You Love me, SAYONARA
――スウィート・ピィの避難所である廃遊園地は、地獄絵図だった。
「こ、こいつはどうなってやがる……!!」
結構な兵士たちが、血を流して負傷しているうえ、そこら中からうめき声は絶えない。ぼろぼろに穴を開けられたメリーゴーラウンド。これまで色んな作品が貼られていた掲示板も倒されている。どこかから、子供の泣き声がやまない。いや、高い声だから子供の泣き声が聞こえやすいだけで、大人たちのすすり泣く声も聞こえていた。
俺の頭の中がいかにお気楽になっていたのか、その瞬間にわかってしまった。――ここは、戦場だったのだ。
(――ど、どうして……こんな……こんな!)
アリエスがひどく動揺していた。
俺たちが外に出ている間に――誰かの襲撃があった、という事だった。しかも、それは、明らかに剣による襲撃ではない。銃撃戦でもあったのかっていう、色んなものがぶちぬかれて破裂したような跡があった。
それでいて、それを持った軍がやって来たというには少々軽微で、既に敵が撤退した後のようだった。そうだ――この前、百人近いコオラの団が来た時の事を考えると、それくらいの数で来てもおかしくないのに、来た敵の数は随分少なそうだ。
俺は、傍で肩を貸してもらって歩いている兵士を見つけて、彼のところへ行った。既に、そこには心配する人の群れがあるが、姫の姿の俺をみんな通してくれる。見れば、その兵士は甲冑がかなり凹んでいた。コオラ軍から寝返った兵士だった。
すぐに、そいつに声をかけた。
「おい、大丈夫か!?」
「え、ええ……大丈夫です……俺はなんとか」
「どうしたんだ、一体何があった!?」
誰もが、お互い目をやり合った。
肝心な時にいなかった姫に対して懐疑的というわけでもないのだろうが、その事情を知らない姫になんと説明していいのかわからないといった雰囲気があった。
口を開いたのは、兵士に肩を貸していた、別の兵士だった。
「コオラです。あの、コオラが……魔ッ砲を強化した、魔シンガンとかいう装置を作って、俺たちに復讐に来たんです……!」
「なんだと!? あのコオラが!? 一人でか!?」
「ええ……。奴は、既にアクィナの軍じゃない。だが、あんたを罠で外におびき出して、“あんたの妹さんたち”を狙おうとしてきたんです……」
――戦慄。
セラフとエリサの顔が浮かぶ。
「セラフやエリサか!? くそっ!! 二人はどこにっ!! 無事なのか!?」
セラフ、エリサ。
姫様たちというのは、あの二人だ。あの二人は戦う力がない。剣術も魔法もないし、襲撃されたらすぐだ。そんな時に、俺が傍にいなかったなんて……。
くそ、あんな奴信じたばっかりに……。
(セラフ……エリサ!!)
アリエスの動揺が胸の内に広がっている。
俺は内心焦ったが、そんなところで、近くの兵士は言った。
「だ、大丈夫です……落ち着いて! おふたりは、ご無事です。ゴンゾウが守ってくれました……しかし、代わりにゴンゾウは、あの弾丸が切れるまで、身体を張って……。アリエス姫、ゴンゾウのもとへ、すぐ……! そうだ、城の方へ……!!」
ゴンゾウ……? あいつが守ってくれたっていうのか?
待て。身体を張って? 俺は、一体……。それってのは……。
ダメだ、どうしても、嫌な予感がする。それも、とてつもなく嫌な予感だ。これは、あまりにもやばい。ゾクゾクする。答えがわかっている。だが、認めたくない答えだ。それが明かされる時間が近づいている……。
「――あっ、姉様、ここにいた!! 大変なの!! 早く来て!!」
そんな俺の前に、ついにセラフが走り寄って来た。
セラフは涙目でもあった。
「セラフ! ゴンゾウは無事なのか!?」
「……とにかく、お願い、早く来て!! 姉様!!」
俺は、答えを返しもせず、凄く曖昧で恐ろしい間みたいなものを感じさせながら、俺にそう言った。とにかく、急いで、俺たちの城に向かった。
城についた瞬間、俺はそのドアを、ぶち開けた。聖域のように扱われて普段ほとんど人が立ち入らない城のエントランスに、人がたくさん集まっている。ゴンゾウはそこに運ばれていた。――ゴンゾウは、多くの人に取り囲われながら、ただあおむけに倒れていた。
身体の大きなゴンゾウの足が見えた。
俺は、それがもう本当に動かないのかと思って焦っていったが、僅かにその大きな腹が装甲からはみ出て上下していた。
(伊神番長……ゴンゾウさんは……)
(あ、ああ……)
しかし、どこか力ない彼の姿に、俺はふらふらの足取りで近づいてた。
「あ、アリエス姉!! ……ゴンゾウが、ゴンゾウが……!!」
ゴンゾウの身体の一番傍で座っていたエリサが、こちらに気づいていた。
そんなエリサの瞳は涙にあふれていて、ずっと近くでゴンゾウの身体に寄り添って泣いていたらしいのがわかった。エリサを慰めたかったが、それより先に、俺はただただ呆然としてしまって……目の前のゴンゾウの姿に息を飲んでいた。
どうやら、生きているようで……少し安心した。俺は語り掛けていた。
「……ゴ、ゴンゾウ、しっかりしろ!」
「あ、アリエス姫……みんなは、みんなは無事か……?」
息も絶え絶えなゴンゾウが、俺の方を見もせずに、そう言った。
口元には血の跡があり、どうにも良くない状況のようだった。
俺は、ゴンゾウの質問に答えた。
「……ああ、みんな、怪我は負ってるみてえだが、防具のお陰でなんとか無事だったらしい……。怪我をしていた奴は外に運ばれてるよ。だけど、お前!」
そう。ゴンゾウは、確かに防具をしてはいた。しかし、ゴンゾウの防具にぶち当てられた魔宝石の数は、明らかに、さっき会った兵士の防具に残っている数と違う。あちらの防具には二、三、当たった跡があったが、ゴンゾウの場合はほとんと蜂の巣と言って良いくらい……元のつるつるの輝きが残る部分を探せないくらいに、残っていた。
それは、コオラが憎しみを込めて、ゴンゾウを狙って、その身体を集中的に砲火した証だった。
見れば、あまりにも痛々しく、赤い血が、ゴンゾウの防具か漏れ出して床に広がっていた。俺は、それを見た瞬間、――冷静ではいられなくなった。
(……!)
まずい……! これは、まずい……! 早く、何とかしねえと……!!
どうすればいい……!! どうすればこれが止まる……!?
「ああ、アリエス姫……すまねえ、オイラ……全部、わかったんだ……」
ゴンゾウ、いいよ! こっちを見るな!
何、身体を起こそうとしてんだよ、無理すんな!!
それに!!
「喋るな! お前はよくやった……ありがとう。そんなになるまで、セラフとエリサを守ってくれたんだよな……! 待っててくれ! いま、すぐに、俺が何とかしてやる……!」
「……いや、オイラ、もうわかってるんだ……この血の量を見ちまえば……もう……この前、勉強したからなぁ……わかりたくない事もわかっちゃうんだ……」
……くそっ! こいつの言う通り、あんまりにも血の量が多い!
喧嘩の時だって見た事がないようなやばい血の量――そう、俺が唯一その量の血液が噴き出すのを見たとすれば、俺が死んだあの時だけだ……。
死んだ……? そうだ。
あの時、一瞬だけ見えた、俺の身体から放出した血液みたいな、一面の赤だった。俺の意識の中で、アリエスも事態を受け止め、悲鳴のような声で焦っている。
(こんな時に、母様の癒しの魔法があれば……! 母様……!!)
……しかし、そうは言うが、聖女は遠くの国で氷漬けのままだ。
今の俺にあるのは、テーピング用のテープだとか、絆創膏だとか、あとは、この世界にだってある薬だけ。……そんなものでは、この傷はふさがらない。ふさがらないんだ!
じゃあ、一体、どうすれば治せる? 考えろ、考えろ……! まずは何をすればいい……!! ゴンゾウの言う通りになんてさせない!! 俺は絶対、今からでも、なんとか助ける方法を考える!!
とにかく、その為に最初は……!!
「……エリサ、すぐに目を伏せろ!」
俺は言った。エリサが目を伏せたかはわからないが、防具を脱がす。その中のゴンゾウは、想像以上に血まみれだ。身体の至るところから血が噴き出ている。そうだ、傷口がどういう状態か見ないといけない。予想以上にやばい。あちこち血が流れて、下に来ていた白いタンクトップがほとんど真っ赤になっている。
これは、隣の町まで行って、病院で治してもらえるか? いや、ダメだ。隣の町まで一時間かかる。それに、運んだって……くそっ! なんとか応急処置とかできねえのかっ!! 誰も何もできねえのかよっ!!
「ねえ、姫様……オイラはさ、自分の国の社会で負けてさ……施設から逃げて……行く場所探して……一人旅して……そんで、色んな人に出会って……」
「いいよ、お前の事情なら、全部終わってからいくらだって聞いてやる!」
「あ、それでも、ずっといられる場所がなくて……寂しくなって……悪い事して……」
「最後みたいに喋るなよっ! 死んだら、痛えし、つれえし……マジで全部終わっちまうんだよっ! ここにいる、みんな泣かす気かよっ!! やり直すチャンスがもう来なくなるかもしれねえんだぞっ!?」
「ごめん。――それで、結局、あんたに、殴られちまった……。……すげえ後悔したし、痛かったよ……でもさ、あんたが殴ってくれて、本当に良かったんだ……そうしてもらわなかったら、オイラは、ずっとクズのままだったんだ……殴ってくれる人間がいるってのも、悪くなかったんだ……」
言うなよっ! 俺の言葉を無視するな! なんで言い切る事が目的みてえに……!!
確かにお前の人生は、ひどく恵まれない生き方だったかもしれない! あいつの……コオラの話を聞いているとそう思うよ!
だけど、これからまた始まる筈だったじゃないか! 終わるみたいな事を言うな! お前の未来を諦めるな!
……だが、ゴンゾウは、俺の顔を見て安らかに、続けた。
「どっかでクズみたいに野垂れ死ぬ前にさ、それが気づけて良かったよ……」
ゴンゾウは薄く笑ったが、その隣でエリサはひどく泣いていた。エリサの嗚咽が俺の隣で響いていた。
そんなエリサは、責めるように、自分の友達に向けて、必死で別れを拒むように言った。
「――だ、だからって、本当に死ぬんじゃねえですよ!! あの時の事ならもう許してやるですから!! もう友達じゃねえですか!!」
「あり、がとう……エリサ姫……」
それから、エリサは何も言わなかった。セラフが寄った。
「ううん、ゴンゾウさん。こちらこそ、ありがとうだよ……! 今日、あんたが守ってくれたおかげで、あたしたちはここにいる……だからお願い、死なないで! あん時の事なら、何度だって謝るから!」
「セラフ姫……」
ゴンゾウを一番嫌っていたセラフもまた、その瞳を潤ませていた。
そして、彼女はいま、今までで一番、ゴンゾウにキレた。
「――そうだよ、だから、エリサと、これからも遊んであげてよ! 元の国の奴らなんて、生きて見返しなよ! あんたならできるよっ!」
それは、ゴンゾウを心の底から嫌っていた時よりか、ずっと激しい怒張だった。
しかし、それを聞くゴンゾウの表情はあまりに心安らかで、まるで気にしていないか――あるいは、悪い意味だなんて捉えないようだった。
気持ちが、伝わったのだ。
「そっかぁ……良いもんだなぁ……最後に誰かにそう言ってもらえるって……。なあ、……アリエス姫、オイラ、ここのみんなに出会えてよかったなぁ…………優しくて、オイラを人間として、仲間として扱ってくれて……」
「ゴンゾウ……!」
「やり直したかったなぁ……もう一回、いっぱい勉強し直して、役に立ちたかったよ…………」
ゴンゾウには後悔の涙が一筋流れたのが見えた。
それは、俺をもキレさせた。
「いや、役に立つとか立たないとかじゃねえ! お前はそこにいるだけで充分だったんだよ!! お前はもう、自分の為にやり直して、勉強したって良かったんだよ!! 仲間として、ダチとして……みんなの心の支えになったんだ! なあ、だから、これからもダチでいよう! 死ぬな、ゴンゾウ!!」
――だが、何度言ったって、時は流れる。
死ぬなって言ったって、時は止まらない。時を止めるくらいしか、死を止める方法がないとしても、時は前に進んでしまう。
そして。
「……アリエス姫……あんた、よく見ると、故郷の母ちゃんに…………母ちゃん、厳しくて、嫌な、ところあったけど……綺麗で……強くて…………もう会えねえ母ちゃんに……会えたみたいで…………」
最後に、ゴンゾウは笑った。
「――――」
そして、目を閉ざして、何も言わなくなった。
俺は、目の前で人間が死ぬのを見てしまった。そう、どれだけ喧嘩をしようが、殴り合おうが、戦闘になろうが、絶対に巡り合わなかった出来事だった。
もう死んでいる俺が――誰かの死を見た。
誰かの時間が終わって、もう永久に動かないのを見てしまった。
「おい、ゴンゾウ!?」
――それでも、どうしたってその身体をまた動かそうと揺さぶってしまう。
「ゴンゾウ!? 目を開けろ、目を開けろ!! おいっ!! 目を開けろよっ! 何してんだよっ! ゴンゾウっ!? なんで、なんで……」
壊れた機械を叩いて動かそうとするように、缶に残った最後の一滴を飲み干そうと必死になるように、俺はせめてまた一秒でもゴンゾウと言葉を交わしたいと――その笑顔が見たいと、声をかけたり、揺さぶったりした。
でも、ゴンゾウの筋肉が動く事は、もうなかった。
(伊神番長……っ!! もう、もう……それ以上は…………)
「くそぉっ!! くそぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!」
そして、彼に、“二度目”の人生はなかった。
あの女神によると、俺が死んだ時、その世界の時間は止まっているらしい。だから、今も俺の世界は、時間が止まっている。俺が教頭に殺された瞬間で俺はあの世界で止まり続けて、生き返る事か死ぬ事が確定したらまた動き出す。
――だけど、この世界は、ゴンゾウが死んだまま、時間は流れていく。それが、ゴンゾウの終わりの確定を、俺たちに告げていた……。
「くそぉ……」
――俺は、それから、しばらくずっと、アリエスの身体で泣いていた。セラフも、エリサもだ。意識を返す事もせず、ただ、俺の為だけの、アリエスの身体で涙は流れていった。
もし、俺があんな奴に騙されずこの国にずっといて守れていたのなら……この世界に携帯電話でもあって問題が発生してすぐ連絡できたなら……せめて近くに病院があったり、その手の専門家がいたりしたのなら……アリエスの母親のセイコンとかいう聖女がここにいて「癒しの魔法」とやらを使えたなら……その魔法の持ち主がアリエスや、セラフや、エリサだったなら……神様がゴンゾウを見つけてくれて俺みたいにチャンスをくれて、それでゴンゾウが勝ちぬけてやり直せたら…………きっと違ったんだろう。だけど、結局そうならなかった。
世の中は、時に因果で、時にクソみたいに無情だ。こうなったら助かったなんていう事がいくらでも言えるくせに、上手くいかずに人が死んじまう。そうなりゃ終わりだっていうのに、なんか都合良くいかない時がある。都合良く生きられる時もあるのに、なんか全部がそうは行ってくれない。……そう、終わっちまう。
――そして、みんな、誰だって、いつか死んじまう。
死んだら超えていくしかない。……弔って、忘れないで、そいつがいない人生を歩んでいくしかない。生きていたら、それしかできない。
「――――すまねえ。みんな、……ゴンゾウの、墓……立てるぞ……。こいつを、故郷の母ちゃんのところにやれねえが、……せめて、この国の……見晴らしの良いところに…………」
俺は、泣きたくなる気持ちをこらえて言った。
そして、その時、その場にいる全員が、国の姫がゴンゾウの死を受け入れた事で、泣き声はより大きく、怒号にすらなっていった。――そう、この男は、とっくの昔に、ここのみんなの仲間になっていたんだと俺は気づいた。
バカだけど、案外明るくて、気づいたら、みんな、ゴンゾウとなじんでいった。
バカだけど、勉強始めて、年齢も過去も関係なく立派な人間になろうとしていた。
バカだけど、実は芯が強いところもあって、戦いがあればその鎖鎌の腕を見せてくれた。
バカだけど、なんか……こいつ、母親の事をずっと考えてたらしかった。俺は、そんなゴンゾウを全然知らなかった。他にもまだまだ知れた一面があったかもしれなかった。
でも、そいつはもういない。会いたくても会えないし、もうその姿を見る事だってない。話す事なんて永久にできない。これから土に埋もれて、目の前から消えて、形をなくしていく。
(悪いな、姫さん……あんたの身体で、勝手に泣いちまってよ……)
(いいえ。どちらの意識だったとしても、きっと、それは変わらないでしょうから……)
アリエスは、それから言った。
(伊神番長、あなたの涙は、私の涙……そして、あなたの怒りは、私の怒りです……。ただ、最後に、ゴンゾウさんと言葉を交わす事が出来ず、残念です)
そして、その言葉を聞いた瞬間、俺は気づいた。
――ゴンゾウは、最後まで俺の事を、姫様だと思って死んでいった事に。
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