、家の鍵は偶然開いていてそのまま靴も脱がずに駆け込んで鉛筆を握りしめた。
とにかく逃げたかった。
全てを忘れてしまえたら、なんて思って気が付いたらメモ用紙に『海ちゃん』と書いていた。
僕は何も考えなかった。
いや、何も考えたくなかったんだ。
僕はポケットから消しゴムを取り出して一思いに文字を消した。
ぷつりと途切れた意識が回復する。
何か大事なことを忘れてしまったような気がしたけれど、心はふっと軽くなった。
安心したらなんだか眠くなってしまって靴も脱ぎかけのまま椅子に寄りかかるように寝てしまった。
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起きても僕の心はモヤモヤとしたままだった。
おかしい。いつもならすぐに忘れてしまえるのに、何かが心につっかえている。
机の上にはメモ用紙が転がっていた。消し損ねた文字のかけらが残っていた。文字を読み取ることはできなかったが綺麗に消すのも嫌な感じがしてメモ用紙を折りたたんでポケットに入れた。
リビングに行くと朝食の良いにおいがした。
いつもと変わらないご飯を食べていつもと変わらない夏休みが始まる。
お父さんとお母さんも変わらずに仕事に出かけて僕はいつもと同じように鍵を持って外に出た。
そしていつもと同じように隣の家のインターホンを押す。
「あら、いらっしゃい!今日は何の用?」
「あれ......僕何しに来たんだろ。」
「あら、そんなに若いのに忘れん坊さんなのね。」
何かをしに来たはずなのに何も思い出せない。何かが頭につっかえたように残っていた。
おばさんが僕の顔を見ながら不思議そうな顔をしていた。
「何かしに来た気がするんだけどなぁ......」
「でも久しぶりに来てくれたからおばさん嬉しくなっちゃった。中に入っていく?」
「いや、別に......良いです。」
「そう?」
ずっとしかめ面で俯いていると、優しく笑う同い年ぐらいの女の子が通り過ぎていった気がする。
「あの......おばさんの家って女の子いませんでした?」
「いないわよ。」
自分でも何でそんなことを言ったのか分からなかった。その答えにも違和感は感じなかった。
「子供ねぇ。おばさんも欲しいんだけどねぇ。時期を逃しちゃったのよねぇ。」
「いや、あの......気にしないで下さい。」
でも何故かいつもの日常にぽっかりと穴が開いているような違和感があった。
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公園に行って色々な事をしていた。
自分一人で遊んでいても全然遊んだ気にならなかった。何でこんなことで毎日が潰せたんだろう。
何かが足りなかった。
気が付くと涙が目の端から流れ出ていた。何故だか自分でも訳が分からなかった。
横になければならない何かが。
居なければいけない誰かが。
足りない。
足りない。
「足りない。」
メモ用紙を取り出した。
消え残りがもしもこんな気持ちにさせているのだとしたら、僕はこれを絶対に消したくないと思った。
絶対に忘れてはいけないような気がした。
消した文字は戻らない。
......本当にそうだろうか?
僕は急いで家に帰った。
鉛筆を筆箱の中から取り出しうっすらと紙の上をなぞるように映し出す。
僕は筆圧が高いほうだ。消しゴムで消してもこの方法なら文字が浮かび上がってくるはずだ。
文字が黒と白、逆転して見えてくる。
「海......ちゃん?海ちゃん。海ちゃん!!」
何故こんな大事なことを忘れていたのだろう。
しかも自分だけではない。みんながこのことを忘れていた。
いや......違う。
最初から存在しなかったことになっていたんだ。
僕が消しゴムで海ちゃんを消したんだ。
もし、そうなのだとしたら、僕はなんてことをしてしまったというのだろうか。
いや、待て。
反省する前に何か出来ることがあるはずだ。
もし、それが本当なのだとしたらきっと出来る。
書き換える!!
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「健司くん、おはよう。」
「あ、海ちゃん。おはよう!」
僕たちはいつものように公園へ向かい、いつものように遊んで、いつものように笑いあった。
ただそれだけで今は嬉しい。
とてつもなく、涙があふれて来そうなほど嬉しい。
僕はこの日常が日常であり続けるようにその事実を消した。
僕が消した事実が何だったかは思い出せないけれど、海ちゃんが隣に居るのは奇跡なのだろうと思った。
そしてメモ帳の文字が二度と消えてしまわないように海ちゃんと書かれたメモ用紙は燃やした。
「バイバーイ!」
「また明日。」
家に帰ってもそこにはもう消しゴムは無い。
僕は消しゴムを捨てた。
いつか取り返しのつかない過ちを犯す前に、捨てておかなければならない気がしたからだ。
もう二度と消してはいけない。
ガチャリとドアの音がした。
「こら!またテスト隠してたでしょ!!何、この点数?」
「ごめんなさい。」
「......今日から勉強漬けね。」
「え。」
あるがままを受け止めよう。
そう思いながら苦笑いした。
いかがだったでしょうか。
これはフリーダムノベルズ主催のテーマ「文房具と魔法」の短編です。ここんとこネタを提供してもらって助かっています。
ちなみに最後に主人公がメモに書いた言葉は「海ちゃんが死んだこと」でした。
海ちゃんが死んだ事実を無くしたことによって海ちゃんを生き返らせたということです。
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