学園地獄(A面)
アリエスは、ゴンゾウほか、こういう時だけやる気のある民たちを後ろに引き連れて軍門の前に立つ。
目の前から群れを成してくる敵は……思ったよりも多い。
「――こんにちは、滅びた敗戦国スウィート・ピィの皆さん。そして、今現在の代表取締役お姫様……アリエスさん」
わざわざ目の前に現れた敵の大将は、メガネをかけた七三分けの変な男だった。見るからに、真面目なおぼっちゃまという感じがする。――人を見かけで判断するのは良くないかもしれないが、やっぱり嫌な奴は、嫌な奴の目をしている。
周囲には、明らかに百近い兵士たち。そこに紛れるモンスターは、海洋系の生物の顔をしていた。前は爬虫類、恐竜系統の顔をしている連中が多く、そういうのがこの辺りをうろついていた気がするが、たぶん敵も少しグレードアップしたのだろう。その辺の詳しいシステムは、俺は知らない。
「……私は代表取締役ではありません。ただの姫です」
「ああ、なるほど……ただの姫ですか」
「で、あなたは、何者ですか? そして、モンスターや兵士を従えて、我々に何の用です?」
相変わらず、敵の前に立つ姫の口調は、毅然としている。用など決まっているが、それでも正式に用件を聞きだすという手順を踏むのも、彼女らしい。
「僕の名はコオラ……特技は、偏差値が高い事です。まあ、偏差値の高い勝ち組である僕は、今日ここでも勝ってしまうので、あなた方はもう二度と会いませんけど……この次の言葉はあくまで社交辞令の挨拶の言葉として使いますね――“以後お見知りおきを”」
「……承知しましょう」
「さて、僕たちの目的は、ただ一つ。あなた方、スウィート・ピィの残党である、三人の姫を全員倒す事です。――姫たち三人だけ倒せというのがアクィナ様の命令ですからね。あとの有象無象に、用はありません」
はっきり言って、嫌な奴だ。口調がねちっこい。しかも、この状況下、何故だか真っ向から言葉を向けられているという気はしなかった。頭では別の事を考えながら、ただ事務的にこちらに話しかけているみたいだ。
何にせよ、目的はわかった。こいつらの目的は姫たち三人らしい。なんでかは知らないが、その目的を欠片でも果たさせる気はない。アリエスは勝つ。妹には指さえ触れさせない。
しかし、コオラは、ふと俺たちの方を見て、何かに気づいた。
「……ん? おやおや、あそこにいるのは誰かと思えば、ゴンゾウさんじゃありませんか」
このコオラとかいう男は、ゴンゾウの方を見ていたのだ。
思わず、ゴンゾウが答えた。
「えっ!? あんた誰だ!? なんでオイラを知っているんだ!?」
「ふう、やれやれ……。こんなところで同郷の恥と会う事になるとは思いませんでしたよ……。あなたの事は、国の手配書で聞いています。僕たちの国の“矯正施設”から脱走した、最悪の落ちこぼれとね……」
「あ、あんた、オイラと同じキィチの出身なのか!?」
一体、どういう事だ。キィチ? こいつは、あのゴンゾウと同じ場所にいたという事か?
しかし、ゴンゾウが元々、指名手配されるほどの大罪人だったなんて……いや、考えてみれば連れ去りを起こした後だ。もしかするとそうなのかもしれない、と俺は思ってしまった。
……そして、俺はこの後のこいつの言葉で気づかされた。ゴンゾウを大罪人と思ってしまったのは、俺の思い違いだった、と。
「あなたは、ゴンゾウさんと知り合いなのですか?」
「ふん。そいつは、我々の生まれた国、“ナ界=キィチ”の落ちこぼれの劣等生です」
「“ナ界=キィチ”……失礼ながら、私もあまり詳しくはない国です。ほとんど外交が閉鎖されているものと聞いています。以前、会合をドタキャンした国……」
「ええ、しかし我がキィチは、他の後進国とは違う、きわめて先進的な国ですから、その技術ややり方を他国に流出したくないんですよ。――しかし、これは知ってもらいたい! 我が国では、十歳の時にテストで学力別にランク付けされ、そこで偏差値の高い物はその後、豪華な暮らしが保障されるのです! 代わりに、偏差値の低い落ちこぼれたちは、矯正施設に入れられ、それ以上の教育はせずに、永久に単純作業をさせられる……!」
「えっ……な、なんでそんな事をしているんです!?」
「ああ、それはあなた方、偏差値の低い連中にはわかりませんか。ならば、教えておきましょう。簡単です。――“十歳の時のテストで頑張れない者は、一生頑張れない”!! それから何度チャンスがあろうと、全部逃すに決まっています!! だから、もうその後の人生は、全部一括で決めてしまうのです!! 一生頑張れない奴にチャンスなど与えても無駄、無駄、無駄!! だから、十歳の時点で、そいつの人生すべてを決めてしまえばいい!! 理に適っているでしょう!?」
――俺は、この瞬間、どうにもこの男の言葉にカチンと来た。
確かに、ゴンゾウはその世界から逃げ出して、旅をして、それから罪を犯してしまったかもしれない――。だが、こうなってくると、ゴンゾウが何故そうまで社会に収まる事を嫌って、旅を好んでいたのかも、そこで寂しくなって癒しを他人に求めたのかも、何となくわかってくる。
ゴンゾウの暮らしてきた国は、狂ったシステムで動いているのだ。
見れば、ゴンゾウは、俺の隣で下を向いて、震えていた。――目の前にいるコオラを見ればわかる。間違いなく、こういう連中がゴンゾウみたいな奴を切り捨てていき、クズのように扱い世界だったのだろうとわかる。俺の暮らす元の世界にも、たまにいる。
(姫さん、こいつを前には、ひとまず、俺に代わってくれ)
(……わかりました)
――俺は、アリエスの肉体を借りる。丁寧な交渉の時間は、ここで終わりだ。交代させてもらう。
それから、俺は肉体の感覚が来たのを確かめ、前に垂れている髪をかきあげて額を出し、目の前のコオラに向けて言った。
「――質問がある!」
そう、俺から一つ質問だ。
「……? どうぞ……」
「十歳という、妙にキリの良いラインは、一体、誰が決めたぁっ! どういう理由で、十歳なんだっ!」
コオラは、訊かれて、きょとんとしていた。
「……は? そんな事、僕は知りませんよ、決まっているから、それに従っているんです。きっと、十歳くらいがキリが良いから、そのくらいにしたんですよ」
「それだけかっ!? それだけなのか!? もっとマシな理由や根拠があるんじゃねえのか!?」
「はぁ……。あなた、一国の姫でありながらそんな事もわからないとは……スウィート・ピィの教育のレヴェルが知れますねぇ……。なんだか口調も、随分偏差値の低い物に変わったようですし……。“決まっているから決まっている”……言っている言葉の意味、わかります?」
「十歳……そのラインで、てめえらの世界の多くの人間の人生を左右するんだぞっ!? あんたはそこに疑問を持った事はねえのか? キリがいいからとか、そんな単純な理由で決めていい事なのか?」
「だ~か~ら~、決まっているから、決まっているんだって言ってるでしょう? あなた、偏差値の高い僕がここまでわかりやすく言っているのに、それでもわからないんですか? ホント偏差値低いですね~~~。……十歳、それがまあ、たぶん最後のチャンスとして、適切なラインなんですよ。先人が百年そうやって上手くいっているんだから、これは間違いないんです! そして、現実に、僕のような選ばれた優秀な人間がいる! それでいいじゃありませんか」
「やっぱり、十歳というラインに、科学的な根拠も、何もねえじゃねえか……! 根拠がありゃ人をゴミ扱いしていいってもんでもねえが、てめえらの国は、それ以下だ! 人間の可能性が尽きるタイミングなんて、人それぞれだろうが! そいつを十歳だの何だの、ひとまとめに変な区切り作りやがって! そんなわけもわからねえ線引きに、盲目的に従ってる奴が、本当に大事なモノを教わって大人になれるわけがねえだろっ!」
などとこの男に言っていると、徐々に目の前のすかしたメガネ野郎が、わなわなと手を震わせてきたのがわかった。
人を見下すような事ばかり言っていた男が、自分の知らない事を聞かれてまともに答えられず、図星を突かれてイラついているのだ。それが、所詮こいつの底という事。
「ええい、うるさいうるさいっ! 偏差値の低いくせに、御託ばかり並べやがって!!! どうやら、偏差値の低い人間からは、喋る権利さえ剥奪した方が良いみたいですね! 何にせよ、優秀で偏差値の高い僕は、キィチで成功し、悠々自適に学業に励み、研究生活をしていましたよ! 十歳まであの紙の為だけに、努力に努力を重ねたお陰でね! だから、アクィナ様に、目を留められ、こうして拾われたのです! 逆に、その男は十歳の試験に打ち込めなかった落伍者! 挙句、施設での単純作業が嫌で弱くて逃げた……それだけの事!」
「!」
「しかし、どっかで野垂れ死んだと思っていたら、残念ながら生きていたようですよ!! どうせ、偏差値の低い下等生物らしく、盗みや犯罪でもしながら、他人に迷惑をかけて生きてきたんでしょう!! さあ、モンスターの皆さん、あの偏差値の低い哀れな小太り野郎を笑ってやりなさい!! あははははははははははっ!!! 偏差値偏差値偏差値!!」
モンスターたちが一斉に笑い出した。コオラは、偏差値偏差値と笑っている。笑い声まで偏差値なのだ。偏差値という言葉に魂を縛られた哀れな奴!
俺は、ふとゴンゾウを見た。ゴンゾウは、今もまだ、震えている。三十過ぎた男が今、泣きそうになりながらだ……。しかし、これだけ言われているんだ。たとえ泣いたって良い。俺は、笑わねえ。その脳裏には、どれだけの嫌な思い、辛さ、トラウマが募っていたのか、俺にはもうわかった。
年下の俺に庇われるのが、ゴンゾウにとって良い想いのする事かはわからないが、俺は一人の人間として、こいつらに言わなきゃならねえ一言がある!
「――笑うんじゃねぇっ!!!!!!」
ぴくり、全員が動きと笑いを止めた。俺の心と姫の身体、二つ合わさった覇気に押されてしまえば、笑う者はもういない……。
コオラが、歪めた口を開く。
「偏差値の低い彼を、笑って何が悪いのです? ……どうせ、そのクズは、あなた方にだって、迷惑をかけてきたんでしょう? 所詮、十歳の時までに頑張れない奴は、社会を逃げ出して、他人に迷惑をかけるようなクズにしかならないんですよ! そいつは偏差値の低い負け組ですからねっ!」
「……逃げ出しただ? 他人に迷惑をかけただ? 上等だよ! ――それは……それは、てめえらの生まれた国が、ゴンゾウみてえな奴を見捨て続けてきたからだろぉがっ!! 自分たちに有利な物差しにはまらねえ人間を、クズみてえに平然と切り捨てやがって……!! いくらでもある未来のチャンスを、くだらねえ枠組みで、笑いながら平然と潰しやがって!!」
俺は、固く拳を握った。
こいつらの社会は、俺の知る限り最も愚劣な在り方だ。自分が間違っていると言えない。自分の生き方や環境に何の疑問も持たない。果ては、その恩恵で甘い汁を吸えば、今度は目が曇って、自分の事ばかり考え、弱者を貶める!
「それが僕らの従うべき社会、そして、システムという名の正義! そこに溶けこめずに他人に迷惑をかけるなど、所詮、最後はそいつの責任ですよ! 自分が勝てないからって、社会に責任を押し付けてばかりのクズ、クズ、クズ!!」
そして、そんな奴に限って、正義だの、責任だの、社会だのを背負って、人を見下し、悪や弱者に仕立ててきやがる! たとえ社会が間違っていたとしても、それに従い背負った時点で、正しく強い者と信じてしまう! そもそも社会っていうのは、大抵いくつか間違う物……それをちょっとでも正すには、過ちを認めて前に進むしかねえのに!
だから、こういう奴を見ると、はらわたが煮えくり返る! 正義なんて言葉を使って良いのは、真に弱い人間の心に寄り添える奴だけだ……! 俺は、まだそんな言葉を使えるほど立派じゃねえが、この敵を見据えて、反面教師にして、“そういう奴”に近づていく……なぜなら、俺は番長だからだ!
「偏差値の低いゴミが! 自己責任を社会に押し付けるゴミムシが!!」
「――ぬかせっ! 確かに最後はこいつ自身の責任かもしれねえが……みんなが生きなきゃならねえ社会を作ってるくせに、あぶれた奴にだけ責任を押し付け、自分はそいつを生んだ責任から逃れようって奴らを、俺は絶対許さねえ!! まして、それを当たり前に受け入れ、自分より弱い人間を見下して笑うなら、俺はてめえも許さねえっ!!」
俺は、こいつを殴ってやろうと前に踏み出た。
その瞬間、こいつの部下の兵士たちが、庇うようにどっと、俺の前にやってくる。――こんな奴でも、リーダーである以上、仲間に守られるらしい。
そいつらを、俺は躊躇いつつも、殴った。殴られた男は、数メートル吹き飛んでいく。全員が固まる。ぎょっとしている。
また、他人の拳で人を殴った事を、心でアリエスに詫びるとともに、アリエスは言う。
(伊神番長さん……遠慮はいりません! 温厚で人当たりが良く、優しい事が最大の長所であるこの私でさえも、今はこの手でその方をぶん殴りたいです……! しかし、出来るなら……伊神番長、あなたがお願いしますっ!! あなたこそ、一番痛いぶん殴り方を知っているから!!)
(わかった!! こいつは使っている言語が、千葉県とスウィート・ピィよりも、遥かにつながらねえ……そう、話も心も通じねえんだ!! あんたの代わりに、今すぐあのメガネを叩き割ってやる!!)
俺は両手に、元の世界での所持品のグローブをはめ、構えた。今、素手で兵士を思い切り殴ってしまって、ちょっとひりひりするが、この数を殴り続けてしまったら、アリエスの手が血まみれになってしまう。
俺は、邪魔をしに来るモンスターと兵士たちを、そのまま睨みつける!
「さあ、どうやら、偏差値の低い野蛮な姫君がこちらに攻撃を仕掛けてくるようです。……かかりなさいっ! 手下どもっ!! 僕の盾くらいにはなるでしょう!?」
海洋生物系モンスターたちが、群れを成してやって来た。
こいつら、あのコオラの命令はちゃんと聞いてくるつもりか。――それに、部下が身体を張って守ろうって時に、あのコオラは後ろに退いて、悠々と参考書を読み始めていやがる。
俺は、こいつの部下どもを殴り倒しながら、その群れの奥にいるコオラに叫びかける。
「コオラ! てめえ! 何、参考書なんて読んでいやがる!!」
「僕は偏差値が高いですからね。スキマ時間を有効に使うんですよ。文句ありますか?」
「そうじゃねえ……! てめえ、あれだけ言っておきながら、自分では戦わない気なのか!!」
「そりゃあ、僕は偏差値が高いですからね……! 自分では戦う必要がない。なぜなら、僕の高い偏差値を、偏差値の低い彼らに、仕事の“報酬”として差し上げているから……。僕はそんな労働条件で、彼らを雇えばいいだけ。――要するに、僕はね、“使う側”なんですよ! 姫でありながら前線で戦うなんて、それほど愚かしい事はないです。ああ、これだから偏差値の低い連中は見ていられない……!」
こいつは、自分では何もしない、何もできないくせに、人の上にいて、部下だろうが敵だろうが同じ故郷の仲間だろうが平然と見下す。
そうか。自分では何も考えないくせに、他人をゴミのように扱い、自分を偉いと錯覚している。
ああ、考えれば考えるほど、嫌なところしか見つからねえ。こいつはなかなか会えないレベルの嫌な奴だ。確かに嫌な奴は世の中にいる。コンビニですれ違う奴、学校にいる奴、ネットで見かける奴の中に、たまに、およそ信じがたい性格をしている奴がいる事が、実社会でもわりとある!
しかし、こいつは、そいつらの遥か上位レベルで嫌な奴なんだ!
「――くそ、ほんと、話を聞けば聞くほど、何て嫌な奴だ!! 偏差値偏差値って、あいつは偏差値村の住人かよっ!?」
(……あの。そもそも、彼はああ言ってますけど、偏差値は、他人に分け与えられるものではありません。彼は、偏差値という言葉に取りつかれるあまり、その言葉の意味をよくわかっていないようです!)
えっと、悪いが、俺も正直、「偏差値」の意味があまりわからない。いや、わからなくなってきたんだ。あいつの話を聞くとゲシュタルト崩壊する。偏差値とはなんだ。……まあいいや。とにかく、わかるのは、あいつは大馬鹿野郎という事だ!
海のモンスターたち。サメ顔の奴をストレートパンチでぶん殴り、ヒトデ顔の奴を蹴り飛ばす。タコみたいな奴が触手で襲ってきたが、日ごろのトレーニングのお陰で、すいすい動いて回避――顔面に向けて連打、連打で昏倒させる。
「姫様! オイラも助太刀する!」
ゴンゾウも戦ってくれる。鎖鎌を使って、俺を襲う触手を全て刈り取ってくれた。追い詰められた動揺か、あんまり上手く戦えてはいないようだが、それでも助かる!
「うおおっ! 姫様に加え、よそ者まで戦ってるんだ! 俺たちもやろうぜっ!!」
後ろでは、少々だが、武器を取った民たちも戦ってくれている。
俺は、ゴンゾウたちのアシストを受けながら、なんとか、元の身体と同じ勘を使って、雑魚を一掃していく。