赤い炎 -番長姫騎士-
セラフが、木でできた十字架に花束を置いた。
「安らかに眠って、ゴンゾウさん……本当のスウィート・ピィの景色を見せてやりたかった……」
花を手向ける儀式はどこにだってある。
俺がそうなるらしかったみたいにゴミ同然に捨てられる死体もあるが、丁重に祭られる死体もある。唯一、ゴンゾウが運が良かったのは、見晴らしの良い丘にその墓を作られて、多くの民たちに――僅か一週間と少し一緒にいた程度のかけがえのない仲間たちに、その死を悼まれているという事だろう。
その墓には、漆黒の鎖鎌が添えられている。それは、俺を一度助けてくれた鎌だった。そして、ここでは、コオラに立ち向かうべく振るわれた鎌だった。昔はどうだったか知らないが、最後は、誰かを守る為に振るってくれた鎌だった。
「――」
その鎌を見ていると、身体の底から、悲しみと別の感情も湧いてきた。
そう……。
「俺は……!!」
これは……怒りだ!
そうだ。ゴンゾウは、コオラに殺されたんだ! 俺は、ゴンゾウを静かに眠らせるにはまだ早いと思っていた! いや、たとえ静かに見送るべきだとしても、俺はいま、静かではいられなかった!
ゴンゾウの死は、まだ終わっていないからだ!!
「……俺は、絶対に許さねえっ!!」
叫んだ。
また、涙は溢れて流れてきた。――ゴンゾウは、殺されて死んだ。そして、そこには無数の罪があった。許せるわけがない。許しちゃおけない。コオラ、あいつの名前と顔を、もう一度心に刻む。強い憎しみをぶつける相手として!
ずっと忘れていた怒りが、胸の底からこみあげる。どうしようもねえ悪を、ぶん殴りたいその意思が、今この身体を這いまわっている。
――そう。コオラは、やっぱり、逃げる瞬間まで言っていたらしい。ゴンゾウの事を「クズ」だと。挙句、倒れたゴンゾウを足蹴にして、その身体に向けて笑いながら魔シンガンで魔宝石をぶち当て、死ぬまで甚振った。「僕が負けていいはずがない」、「お前のようなクズが邪魔しやがって」と、そう言い続けていたのがわかってくる。罪を罪だと思わずに、人を一人殺したっていうのが伝わってくる。
ゴンゾウの着ていた装甲は頑丈だったが、それでも連射されれば長くはない。結局、先にゴンゾウの身体を何発か貫いて、それでもゴンゾウは立ち上がって、ひたすら敵の方に向かって、覆いかぶさるようにして戦ったという話だ。ゾンビみたいに、意地張って、何度倒れたって立ち上がって自分に向かって来るゴンゾウに、コオラは次第に怯えていったらしい。それで、むやみにあちこちに撃ちまくって、魔宝石が切れたらすぐに、変な乗り物でどっかへと逃げたって話だ。
そして、その時のゴンゾウのその背中には、ずっとセラフとエリサがいた。守るべき物を守ろうと最後まで必死に戦ったんだ。クズっていうのは、一体どっちの事を指す言葉だ。
くだらないプライドに縛られて、尊い感情を踏みにじる悪い奴! 言葉が通じねえ、心も通じねえ奴……俺は、許せねえっ!!
俺は、ゴンゾウが死んだその光景を浮かべて、歯を強く噛みしめ、拳を握った。――こらえようのない怒りだ!!
「こんな卑怯なやり方で、くだらねえプライドの為に、ゴンゾウを殺したコオラを、俺は絶対許さねえ!」
そして!!!!
「……俺は、この俺自身も許せねえっ!!」
そう、俺はいま、俺が許せなかった――!!
俺自身にも、許せない事が多すぎた。あまりにも多すぎたのだ。あいつに騙されてこの国を開けてしまった罪、ゴンゾウ一人を護衛に置いてしまった罪、前の戦いでコオラを野放しにしてしまった罪……! だけど一番重いのは、きっとそんな事じゃない!!
心の中で、何かを察したアリエスは、俺の名を呼びかけた。
(伊神番長……まさか)
(悪い、アリエス姫……俺は、ここのみんなに、全部言う!)
――だが、そんな俺の言葉に対して、アリエスは妙に落ち着き払っていた。
いつか、必ず来ると悟っていたからだろう。
これから俺が、一体、民の前で何をしようとしているのか、アリエスは既に気づいている。そして……言った。
(――ええ、構いません。すべて、告げてください。いや……二人で、告げましょう)
それは、覚悟を伴った言葉だった。
遠慮はいらないと。
振り向いて自分たちの方を見た俺を、民たちが一斉にじっと見た。俯いていた者、目を瞑っていた者、誰しもが、驚いてこちらを見ている。様々な目を向けている。それが、俺が姫という重圧を本当に感じた瞬間だった。
俺は息を飲んだ。
――そして、俺は、ゴンゾウの墓を背に、そして、ここに集まってくれた民たち全員を前に、高らかに叫んだ。
「みんな、聞いてくれ!! ……“俺”は、すっかりこの国での役目を終えているようなつもりだった! だが、俺は、何より一番大事な事を果たしていなかったっ!! 今から、この口で、みんなに言わなきゃならねえ事があるっ!!」
俺がこれから何を言うのか、期待をしている者などいないだろう。
意味のわからない言葉だと感じた奴もいたはずだ。
深い悲しみはまだ民の心に残っている。昨日までいた奴が死んだって事実に踏ん切りをつけられない奴だっている。だけど、俺は、そんな戸惑っている民たちのもとに、この事実を突きつける。
「セラフ、そして、エリサ……民のみんな、今、告げる!! ……俺は、――この国の姫騎士、アリエスじゃねえっ!!!!!!!!」
民たちは、俺が告げた真実に、一斉にざわめいた。
――――そう、俺は、今日、この時に、この事実を告白する事を決めたのだ。
俺はアリエスじゃない。番長でありながら、そして、この国の姫でありながら、ずっと自分の仲間に……自分が守るべき国の民たちに、それを隠し続けてしまっていた。
妹にも、民にも、そして、この墓の下に眠る男にも……ずっと隠し続けてきた。
最後までそれを知らなかった男がいる。その時わかったのだ。俺は、そいつと語れなかったと。
「この一ヶ月半……みんなが向き合い信頼し続けたアリエス姫は、みんなの知っているアリエス姫だけじゃねえ……俺は、こことは別の世界から転生し、この姫に憑依した、一人の男のゴースト、伊神敏也だ……!! その事を、俺はずっと、みんなに言えなかった……本当にすまなかったっ!!」
だから、俺にも、頭を下げる時が来たのだ。
そして、いま、その頭は深く、民たちに向けて下げられていた。一国の姫ではなく、男が頭を下げるような形になったが、それが俺なりの流儀だった。
俺は、それから、もう一度、頭を上げて続けた。
ゴンゾウの墓を見やった。
「――だけど、だけど……こいつは……ゴンゾウだけは、最後まで本当の俺とぶつかり合えないまま死んでしまったっ!! そんなの本当の仲間って言えねえじゃねえじゃねえか!! こいつは俺を仲間だと思っていたのに、慕ってくれていたのに……でも、俺は全部をぶつけなかった!! 都合の悪い事を隠して、それで仲間になったつもりで接してしまっていた!! 俺は、本当はもっと早く、こいつに……そしてみんなに、ちゃんとぶつかるべきだったんだ……!! それを今更になって気づくなんてよぉっ!! 俺は、俺が許せねえんだっ!!」
もう一度民を見ると、彼らは、お互いに顔を見合わせていた。
そこにあるのは、困惑だった。俺を責めてくれるって方にはいかない。ただ、受け入れてくれないのだ。ゴーストが取りつくって事象も別に当たり前に起きている事ってわけじゃない。俺たちの世界のオカルトと同じ事象でしかない。
そいつを、彼らははっきりと信じ切ってはいないようだった。
「ほ、本当なのか……?」
と、どこかから、声があがった。
信じられないってのも無理はない。だけど、そういう疑心のまま誤魔化すわけにもいかない。
(アリエス姫……)
――俺は、アリエスと合図すると、意識を入れ替えた。
アリエスは、俺が上げていた髪をすべて下すと、すぐに自分の目の下にある涙を拭い去っった。そして、言った。
「――皆さん、本当です。いま、私たち二人の意識を入れ替えました。今の私はこの“スウィート・ピィ”の姫騎士アリエスです」
「…………」
「私たち二人は、いまこの身体に、二人で住んでいるのです。そちらの事情は後で私、アリエスの方から詳しく説明します。……それより、今、まずは、私の口からも、この国の民に、すべてを謝罪します」
「…………」
「――私、アリエスは、姫騎士の肩書を持ちながらも、今日まで一切、騎士としての力を持ってはいません。いいえ、私は騎士どころか、姫としてさえ中途半端でした……。民を守る為の努力を怠り、ただその場しのぎのように行動し続けてきた。そのうえ、ここにいる皆さんを騙し、欺き、逃げてきました。……私にあるのは、ただの、権力と肩書だけです。だから、この伊神番長の力を借りる事によって、初めて私は民を守る事が出来たのです。その力がなければ、私は姫失格でした。もっと前に、皆さんを助けられず……この国は本当に滅んでいたかもしれません。……すみませんでした」
今度は、アリエスはとても姫らしくおしとやかに頭を下げていた。
……彼女が民にすべてを打ち明けなかったのは、民に不安を与えない為の筈だった。こうやって信じてくれないのも目に見えていたし、そもそもアリエスという姫の弱さや底が知られてしまえば、民たちは精神的支柱を失ってしまう。
しかし、彼女は、それから一言、言った。
「――そして、これを隠してきたのはすべて、言い出せなかった私の弱さが原因でした。スウィート・ピィの皆さん、新しくスウィート・ピィにやって来た皆さん……本当に申し訳ありません」
今度は、我慢できずに、俺が肉体の主導権を借りる。
髪をかき上げて、前を見る。
「――だが……みんな、聞いてくれ! このアリエス姫は、もう本当に強いんだ! 俺なんかより、ずっと強い! 人を愛し、罪を許し、今もこうして自分の弱さを認めて、誰かと向き合う強さを持っていて、……今じゃあ、俺の方がアリエス姫に色んな事に気づかされる! きっと、俺は、もうこの国にはいらねえんだ! だから、みんな、この人を信じてくれ!! アリエス姫についていってくれっ!! 俺は、アクィナを必ず倒して、この世界を去るっ!! その為だけにここに来た……だけど、それから先も、この姫様がいるなら、きっとスウィート・ピィは大丈夫だ!! ――だから、だから……もし、その時が来たら……みんな、これからもずっと、アリエス姫を信じ続けて、支え合ってあげてくれっ!!」
俺は、そう言い切った。
俺はここの住民じゃない。それに気づいたのは、アリエスの言葉を聞いてからだ。だって、俺はアリエスの身体を借りてしか、この国の住民に向き合って来なかったのだ。もう一度、伊神敏也っていう名前を使って、ここの仲間に触れていく事がなかった。
ずっと、アリエスとしての威光を利用するみたいにして、アリエスにおんぶにだっこでここに居続けた。
……今は違う。
顔を上げると、ここの民たちは、美しい瞳をしていた。俺を見るまなざしは、責めるでもなく、疑うでもなく、もう認めて、そして受け入れてくれたって言う瞳だった。
拍手が聞こえた。声援が聞こえた。「いいぞ、今までありがとう」という言葉がどっかから聞こえた。俺は思わず、目頭が熱くなってきた。
意外なんて言えない。本当の気持ちをぶつけた時、そこで初めて歓迎されたり、拒絶されたりする。それはギャンブルみたいなもんだけど、俺は何度もその成功を見つめてきた。
だけど、「ありがとう」って言われるけど――礼を言いたいのは俺の方だ。
「……ありがとう、みんな」
俺は、言った。
俺は、一人の番長として、こんな良い仲間たちがいる事を誇りに思う。これまで勝ててきたのは、ここにいる仲間が良い奴らだったからだ。ここが「守りたい」って思える国で、きっと、スウィート・ピィっていうのはそういう奴らの集まりで……だから、俺は今日まで他所の国だろうが嫌にならずに守ったんだと確信する。怠惰な奴もいるし、ちょっと変な奴もいるし、自分勝手な奴もいるけど、いざって時に国を守ろうと立ち上がってくれる。そんな奴らだからやる気が出た。
「……この国を守ったのは、ここにいる全員だ」
百人が、その言葉を聞いて頷いた。
そんな俺の前に、セラフが歩み寄ってきた。
「――姉様」
今の俺は、セラフにそう呼びかけられた。
「セラフ。俺は、姉様じゃねえ……」
「いいえ。姉様と同じです。――実は、あたしたちは、ずっと、気づいてましたよ、……エリサもそうです」
えっ……?
俺は、セラフを一度見てから、今度はエリサの方を見た。小さなエリサの身体が、俺の身体を上目遣いに見ている。
「……ええ。実は、薄々気づいていたんです。ここしばらく、あてえらは、アリエス姉としての姉上と、もうひとりの別の誰かと、共にずっと暮らしてきたと」
「そう。あたしを叱ったのは、間違いなく姉様だと思っています。……だけど、それ以外で凛々しい時の姉様は、明らかに姉様じゃない。たぶん、髪をあげた時の姉様と、そうでない時の姉様は、性格が変わったんじゃなくて、完全に別人だって考えていました……」
「……そして、どちらも、あてえらを可愛がってくれた。本当の妹のように接してくれた。だから、どちらも、本当の姉に違いねえです」
二人はそれぞれ、そう言った。
俺は、もう、彼女たちにとって後ろめたさも何もなく、ただ、二人をじっと見ていた。ここしばらくで二人についてわかってきた事は色々ある。
セラフ――少し性格に問題ありだったが、それはちょっと落ち着いて、やっぱり正義感みたいな物が確かにあるのを感じる十四歳。悪い意味で“良い子”ってところもあるが、そいつは良い意味でも“良い子”だと思う。だから、俺は立派な家族だと思っている。
エリサ――この子は変な言葉遣いだが、その小さな身体にして他人を許したり、誰かに色んな姿を習ったり、仁義だとかそういうのを大事にする度量がある。だが、やっぱりまだまだ無邪気で何色にも染まらず、どうなるかわからない、可能性のある八歳だ。泣きもする。そして、これから、家族の背中を見て育っていく妹だ。
――そう、俺にはこの時、本当の意味で二人の妹が出来た。
「ありがとよ……。――だが、呼び方を変えてくれ。姉じゃない、俺は……セラフと、エリサの、お前らの、兄だ」
「わかりました、兄様」
「じゃあ、今からこう呼びます……兄上と」
二人は、傅くように言った。
俺が偉いとは思わないが――それがこの国の姫たちの礼儀ならば、俺はそれに対して自分の言える気持ちで答える。
「大事な義妹に、そして、この国の仲間たちに……この国を去る前に告げる事が出来て……本当に良かった」
俺は、こうして――この国の民となった。
番長姫騎士、伊神敏也が誕生した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆