デリケートすぎる好きして
――夜。俺は、指示通り、アリエスの身体を借りてマルサン倉庫に来ていた。
異世界だろうが何だろうが、貸倉庫っていうのはある。この世界では、木製だ。
ここまでの移動は徒歩だ。お陰で、日没に出かけ始めて、ちょうど一時間でここに来た。当然、この世界に車や電車がないから、毎度時間がかかるのだ。
手段は、元々、ひたすら徒歩か、馬か、あとはセグウェイしかない……。せめて俺が自転車の仕組みをちゃんと学んでいれば、自転車くらいなら作れたかもしれないが、俺はあんなものの仕組みを覚えていない。
そんなわけで、足の疲れを感じつつも、俺たちはあのコオラを待っている。
――で、結局、約束の日没一時間後から、加えて四十分経つが、来る気配がまるでなかった。
(――もうこれ来ないんじゃないですか?)
(そうだな……)
俺も思っていた。これはもう来ない流れじゃないかと。……だが、何かあったのかもしれない。待ち合わせの一時間後までなら待とう。
とりあえず、俺はその時間を無駄にするのも何だと思い、先ほど風呂で話していた事を思い出し、アリエスに訊いた。
(で、姫さん、あんた、さっき一体、何を言いかけたんだよ。俺自身の為にってよ……)
ずっと一緒にいるとはいえ、公務みたいなものもあるし、何となくタイミングがつかめず言い出せなかった事だ。
(あの。それ、言わなくてもわかりませんか?)
(いや、悪いが、言われんとわからん。すまん……)
(そうですか……。じゃあ、もう一度言います。伊神番長、あなたには、ここよりももっと長い時間を一緒にいた家族がいる……そして、何より、あなたはもう“死んでいる”んです。それなら、私たちの為なんかじゃなく、もっと、あなたの為に戦えばいいじゃありませんか……)
俺の為に戦え、と?
まあ、わからないでもないし、俺の目的として、根っこにはそれがあり続けるのは間違いない。だけど、どうしても言いたいのは、「それだけではない」という事だ。
俺は、自分の為だけに生きるのなんてまっぴらだ。目の前に救うべき民がいて、困っていたら、俺はそいつの為に動くしかなくなる。いや、そいつの味方や力になりたい。そうすれば良い仲間になれる。
(ああ、だが……俺は、あんたたちの事だって……)
(――私たちの生きてきた時間なんて、所詮、あなたが元の世界で過ごした時間には勝てないんです。帰るべき場所には、迎えてくれる人たちがいるはずです)
アリエスはそう言った。なんか、こう、まるで、俺に帰ってほしいみたいだな。
だが、俺は鈍感ではないからわかる。きっと、アリエスは、冷たい風を装っているのだ。こうやって、一見、冷たく、俺を突き放すような言葉を放っていたが、そうではないように感じた。もっと温かい物を、俺に向けているようだった。
愛、なんじゃないかなと思う。
――――そうだ。俺には、わかった。
アリエスは、俺の背中をわざと押そうとしている。俺が、元の世界の方で長い時間を過ごしてきたのは間違いない。十七年、俺はそこで過ごしてきたし、そこに慣れて生きてきた。だが、両親や妹を遺して死んで、ここにいる。アリエスの事だ。それを察しているからこそ、こうやって突き放すような言い方をする事で、俺をその世界に帰ろうっていう意志を燃やすように誘導して、番長らしくもなくウジウジと悩んでいる俺の背中を押そうとしているのだ。
……いや、やっぱり、考えてみるとわからん。マジで俺の事がどうでもよくて、追い出したいって可能性が否めない。そろそろ身体から出てってほしいとか、そういう気持ちも多分にあったっておかしくないんじゃないかって思えてしまう。いや、実際ずっとそういうところもあるのだろう。女の身体は色々と大変だ。おいそれと知らない男のゴーストが勝手に訪ねてきて住んでいいものじゃない。しかも俺がどれだけいたかというと一ヶ月半。詳しく言わないが、ところどころで大変だった。
更に言えば、実際、俺の役目はとっくに終わって、アリエスは精神的に自立しつつある。ちょっと前まで、言いなりというか、「私もそうです!」って同調してるだけみたいだったのに、そうじゃなくなってきている。なら、下手すりゃ俺の事をスパッと切り捨てたっておかしくない。嫌われている可能性も否めないわけだ。
――“嫌われている”。それって、最悪って事じゃないか。どのくらい最悪かというと、それはもう具体例や適切な比喩が全く浮かばないくらい最悪だ。一番の女の子が普通だと思ってる分にはまだ平静を保てるが、嫌われたら終わる。
(作者・注)以下は次の台詞のあたりまで読み飛ばしてもらってもあんまりお話に影響はありません。なお、彼の独白は、この前の文章から続いています。
……で、この場合、「俺を想ってわざと」なのか、「マジで嫌われているのか」のどちらの可能性も切り捨てられないっていうのが難しいところだ。勿論、俺としてはなるべく陽性の方向で考えていきたいが、仮に本当にアリエスが俺を嫌いつつあったのなら、その瞬間、俺は哀れなピエロになってしまう。なりたくない。考えてみるといつぞや俺が傍聴した裁判のストーカー野郎も同じ心境だったのろうか。くそ、あいつはクソ野郎だが、ここでポジティブな思考になったら俺もそいつと同じになる可能性を持っているっていう事か。あいつはやっぱ極端な奴だったかもしれないが、バランスってのは難しい。あのストーカー野郎もあいつなりの「恋」ってのがあって悩んだ末の結論だったのか? ……いや、そんなはずはない。あいつはもっと身勝手だ。俺はもうちょっとマシなところに立っているはずだ。だから、俺は自分が程よいバランスに立っている人間だって確信が欲しい。考えてみれば、何が正しくて、何が間違っているのかわからなくなってくる。二項対立ではなく、色んなバランスが取れたところが「良い人」の定義になるのだ。だから、誰か、「俺のバランスは間違ってない」って客観的に裏付けてくれねえかな。まあ、それはいいや。
こういうアリエスの気持ちについては、俺が直接アリエスに訊けばいいって話かもしれないが、なんだ、女子っていうのは、好きでもない男に好意を持たれるのが気持ち悪いとか生理的に無理とか平然と言う生物だ。俺なら誰かに好意を向けられたとして、たとえ相手がもし同性だったとしても別にその気持ちを一度受け止めてから返す覚悟はあるつもりだし、別に心でそうしようとしているわけでもなくナチュラルにそう思ってるんだが、何故だか女子っていうのは大部分がそういう価値観を持っているらしい。まあ、ああいうストーカー野郎だとか、あとはどうしても恋心っていうやつの根底に性欲みたいなものが向けられている意識を感じてしまうのかもしれない。笛盗まれたとかリップ盗まれたとか髪触られたとか首筋触られたとかいう経験がアリエスにもあったらしいが、女子っていうのは色んなところでどうしてもそういう嫌な思い出を経験してしまって、それが大人になった時の男性への生理的嫌悪に繋がる。それは仕方のない事だろう。
だが、アリエスの場合はどうなのだろう。やっぱり、そういう思い出を経て気持ち悪いって感じてしまうんだろうか。アリエスは恋だの何だのについて言った事があまりないし、俺を異性としてどう思うかって話になると、始めの頃に生徒手帳で俺の顔を見て「ハードルよりやや下ながら許容範囲」と言われていた程度だ。最初は声がかっこいいとか言ってたくせに、言わなくなった。顔を見た時点で異性としては割り切ってしまったのか。それでいて、なんか俺の意識で身体を使って風呂に入っても「別に良い」とまで言う。その信頼がわからない。信頼っていうのが、もっと深い友情だったら、そこで俺は想いを提示してしまうのは、むしろアリエスの裏切りみたいでいただけない。いや、それでも、アリエスにとっても、俺はちゃんとぶつかった方が嬉しいのだろうか。いや、俺もぶつかりたい。他人に「ぶつかれぶつかれ」って何度も言ってきたこの口も、ぶつかりたいとは思っている。なのに、実際ぶつかるかって問われた時にちょっと色々考えて開かないのだ。そうやって言うのがアリエスにとって良いのか悪いのか、俺には本気でわかんなくなってきている。だが、このまま確認するようにアリエスに気持ちを告げてしまうのは、それはそれでやっぱりちっと問題だ。両想いだったとして、俺たちは期限がある。それ踏まえると、言わないままっていうのも良いかもしれない。下手に俺との間にそういう意識を持つと、いなくなった後にアリエスは引きずっちまうかもしれない。……いや、これはちょっと自意識過剰すぎるか。アリエスはけろっと忘れるかもしれないし、受け止めるかも……いや、わからない。これだけずっといるのに、俺はわからない。どうしたらいい。
しかしだ、どうも、恋っていうやつは、他人の心を読めなくする妨害電波に満ちている。国語科目のテストの「文章の趣旨読み取る」っていう事だけは勉強しなくても余裕で出来たこの俺が、アリエスの気持ちを何も読めなくなっている。裏をかくか、いや、表か、裏か、いや、表か。わからない。結構なヒントがある気がしてもわからない。たとえ、相手の気持ちがわかりそうなヒントを見せてきても、結局色んな可能性が頭に浮かんできて、色んな解釈をさせ始めてきて、結果的に相手にとって、そして自分にとって、ベターに傷つかない選択肢を模索する作業が始まっちまう。どうする。
だが、ここで一度振り返ろう。あの何人もの犯人を暴いて他人の気持ちを読んできた名探偵の金田一一とか、工藤新一とかの事だって、単行本でずっと追ってるが、幼馴染の気持ちだけ深読みして毎回ラブコメみたいに進展せずに終わってるじゃねえか。そうだ、考えてみれば、新一はロンドンで蘭にこうはっきり言っていた。――「たとえ名探偵でも好きな女の気持ちを正確に読み取る事はできない」と。なるほど。そうか、こいつは名探偵でも無理なのだ。俺が逆立ちしても解けない事件を解決し、俺がまったく気づかなかった犯人の心情に気づいて解決してくれている、あいつら名探偵でも無理な事なんだ。それから、ちょっとマイナーな推理漫画になるが、マサチューセッツ工科大学を卒業した燈馬想も、ヒロイン水原可奈への自分の感情に名前をつけられないらしい。なるほど、俺はその事実に少々安心する。そう、元々、これは名探偵だろうが番長だろうがマサチューセッツ工科大学だろうが何だろうが関係なく、心の中の論理や筋を全部鈍らされて、「謎はすべてとけた」だの「筋が通らねえ」だの何だの言えない状況に陥らせてもおかしくはない。それが、恋なのか。相手の出してくるヒントや一挙一動がとても曖昧で、どうにでも解釈できる……みたいなのが非常に難解なうえ、それもすげえ複雑で、あとあれ、難解で、そう、難解だ。
そうか。ここで俺は、恋っていうのが普遍的に使われる文学のモチーフになる理由までよくわかってきた。「わけわかんないから」に違いない。「それ」を的確な言葉や技で表した人間ってのが、どうもはっきりとはいないんだ。古今東西、あらゆる頭やセンスに自信のある奴らが、恋という感情の適切な喩えを大喜利方式で詠み続けたのだ。それが、やたらラブソングの多い大昔の俳句だか和歌だかなんだかに違いない。っていうか、ラブソングも歌だと考えると、そいつは今も多いな。忌野清志郎だっけか、「小難しく理屈こねた歌なんてサイテーだ、単純なラブソングこそ最高だ」みたいな事を言っていた奴は。そうだ、喩え難いんだから当たり前だ。ストレートに出来事や感覚を語る以外に何ができる。別の物体や事象に喩えるほど野暮な事はない。
で、今気づいてしまったんだが、俺にはその恋愛についての批評では、一番むかつく言葉が一つ浮かぶ。そう、「性欲をロマンチックに言い換えた物」って言葉だ。「男なんて所詮あれがしたいだけ」だのと露骨に言われる事もある。が、俺は、いま言える。別にそうではないって事だ。これまでは、「根拠はないがそうは思わない」ってだけだった。しかし、俺にはいま、根拠と確証って奴がある。考えてもみろ。俺は今、アリエスの身体に同居しているんだぞ。俺はアリエスにどうやったって手を出しようがない。別にアリエスの身体を抱きしめられないし、キスもできないし、まあ触れられるっちゃ触れられるんだが自分の身体を触っているだけなんで虚しくなるだけだし、考えてみると凄ぇがマジでそういう気持ちが沸き起こる機会は極めて少ない。いや、少ないだけで全く起こらないでもないが、それ以上にウェイトの大きなものがある。ほぼ間違いなく、身体がないゴーストでも、恋をしている。そう、アリエスの涙を見たあの時から、一ヶ月半も飽きずにだ。俺は絶対アリエスに触れられない……このままでいても勿論触れられないし、じゃあ俺の身体に戻った時にどうなるかっていうと、やっぱりそこにアリエスはいないから触れられない。――その意味がわかるか? そう、これは肉体や物質から解放され、魂が魂に恋をしてるって事なんじゃねえか? 簡単に言うと、「愛情の根源が全部性欲」っていう説は大間違いで、その一見もっともらしくてシニカルで大層恰好のよろしい格言を信じてしまう人間は、綺麗な感情を批判して悦に浸って、なんか真理を見たつもりになりたいだけの中身スカスカの大馬鹿野郎って事だ。しかも、そういう恰好のよろしい言葉を前提にして、男すべてをひとくくりにするから、先に言っているように「男に恋心を持たれるのが嫌、生理的に気持ち悪い」っていう感想を言う女が出てきてしまうのだ。ああいう言葉のトリックのせいで、そこまでやらしくもない男まで評判を一緒にずり落とされて貶められる。それでも、俺が実体験として語るこの事象は、立派な純愛の一例として挙げられるし、仮に「純愛はあるのか」って事を民事裁判で議論し合うなら俺はこの証拠を提出できる。魂は魂で恋ができると。お前たちは自分の物差しで、「純愛」の尊さを「性欲」の一個下くらいに置いて、それを全員分ひとくくりに語っているだけに過ぎない。お前らに愛を語る資格はねえ。
……しかし、それにしてもあれだ。たまーにラブコメ漫画っていうやメロドラマを見て、俺は「こんな優柔不断でウジウジしている奴!」とか随分批判してきたが、いざ当事者になってみるとこいつは想像以上に難しい問題だ。これまでは外野だから言えた事ってのもある。俺は十七年、明確な恋ってのを知らなかった。なのに外野でずっと他人の恋愛相談に乗ったり、ラブコメのキャラクターを批判し続けていた。「外野が無責任に何か言う」って事を嫌っている俺も、所詮はそういう俗物みたいな外野の一人にすぎなかったらしい。たとえば、悩んでいる主人公を見て、「こいつはどう見たってお前の事好きだろ、なんで悩んでるんだよ」って思うし、漫画の世界の中に入って活入れて背中を押してやりたくもなっちまうが、そいつは俺が双方の気持ちを神の視点から眺めている立場だからであって、その人物の立場で考えてみると相手が普段何してるか見えてないんだから気持ちなんてさっぱりわからないのが当然だ。そう、当然なのに、なんか、俺は今まで自分が「同じ立場だったら絶対わかる」ような気持ちでいた。しかし、やっぱり、実際どうなのかってのはそこに立ってみるとわからねえもんだ。これについては、さっきの実体験に基づいた格言否定とは正反対だ。深く胸に刻んで戒めておこう。あ、しかし、それにしても、よくよく振り返ってみれば、俺が恋愛系の漫画を読んで俺がこれまでムカついて痛烈に批判してきたのって、大概、「二人のうちのどっちにしようか……」だの「ハーレムを築くぜ!」だのと、あっちこっちになびいちまう男の事だな。別に相手を思いやりすぎて動けない男については、そこまで不愉快になった覚えがねえし、むかついても大概ちょっとはそいつの気持ちも理解できるもんだった。いま、確かに理解できる。……ああ、それ考えると俺は思ったより、そういうところでは一貫していて筋が通ってるもんだな。こうやって思考の海に溺れてみるとわかる事ってのも結構あるもんだ。自分が案外、不当に低く評価していた分よりは良い奴だって事もわかってくる。
――で、ついさっきハーレムが嫌いだの何だのとは言ったが、これは別にこの世界のどっかで今もある一夫多妻制をボロクソ批判するつもりもねえし、その時代の価値観によるとは思う。ただ、…………俺はやっぱり一対一でぶつからねえと、何分の一かの愛しか受け取ってもらえない相手が可哀想だと思うんだ。いまの実感として、人ってのは何人も好きでいられるようにはできてない気がするし、そもそもそんな何人も好きでいたら、こういう風に頭の中で考える事が二倍、三倍、四倍になっていかないとならねえのか? それとも、何か? そもそもそんな深い事考えないで済むような奴だけが二股三股できるのか? 悪いとは言わねえが、俺にとってはちょっとむかつくな、それ。……しかし、それ踏まえて考えると、兄弟姉妹に平等に構えて不満に持たれる事もねえ親ってのがいたら相当偉大だ。
で、話を漫画に戻して、今度は登場人物ではなく、作者視点に立つと……仮にもし、俺が恋を描く漫画を描いたとして――いや、ダメだ。絵が描けねえな。俺の場合、描ける絵がドラえもんとスヌーピーとピョン吉とラムちゃんしかねえ……こいつで恋愛漫画は無理だ。じゃあ、ここは小説か。そう、恋を題材に小説を書いたとして、じゃあ俺はどれだけかけて恋する人間の心理描写を描けばいいんだって話になる。どれだけその恋愛に尺を割けば、納得に至るほどの主人公の気持ちを書けるのかはちっとも想像がつかない。だいたい、漫画や小説っていうのは、大概、最初に決められたページ数とか尺とかがあるもんだ。その枠組みの中で、あんな巨大で難解で複雑で難解な代物を書こうってなっちまったら、書き手の苦労は相当膨大になっちまうだろう。実際の想いは、どうやったって、縮められないものだ。短い時間で説得力を作るのも大事だが、そういう恋愛漫画に対して「共感できる」ってのは所詮、自分の中の恋愛のごく一部がちょっとマッチするに過ぎねえと思う。共感させたい気持ちだの迷いだのを全部収めるのは、普通の尺じゃ無理だし、だいたいそれがまったく心に響かない読者が飽きちまうだろう。ただ、一言でズバッと共感できる言葉といえば、さっきのコナンの新一についてもそうだ。あの言葉は確かに共感できた。だが、俺は今出ている九十巻チョイあたりまで読んだコナンを振り返って考えてみても、新一と蘭の恋愛描写についてはまともに共感できるパートがあった覚えがない。服部と和葉、おっちゃんと英理……誰を見ても、ちょっと難しいな。まあ、強いて言うなら高木刑事と佐藤刑事あたりは、今の俺にとって比較的共感できる部類かもしれないが、それ踏まえてもなんかまあ、「応援できる」って程度でしかない。俺がアリエスを好きなのとはまた違う。そう、もっとがっつり、自分にぴったりハマってくるほどのモノがあるかってなると、かなり難しいものだ。ただ、別にコナンのラブコメ展開に対して文句を言いたいわけじゃねえ。こういう想いを的確に描けるかってなると尚難しいもんだと思うんだ。一部だけでも多くの人に共感できるポイントや心情を見つけて、それを確かに共感させたなら立派だろう。そう、俺はそう気づいた。青山剛昌先生は立派だと思う。だが、個人的な欲を言うと、そろそろ、俺はいったんコナンを完結させてほしい。何故かっていうと、これまた理由が色々ある。もし俺がこのまま死んだら俺はコナンのあのクソ長い原作を子供の頃からずっと読み続け、ちゃんと全部追いついていたのに、生涯待ちわびた最終回が読めないって事になる。コナンという作品に出会ってしまったがゆえに、中途半端に死なないといけないのはすげえ悲しい。それから、「コナンと少年探偵団の間でいつか別れが来ちまうかもしれない」ってのが、時を経るごとに俺の中でも辛くなってくるからだ。特に、俺にとっては、コナンが続く事によって、小学一年生としてのコナンの生活が、いつか工藤新一に戻る事で崩されちまうかもって事実が頭を過るとすげえ重たくて悲しくなってくる。俺に似ていて、コナンは期限付きでしかその場所にいられないのがすげえ切なくないか? ……あとは、生れる前に始まって、小学一年生のコナンたちが年上だった時期もあるのに、今や高校二年生の新一と同年代ってのが信じられねえし、このままだと新一たちが年下になるのがショックすぎるっていうのもある。
まあ、話は案の定逸れ気味だが、世の書き手はそうやって「恋愛」っていうテーマに立ち向かって戦って、決められた尺や制限の中で必死こいてこの巨大な化け物をちょっとでも表出しようとする。それで、結局は「優柔不断」だの何だの言われちまうキャラクターや、もっと恋愛をパロディ化、あるいは記号化したようなドラマを生み出すしかなくなるわけだ。だから共感は無理だ。よく「病気の彼氏や彼女が死ぬ話」みたいなのはあるが、あれって大概、別に受け手は病気の彼氏や彼女がいて死んだわけでも何でもない奴らだし、それでもみんな見て泣くよな。だが、あれはあくまで自分の中の架空の思考実験、「まだ来てないような状況の想定」に陥っているに過ぎないし、真の意味での共感とはいいがたいと思う。ただ、真の意味での共感は先に述べたように難しい。だから、「恋愛を題材としたフィクション」として、死なせちまう事が一番騙しやすいんだ。マジの恋愛にしたって共感させようがねえとわかってるし、「本当の恋愛の時の内側は絶対書けねえぞ」ってあきらめるしかなくなっちまってるから、受け手に仮想の「悲恋」を提示して考えさせて、物語の中と頭の中と架空のモノ同士で共感させる上等なテクニックを使ってるんだ。考えてみると、工夫が凝らされてるもんだな。
なるほどなるほど、新発見だな。これ、あとで中学時代の国語の先生にでも会った時に、一番長の独自考察として話してみるか。
中学といえば、とし子も最近、恋愛を題材にした歌詞みたいなのをノートに書いていた事があったな。そこらに転がっているノートを俺のかと思って見てみたら、とし子が書いたやつだったんだよな。いや、でも思い返してみると、あれは俺の名前も出てきて、兄への思慕を描いたに過ぎない歌だった(ちなみに返した瞬間マジでキレられた)。まるで恋愛ソングみたいだったが……まあいや。その話はまた後にしよう。
しかし、こいつは、流石にちょっと考えすぎたな。なかなか思考ってのは止まってくれないもんだ。このままだとわけわかんねえ方向に行って帰って来られなくなるだろう。番長や不良が「小難しい事を考えるのが苦手」っていうお手本通りの性格かっていうと、俺は案外そうでもないらしい。難しい事をじっくり考えるのはわりと好きな方だ。それによって、他人の気持ちってのをわりと理解して、弱い奴とかの味方にもなれるのが俺のアイデンティティや、自慢できる長所だったつもりなんだが――――まあ、とにかく、なんか、アリエスに対しては全然無理だったらしい。
……何にせよ、俺もこれだけは言える。
(アリエス姫、俺は、一緒に過ごしている時間がどうだろうと、この国の民を――っていうか、あんたを……――)
(……あの。伊神番長。ぶつぶつ言っている間に、時間来ちゃいましたよ)
あっ!?
……気付けば、残りの二十分が、もうきっちり経過していた。
俺は、マジで二十分も、あんな事をぐだぐだ考え続けていたのか……くそっ! 悪人どもには素早く反論できるのに、よりによってアリエスにさえ、言うはずの言葉をすぐに言い返せなかったとは! 伊神敏也、一緒の不覚!
……まあ、過ぎちまったもんは仕方ない。台詞が今まるっきり被ってかき消されてしまったし、アリエスも今のでは何を言いたいのかわからなかっただろう。自分の中の勢いみたいなものも消えたし、次の機会に回す。
とにかく、今は二十分経っちまったって事だ。
(来ませんね、コオラさん)
(あ、ああ、来ねえな……)
……やはり、これは、コオラは来ない流れだ。たまに、予約もせずにカラオケに行く約束は、こうなる時がある。時間にルーズっていう奴は多いが、約束を忘れるっていう奴も結構多い。
しかし、そうだ、それにしては何かが引っかかる。さすがに忘れ物ができる状況じゃない。悪戯にしては手が込んでいるうえ、手が込んでいるわりには何もない。悪戯だって、あいつの事だから罠でも仕掛けているのが当たり前だろう。それさえないなんて、これは少し奇妙だ。
俺は、ちょっと考え始めた。
(…………)
……もしかすると、本当にコオラの身に何かあったのか?
あの手紙の通り、あいつの身に何かあったのかもしれないと――。
いや……何だろうか、言いたい事が一つある。
(戻ろう……なんだか、嫌な予感がする……)
(ええ。私も、いま、とても嫌な予感がしています……)
この時、俺たちは嫌な予感の正体をわかりながら、しかし、言いたくはなかった。コオラにもし何か、俺たちを騙す策でもあるというのなら、もっと合理的な作戦があると――俺は既にこの時に感づいていたが、それを言ってしまうと、“騙された”事を認めてしまうと思っていたのかもしれない。
俺は、不安に駆られつつも、やはりこんな倉庫裏で待ちぼうけしていても仕方がないと感じた。
とにかく、一度、スウィート・ピィに戻る事にした。
そこで、俺はまた、とんでもないものを見る事になった。
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