DESIRE -爆熱-
――俺の身体は、力なく真後ろに跳ねた。
反り返ったまま飛び上がっていった身体は、頭から地面に落ちていく。
ああ、拳銃の一撃ってのは、痛ぇもんだな……。頭がぶつかった事なんて気にならねえくれえに、左胸がひりひりしやがる……。心臓に穴が開いちまったらしい……。それに、一緒にぶち抜かれた学ランも、親が汗水垂らして働いた金で買ってくれたものだってのに情けねえ……。
くそ、ほんとすまねえ、親父、御袋、ばあちゃん、とし子、学校のみんな、その他諸々……。俺は、ここで死んじまうらしい。
でも、別に、ここで死ぬ事に後悔はねえんだ。俺は、覚悟でこの場に挑んだ。そう、俺が浅はかだっただけなんだ。なら、その責任は俺自身が取るしかねえんだ。
じゃあな、みんな……。俺は先に逝く。そして、俺はこの後、死体になってこの体育館からどこかへ運ばれるだろう。奴らの事だ。海か山かは知らねえが、きっと“行方不明”になっちまう。
……だけど、先に待ってるぜ。天国があるってなら、あとはみんな、爺、婆になってから会うように祈ってる……。
「――――失礼ですが、どうぞ、御控えください。御弥高校番長さんお兄いさん」
――と、遠のく意識は、どこかから聞こえた女の一声に引き戻された。
その声は、嫌にはっきりと俺の耳に響いていた。……何故だ? 俺は死んだ筈……そう、俺は既に自分が死んだと感じていた。最後に残ると言われた聴覚さえ、とうに絶えた後だったからだ。
やがて、俺は身体の感覚がある事に気づいた。俺は、その声に応じるように、俺は瞼を開いた。俺が見やると、目の前には奇妙なほど落ち着き払った花魁衣装の美少女が正座していた。顔立ちからすると、俺と同じ――十七歳――ほどの年齢だろうか。
「あ、貴女は……?」
いや、そもそもここはどこか。
俺は、体育館にいた筈だったが、今はどういう訳にか、畳の張られた和室に転がっているのだった。眼前の、花魁美少女は、さもずっとそこに座って俺と茶でも飲んでいたかのように正座を構えている。
俺は、慌てて体を起こした。確認するようにして自分の胸を触るが、何ともない。開いたはずの穴がなかった。
そんな俺を見て、美少女は朗らかでどこか可愛らしい笑みを浮かべ、深く頭を下げる。それから、右掌をこちらに向けて、云った。
「向かいます上様とは、お初にお目にかかります。前後を間違えたら御免くださいまし。手前、生国は“神の国”にございます。稼業、“女神”を発しております。姓は小林、名は靖江。行く末、御見知り置かれまして、宜しくお引き立ての程をお願い致します」
仁義を切ったこの少女――小林靖江。そう、ヤスエ。その名を刻む。
しかし、驚くべきは、彼女が「女神」を名乗った事だった。美貌の面においてはそうかもしれないが、先に生国神の国と言われては美貌の比喩ではない。
本人が、神の国よりやってきた女神と名乗っているのだ。仁義を切ってまで言う事となれば、信じて良いだろう。――が、無論、女神と会ったのならば俺も驚く。
俺は若さ故、仁義を切れない己を恥じ、少女に面喰いつつも、訊き返した。
「女神……?」
「ええ。今一度申す通りにございます。私、及ばずながら、女神を仕っております」
少女はそれから一度、体制を崩し、手を両膝の上に置くと、にこやかに顔を上げた。
「上様にもわかる言葉で申します。あなたこと、伊神敏也は――本日午後十時、御弥高校教頭が雇った殺し屋に胸部を撃たれ、死亡致しました」
……ああ。やはり、俺は死んでしまったらしい。
この女神の言う通り、俺は伊神敏也と云う。生まれと育ちは千葉県北西、鉄野井市。この街を愛する俺は、この街を守る為に、幼稚園の頃より番長を名乗り、日々番長業を遂行し、今は十七歳となっている。
そんな俺の通う千葉県立御弥高校は、極めて平和な学校だった。何しろ、この高校を配下に置こうとする他校があれば行って不良生徒を懲らしめ、この高校の人間をクズ扱いする者がいれば行って「クズではないぞ」と口頭で注意し、この高校で炎天下の部活動を強要する教師がいれば行って過去のデータや他校の練習調査データを参照し、生徒の生命の安全について説いてきたのだ。
俺の行動がすべてこの高校を平和にしているなどと言うつもりは更々ないが、平和や自由を乱す者がいれば、俺は必ず平和や自由を取り戻すように動いた。結果は追いつき、俺が番を張る御弥高校は、少なからず、より良い高校になっていった。――と思っていた。
……しかし、真の腐敗は内側から、じわじわと始まっていた。
六月ごろから度々起きていた、当校生徒失踪事件。スポーツや学業において優秀な生徒たちばかりが続々失踪した。その裏で噛んでいたのは、教頭――悪徳栄だったのだ。悪徳教頭は、優秀な生徒を誘拐し、夜な夜な旧校舎体育館で軍事訓練や洗脳教育を施して、軍国主義国家に密かに兵士として売りつけていたのである(残念だが、千葉県北西部では、今もこうした教育機関の崩壊は珍しい事ではない)。
俺は、一介の不良に過ぎない。しかし、誰かの自由を奪う者を決して許さない。
教頭の不正の証拠を掴むべく、俺は単身、旧校舎体育館に忍び込んだ。しかし、間抜けにも先手を打たれていた。教頭が雇った殺し屋は、俺の目の前でコルトを発射し、俺は……死んだ。
「――手前、至る経緯は承知しております。お兄いさんにこれよりお越し頂く“異世界転生の門”は、“仁義の墓場”と発します。己の仁義に殉じ、佳人薄命を散らし、運否天賦に打ち勝ちまして、手前の目に留まった御方だけに、新たな好機を与え申します」
もう、何の事だかさっぱりだ。
正直、俺でも半分ほど、何を言っているのかわからない。女神がそんな俺の心中を察してくれた。
「端的に言うと、ある条件のもと、お兄いさんには、現世へ蘇って頂く手筈があります」
「ある条件……っていうと?」
「はい。勝手ながら、これより異世界に仮転生し、その世界の人間の身体を借りて、第二の人生を歩んで頂きたく、御頼申します。その試練を乗り越えた時、お兄いさんには本当の意味で、新たな生命をお贈りさせて頂きます」
つまるところ、俺のように若くして仁義に命を散らした人間を救済する転生がある……という事なのだろうか。
わかりやすく現代語に訳するなら、「うちがこれからダーリンを異世界に転生させてあげるっちゃ。もしその試練に乗り越えられたら、ダーリンを、ちゃーんと現世で蘇生させるっちゃ」という話だろう。
俺は、少々悩んだ後、返した。
「……申し訳ねえが、女神さん。俺は、その試練には乗れません」
「何故にございます」
「俺は、先刻、確かに死にました。その事実を受け入れる事が漢の道。人生は二度ない。受け入れ生きてきたんです。たとえ、二度があるとしても、俺は帰れません」
そう、これもまた運命だ。ここで死ぬのも悪くはない。いや、俺だけが不平等に蘇る事こそ、ただ死に逝った者たちに申し訳が立たない。
折角の機会であれ、コンティニューできない生命をコンティニューするなど、それこそ伊神敏也の名が廃る。
言い終えた時、
「失礼」
女神はそう言って立った。そして、俺の前に歩み寄ると、有無を言わさず、俺の頬に平手を打ったのだ。頬に痛みが広がった。
それは、かつて、俺の父が一度だけ俺を叩いた愛の鞭と、同じ感情を伴っているのだと、俺の本能はすぐにわかった。
痛みを噛みしめるように頬を抑えていたら、直後に顔面に向けてストレートパンチが見事決まった。鼻に走る鈍痛。鼻血。
「ごふっ!」
続けて、女神さんは俺の襟首を捕まえ、床に向けて背負い投げた。
畳の上に、俺の全体重が落ちる。受け身を失敗し、背中からひりひりと痛んだ。呼吸器が詰まったか、げほげほと声をあげずにはいられなかった。
更にその直後、痛みを発散するべく、手を広げてあおむけになると、そこには上空へと跳躍した女神の姿があった。――落ちてくる。
反射的にそう思い、避けようとしたが、それより前に、彼女の膝が俺の鳩尾に沈んだ。
「がはぁっ!」
全体重に加え、落下エネルギーを伴った一撃は、俺の腹に弾丸のような衝撃――経験者である俺にはもはや比喩ではない――を与えていた。
更に、そんな俺の身体に馬乗りになって顔面を四、五発、思い切りグーで殴る。
しばらく、息が出来ずにもがき苦しむ。その後、女神はさっと引いた。なんとか立ち上がる。殺されるかと思った。
「くっ……! あんた、何を!」
「目は覚めましたか、お兄いさん!」
「!」
ようやく立ち上がった俺の前にあった女神の表情は、酷く険しい物であった。
果てなき怒りを肚に抱えた事が想像できる、恐ろしい形相で俺を見る。
彼女は構えもせず、むしろ丁重なくらいの物腰でそこに立っているというのに、そこにはあまりに気迫があったのだ。それはもはや、殺されても言い返せないほどの圧倒的な覇気である。――彼女は続ける。
「……伊神さん。あなたは、今の選択を、いま再び、家族の前で告げられますか!?」
「……っ!」
「失礼ながら、肚の内、全て申し遣わせて頂きます。――――この現代日本で、一人の男子を、孕み、産み、育て、十と七とせ見送る事が、いかに親御にとって骨の折れる事か!! まして、伊神敏也、あなたは、誰に頼まれるでもなく、わざわざ進んで不良の道を往き、肉親・教師から見てみれば人並以上に手がかかる、生まれ持っての無鉄砲!! 困っている者があれば世話を焼き、許しがたき者には立ち向かい……しかし、その向こう見ずな性格が災いし、先刻、銃で撃たれ死にました!!」
「……」
「言いこそませんでしたが、これより、あなたの御遺体はバラバラに砕かれ、海に棄てられます!! それこそ、あなたの信ずる筋を通した成れの果て!! 無罪放免される悪徳教頭は、これから先、どれほどの生徒たちを物のように扱い死なせるだろう!! 考えただけでもやるせない!! そして、あなたの親御はこれからいつまで、我が子を探すか……無論、死ぬまでと知りなさい!! 死ぬまで探し、しかし、決してその亡骸に出会う事さえ叶わないのです!! いかに残酷な事か!! 親御にとって、いや、これより先の世にとって必要な一人である事を忘れるなッ!!」
気づけば、俺は、この女神の叱咤に――泣いていた。
まだ十七歳ほどにしか見えない女が、いくら女神とはいえ、これほど声を荒げるだろうか。
男泣き――それは、すべての男ならばわかると思うが、決して易々と人に見せて良いものではないものだ。しかし、誰かの温かい言葉を受けた時や、己の不覚に気づき改めようとする時に、それを流すのを許さない者はいない。俺は、その時、泣く事を許された数少ない男だった。
「……失礼ながら、まだ言いたい事はあります! そもそも、我が子に先立たれる親の想いに立たずして、何が仁義かっ! 何が漢の道かっ! あなたごときが番長をやっている時点で、御弥高校の名は地に堕ちているのです!」
ああ、そうだ……脳裏に浮かぶ。
優しき祖母、畏き母、強き父、可愛き妹、可愛き猫、可愛き亀、可愛き金魚、可愛きクワガタ……それから、先に亡くなった俺の先祖たち、学校の仲間たち。
思い返せば、簡単に諦めて良い代物ではないに相違ない。いかに醜く足掻こうと、生きてなんぼが男道。
「それに、恩着せがましいようですけれども、この好機は滅多に与える物ではありません……生涯、仁義を通した若い者が、強運に恵まれ女神の目に留まった時にだけ贈られる賜物です。女神が誰でも簡単に転生させると思ったら、それはまさしく見当違い。軽々と異世界に転生させる神が最近多いように見えますが、あれは、あくまで、全部フィクションです!! そして、これは、現実なのです!! 親御に、仲間に、当世に、己自身に、全てに賭けられた最後の博奕と思い知りなさい!! 折角の機会を、溝に棄ててくれるな」
「あ、ああ……すまない。現世のみんなには、いくら頭を下げても詫びきれねえが、……女神さん……俺は大変な事を忘れていたらしい……番長の名を掲げてきていた自分が恥ずかしいと感じている……。――が、俺はやはり、御弥高校二年B組伊神敏也! 我が高校を守る為、もう一度立ち上がる番の名前がそこに在り!」
「承知頂けましたかっ!? ……いえ、この質問には答えずとも結構。――あなたの瞳が、いま、爆炎を灯しているのが見えます! 私に許婚がなければ、この身を焦がしたかもしれぬほどッ!!」
「応ッ!」
「セァァッ!!」
お互い怒鳴り合う時間は、以後三十分続いた。
落ち着くまでにかかる時間は長い。互いが冷静になった後、俺たちは静かな声で説明を受ける事になった。
「……これから向かう世は、剣と魔法により発展した異世界です。ただし、使用言語は、奇跡的な偶然によって、概ね日本語と同じです。文化こそ多少違いますが、そこは安心してください」
日本語の語感を愛する俺にとっては、まさに天がくれたありがたい奇跡というところだろう。
「――お兄いさんが転生するのは、かつて聖女“セイコン”を頭として治めていた“スウィート・ピィ”という云う国です。しかし、聖女の妹にして、姓名の通りの悪女“アクィナ”が、此度封印より解かれ、モンスターと兵士たちによる世界統一の為の侵略を開始しました。スウィート・ピィは、奴らに氷漬けにされ、今はありません」
「いきなり滅びているのか……」
「しかし、彼らにとっては、民がいる場所こそ、スウィート・ピィ。異国であれ、森の中であれ、舟の上であれ、心の内であれ――故国を愛する民が集う所として、そこにスウィート・ピィは残っています。あなたがこれから守るべきは、そんなスウィート・ピィです」
「承知した。女神」
「当時、たまたま攻撃を逃れた人々は、いまは逃げるようにして集落を作り、いつまた襲撃されるかと怯えながら暮らしています。――そこに、生れた時より女だてらに騎士として育てられた姫君、アリエスが居ります。お兄いさんは、今日よりアクィナ軍を討伐に至るまで、アリエスとして生きて頂きます」
つまり……姫君アリエス、という女が俺の転生する先という事だが。
「待ってくれ。それは、他人の人生を乗っ取るという事か? いくら甦る為でも、それだけはできねえ!」
俺は激しく首を振った。俺の意識が、まるごとそのアリエスという女にすり替わってしまうのなら、それはそのアリエスを殺す事に近い。そんな事は流石にできない。
「いいえ。アリエスの意識は、残ります。お兄いさんは、アリエスの肉体に魂を移し、アリエスの魂と共にそこに住むのです」
……ああ、なるほど、それならば転生というよりは憑依で二つ目の人格になるような形という事か。
アリエスにとってどうかは知れないが、最悪の形より一歩ましな形であると言えるだろう。男性の意識が女性の身体に移って良いのか、と考えてしまうが。
「ただし、もし失敗したら、今度こそ、二度はありません。お兄いさん、どうか、お気をつけなすって。……あなたが再び御弥高校で番を張る日を、心より楽しみに」
「無論。女神様、ありがとうございます」
「ええ、ありがとうございました」
俺の、皇女アリエスの第二人格としての人生は――この時、始まる事となった。
目標は様々ある。アリエスとしてその世を守る使命を果たし、元の世に帰り、何より家族や仲間に挨拶し、教頭の不正を世に知らしめる事だ。
……負けられねえ、絶対に。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
明菜派