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指風鈴連続殺人事件 ~恋するカナリアと血獄の日記帳~  作者: 須崎正太郎
袴田みなも《はかまだみなも》の日記
117/131

2001年9月6日(木)

 今日、バレー部顧問の松下先生と廊下で偶然出会ったので、それとなく工藤先生の話題を振ってみた。なにか情報が得られるのでは、と思ったのだ。すると――


「さあてなあ、最後に会ったときはずいぶんくたびれた顔をしていたが、どうして休んでいるのかはよく分からん。事件が次々と起きて疲れてはおるんだろうが……」


「……まあ、これだけ事件が起きたら疲れますよね。誰だって……」


 うまく話を合わせる。

 工藤教諭が疲れるなんて言うタマかどうか。

 あのひとは、相当にずるくて、怪しいひとだと私は思っているけれど。

 一連の事件の実行犯ではないにしろ、深く関わっているのはきっと間違いないわけだし……。


「いや、まあ工藤先生もお若いし、彼氏のひとりくらいできたのかもしれんな、はっはっは……」


 松下先生は、くだけたようにジョークを飛ばす。

 殺人事件が起きている現在、その言葉は多少、不謹慎ではあったが……。

 先生なりに、私のことを気遣ったのだと思っておこう。

 だから私も、松下先生の冗談に乗っかって、


「あはは。まさか、彼氏と遊ぶために休暇は取らないでしょう」


 なんて言ったのだけれど。

 しかし松下先生は「いやいや」と手を振って、


「あれでなかなか、もてるらしいぞ、工藤先生は。なんたって昔は東京の大学にいたひとだからなあ、センスが違うよ」


「東京……。工藤先生は東京の大学におられたのですか」


「そうだよ。大学生活が楽しくて、1年留年しちゃった、とか言ってたな、ははは」


「……留年?」


 その単語が妙に引っかかった。

 そこで工藤先生は、いつごろまで東京の大学にいたのか、と尋ねると――


「ええと、確か……。1989年から1994年までの5年間、東京におられたはずだぞ」


 それを聞いて、私はうなった。

 1994年。それは第3の事件が起こった年ではないか。

 そのころに工藤教諭は東京にいた。ということは、第3の事件についても、工藤教諭は関係がなかった可能性が高いのではないか……?


「いやあ、工藤先生も美人だからな。あれじゃ男はほっとかないよ。いやここだけの話な、夏休みの前にも、工藤先生と男が会っているのを、実は見たことがあってだな……」


 松下先生は、体育会系らしい陽気な語り口で、工藤先生のことをなおしゃべり続けるが……

 工藤桃花教諭……。彼女は第3の事件とは関係がない……? ……となると……?


 いよいよ混乱してきた。

 事件はいったい、どこがどうなっているんだろう?




 第2の事件のとき、岡部義太郎は精神科に入院していて犯行不可能。


 第3の事件のとき、工藤桃花は東京にいてまず犯行不可能。


 第4の事件・若菜殺害についても、工藤桃花にはアリバイ有。




 さらに……


 工藤桃花は8月7日、教室でひとりごとを言っていた。

 その中で彼女は確かに「あのひと」と口にしたのだ。


 岡部義太郎も、自殺寸前に「あいつになにもかもやられた」「あいつさえボクの前に現れなければ」と口にしたらしい。


 あのひと……?

 あいつ……?


 分からない。

 この一連の事件には、まだ私が把握していない何者かが関連しているというの?

 それとも、なにか私は重大な見落としを……? 分からない。分からないわ……!!

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