二重密室人形落涙 後編
「おいおいおいおい、ノウコちゃんノウコちゃん、ノウコちゃんよォ~。ちょっとばかりお口がよろしくございませんのことではなくて?」
「貴方の気持ち悪い言葉遣いのほうが七千倍不愉快だから問題ないわ。羽積科錬場」
「かっはぁ~! 結構久々だっていうのに相変わらずの毒舌っぷりで安心しちまう! あとフルネームは勘弁して! ちょっと照れちゃう!」
「わかってるわ。羞恥の感情を与えるための行為だもの」
どうやらチンピラさんは羽積科さんというらしい。だからどうしたという話だ。
人形が、人間を罵倒していることに比較したら至極どうでも良い。
「っつーわけで少年よ。とっととキミに起こった妙な事態を詳細に教えてくれよ。そしたらこっちのノウコちゃんがささっと解決してくれるぜ。もちろん、お代は頂くけどな。そのコーヒー分ね。六百円」
やっすいなあ、謎。
いや。いやいやいや。そうじゃなくて!
「……事態が飲み込めないんですけど」
人形がおしゃべりしだして、『謎を解いてやる』とか言い出したら混乱するだろ? 普通そうだろ? 僕がおかしいのか? それとも世の中がおかしいのか?
「アッハァッー! 目の前で起こっているコトだけが真実! そうじゃねえかい?」
「目の前の真実を捉えるだけの知能がない人間が多すぎることが問題なのよ。私はそうじゃないけど。だって人形だもの」
あ、これ無駄なヤツだ。
何度も何度も金切先輩と繰り返してきた僕には理解できた。
この二人は人の話とかどうでもよくて、聞いている振りをしているだけだってことが。
聞きたいことしか聞く気が無い。そういう、人種だ。
諦めよう。流されよう。そして反省するのも後悔するのも後回しにしよう。
僕に出来るのは指示に従うだけだ。
「早くしなさいな、ノロマな亀さん」
これ以上罵倒されたくもないし。
「……っていう、二重密室で起こった事件なんです。僕はもう何がなんだか。呪いとか魔法とかは信じていないんですけど、多少信じたくもなってきますよ」
取れたてほやほやの事件だから記憶を掘り起こすのに苦労するということもなく、僕は事件のあらましを語り終わった。
「へ~。物騒な人形もいたもんだ。ノウコ、お前の姉妹とかじゃねえの?」
「私の姉妹はたった一体だけよ。……私も知らないのがいるのかもしれないけど、それは私の把握している事象ではないわ」
聞いていたのかよアンタらは。
確かに、夏の怪談特集にでも出てきそうなぐらいにベタな話ではあるのだろうけど、当事者である僕にとっては死活問題だ。
大口を叩いたノウコさんをじっと見てみる。
「いつ、私を直視していいという許可を出したかしら? それとも妄想の中で聞いたのかしら? だとしたら今のうちに宣言しておくわ。私を視姦したら死ぬよりもひどい目に遭うわよ。具体的には錬場が四六時中貴方を見張って、あらん限りの弱みを握りに行くわ。この男にかかったら常人のプライベートなんて新聞に載っている情報よりも簡単に収集できるのだから」
「おいおい、人を変態みたいに言うなよ。俺とノウコの仲じゃねえの」
「事実だからしょうが無いわね。事実は時に残酷よ。それはもう、研いだナイフのように」
容赦の無い毒舌を浴びても羽積科さんはげらげらと笑い飛ばす。
大人の余裕がなせる業なのか、それとも単にドMなだけか。知るのは本人だけだろう。
おお……もう、なんだこれ。
「……で、だよ。ノウコは分かったのかよ? 俺にはさっぱりだぁね。モノホンじゃねえの? だったら俺の出番になってくるけどよ」
急に、羽積科さんは方向転換してきた。
あまりにもテンションの差が激しいので、一瞬だけ別人のように見えてしまう。
が、『俺の出番になる』? どういうことだろうか? そういう怪談やら怪現象の解決に何らかの心得でもあるのだろうか? だとしたら、僕は今すぐにでも頼みたいぐらいだ。
「必要ないわ。だって、単なるいたずらレベルの仕掛けだもの。この程度で錬場に動かれたら色々と不都合が出るわ」
あっさりと、至極あっさりとノウコさんは否定する。そして、断言する。
人間の仕業である、と。
つまり、あの現象を仕掛けた人間が存在しているということだ。誰、なのだろうか。僕にはわからない。もしかしたらノウコさんだって分かっていないんじゃないだろうか。口から出任せを言って、とりあえずは錬場さんの主張をひっくり返したくなってしまった、という可能性だってあるような気がしてくる。
ノウコさんが緩く息を吐く。
カップに残っていたコーヒーを飲み干すと、音も立てずにソーサーに戻し、つまらなそうな色が瞳に宿った。
「……杯は干されて、謎も解された」
「お、推理が通ったみたいじゃねえの。ノウコちゃんよぉ~。俺にも聞かせてくれって。ちょっとばかり興味があるぜ。夏の怪談としてストックしておいて、ダチとの話の種にすっから」
ニヤニヤと羽積科さんは笑っている。
どうやら、今のは決めぜりふか合図だったらしい。
「……聞きたいの? 面倒くさいわ。そのぐらいは自分で考えなさいな」
「おいおいおいおい、ちょっと冷てえんじゃねえのぉ、ノウコちゃんよぉ。ホットなコーヒー腹に入れたんだからもうちょっと人情ってヤツを持ってもいいんじゃねえ? ……人形が人情? ぎゃははははははっ! ヒ、ヒヒヒヒヒヒっ!」
何がおかしいのか羽積科さんは腹を抱えて笑っている。
一方、ノウコさんは物憂げな表情で僕を見ていた。
「あ、あの……なんでしょうか?」
「聞きたいの? 私が至った真相を」
「……はい」
本心だった。
怪現象に巻き込まれてしまうよりも、人間によって引き起こされた事件だというほうが気も楽だ。犯人をとっちめればいいだけの話だし。
「どうしようかしら? ここで断ってもいいのだけど? 一杯程度のコーヒーじゃあ、私の可動時間は精々あと十分。その間黙っているだけというのも興味を引かれる選択肢よね」
ここまできてそれはないだろ!
「……聞かせて下さい。ノウコさんの推理を」
はっきりと意思を表明する。
多分、この人(?)はちゃんと意思表明をしない人間には非協力的だ。
なるべく簡潔に、そして間違いの無いように言わないと。
小さくノウコさんは唸る。
不機嫌というよりも、『何かが足りていない』という風に。今一つ気乗りしないという風に。
「なにか……そう、僕に何か出来ることがあったら言ってください。僕は知りたいんですよ。何が起こったのか。なぜ僕達はあんな目に遭わないといけなかったのか」
「だったら私に言うことがあるでしょう? もっと態度で表明しなさいな」
「はい?」
「具体的には……もうちょっと必死に媚びなさい。そうね、一発芸でもやってくれるかしら」
…………はい?
ひゅん。僕の手の上に乗っていた百円玉が一瞬にしてかき消えた、ように見えるはずだ。
実際は違う。
右手の上にあった百円玉の現在の所在地は僕の左手。
掌に隠すテクニックを用いた簡単な手品だけど、初見だとちょっとぐらいはびっくりするし、コイン一枚でやれる手軽さがウリだ。
一発芸をやれ、だなんて無茶ぶりだったのだけど、こういう時のための隠し球の一つや二つは持っている。そうじゃなければオカルト研究会なんて妙な場所に在籍なんてしていない。
どうだ!
そういう心境で僕は二人を見やる。
「おーおーおー。中々やるじゃねえの。見た目からは想像も付かないぐらいにイカしてるぜ」
それは婉曲的に僕の見た目がいけてないということにならないだろうか?
「ふぅん。最近の学生は小生意気ね。こういう時は滑り倒して寒々しい空気を作りなさいな。わかってないわね。『お約束』が。だからそういう小技程度でモテると勘違いしてしまうのよ」
……一発芸をやれって言っておきながらこの態度はなんだ? いい加減に僕も腹が立ってきた。キレるべき箇所なのだろうか?
ちょっぴり僕が分岐点に立っていると、
「じゃあ解説してあげるわ。今回の事件の真相を」
などとノウコさんはのたまった。
ちょっとこの人(?)の思考回路が分からない。いや、思考回路とかないんじゃないのか? 人形だし。いやいや、だとしたらどうやって思考して――――。
「犯人は人形を持ち込んだ貴方の先輩よ」
唐突に、突然に、そしてなんでもないことのように核心に触れる。
「え? い、いや……先輩は僕と一緒に生徒会長に追求されていたんですよ? 何者かが細工をしたっていうのならば、犯行は間違いなくその間ですよ。だって――――」
「それが間違い。犯行はすでに終わっていた。細工は終わっていたの。後は間抜けな獲物が予想通りに動いてくれるだけで良い。時限装置付きの人形は想定通りに動くことはあらかじめ実験してたんでしょうね」
ばっさり。
あろうことか犯行時刻さえも、侵入した何者かがいるという僕の仮説も、さらには密室なんぞ問題じゃなかったという回答。
ノウコさんの唇は、なめらかに動く。
「では解答よ。つまらないことだけど、人形に仕掛けがしてあった。それだけの話。そして、その仕掛けは自動的に発動するものだった。いえ、厳密には自動的ではなくて、ある程度の条件は必要になってくるのだけど、満たすのは容易……嫌でも満たしてしまうという表現のほうが適切かしら」
「ほっほう。で、ノウコちゃんよ、その『条件』とやらはなんだよ?」
「気温と時間よ。一定以上の気温と、時間が経過することが絶対条件。仮定になってしまうのだけど、今回のトリックは氷点下では成り立たなかったし、ほんの数分目を離したぐらいでは不十分だった。この二つを満たしたときに、人形は泣いたの」
気温? 時間? なぜそれで人形が泣くんだ? どういうことなんだ?
「九月に入ったけれど、今だに二〇度以上の気温は維持しているでしょう? ならば問題はないし、その先輩とやらがのらりくらりとしていたのも時間稼ぎのためでしょうね。あとは泣いている『ように』見える人形を発見するために、後輩を伴って戻る。それだけよ。密室を保証するための証人として、怪現象を目撃するための当事者として」
「はぁん、なるほどね。だけどよノウコ。大切なことが一つ欠けてるぜ? 肝心の人形を泣かせたトリックってのはなんだよ。それが一番大事じゃねえの?」
「簡単よ。人形の頭部にでも氷が仕込んであったのよ。そして、眼球にでも小さな穴が空いていたの。ゆっくりと溶けた氷は少しずつにじみ出していく。少量だけど、蒸散してしまうよりも多い量が。一時間もしたら泣いているように見える程度には流れるでしょうね」
「待ってくださいよ!」
思わず声を上げてしまっていた。
二人とも驚きもせずに薄く笑っている。気味が悪い。
だけど、ここは抗議しておかないといけないだろう。確かに、金切先輩は性格がいいとは言えないけれど、そこまでやってくるとは思えなかった。
それに。
「そんな、氷を仕込んだ人形なんてモノを学校に持ち込んだら放課後までに溶けてしまうはずでしょう。生徒が使える冷凍庫なんて都合のいいものはありませんよ」
そう、ノウコさんの推理には致命的な穴がある。
トリックの肝である氷。気温で自然に溶けてしまうというのならば、授業を受けている間に溶けきってしまう。
更に、先輩は電車通学だ。一旦家に戻って人形を持ってくるなんてことをやっていたら放課後すぐに僕と会うことはできない。
「ドライアイス」
「え?」
「別になんでもいいのだけど、入手が容易で、なおかつ自然に消滅するのならばおそらくはドライアイスでしょうね。貴方の先輩は保冷容器にドライアイスと一緒にガラスケースごと人形を入れていた。だからこそ、容器から取り出されるまで人形は泣いていなかった」
僕は思い出す。
先輩が人形を取りだしたごっつい容器。
あれは……確かにクーラーボックスみたいな外見だった。
筋は通っている。特に文句を付ける点も思いつかない。
なら、それが真相なのか?
「どうでもいいわ」
まるで僕の内心を見透かしたかのようなノウコさん。
「私は謎が解ければあとはどうでもいいの。人間の感情とか関係とか、愛憎だとか悲哀だとかそういう概念には興味がない。だって、人形だもの。……いまだに人形だもの」
きしきしきしきしきしきし。
革が擦れるような音と共に、ノウコさんの髪が白に戻っていく。
「時間だわ。……あとは勝手になさい」
最期にそれだけ言って、ノウコさんは人形へと戻った。
夢だった? いや、そんなことはない。
等身大の人形の前に置かれたカップの中身はきれいさっぱり無くなっていた。
「ほんじゃまったね~。ノウコに会いたかったらいつでも来な、少年。六百円な」
終始この人は変化がなかった。
最初から最後まで、軽薄そうな態度。今はそれが救いなのだけど。
僕は店の看板を見上げる。
〈Cafe doll〉
コーヒーで動く人形、ノウコさん。
そういう意味だったのだろうか。
すでに夕暮れが迫っていた。
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