ティーンエイジ・シスター
……という、長い話を、アリエスから、アリエスの主観を交えてアリエスの口調で聞いて、「教育」というものの難しさについて考えている間に、犯人を突き止めてしまったのは、ゴンゾウだった。
なんでも、歩いていたゴンゾウに突如水をかけてきた“誰か”を追ってやってきたら、そこにはやはりセラフがいたのである。――そして、森を三歩歩くごとに足を挫くようなセラフの運動神経で、ゴンゾウから逃げられるわけがない。
結局、セラフが捕まっていた。現行犯逮捕である。バケツ一杯の水をかけて逃げるとは、かなりやり方がエスカレートしている最中だったようだ。
「まったくもう!」
――ちなみに、これは、ゴンゾウの手で俺たちのもとに連行されてきたセラフの無反省な一言であった。そう、「まったくもう」である。「何が悪いの?」と言わんばかりの顔をしていた。何故か、ゴンゾウに勝った気持ちでいた。
ゴンゾウは、横で、とても不安そうな顔をしていた。
明らかに、アリエスに対して何かを言いたいようだった。
「――あ、あの……アリエス姫」
「……何です?」
「セラフ姫によると、これまでの事はすべて、“アリエス姫の指示だった”というらしいんだ……。なあ、アリエス姫、本当なのか? まさか、あんたもまだオイラを追い出そうとしていたのか……?」
嘘だよ! それは全部、セラフの嘘だ! 完全に悪あがきの言い逃れだ!
……と言いたいが、今の肉体の主導権は、アリエスにある。俺は口を閉ざす。
アリエスがいま、どんな面持ちでいるのかはわからないが、彼女の視線は、それぞれゴンゾウとセラフの姿を、順に見た。
(姫さん……)
(見てください、伊神番長。……あれが、恥ずかしながら、我が妹、セラフの姿です)
俺は、アリエスの身体に従い、セラフを見ていた。
アリエスの言葉が、かつてないほどに冷たく聞こえた。軽蔑や侮蔑を、静かな怒りの中にこめている。険しい瞳をしているに違いない。
「ねっ、そうだよね! 姉様! 姉様が、あいつを追い出してくれって言ったんだよねっ! だって、このままじゃ、エリサも危ないし……ゴンゾウさんには悪いけど、ほら、やっぱり自分の方から他の国に行ってもらった方が良いしさ……!」
明らかに内心では焦りながらも、セラフはこちらにウインクをしていた。これは、「話を合わせて庇ってくれ」という合図である。
姉の指示だった事にして、罪をそれぞれ分け合って、軽くするつもりなのだ。
やり方としては、何とも汚い。彼女の中には、「姉が一緒に謝ってくれる」、「姉だって同じ考えがどこかにあるはずだ」という甘えが、十四歳の今も、変わらず残っているわけだ。それで自分がどうなったのかわからないままにだ。
……俺は、考えてみると、エリサについては、まだ自分の妹のように思えると言ったが、何故かセラフはそう思えなかった。それは、この性格がどことなく散見されるような、そんな、誰かに対してちょっと強い口調を常に伴っていたからだろう。
(姫さん……とりあえず、俺からは何も言う事はねえ)
――だが、俺は、そう言って黙った。
(わかっています……)
そう、これは、姉であるアリエスが決着をつけるべき事案だ。
またかつてのように庇うのか、それとも、セラフを叱責するのかは――俺が口を挟める事じゃない。いや、もしかすると、これを“姫の嘘”である俺が言ってしまえば、その時、本当の意味で、この姉妹のすべてが終わってしまうのだ。
ゴンゾウは、まだ不安そうに見ていた。
「あ、アリエス姫、本当なのか……? やっぱり、オイラはこの国から出て行くべきなのか……?」
「ゴンゾウさん、その件については今説明します」
アリエスは、二人をそれぞれ見て、息を一度吸って、言う。
「――私は、ゴンゾウさんを精神的に痛めつけるような真似は、一切やっていません」
「姉様!」
「私は確かに、ゴンゾウさんの味方になると、この口で言いました。それは、私にとっても嘘ではありません。以前相談されたあなたへの嫌がらせは、全て、セラフの行った事です!」
「でも、姉様!」
「――甘えてはなりません、セラフ!」
その時、悪に向かった時のような毅然とした声で、アリエスは実妹を叱責し、同時に平手打ちした。
「……っ!」
セラフもかつて、姉が自分に向けて怒った声などほとんど聞いていなかったのだろう……今この瞬間、ひどく怯えた表情であった。泣きそうにさえ見えた。
――が、まだ甘えがあるのも間違いなかった。
むしろ、いま、彼女の目は姉を憎むようなまなざしに変わっていく。彼女の中では、きっと今頃自分を正当化する論理が組みあがっていっている。それと同時に、それを叱責する姉を憎む論理が出来上がっているのだ。きっと、「あたし間違ってないもん」とでも言いたいのだ。どこまでも逃げるだろう。
「あたし……!」
俺の予想した通りの言葉を、セラフは言いかけた。
――が、直後に、アリエスの語調は、もう一度落ち着きを取り戻していった。
「しかし、セラフ、一度これだけは謝っておきます」
「まち……えっ?」
「これまで、ゴンゾウさんがやってきた事やこれからについて、あなたにまともな相談せず、あなたの気持ちをちゃんと聞いてあげなかった私も、同罪です。ただ、今はあなたの行為を責めるしかできません。そんな姉を許してください」
「……!」
その瞬間、セラフが姉に向けた、あの憎むような瞳は、ふと我に返ったように変わった。許すのとはまた別に、ちゃんと叱られてもいる、セラフにとって新鮮な感覚だったのだろう。
姉の言葉に、彼女が何を感じたかは知れない。
「ゴンゾウさん、セラフ……私はいま、事実だけを述べています。発生したトラブルはすべて、体面や嘘を通さず、事実をもとに解決したいからです。セラフ、あなたの口から、真実を言いなさい。ゴンゾウさんに行った事をすべて……」
「そ、それは……」
「――言いなさい。……どうあれ、あなたの中にそれをするだけの理由があったのなら、自分が何をしたのかも言える筈でしょう?」
セラフは、この言葉に音を上げた。
下を向いたまま、彼女は云った。鎖鎌を盗んだり、そこに無数の紐をちまちま結んだり、読んでいた書物に折れ目をつけたり、勉強道具を盗んだり、服を霧吹きで濡らしたり、悪意ある手紙を出したり、水をかけて逃げたり、それは全部自分の意思でひとりでやった事だと。
……端から見れば随分と小さい事が多いと思うかもしれないが、それを小さい大きいで計る事こそ、間違いなのかもしれない。小さい事を無視し、見逃すと、もっと大きな事をやっても大丈夫だろうと錯覚していく。暴走族のチキンレースは、挑戦する度にギリギリを求めて距離を伸ばしたりスピードを上げたりして、やがて崖から落ちていく。
――アリエスは、「理由があったのなら」とは言ったが、理由を訊きはしななかった。それを次々にエスカレートさせていく、まともな理由は“ない”事を知っているからだ。
アリエスは、毅然として、その次の言葉を続けた。その口には、先ほどより温かみがあった。
「――わかりました。正直に話してくれて、ありがとう、セラフ」
「……姉様」
「事実を話す事、それには、どうしても勇気が伴うものです。……話していてわかったでしょう? たとえどんな理由だとしても、他人の鎖鎌の鎖のところにこまごまと紐を結んで不気味に飾り付けたり、書物を一ページごとに折り目をつけて見えづらくしたり、服の左袖だけほんの少しだけ濡らして、着た時にやや気持ち悪い想いをさせたりして良い理由にはならない……」
その通りだ。セラフもそれにどこか気づいてか、言い終えた後はもう憎むような瞳を向けたりなどせず、開放的な面持ちにさえなっていた。
自ら過ちを悔い、告げる事は、おそらく罪を犯した人すべてが望んでいるのだろう……一見、隠したりねじ伏せたりした方が自分の為であるように感じてしまったとしても、恥を忍んで自分から告げる事が大事なのだ。
大概、その時点で、その人間はわかっている。自分が間違っていると。わからなければ、それはマジで殴るしかない。
「セラフ。あなたは、ここで謝り、二度としなければよいのです。本当にそれだけなんです。そう、それは私にとっても……。――ゴンゾウさん、これから、少し姉妹で話すので、ちょっとしばらく、石になったつもりで、適当に聞き流してください」
アリエスはこう言った。
ゴンゾウは、無言で頷いた。それから、魂が抜けたように大口を開けて、白目を剝き、彼はしばらく石になってくれていた。
「……ねえ、セラフ、昔の事を思い出さない? お母様のクローゼットのラクガキの事よ。あれ、確か七年前よね……」
と、先ほどの話に帰った。
セラフは、言った。
「……覚えてるよ。同じ事を思い出してる。あたしが描いて、姉様が庇った……」
「あの時、私とあなたは、痛いほど知った筈でしょう。事実は、ありのままに受け入れ、それをもとに前に進んでいかなければ、大切なものを奪われてしまうと……。私も、凄く罪深い事をしたようで、あの扉のラクガキが残されているのを見ているたびに、胸が痛くなったわ」
「うん……」
同じ、だったのだろう。
「いま、私も、あなたにさえ隠している事や言えない事は、残念だけど、いくつもある。本当にごめんなさい。……だけど、あの時、私は確かに知ったわ。私たちにとって重い嘘というのは――罪を犯した時に、それを隠し、“裁かれない”という痛みを負う事なのだと」
「――」
その瞬間、ふと、セラフの瞳に、一筋の涙が浮かんだ。
彼女の中にあったモヤモヤとした、晴れない何かは、この時、アリエスの口で、言葉になった。わけのわからないモノに納得する為には、その芯を突いてくれる言葉と、わかってくれる誰かが必要なのだ。
そう、いまアリエスの言った、「罪を犯した時に裁かれないという痛み」こそ、セラフの中にあり続けたトラウマであり、最大の罪悪感なのだった。
同じ出来事を通し、同じ罪悪感を負った姉妹でなければ、この言葉は通じない。
セラフが負った「裁かれない痛み」、そして、アリエスが抱えていた「裁かれない痛みを負わせてしまった痛み」。二人は、それを抱え込んだまま、どこか気持ちの悪いすっきりしない気持ちを抱えて、母に謝らず、妹に謝らず、ただ七年過ごしてしまったのだ。
そして、セラフは、そのクローゼットの件で、自分の口で話して許される機会を奪われてしまい、許される事によって得られる筈だった愛までも奪われた。――それが彼女の罪悪感であり、甘えと諦めにも繋がった。
彼女にとっては、「誰かを裁く事」でしか癒せない痛みのように感じられながら、……しかし、本当に負うべきは、「裁かれる痛み」であると、今日この時までわからなかったのだ。
「あなたを庇うのではなく、あなた自身の口から、被害を受けた方に罪を明かし、許してもらい、前に進んでもらえば良かった……。今となっては遅いのかもしれないけど、姉として、私は、あなたに己の過ちを認めて進めるよう進んでほしい」
「ね、姉様……!! あたし、あたし……!!」
泣きじゃくるセラフは、アリエスに抱き着こうと駆け寄ってくる。
その姿はなかなかに爽やかで、色っぽい……俺も(勝手に)妹としてようやくセラフを迎え入れられそうな気持になった。――が。
「――と、その前に、仲直りなさい!」
アリエスは言った。
セラフは、指示通り、見るべき、ゴンゾウの方を向いた。ゴンゾウは、タイミングよく、はっと意識を取り戻して、こちらをじっと見ていた。
セラフは、そんなゴンゾウに言う。
「――ゴンゾウさん! 確かにやったのは全部あたしだよ! 本当にごめんなさい!」
「な、なんでそんな事を、オイラにしたんだ!? やっぱりオイラ、出て行った方が良いのか……!?」
「これ、言い訳かもしれないけど、前にエリサを連れ去ろうとして、それで……今、国に戻ってきて……こっちはまだ生理的に色々と怖いのに……毎日ニコニコ……都合よすぎるって思ったんだ……! だけど、みんな、いつの間にかゴンゾウさんを信頼して、ヒーローみたいにして……なんか、不満があっても言い出せなかった……! だから……!!」
そこには嫉妬という感情もあるし、怖かったのも、許せなかったのもあるし、ほぼ間違いなく言っている事は事実だろう。加害者である彼女の立場に立ってみても、その辺りの気持ちはわからなくもない。
ただ、決定的に間違えているとしたら、やり方だ。直接、口で言っていけば良かったのを、彼女は出来なかったので、回りくどい嫌がらせになってしまったのだ。
「セラフ、あなたの気持ちは、同じ姉として、まあ、わりとわかります」
無論、アリエスも根幹は同じだった。ゴンゾウの全部を潔く許したとは言い切れまい。
まあ、なかなかに原因が自分にあっただけに、ゴンゾウの顔色が少ししょぼくれた。
アリエスは続けた。
「――しかし、それはもうエリサも許した事。私ももう、彼を見ていて、それを許しつつあります。……あなたにだって、立ち直っていく彼の姿は見えているでしょう? あの件の裁きは終わり、彼の償いは始まっていると思います。たとえ、誰かが裁きを下すとしても、それは鎖鎌の鎖の部分に(略)する事ではない……。誰しもが笑顔になる道をみんなで探る事なんです。――だから、今度は、あなたが罪を負ってしまった形になります。その罪を許すか否かは、ゴンゾウさん、あなたが決める事です」
ゴンゾウを見た。ゴンゾウは、セラフを見て言った。
「オ、オイラ、許すよ……あんたたちには、オイラの方が先に迷惑かけたから……」
「わかりました。……ならば、この国の仲直りには、証があります。手を差し出し、結び合いなさい。私たちは、罪を負い、二度と繰り返さず、他人の罪に優しくありながら、誰より厳しくあれるように」
――こうして、セラフとゴンゾウは仲直りの握手を交わす。
握手。それは、千葉県での仲直りの印。戦いが終わり、全力でぶつかり合った敵を起こす時、どうしたって右手を差し出すしかない。
たまに最後までナイフを構えて抵抗する奴もいる。……だけど、恐れない。俺は、何度だって信じて、右手を差し出し、握手を交わしてもらう。
お互いの熱が、お互いの力が、お互いの命が感じられる、良い儀礼だ。
アリエスは、セラフを向いた。
「セラフ……私は、これ以上、あなたの罪を被り、あなたに辛い想いをさせる事はしません。もう、二度と……」
「ありがとう、姉様……」
「かつての件については、今更の事かもしれませんが、国が戻ったら、お母様には正直に話し、謝りましょう。私たち姉妹、そして母娘にとっては、それは何より大事な事……――あなたは、あの時、謝らなかった事を……そして、私は、あの時謝った事を……必ず謝らないと、前に進めない」
「はい……姉様。絶対に、あたしたちの国を取り戻しましょう。母様たちに、必ずあたしたちの気持ちをぶつけましょう」
セラフの中にあった闇、それはいま一度晴れたのだ。
姉妹それぞれがぶつかり、一度、セラフが本当に自分の悪意や弱さを外に出す事で……。
こうして、七年間、彼女たち姉妹を苦しめていたそんなわだかまりが消え、ゴンゾウはまた、この国の住民の一人になっていったのだ。
今回の件について、ゴンゾウ、アリエス、セラフの三人がそれぞれ、手遅れになる前に止められたのは、誰にとっても幸いな事だっただろう。
(姫さん、いや、アリエス姫……あんたも、だんだん変わってきたな……)
(そ、そうですか? ……まあ、なんでしょう。他人を許すという事は、あなたに強く知らされた気もします。伊神番長……)
(そうか……まあ、俺が考えてきた事なんて、そんくらいだったからな……)
そう、今回の件……俺はすっかり見ていただけだった。
それなのに、アリエスはこの騒動を解決した。
アリエスは成長している。他人の心を受け止める為に、その毅然とした根っこや優しさを使えるようになっている。それは、まるで俺たち千葉県の言葉で言うなら、最近ややあって話題だった「スケバン」(※女性の番長の意、詳しくは『魔法の××× マジカル〇〇〇』を参照)のようだ。
……思った。だんだんと、俺の存在は、お姫様にとっても、この国にとっても、いらなくなってきているのかもしれない。
ちょっと甘えた国だと思った事も少しあるが、そうじゃなかった。敵兵を受け入れて暮らしている民もいるし、気づけば勝手に頑張り始めている奴もいる。
この国には、みんな、ちゃんとした愛がある。
もしかすると――俺がいなくても前に進んでいき、アクィナ軍を倒せるのではないかと、少し思い始めていた。
そう、あの時までは……。
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