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指風鈴連続殺人事件 ~恋するカナリアと血獄の日記帳~  作者: 須崎正太郎
袴田みなも《はかまだみなも》の日記
102/131

2001年8月18日(土)

 M高校に登校。

 短い間に生徒がふたりも殺されたせいか、とても沈んだ空気。

 あまり長居はしたくない。安愚楽くんといっしょに、寄り道せずに図書室に直行。


 そして岡部愛子がいた時代の文集などをチェックすると、確かにいた。

 岡部義太郎。彼の写真が、22年前の新聞部の新聞に掲載されていたのだ。それは間違いなく、私を襲った男だった。10代当時の岡部義太郎は、もちろんいまの義太郎よりずっと若いけれど、間違いない。――前回、新聞を調べたときは岡部愛子の事件があった年、つまり21年前の新聞しか見ていなかったので、これには気が付かなった。


 22年前、2年1組の岡部義太郎は新聞部に登場して、体育祭についてなにやら語っている。

 どうやら当時、体育祭の実行委員をやっていたらしい。そしてその語りの中で、


「ふたつ年下の妹、愛子もスポーツが好きなので、もしM高校に入ったら僕と同じく実行委員をやってほしい」


 と答えていた。

 この文章で、ほぼ確定した。

 私を襲ったあの異常者・岡部義太郎は、第1の事件の被害者、愛子の兄だ。


 だけどその兄が……

 なぜ、いまはあんなことになっているのか?

 愛子が殺されたことと、なにか関係があるのかしら?

 それに北条凛とはなにか関係が……?


 と、そこで安愚楽くんが口を開いた。


「袴田さん、岡部義太郎は、卒業文集を残していないのかな?」


 確かにそうだ。

 北条凛が異様な卒業文集を残したように、岡部義太郎もなにか残しているかもしれない。


 そう思って、私たちは岡部義太郎が卒業した年の卒業文集を探したのだが――

 それは意外な結果となって、私たちの心をさらに追い込んだ。すなわち――




「破られている……」




 安愚楽くんが言ったように。

 岡部義太郎が卒業した年の、卒業文集。

 その文集の、岡部義太郎の作文があったと思わしきページは、きれいに破られていたのである。


 どういうこと。

 岡部義太郎は、やはり第1の事件と関係があるの? ないの?

 そしてその第1の事件は、若菜の事件へとつながっているの……?


 次から次へと疑念が湧いてきて混乱する。

 明日、一度、事件を整理してみようと思う。

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