茶道部の幽霊部員 中編
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「そう。それだけでは『謎』にはならないわ。単なる阿呆が悪戯にもならないような些細な行動をやって、陰気な少年が悶々としただけのことでしょう。まったく問題はないし、なんなら、勝手に悶々としている少年のほうが被害妄想ね」
「オイオイオイ! ノウコちゃんは今日もご機嫌ナナメじゃん? どうしたの? あ! わかった! 女の子の日だろ!? どーよ名推理!」
「死になさい」
目の前に座っている人間とは思えないほどにきれいな女性――というか、さっきまで確実に人形だったのに、今は人間のように動いている人形――ノウコさん。
そして、先ほどから狭い通路に椅子を持ってきて話を聞いてるのは、この喫茶店の自称オーナーである羽積科さん。しかしながらオーナーとは認めたくない。その恰好がおおよそ飲食店勤務とは思えないものだから。
真っ赤なシャツに、アクセサリーをじゃらじゃらつけて、あまつさえ鋭いサングラスを着用している接客業がいていいのだろうか?
対するノウコさんが異常に豪奢な黒のドレスに身を包んでいるからこそ、一歩間違えてしまったら浮浪者に間違われかねないほど着崩した格好がみすぼらしく感じる。
たまたま目について入った喫茶店『cafe doll』。そこで僕は、長年抱えていた謎をノウコさんに披露することになったのだ。その解決と一杯のコーヒー代を差し出して。
「さて、それが『謎』じゃないでしょう? その程度、よくあること。人生において解明できないちょっとした違和感なんてものはいくらでも存在している。そのうちの一つ程度でしかない。それなのに、貴方はひっかかっているのかしら? そんなことは、ない」
前に置かれたコーヒーを口に運びながらノウコさんは冷たく言い放つ。
その視線はこっちには向けられていない。黒く、芳香を放つ漆黒の液体にのみ注がれている。
目の前で、彼女が動き出したのというのにいまだに信じられない。
これは壮大なドッキリで、僕は誰かに担がれているのではないのかと、思わずきょろきょろと周囲に目をやってしまうぐらいには。
「おっと! あんまりじろじろ見ないでくれって! 表面だけ取り繕ってるのがバレるだろ? コーヒーの原料とか気にしたって始まらねえし、料理器具なんかよりも目の前のカワイコちゃんの瞳を見てなって。吸い込まれそうだろ? 気を付けたほうがいいぜ? 四人ぐらい吸い込まれたまま帰ってきてない」
「は、はあ……」
「口から出まかせをいう間に、お替り持ってきて頂戴。お前は口よりも手を動かしているほうが素敵よ」
「うっひゃあ! 素敵なナイスガイだって! 事実でも褒められると嬉しいね!」
「とっとと行け」
「あいよー」
どうも二人のペースにずっと呑まれっぱなしだ。
時間に追われているわけではないけれど、それでも無意味に消費していいほどに時間を持て余しているわけではない。
「愚か者は追い払ったら話を続けなさい。そのうちに帰ってくるけど」
「え、ええ。わかりました」
僕は再び回想する。
次に気づいたの時のことを。
それからしばらくは『靴』のことを思い出すこともなく、平穏に学校生活を送っていた。
いや、無理矢理に忘れようとしていたのかもしれない。
茶室に近づくことなく、テスト勉強に集中する羽目になっていたからだ。
再び僕が遭遇したのは、陰鬱なテスト期間が終了し、生徒たちの中にも多少安堵の気分が漂い始めたころのことだった。
ちょっとした噂話が女子の間で持ち上がり始めていたのだ。
茶道部には文字通りの幽霊部員がいて、その部員がたまに部活動にこっそりと参加しているという噂。
すでに実体が存在しない彼女は、たった一つだけ残っている遺品である靴で、所在を主張している、と。
よくある学校の怪談といった風情で、本気にしている者はいないようだった。少なくとも僕にはそう見えた。なんの気なしに友達やら、クラスメイト達が話のきっかけやらつなぎとして口にする、流行歌やら、人気のアイドルやら、そういった類の話。
僕にはそうではなかった。
やっとのことで忘れていた、あのうっすらとした不気味さ。
拒絶するほどの嫌悪は覚えないが、なんとなく居心地の悪さを覚えてしまうような、そんな微妙な感情。
気まぐれに掘った穴から、モグラの死体でも出てきたかのような感じだ。いい気はしないが、耳を塞いで遮断してしまうほどではない。
当然、そんな様子の人間は怪談を共有しようとする人間からしてみたら格好の餌食になってくる。
「知ってるか? 自殺した茶道部部員のハナシ」
「……知らない」
「すっげー美人で、何人も惚れちまって取り合いになったそうだ。そのうち何人かはかなり強引に交際を迫ったらしくって、犯罪すれすれどころか、犯罪そのものな手段に出たやつもいたらしい。そして、精神を病んだ末にあの部室で服毒自殺したらしい。幸せそうにしてる女子共が憎くって、ブサイクほどたたられちまうそうだ! 女は怖いねぇ~」
「そりゃ、なんというか……壮絶だ」
「ああ! やっぱり恨みは女のほうが強そうだしな!」
どうやら参加するのは恨みを募らせた末の行動ということになってしまっているようだった。しかも、なぜかやたらに壮絶な過去が付与されてしまっているし。噂話に尾ひれはつきものだけど、これはちょっと異常だ。
適当に話を合わせながらそんなことを考える。
今日、見に行ってみようか。
体調不良で保健室に行く振りをして、こっそりと抜け出す。
自分にこんな胆力があるとは知らなかった。
休み時間やらに足を向けてみるかとも思ったのだけど、おそらく見物人はたくさんいるだろうし、僕も野次馬の一人だと思われてしまうのはなんだか癪だ。
だけど、こんな不良まがいのことをしてまでやる必要があるのだろうか?
頭の中は整理できそうにないが、貴重な時間を無駄にしないために足だけは動く。
よほどの偏屈、もしくは堂々と教師に逆らうような不良でないかぎり、授業中の校舎で移動している人間はない。ゆえに、ものの三分ほどで茶室までたどり着いた。が、身を隠す羽目になってしまった。
茶室の前、まだ遠いので誰かまでは判然としないが、女子生徒が一人いたのだ。
この時間に何の用だろうか? 僕みたいに『靴』を探しに来たのか? それとも、もっと別の目的だろうか? まさかの可能性としては、彼女が幽霊の正体ということもありうるのだろうが……と、少しばかり身を乗り出しすぎてしまったようだ。というか、あんまりその事実は関係なかったのだろう。
なぜならば、僕は校舎の影に隠れるようにしていたのだけど、相手は校舎からやってきたのだから。
「何をやってる?」
「…………不審者がいないかどうか見回りでもと思い立ちまして」
「ほう。それがきみがやるべきことか? 私は授業に参加することがそうではないのかと愚考するのだが、それは間違いということか?」
「そ、そんなことはないと思います! はい! 今すぐ戻ります!」
「記録しておくから反省するように」
「はい! では失礼します!」
まさか教頭に見つかるとは思わなかった。
やたら口うるさく、煙たがられているあの頑固おやじからこの程度で逃げ出せたのは僥倖というほかない。脱兎の勢いで駆けだした僕はとっとと教室まで駆け出す。
あんまりにも急いで戻ったものだから、男子の何人かにはからかわれてしまったのだけど、照れ笑いでごまかした。ごまかしきったと信じたい。
休み時間になったのと同時に茶室に行ってみたけれど、当たり前のように靴はなかった。
どうやら衆人環視の目があるなら幽霊部員は出現しないようで、あるいは僕が気づかない間に出たり消えたりしているみたいで、『靴』を目撃することはなくなっていた。
そうして、また更に少しばかりの時間がたったころに奇妙なものを見かけた。
その日の僕は外の掃除をやっていた。
季節はすでに冬で、風は身を切るほどの凶悪さで体を冷やしてくれるし、舞い上がる埃は呼吸の効率を三十%は下げているように感じられるほどだった。
そんな季節だから、当然落ち葉は大量にあるし、いくら掃いても次々に補充されるのでやる気は全く出てこない。それでもやらなければ校内がすっかり落ち葉だらけになってしまうのだから、僕みたいなやつも体を動かさないといけない。
大量の落ち葉をリアカーにまとめて焼却炉に持っていくという役目を押し付けられてしまったので、渋々といった感じで僕はだらだら歩く。
校舎の裏側にある焼却炉に到着した時、すでに先客がいた。
とはいっても、どうやら用事は済んだようで、すでに去り際。
手ぶらだし、背を向けてこっちに歩いてくるところだった。
三年生の女子だ。
まっすぐに黒髪を伸ばした、きれいな子だけど、その両目は赤くなっており、僕を一瞥することもなく去っていった。
失礼なコだなあ、と当然の感想を抱きながら、後ろでカサカサ音を立てる葉っぱどもを赤々と燃える口に突っ込もうとして――。
「あれ?」
黒っぽい何かが燃えていた。
ここに入るのは廃棄になった印刷物とか、落ち葉とかそういった類のもののはず。時には横着者が菓子の袋辺りを突っ込んでいくこともあるが、それとはちょっと違っている。
置いてある金属製のトングを使って、ごうごうと燃える炎の中から『それ』を取り出す。
「…………まじかぁ」
『靴』だ。
多少焦げてしまっているけど、見覚えがある。
ということは、幽霊部員の正体は彼女ということになるだろうか?
そういえば、茶道部の部員だったような気がする。
まあ、特に無理はない。
動機……がどうにも不明なのだけど、ちょっとしたいたずら心だろうか? 多少噂話で盛り上がってはいたし、話のタネぐらいにはなったことだろう。
それにしては派手さに欠けるとは思うのだけど。
納得はできないが、靴の焦げ具合からしてみると、今しがた放り込まれたばかりだし、それができたのは彼女だけだろう。
あっけない幕切れになってしまったけど、これで終わり――にはならなかった。
数日後、彼女は自殺した。
遺書には、<希望がなくなった>とだけ書いてあったそうだ。
原因はわからない。
一体、彼女に何があったのか。
焼却炉に放り込んだ『靴』は、彼女の希望を象徴していたのだろうか。
心中するほどの、重要さだったのか?
皆がさめざめと泣く葬式で、僕はずっとそんなことを考えていた。