『Lucifer(ルシファー)』紹介
神も悪魔も我等の似姿、近づく我等の未来や如何に!?
……『Lucifer』は、様々な文化的創作に刺激を受けて書きました。
未来の技術と古代の神話という題材の組み合わせを通じて、人類文明とは何か? どこから来てどこへ行くのか、あるいは行くべきか? を考えたら面白いなと思いました。
十年以上前ですが、問題のあった父を抱え、母も病を患い、何の因果か集団ストーカーのような被害にもあって、暗い気持ちでいた時期がありました。
その時、YoutubeのMAD動画などに刺激され、アニメやゲームへのファンレターの一部としてこの物語を書き始めました。小説や漫画、音楽、さらにはフィギュアなど、他の様々な創作にも影響を受けています。
内容としては、当時の心情を反映し、書き始めは相当過激なものでした。神様のモデルになった異星種族(あくまでも異星人です、異星人!)が、人格転移した量子頭脳を母星ごと破壊され……いわばドタマをカチ割られ、その所領(天界ではありません、異星人の領有星域です!)も恒星破壊兵器によって地獄と化し、あまつさえ魔王の名を持つ種族(くどいようだが途上種族支援のために神話で悪役を演じた、善良な異星人です!)がその正統な後継者となってしまいます。
……しかし、刺激をくれた作品たちの素晴らしさに加え、生来のヘタレのせいもあってか、話が進むにつれて、まるで超罰当たりな設定の言い訳か、罪滅ぼしでもするかのように、どんどん話が明るく健全で、建設的な方向に進んで行きました。
悪魔扱いされてしまった種族たち(アクマでも異星人です!)は、可愛い女の子達のアバターを使い、最初は悲壮な覚悟で戦っていたのがどんどん立派になってゆき、天下を取って余裕ができると、ドタバタ喜劇まで始めてしまいます。そして遂には、世の中のお役にも立ちそうな文明論まで、作者に考え出させてしまったのです(笑)。
新たなる神、すなわち美少女悪魔サタンちゃんと、愉快な仲間たちの誕生です(おいおいどっちなんだ? つか宇宙人じゃなかったのかよっ!?[笑])。
悪魔といえば、忌むべき題材かもしれません。
自然災害や害獣・疫病、異民族の脅威や社会的な逸脱と重ねて考えられてきました。
それは、自然・社会環境の中にある害悪だけでなく、我々自身の内にある人間性の、反社会的な面を表わす象徴でもあると思います。
しかし、技術の進歩や歳月の経過によって、今や自然はどちらかといえば保護の対象となり、世界も一体化しつつあります。
我々自身の内にもある、紛争、差別、犯罪、精神失調などの社会学的・医学的な原因や、その対策も、解明・考案されつつあります。
そうした自然・社会環境の変化を受けて、そもそも何が社会的かといった、我々自身の価値観自体も変化し、あるいは多様化し続けてきました。
日本には、社会の複雑な面を描いた『泣いた赤鬼』のようなお話もあります。
キリスト教国においてさえ、自らの神話を題材として、新しい設定の物語が次々と作られている理由も、そのあたりにあるかもしれません。
また、文明の発展は昔から見れば夢物語のようなことを実現する一方、新たな課題も生み出してきました。発展による社会の変化や、それに加わる歳月の経過によって、様々な副作用が次々と生まれ、発展自体も加速化して、人間の方がついて行けなくなっているようなところもあります。
新しい技術と、それを活かす新しい政策が必要な時代だと思います。
私見では、AIを中心とした新技術により、人体のような自然物と、機械のような人工物の垣根を取り払い、我々自身の資質を人道的な手段によって維持・向上させたり、文明の利器をより自然や人間、社会に優しいものにしたりして、双方の持続可能性を高めていくことが求められていると思います。
魔法のような新しい技術と、我等の内なる天使の独善を戒め、悪魔を滅ぼすのではなく改心させるような、新しい政策の時代です。
ならばA.C.クラークの『幼年期の終わり』や永井豪の『デビルマン』のように、古代神話に出てくる悪魔と、未来に向けて進み続ける科学技術を組み合わせて題材とし、そんな主題を描いてみたら面白いのではないか?
技術の進歩でその存在感が脅かされている悪魔と、ますます進歩が加速して、人々に夢を与えつつも、他方で人類滅ぼしちゃうのでは? と心配もされている科学技術の取り合わせは、やはりギャップ萌えの対象です(笑)。
そのうえで、そもそも文明って一体何なんだ? という視点から、文明の発展をもたらす科学・技術の出現から、経済・社会や価値観、さらには制度・政策の変化まで、来し方行く末、あるべき姿までを描き、考えてみたい。
いっぺんこれまでのお約束をリセットして、別世界の遠未来における文明の成り行きを空想してみよう。
そこでもなお考えられる大きな課題や、その解決策を考えられたなら、今の世の中にもある先行きへの不安や、自分のしんどい境遇も大したことない! とも思えるかもしれない(笑)。
そんな気持ちが、このような話を作らせたのかもしれません。
実際、青鬼さんも報われて、真の悪者は一人もおらず、文明栄えて宇宙に満てよ、でも既存の技術や制度にあぐらをかかず、我々自身も高めつつ気をつけていこうね、という、地味な教訓を語る甘々なお話ができてしまいました。
凶悪不吉で不気味な題名、堅苦しいほど勿体つけた中二病的な文体に反して、内容はいとも善良健全かつ脳天気な、奇想とオタク趣味に満ちた物語です(笑)。
色々な創作作品に刺激を受けて書くことができ、感謝しております。
ぜひご一読いただけましたら、幸いです。
キリスト教神話には、深い寓意があると思います。
人間に知恵を与えたのは、悪魔でした。
ソロモン王は、悪魔を使役して国家を繁栄させました。
悪魔とは、一体何なのでしょうか?
知性とは、環境変化に応じて活動を制御し、上手く生きる能力です。
それはまた、善だけでなく悪にも向かい、
どこまでも満足できずに向上を求める、
質的・量的な欲求の無制限性として表れます。
そんな知性の負の側面、人間自身の負の側面を示すものが、
悪魔だったのではないでしょうか?
確かに、知性が与えた技術にもとづく文明は、
豊かで便利な生活と共に、悪用・誤用や副作用の危険ももたらします。
知性は人類を万物の霊長たらしめ、社会を繁栄に導く一方で、
様々な課題を生じ、今後も生み続けていくでしょう。
我々はそれを、さらなる技術や、皆で考えた政策で克服してゆくしかない。
今後は特に、〝人間の内なる悪魔〟の存在を認め、御していくことが、
我々人類にとっての課題なのではないだろうか、と思いました。
ところで英語には、〝familiar〟という単語があります。
それには『使い魔』という意味と、
『(環境などに)親和的』という意味があるようです。
ならば、これからはAIを中心とした、
人体など自然物と機械など人工物の境界を取り払い、
体内環境も含めた自然環境や社会環境に優しい、
〝使い魔の技術( Familiar Technology )〟ともいうべき技術と、
それを活用する政策の時代になるかもしれません。
この物語を書く中で、そんな文明論まで考えてしまい、
他の作品の中でも、その考えを深めることができました。
関連作品もあわせて、ぜひご一読いただけましたら幸いです。