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カフェ・ドールにご用ですか?  作者: 中邑わくぞ
茶道部の幽霊部員
5/30

茶道室の幽霊部員 後編

 3



「話はこれで全部です。彼女の自殺はいったいなぜだったのか。僕にはわかりません。それがずっと引っかかってるんです」


 話し終わったらどっと疲れた。

 思い出と一緒に、当時の陰鬱(いんうつ)な気分がよみがえってきたかのようだ。

 空気を()えようと、ずっかり冷めてしまったコーヒーに口をつける。

 香りは飛んでしまっているし、舌触りも今一つだけど、さわやかな苦みがからからになった口内にはちょうど良かった。


 ノウコさんは黙ったままだ。物言わぬ人形に戻ってしまったかのように、目を閉じて何も言わない。

 羽積科さんも、態度こそ飄々(ひょうひょう)としているが、何も発しない。

 こんな話をするべきじゃなかったのだろうか。だけど、話すように(うなが)したのはこの二人だ。僕はそれに従っただけで、悪いということはないだろう。


 おおよそ三分ほどだろうか、微動だにしなかったノウコさんが一気にコーヒーを飲み干し、カップを置いた。

 黒曜石(こくようせき)のような瞳が僕を射抜き、すぐにつまらなそうな色が塗りつぶす。


「杯は干されて、謎も(ほぐ)された」

「ふーん……ノウコちゃんにしては長かったんじゃね? そんなに難問だったのかい? それとも、コーヒーがマズかったかな?」

「いつも通りの味だったわ。人間の機微というものが少し納得しがたかっただけ」

「ほうほう。んじゃま、聞きましょうじゃない。お推理さまを、サ」


 解けたのか? こんな過去の、しかも伝聞の情報で?

 僕の困惑なんて知ったことかとばかりに、ノウコさんは口を開く。


「初めから幽霊は想定外だった。そのつもりはなかったし、むしろそれは避けたい事態だった。でも幽霊ということにして、派手に騒ぎたい人物がいた。それだけの話。騒ぎを大きくしたい人間がいて、その中には毒が含まれていた。毒は想定以上に効きすぎて、少女の命を奪ってしまった。それだけよ」

「さぁっぱりわかんねぇ!」どこかおどけて叫ぶ羽積科さん。

「少しは考えたの? 考えてその結果?」あくまで冷淡なノウコさん。

「考えてもわからないからギブ!」

「首がねじれてしまえばいいのに」


 声を上げて笑う羽積科さん。どうやら、ノウコさんはわかっているみたいだけど、僕にはさっぱり見当がつかない。

 

「そっちも? ……というか、当然か」


 ゆるゆると、ノウコさんの小さな手が持ち上がる。

 細い人差し指がぴんの伸び、僕を指した。


「あなたが幽霊の正体。元々幽霊なんて影も形もなかったのに、そこに幽霊を作り出した犯人」


 声が出ない。

 心臓がばくばくとうるさい。

 いや、ちがう。ずっとうるさかった。それに今気が付いた。なんで今まで気づかなかったんろう。いやいや、そんなことよりも今は、

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 僕が、僕がそんなことして何になるっていうんですか? そ、そんなのは侮辱(ぶじょく)ですよ! 僕が彼女を殺すはずがない! 不利益になることをするはずがない!」

「あらそう。なんでそんなことがいえるの?」

「だって! だって僕は……」


 なんでだ? 

 なんでだ? 

 なんでそんなことが言えるんだ? だって、ろくに知ってない生徒のはずだろ?

 そんなことがあるはずがないだろ?

 僕はなんで、あんなことを言ったんだ?


「正直に言いなさい。()れてたんでしょ? そして、当時教師という立場にあったあなたにとって、それは許されざる思いだった。五十にもなって、いまだに二十年以上も前のことをしっかり覚えているぐらいなんだもの」


 思わず自分の手を見る。

 張りがなく、しわも増えてきた手だ。

 色の悪い静脈が浮き始めて、そろそろしっかり健康診断を受けないといけないと思っている。

 着ているのは、年季が入ってきた濃紺のスーツ。そろそろガタが来てるけど、三年前の誕生日に仕立てたものなので処分の踏ん切りがつかない。

 

「……ぁ、……そんな、そんな!」


 意味のある文章が浮かんでこない。

 否定したいはずなのに、僕にはそれができない。


「二十年前……高校生程度では携帯電話を持っているのは少数派だったんじゃないかしら? その上で連絡を取ったりするのならば、手段が限られてくる。それに選ばれたのが『靴』――ではなくて、おそらくは中にメモでも手紙でも忍ばせていたんでしょうね」


 続く。ノウコさんの言葉が続く。

 

「一教師が生徒同士の恋愛事情に口を挟むのはお門違いだということは理解していた。だけど、教師と生徒の関係ならば話は別。しかも、自分がそれを把握していたのならば、どれだけ嫉妬(しっと)に燃えたのかしら? 嫉妬? いえ、もしかしたら憎悪だったのかもしれないわ。自分は必死にこらえているのに、他の教師が、それも自分たちを指導するはずの教頭がそんなことをやっているのならば」


 僕は声が出せない。


「順番に行きましょう。最初に、教頭と女子生徒が交際関係にあった。それにあなたは気づいた。そして、二人が靴を使用して、手紙のやり取りをしていた。なんでそんなことをしていたのかは……そうね、迂闊に電話なんてできないし、学校内でやり取りをするのもの目撃されてしまったらまずい。女子生徒はこっそりと靴を置き、教頭はそれを回収する。いざ誰かの目についてしまっても、差出人とあて先はわからない。そんな手法ね」


 ほどけていく。

 僕が、記憶が、目を背けてきた事実が。


「それにあなたは気づいた。二人の関係にも。許せなかったあなたは幽霊の噂を立てた。刺激に飢えている生徒たちは飛びついた。元々、あなたはそういう噂の発信源になれるような立場にいたのかもしれないわね。友達先生ってやつ? 思惑通りに、いえ思惑以上に噂は広まって、二人は連絡を取ることができなくなり――そして、あなたがその張本人であることを教頭は突き止めた。嗅ぎまわっていただろうし、当然ね。でも、そこで逆に脅迫した。文言は、そうね……『二人の関係をばらされたくないのならば、別れろ』といったところかしら?」


 ああ、そうだ。僕は、僕は教頭のクルマの中で脅した。

 サイドミラーに映っていた、僕の顔がひどく醜悪(しゅうあく)なものだった。


「どういう話し合いがあったのかわからないけど、二人は別れた。そして、女子生徒は自殺した。卒業したら堂々と交際するつもりだったのかもね。でも、嫉妬の情に駆られた人間によって、その望みは断たれた。もちろん、やった本人は善意のつもりだったのかもしれないけど、それはそれはショックだった。世を(はかな)んでしまうほどに。思春期の潔癖さというか、完全主義というべきかしら? 自殺という選択肢まで追い詰めたのは予想外だった。……そして、すべてを自分からは縁遠いことと処理することによって、精神の安定を図った。張本人が記憶を中途半端に封印したせいで、訳の分からないエピソードになったでしょうね。それが、今回の謎の正体。初めから謎なんてない。謎を作り出していたのは、あなたの罪悪感と、それからの逃避」


 震える手で顔を覆う。

 そこで気づいた。

 僕は泣いていなかった。

 涙が流れていると思ったのに、まったくそんな兆候すらない。

 ただ、乾いた笑みを浮かべているだけだ。

 やっと重荷を下ろしたみたいに、ほっとしているだけだ。


「なんで僕は、こんな……そんな、なんで笑って……嘘だ……嘘だ!」

「そこまで悪いとは思ってねえってことだろ? そんなもんそんなもん! 過去のことなんて振り返ってもしょうがねえじゃん? ぎゃはははははっ!」


 羽積科さんはなぜか笑っている。こんなに最低の人間を前にして笑っている。

 だけど、その笑みは悪魔の笑みだ。

 愚かな人間を嘲笑(ちょうしょう)する、悪鬼(あっき)の笑いだ。


「……はあ、久しぶりに謎が来たのかと思ったら、期待外れね。私はそろそろだからあとは勝手にしなさい。どうなろうが知ったことじゃないわ」

「アイアイ! 任せときなって!」


 羽積科さんが答えると、ノウコさんからきしきしという音がしだす。

 徐々に、徐々に、黒く染まっていた髪から色素が抜けるようにして白の割合が増えていく。

 やがて、すべてが白髪に戻ったノウコさんは、再び物言わぬ人形になっていた。

 残っているのは僕と、羽積科さん。


「で? どーするよ先生。死にたいなら腕のいいヤツ紹介するぜ? 痛みもなくやってくれる。痛いのがいいなら、そうゆうのが得意なヤツを紹介する」

「……僕は……僕はだれかに告発してほしくて……誰かに糾弾してほしくて……だから、だからこんな……」


 自分でも何を言っているのかわからない。

 そんなことを考えている人間が、わざわざ謎の形式で語るのか? そんなことはない。

 僕はいまだに嘘を重ねようとしている。いまだに最低の人間であることをやめようとしていない。


「そんなことは裁判所でもなんでも好きなとこにいってくれよ。ノウコちゃんは謎を解くだけ。俺はコーヒー淹れるだけ。領分はわきまえてるんだ」

「お願いだっ! 僕を! 裁いてくれっ!」

「ん~~~~わっかんないなぁ……なんでそんなに裁いてほしいの、サ?」

「こんなこと許されていいはずがないだろう! 人を自殺に追いやっておいて! それを忘れてのうのうと生きているなんてことがあっていいはずがない!」


 いつの間にか、羽積科さんは立ち上がり、手鏡を持っていた。

 ゆっくりと鏡が持ち上がる。当然、鏡面は僕に向いている。


「だけどアンタ、笑ってるぜ」


 汚らしく歪んだ、安堵(あんど)の顔。

 僕は絶叫しながら気絶した。

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