真実の山を消せ 2
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「コーヒー」
「あいあいよー! ジイサンは?」
「ああ……私も、もらおう」
「はいはいよー! ちょっと待ってなカワイコちゃんたち! おっとジイサンはカワイコじゃねえや! だっはっはっはっは!」
何がおかしいのか、練場は大笑いしながらキッチンへと向かう。
「気にしないほうがいいわ。阿呆だから」
「そ、そうか。ならいいが」
「良くもないわ。悪くもないけど。困るのは精々豆の仕入れ量を間違える時ぐらいだから。その時には無理矢理口に突っ込んでやればいいのよ」
返答に困る。
最近の男女というのは、こんなにも乱暴な思想をしているのだろうか。だとしたら由々しき事態だ。
ついついそんな、典型的な年寄りの考えが浮かぶ。
すでにおおかた事情は話し終わっていた。
画家であること。かつての傑作の中になかった山のこと。
そして、それに納得できないこと。
ノウコは時々相槌を打つだけで、特になんらコメントをしなかった。
それでも、”謎を解く”と宣言した以上、その推理は気になる。
TVの名探偵のように、喝破するのはいつなのかと。
「ところで、その絵を描いたのは冬?」
「ああ、そうだ。それがどうかしたのか?」
「そうね、どうかしてるわ。よく生きてたって思う」
「どういうことだ?」
ノウコは答えない。
その代わりのように、練場がコーヒーを持ってくる。
「お待った~☆。俺特製生クリーム抜きのウインナーコーヒー! これはほっぺが落ちてブラジルまで一直線間違いなしっ! 地球環境が心配になってくるね!」
置かれたのはただのコーヒー。何の変哲もない。
当然だろう。ウインナーコーヒーから生クリームを抜いてあるのだから。
「意味のない言葉は、消しゴムのようなものね」
「おっとノウコちゃん! その心は?」
「お前の虫歯が悪化したらいいのに」
「なんにもかかってねえけど痛そう! 歯医者さん予約しなきゃ!」
「わたしがしてやるわ。葬儀屋の手配を」
「おっかねえ! 今日のお代はいらねえけど! おっかねえっ! ってね☆」
このやり取りに意味はないのだろう。
もしかしたら、謎を解くために時間稼ぎだろうか?
「そんなことはない。この阿呆がうるさいだけ。わたしは仕方なく相手をしているの」
「それなら…………」
「杯は干されて、謎も解された」
カップを置いて、ノウコは宣言した。
一瞬だけ愉快そうに、そしてすぐにその表情は鉄面皮に戻る。
「さて、答えからいきましょう。山はずっと”あった”。お前が見逃していただけ。愚かな画家は、見ていなかった――いえ、見えなかった」
馬鹿な。そんなはずはない。
とっさに廉太郎は心の中で反論する。
だが、言葉にはならない。
「そうね、しっかり見ていたのだもの。そんなはずないわ。普通ならば。今年いくつ?」
意味のわからない問いで、答えるまでに空白があった。
それでも、その程度のことを忘れるはずもない。きっちりと帳面にも記しているのだから。
ポケットから取り出し、表紙を見る。
書かれている数字は『78』。
「78歳だ。それがなにか?」
「ふーん。そのわりにはお前、”瞳が綺麗”ね」
「何を言っているんだ?」
まかり間違っても、口説かれているわけではないだろう。それならば、もっと違うアプローチになってくるはずだ。
一体何を聞きたいのかが、見当もつかない。
「わからないの? そう、それが原因ね。そんなことも忘れているんだから」
「なにがいいたい!」
思わず声を荒げる。
もう意味深な態度に惑わされるのは勘弁だ。
妙な時間だったが、得るものはなかった。
そう断じて廉太郎は席を立ち、部屋に戻ろうとした。
その背中に声が飛ぶ。
「その年なら白内障の手術ぐらいはしたことあるでしょう? したことあるはずよ。だって、お前の瞳には濁りがないんだもの。人間ならば当然の劣化が見られない。それはなぜかしら?」
足が止まった。
なぜ自分の足が止まったのか、廉太郎にはわからない。
それなのに、ノウコの言葉は続く。
「さて、白内障……知識でしか知らないのだけど、”視界が白く霞む”から、”モノがよく見えなくなってくる”そうね。それで、お前が描いた例の風景画――何を描いたの? もう一度見せてくれない?」
震える手で、上着のポケットに入れた写真を取り出す。
間違いなく、描かれているのは雪景色だった。
雪が降っている最中のような、ほとんどが白の、風景画だった。




