茶道部の幽霊部員 前編
1
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僕がそれに違和感を覚えたのは、六月のことだった。
休み時間、移動教室のために歩いている渡り廊下。
ここからは、ぽつんと建っている茶室が見える。うちの高校は結構新しいのだけど、こういうのがあるあたり、昔と今が混じりあっているようなちょっと不思議な感じがする。
なので、特に気にすることもなくいつものように通り過ぎる、はずだった。
そうならなかったのは、気づいてしまったから。
茶室の前、本来そこで履物を脱ぐための場所、放課後になったら茶道部部員達の靴が並ぶその場所に、一足の靴が置かれていたのだ。
はて? まだ三時にもなっていないような時間なのに、気の早い部員が準備でも始めているのだろうか? いいや、そんなことしたら先生の怒りを買うことは必然だし、始まるまで何時間あると思ってるんだ?
わざわざ内申書に響くような行動をするものだろうか? 大人しい子たちが多い茶道部員が? それはちょっと考えにくい。こういうことをやらかすのはサッカー部とか、野球部とか、そういう類いのちょっと『やんちゃ』な連中だ。
でも、だとしたらもっとワケがわからなくなる。
彼らのテリトリーじゃない。
茶室があるのはどちらかというと校舎の裏になってくるし、ここまで来るぐらいならば、ほかの場所でいたずらをやったほうが目立つし、なによりも実行も容易いだろう。
人目がないということは、誰かがいたらとても目立つということだ。
うーん、偶然。
そういうことにして、その場は片づけた。
※
再び見たのは、二週間ばかり経った頃だ。
今度は放課後。生物部である僕は校内に自生している植物を調査するために、いくらかの採集を目的として、木箱片手にうろついていた。
めぼしそうなものは大体収集してしまったので、そろそろ生物室に戻ろうか――そんなことを考えながらやる気なく歩いていた僕は、いつの間にか茶室の前に来ていた。
ちょうど茶道部はおわったらしく、姦しくお喋りしながら女子たちが次々に出てくる。
もちろん全員が靴を履いていくのだけど、先日の光景が僕の脳裏をよぎった。
気にはなったのだけど、あまりじろじろと観察するのは失礼だと思い、こっそりと横目で窺う。あくまで『僕は部活動の一環として、ここで植物採集を行っています』という感じで。
なんらやましいことはしていないのだけれども、異性の集団をじっくりと観察する、なんてことをやっていたことが誰かに知られでもしたら明日からどんな噂が立つのか想像もしたくない。多少なりとも人の目は気になる。それが異性ともなるとなおさらだ。
そんな風に、はたから見たら単なる不審者のような風情で僕は観察を続ける。
次々に出てきた少女たちは全部で五人。確か茶道部は顧問の先生を合わせても六人しかいないのだから、部員はこれで全部のはずだ。
そして、顧問の女性教師は実は顔を出すことはほとんどない。
元々が、普通の教員とはちょっと毛色の違う養護教諭ということもあるのだろうけど、ひとえに、自主性を重んじるという彼女の信条と、できることならば余計なことに時間を割かれたくないという彼女のエゴによって、かなり自由な部活動になっていることぐらいは聞いたことがある。
今は無関係だろうけど。
ということは、中に残っている人間はいないということだ。
現に、部長らしき少女がしっかりと茶室を施錠しているのだから。
数分もしないうちに、全員がはけてしまって茶室周辺は無人となった。
しっかりとその事実を確認してから、僕は近づく。
気になっていた。誰の下とも知れない靴、その主はいったい誰なのか? そもそも持ち主が存在しているのか? もしかしたら、間抜けな卒業生が忘れていった単なる記念品という可能性もあるぐらいだ。
僕には全く関係のないことなのだけど、知的好奇心によるものか、それとも単に女子の秘密みたいなものを嗅ぎ取ったのかはわからないのだけど、気になっていた。
はたから見たらきっと変態みたい、というか変態のそのものだろう。
ただ、確認するだけだから大したことはない。そんな風に言い訳しながら、僕は茶室の前、履物がいつもきれいに揃えられている場所へと足を進め。
「やっぱりないか」
当然といったら当然だ。
きっとあの靴は、なんらかのアクシデントというか、そもそもが茶道部の人間のものかどうかもわからないじゃないか。
いやいや、可能性を考えていけば、部員が忘れ物でも取りに来た可能性だってあるだろう? 現実なんてそんなものだ。わかってしまえば呆気ない事実にすぎない。
考えすぎだ。
ここ最近、新聞でも変な事件が多くて少なからず影響されていたみたいだ。
そんな風に結論付けて、立ち去ろうとしたときだった。
足音が聞こえた。
しかも、ただ歩いているだけじゃなくて、どことなく忍び足というか、気配を消そうとしているというか、人目を気にしている感じだ。
別にやましいことがあるわけじゃない。堂々としていたらいいのに、僕はなぜか隠れてしまった。
自分でもわからない。
こんなことをして、見つかったら事態が面倒になるだけだというに、なぜこんなことをしてしまったのかはわからない。
今すぐ出ていくべきだという考えと、このまま隠れているべきだという考えが頭の中でぐるぐる回りながら喧嘩しているのだけど、体のほうは動いてくれそうにない。
しょうがなく、声だけは潜めておく。いまさら出て行っても仕方ないだろうから。
ざ、という音がした。
おそらく、やってきたのは男子だ。なんとなくだが、歩き方に力強さというか、がさつさが表れている。
男子がこんな場所に何の用だ? 創部以来、茶道部に男子が在籍していたことはない。そもそも、中には茶道部があることさえも知らないやつもいるぐらいだ。
次々に疑問があふれてくるけど、黙っておく。
やってきた『だれかさん』は何かを探している風でもなく、迷いなく進み『なにか』を――――置いた?
すぐにもう用はないといわんばかりの勢いで、『だれかさん』は走ってどこかに行ってしまった。
十分に足跡が遠ざかり、戻ってくることもないだろうと確信してから僕はこそこそと隠れ場所から顔を出す。
誰もいない。
特に何かが変化したようにも思えない。
彼が滞在していた時間がごくわずかだ。その間にできうることなんて、せいぜいが何かと拾ったり、その逆に置いたりする程度しか――――。
ふと下げた視線。
その端に、違和感を覚えた。
具体的に何がおかしいというわけじゃない。なんとなくの違和感だ。
普段から、植物やら動物やら昆虫やらの小さなものを必死に追っていた僕みたいなやつだからこそ感じる、それほどに小さなもの。
なんだろう――――何があったんだ?
考えても仕方ない。こういう時は実際に行動してみるに限る。
そして、ほどなくして『それ』は見つかった。
「……靴だ」
それは、僕が以前見た靴に間違いなかった。
なんだこれ。
どういうことだ?
持ち主不明の靴の正体は、男子生徒? 部外者が勝手に置いていったもの?
余計に意味がわからない。
まるで隠すように――靴箱の陰に隠れるようにしておかれている靴を前にして、僕は頭をひねることになった。