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転生番長と、可憐なる姫(おんな)騎士  作者: 庭野 ワニ(23)
龍の魔法を持つ少女!番長、戦闘不能!
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ごめんねの向う側




 ――俺は、焦る内心を止められなかった。

 とし子の生き写しのような容姿の少女の恨みの眼差しは、巨大なドラゴンさえも心理の盲点にしてしまうほどに痛烈な不快感を覚えさせる。

 と、刹那――


「死んじゃえっ!!」


 ――ドラゴンは向かってきたっ!

 直感、声、殺気。――反射的にそれを感じて、長い爪を凪ぐドラゴンの一撃を、後ろに跳んで回避する!

 胸元に来る生暖かいような風圧。


「あ、あぶねっ!」


 見れば、こちらの胸部の防具が風圧で抉り取られている。――直撃していたら、本気でやばかった……。鋭いツメと、理屈抜きの力である。

 そして、その巨大なドラゴンは振りかぶった直後の体勢で、眼前に静止している。――既に顔を見上げられないくらいの距離感と、大きな躍動。スローモーションの余裕。動かずとも怖い。

 だが、そのドラゴンは、今度はこちらを向いて、ゆっくりと足を上げる。

 潰す気か、蹴り飛ばす気か。――足の動きで、俺は前者だと直感した。

 幸いな事に、相手の動きは、鈍く見えた。千葉県での不良との抗争では、重機やクレーンといった巨大な武器が登場する場合がある。それを、俺に思い出させる。


「うらっ!」


 俺は、クレーンに繋がれた振り子鉄球を避ける時と同じイメージで、足と足の隙間をさっと走り抜け、ドラゴンの後ろに回った――!


「んっ……!?」


 ドラゴンもこちらのすばしっこさに驚いているらしい。

 とりあえず、回避は成功だ。

 しかし、問題がある。次に、どう攻撃すれば良いか……? 重機を相手にする場合には決まっていた。

 運転手がいる。だが、この敵の運転手にあたるのは――あの子だ。

 と、その時、意識の中でアリエスが訊く。


(あの、代わってください、このサイズが相手では伊神番長でも……!)


(あ、ああ……いや、だが……)


(代わりますよ!? いいですね?)


 威圧的な言われ方で――肉体の主導権は、嫌々アリエスに戻る。

 確かにこの巨大なドラゴンに効果が伝わりやすいのは、拳より魔法だ。無から炎を繰り出す神秘の力こそ、無から生み出された龍を相手に取れる。俺が戦う事を想定すれば、一番マシな方法は、“運転手”の撃破になるだろう。それを、アリエスに代わればドラゴン自体を炎で攻撃できる。

 しかし、これもやはり少々問題がある。

 ――ドラゴンがこちらを、ぎょろりと見た。


「――っ!?」


 ドラゴンがこちらを睨んだ瞬間、アリエスの動きが止まった。

 そう、アリエスは、魔法は出来ても、身体を俊敏に動かす事はできないのだ。

 次にどうすればいいのかと一瞬思考する隙が生まれる。その一瞬を縮められるだけの勘がない。

 とはいえ、勿論、蛇に睨まれたままでいられるアリエスではなかった。一歩反応が遅れながらも、アリエスは即座にその視界いっぱいを炎で覆うような魔法を仕掛ける。

 眼前にあったはずのドラゴンという光景は――オレンジの炎色に消えた。


「せやぁぁぁぁっ!!」


 気合を充填するかのようなアリエスの声が響く。とにかく悪戯なまでの圧倒的な火炎放射で敵を焼こうとしたのだろう。

 ――しかし、即座にドラゴンはその背中の両翼を以って、炎から遠ざかるように飛んだのが、視界の端に見えた。ドラゴンはとうに後ろに回避しているらしい。

 アリエスはそれに気づいていない。――視界を覆う炎を両掌の先から発して、その向こうの敵の動きを意識にとどめていないのだ。


(アリエス姫、悪いが借りるぜっ!)


 俺は、その直後に許可を得ずに――アリエスから身体の主導権を奪う。


(――っ!?)


 と、魔法の使えない俺に代わった事で、炎のカーテンが消失する。

 次の瞬間――その消えたカーテンの向こう側にあった景色は、こちらに向かって突進するかの如く、低空飛行してくるドラゴンの姿だった。

 その鼻先に生えていた小さく鋭いツノが、目の前で俺たちを狙っている。


「うあっ――!!」


 思わぬ距離に気づいた事で、俺は間一髪、寝転がるように回避する。俺たちがいた地点を、猛スピードで突き抜けていくドラゴン。

 ――おそらく、炎を切り裂くスピードでこちらを捉えようとしたのだ!

 それは、あまりにも、殺意に満ちた攻撃だ。もし命中していたら、二人共々死んでいた事は確実だ。心臓がばくばくと鳴るのを手で抑え、俺はなんとか立ち上がる。


(あ……危なかったんですね……)


(くそっ! 俺は戦えるけどアリエス姫は戦えねえ……だが、逆に俺にはそういう魔法が使えねえ。同時に二人の意識が使えなきゃ、長所も持ち腐れだ……!)


(……ごめんなさい、私が全然鍛えていないばかりに)


(いや、こればっかりは仕方ねえさ! 正直、ドラゴンは、ちょっとの努力で対処できるレベルの相手じゃねえ……!)


 俺は千葉の不良の番長だから、辛うじて巨大生物との戦闘にも対応できるが、ただの姫様にドラゴンと戦えというのは到底、無理だ。肩書上では姫騎士だとしても、彼女はこういうのは向いていないだろう。

 まあ、俺ならなんとか、このドラゴンの倒し方が思い浮かばないでもないが、どちらにせよ、あんな小さな少女に攻撃できるはずがない……。まして、とし子にあれだけ似ているとするのなら……。


(あの、伊神番長。出来れば、もうそろそろ手を退けてもらえると……)


 ん? ……おっと!

 アリエスに言われ、胸に手を当てっぱなしだったのに気付く……。自分で自分の胸を触っているのと同じというか何というかだが、肉体が主導権を握っている間はその感覚が俺の意識に全て来る。それが何となしに嫌だとしても、仕方ない。手に残ったやわらかい感触は、意識の中にとどまっていた。

 ……が、そうか。今ので気づいた。“直接触れる”という手がある。なるほど。良い考えだ。

 とりあえず、俺は恥ずかしくなって手を退けながら、アリエス姫に謝った。


(す、すまねえ、アリエス姫……勝手に胸を触ってしまって……)


(それはまだ良いんですが、敵はっ!?)


(ああ――!)


 俺は、当然、別のところに意識を向けつつも、敵の姿だけは感覚で追い続けているし、動きを予想し続けている。

 滑り台をなめらかに上るように高く舞い上がり、そして降りるようなスピードでこちらに向かって低下――第二の追撃を狙っているのを感じている!

 敵は紛れもなく、俺の視界から外れたところでこちらに攻撃して来ようとしているのだ! 次の瞬間――


「死ねぇっ!!」


 まだ幼い少女の高い声が、ごく近くで聞こえた。


 風が後ろから接近してくる。


 俺は、真後ろから迫りくる敵を、反射的に――タイミングよく回避していた。


 それはそのまま俺の真横を通過しようとする。


 だが、次の瞬間、俺はドラゴンの背の上に登っていた――。


 そう、避けると同時にその身体に掴まったのだ!


「あ、あれ!? 消えたっ!? どこ!?」


 キャンディが、目の前でそう言い、俺のいた地面を見て驚いている。こちらが今の一瞬でドラゴンの攻撃を回避して、通りすがりに皮膚を掴んでその身体に登ったという事に、彼女は気づいていない。

 ドラゴンは、彼女の命令ゆえか、また空高くに、優雅な動作で浮上した。

 アリエスの身体は、ドラゴンの背に張り付いたまま、ジェットコースターでも上らないような高さに舞い上がる。

 と――


『キャンディ……気を付けろ! 敵は、ワタシの背の上だ!!』


 ――喋った!? このドラゴン喋るのか……!!

 予想外だったが、このドラゴンも日本語に限りなく近いイセ界語を理解しているらしい……。そして、鋭敏な皮膚感覚で自分の上に俺がいる事に気づいている。

 キャンディが、こちらを見た。口を開けて呆然としている。


(伊神番長……! 敵に登ってどうするんです!?)


(こうして敵の懐に乗り込めば、さっきみたいな炎の攻撃がゼロ距離から出来るだろ)


(そうか、その手が……えっ? でも、それ、私は、ここからどうやって助かるんです?)


(そこもまあ、一応、考えてはあったよ。――だが)


 俺はアリエスの両目で、キャンディにピントを合わせた。

 地上数十メートルまで登った状態でこの魔法のドラゴンに炎を浴びせて討ち落としたら、そこに乗っているキャンディの命が危ない。


(……やっぱり、やめだ。この高さでドラゴンを消したら、俺たちはともかく、あの子が助からねえ)


 俺自身が高所から落ちた時の対策は頭の中で練られていても、あのとし子――いや、キャンディまでは落とせない。そして、俺の考えているやり方だと、向こうを救えない。

 敵ながらも絶対に死なせたくない理由が俺の中にはある。

 相手はまだ小さな子供だ、って事だ。


(そうですか……。私たちが助かる方法も気になりますけど、あの子も助けないと――ダメですもんね)


(ああ、このドラゴンに交渉して、これにて俺たちの勝ちって事にしてもらえれば良いが……)


 と、相談している時、


「ねえ、どうするの!?」


 キャンディは、俺たちの目の前で怯えたように言っていた。自分の使役するドラゴンに敵対者が乗りあがってくる事はこれまでなかったのだろう。


『掴まれ。振り落とすぞっ!』


 言って、ドラゴンが空中でスピードを上げながら、身体を高速旋回させ、無理に張り付いている俺を振り落とそうとした! ――くそっ、とんでもないアクロバット飛行だ。

 交渉などさせてくれる暇もないらしい。

 キャンディはいつの間にかドラゴンの両腕でしっかりと抱えられ、俺たちだけが落下するように無理に身体を捻る。


 ……ちなみにだが、実際、俺たちはアリエスの元の少ない握力を頼りに、あとは気合と根性でドラゴンに乗っていた。

 つまり、このドラゴンがちょっと振り落とそうとされると、とてもやばいという事だ。

 だが、まだ、このくらい、気合でなんとか…………あ、無理だ。手が抜けた。落ちる!


 ………………直後、数十メートルの高さにいた俺たちの身体が、空に放り出された。


(――ああっ! もうダメっ! 死ぬわっ!)


(いや、待て! 絶対に、意識と希望を失うな、アリエス姫っ!)


(この状態からでも助かる方法があるんですか!?)


(ああ! すぐに身体の主導権を返すから、そしたら真下に向けて思い切り炎を噴射してくれ――!!)


 明らかに、数十メートルから落下するショックで意識を失いかけているアリエスに、俺は即座に言った。ドラゴンは、既に俺たちの死を確信し、高みの見物を決め込んでいるらしい。

 この強烈な落下速度から助かるにはアリエスの力が必要になる。

 アリエスは、必死に拒絶する。


(無理ですっ! 怖すぎてっ! 絶叫マシンは苦手なんです!)


(俺もホラーが苦手だが、二か月近くゴーストやってるんだ! なんとかなる! とにかく、俺はあんたを信じてるから、やってくれ!!)


(……えっ、あっ……も、もう……! わかりましたよ! 勇気見せますよ!)


 ――折れて、アリエスの身体に主導権がいきわたる。アリエスの脳が見ている景色は、もうすっかり眩暈がしたようにぼやけているし、意識が自分のものになった瞬間、明らかに泣いている。

 アリエスは地面に向けて猛スピードで自由落下していく――。全身に物凄く風が抵抗してくる。

 だが、次の瞬間、アリエスはちゃんと指示通り、轟音とともに両腕から炎の柱を放出する――!!


(アリエス姫、バランスを取って、上手く飛んでくれよ……!)


(は、はい……! なんとか……! あ、これ難しい……!! うわっ……!!)


 そう、この異常な炎の魔法エネルギーを下方に噴射し、ジェット噴射の要領で空を飛ぼうと言う作戦。――通称プリンセス・ロケットである!

 これはつまり、高威力で発射する炎を地面に向ける事で、熱か何かによる空気抵抗か何かを作り出して、とりあえず飛べて、たぶん助かるという科学的根拠に満ち溢れた戦法だ!

 ……人間の両手がジェット噴射して空を飛ぶ光景はさぞシュールだろうが、戦いとは案外バカらしいやり方の方が効くモノだ。

 まあ、かなりバランスが悪く、一瞬逆に加速しそうになりかかったが――なんとか不格好ながらも、プリンセス・ロケットはスピードが緩め、着地に至った……。


「な、なんとかやりましたぁ……」


(ありがとうアリエス姫。よく頑張ってくれた。……すまねえ、無理させて)


「い、いえいえ~…………死ぬかと思った……」


 正直、俺自身もまるで気が気でないが、アリエスはふらふらになりながらも、なんとか着地に成功した。

 アリエスの足がガクガク言っている……というか、もう立っていない。戦闘中だが、流石にここまでの恐怖を味わった事はないらしい。これは仕方ない。先ほどの言葉の通り、ありがとうとしか言えまい。


「――しぶといね……本当に人間?」


 一方、ドラゴンとキャンディがゆったりと地面に降りてきた。

 攻撃こそしないが、こちらを不愉快そうに見下している。寝転がったまま、アリエスはそちらを見ていた。


「え、ええ……。は、半分は人間よ……。今ので死ぬと思った程度には……」


「あっ、そう。助かったのは、マグレってやつなんだ? じゃあ、今の繰り返せば死んじゃうかな?」


「あの。あんまり相手にとって有益な情報は教えたくはないけれど……今の繰り返すと、ほぼ確実に死んじゃうわ。だから、お願い……ちょっと今のは、……やめて?」


 この言い方は作戦でもなんでもなく、アリエスは必死である。

 自分が何を言っているのかさえわかっていなさそうだ……。


「でも、やめてって言われてやめてくれる人って――どれくらいいるの?」


 歪んだ笑みを伴った目つきでキャンディが、こちらに吐き捨てた。

 再度こちらに同じ攻撃を仕掛けてくるつもりだ! ……それはつまり、いたずらな突撃ではなく、高所から突き落とす事こそ有効だと察したという事だ。

 アリエス姫もこのままだと気絶しかねないとさえ思える。――近寄ってくるキャンディを前に、俺はアリエスの身体の主導権を手に入れる。髪が上がる。


「――待て」


 意識が入れ替わり、なんとか精神力で立ち上がる。だいぶ身体の力が抜けているというか、筋肉が少し馬鹿になっているようだった。あまり感覚がない。

 が、ここは交渉が必要だ。立って話す必要がある。相手も降りたって事は、ちょっとは話す気があるって事だ。


「待ってくれ! キャンディ」


「……何? 命乞い?」


「その通りだ。“やめて”と言ったら、やめてやるのがベストな選択だ……。それも、人の道ってやつだ!」


「人の道って……そんなの、誰も守ってくれないじゃん」


 露骨に眉を寄せた不満げな表情がこちらを向いた。だが、攻撃は仕掛けられて来ない。

 仮にも向こうに手ごたえを与えずに戦うこちらを警戒しているのだろう。――ひとまずは、いつも通り、こうして口で戦おう。


「甘やかされているお姫様にはわかんないかもしんないけど、“やめて”って言えばやめてくれるほど、みんな甘くないよ?」


「……そうだな。世の中ってのは、想像よりも悪いヤツだらけだ。結構マジで地獄かもしれねえ」


「へぇ。……それは、なんで?」


 と、言われると困るが、俺は少し考えた。攻撃よりも、俺の出す回答に興味があるらしい。――キャンディは本気でそれを知りたがっているようだった。


「悪くなった方が、自分だけは自由になれるからだ。……人間は多分、他人を無視して踏みにじれば、その瞬間、どこか満足できるようになってるんだろうな」


「……ふぅん」


「だが、忘れちゃならねえのは……折角、同じ言葉を持った仲間がたくさんいるって事だ! それは自分が最大限、得するチャンスだ。……自分の知らない事を教えてもらえたり、自分の苦しみを救ってもらえたりした方が“ラッキー”になるように、世の中は出来てる! ただ、悪い奴になればどんどんそのチャンスは消えていく! だから、そのチャンスの為に自分の中の悪を封じていった方が“お得”だってわかる奴の方が、はるかに賢くて、強い……!」


「……でもそんな奴いないじゃん」


「いないわけじゃない。まだ見えてないんだ。……それがこれから見えるようになる為に、こんな事はやめてくれ」


「変な命乞い」


「いや。キャンディ……それだけじゃねえ。ずっと前、お前と同じ目を見た事があるんだ。親に捨てられてから、痛くて辛い目に遭ったんだろうってのも、どっかでわかってる……。だけど、敢えて言わせてもらいてえんだ」


 キャンディは、こちらをじっと見ていた。

 そこに、かつてのとし子の顔が重なった。


(伊神番長……)


 俺の口から出たのは、あの時――とし子と出会い、親に捨てられ大人に利用され人々に虐められたとし子に、言いたかったが言えなかった言葉だった。


「――世の中は綺麗なところもあるし、温かい人もいる! この姫騎士アリエスは、その一人だ!」


 俺は、既にその言葉を裏付けられるほど、様々な人に出会えたと信じている。

 ……勿論、悪い人間や嫌な人間も、膨大に見た人生ではあった。そういう人間にしか出会えなかった人や、そういう人間の影響力が強すぎた人にとってはどんな凶器になるかわからない――そう思って、ぐっと閉じ込めた一言だった。

 だが、俺は、もはやあの時と別の選択をする為に、情動に任せるようにしてその言葉を放っていた。この言葉こそが俺がかけたかった言葉であるのを思い出す。そういう言葉が、本当は必要で――彼女を変えられるのではないかと。

 しかし。


「ふぅん。……でもさ」


 ――その時、キャンディの顔色が確かにこちらをギロッと睨むような物に豹変するのを感じた。


「そんなの、あんたがお姫様だから言える事だよ! ただの汚い子供なんて、どんな辛くたって、誰も助けてくれないよ! ――そんな地獄で生きられるのは、悪魔だけだ! 何も知らない、わからずやのお花畑ぇっ!」


 とし子――いや、キャンディから帰って来るのは、涙声の癇癪のような言葉だった。感情の暴発のような気迫がこちらに巡る。

 その拒絶感を俺は全身に受け止める。自分の中の様々を振り返り、優しい願望の通りに行かない現実を噛みしめたのだ。彼女もそう言えたらと思っていたに違いない。彼女にあるのは、綺麗な言葉を吐ける立場に生きられなかった嫉妬。

 そうだ――仮にあの時、こんな言葉をかけていたら、きっと、それは意味を成さなかったのだ……そんな気がした。

 後悔が、胸の奥につっかえる。

 そして、今、俺のその時の言葉はキャンディという一人の少女にとって自分の人生の不運を鑑みさせる鋭利な刃物として使われた。


『お兄ちゃん……』


 ――かつてそれを沈黙するという正解を引いていて、だけど、かつて言いたかった頭に浮かんだ願望はやはり、完全な不正解だった……。

 生き方が違えば、言葉が通じなくなる。それがこんなにやりきれないのが、ただただ無念だった……。

 俺やアリエスだって、別に立派に生きてきたわけでも、呑気な姫様ってわけでもなかったのが――彼女には伝わらない。


(伊神番長……)


 俺の心の内まで汲んだような、アリエスのただの呼びかけは、俺の背中をぽんと叩いてくれる母親のようだった。


「――――」


 それから、ただただ無言で、ドラゴンは、怒りに任せて猛進してきた。

 そうだ! いつまでもショックなど、受けてはいられない……!

 俺に出来るのは、アリエスの身体を守るべく避ける事だ!


「くっ……!」


 避けるか、あるいは、飛びあがって殴るか蹴るかもできなくはない。

 多数の選択肢があるが、それを使う事はすべて、先ほどの言葉を覆してしまうような気がした――それでも、俺はアリエスへの義理を通さなければならない!

 タイミングを見計らい、俺は飛び上がろうとした。


(あっ……!?)


 ――――が、何故か飛びあがれなかった。身体が動かない。動かしたい意識と、動かない身体が空回る。

 視界を覆うように巨大になっていくドラゴンの表情に恐怖する。


 ――ダメか!? なんで身体が動かない!?

 このままじゃ、俺とアリエスは……。

 そう心の中で独り言ち、身体がドラゴンと激突して、数歩分退いていく……。


「痛ぁっ……!!」


(……!?)


「いたたたたたたた……」


 ――俺に痛みがないにも関わらず、聞こえたのはアリエスの言葉だ。

 アリエスの左腕が、ドラゴンの突進を防御しようとかざされていて、それが激突したのだ。

 しかし、これまでと違ってスピードを緩めようとしたドラゴンの一撃は、比較的軽微であった。ブレーキをかけたようにスピードが落ちたかと思えば、そのツノが直撃しないようにしたのである。

 とはいえ、それでも……アリエスの左腕に大きな負荷がかかる打撃が命中したようだが。


(あ、アリエス姫……!)


 ――――アリエスは、攻撃の寸前に、俺と入れ替わっていたのだ。


「…………」


 キャンディもドラゴンも……というか、身体を借りていた俺自身さえも、その瞬間に呆然としていた。

 そして、アリエスは、身体の主導権を取り戻しながら、何もしなかった。ただ、左腕を痛めながらも、間近にいるドラゴンの衝突部――上顎を、そっと撫でていた。


 俺はふと思い出した。

 その光景を、どこかで見た事があるからだった。


「よ、避けなかったね……お姉ちゃん」


 キャンディは、冷静なようで、どこか確実に水に浸されたような声で言った。


「ええ。……おててが、凄く痛いけどね」


「なんで? なんで避けなかったの? こっちは殺す気だよ?」


「それは、簡単よ。……本当に強い人はね――――“戦わない”から」


 俺はその光景を、かつて見ていた。

 動物園から逃げ出した虎と、戦わなかった父・勝利の姿に、アリエスは瓜二つだった。


『――いいか、敏也……。本当に強い者はな、戦わないんだ!』


 すべて、俺がアリエスに伝えた事だった。

 決して力がなく、身体は凡人ながらも、その場の最善手として――“愛”を用いた我が父と同じように、彼女はドラゴンを撫ぜていた。ドラゴンまでもぎょっとした瞳をしている。

 このドラゴンも、無抵抗のアリエスを突進で殺すのを直前で躊躇ったのか――。

 その真上に乗るキャンディの方へと、右手を伸ばす。


「ねえ、辛かったでしょう? キャンディ……。だけど、私もあなたの家族なのよ? ……ずっと会えなかったけど、本当にごめんなさい。今まで、一度も探してあげられなくて……」


「……そ、そんなの仕方ないじゃん、あんたは知らなかったんだから!」


「ううん。――人はね、やっぱり、“知らない”っていう事も謝らなきゃいけない物だと思うわ。誰かが困っている時に、それをわからなくて……気づかなくてごめんなさいって」


 アリエスは言った。

 一人の姫として集積した責任の一つに、この小さな少女の存在もあったのだ。


「――だけど、もし気づいたら、すぐに、気づいたなりの行動をしなきゃいけない。そうでしょ? それは、あなたにとって、これ以上傷つける事じゃないって……傍にいて見守ってあげなきゃならない事だって、私は思ったから……もうこれ以上は、あなたとは“戦わない”」


 アリエスの視界からは、キャンディの困惑した表情が見えた。

 それはまだ何かの悩みを抱えながら、しかし、何かの踏ん切りのつかない表情だった。

 俺は確かに、その表情を既に見ていた。――それは、とし子を家族に誘った時。まだ次の瞬間に起こる裏切りを予想している時の、悩み苦しんだ人間不信の葛藤だった。


『キャンディ。もういい……この女性は信頼に値する。今のキミの必要なのは、破壊の力を持つ魔法ではないようだ……』


 ――相棒のドラゴンが、それを後押しした。

 キャンディが命じたのかドラゴンの意思なのかはわからないが、そのままドラゴンはゆっくりと小さくなっていき、馬のような大きさまで縮小する。ちょこんと乗ったキャンディの姿は、凶暴な少女ではなく、もはやただ動物と戯れる少女のようでしかなかった。

 思ったより身体は大きく見えた。


「お姉ちゃん……」


 そのアリエスの身体を、包み込むようにアリエスは抱きしめる。


「ごめんね、キャンディ。辛かったよね……痛かったよね……」


 優しい手がそっと、キャンディの髪を撫でた。

 キャンディは――その腕の中で、耐えきれなかった今日までの日々の本当の苦しみを放出するように、大きな声で泣いていた。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆


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