寒梅の頃に
よろしくお願いします。
ーーーーー夕方頃から降りはじめた雪が、あたりを白く染めはじめた夜半、冬だと言うのに、嫌な汗が身体に纏わりつき、じっとしていられず脇差しを手に取り、身を潜めていた廃寺から出る。
外に出ると頬に刺すような冷たさが感じられた。それでも、じっと考え込むよりはマシだと歩き始める。
もうどのくらいになるだろうか。夜に出歩くことが当たり前になっている。戦で敗れ、昼夜問わずに追われる日々。
誰もいない暗い道を歩く、雪が降っているせいか辺りは静寂に包まれていた。雪を踏みしめる音だけが妙に耳に残る。
いくら先の大戦で負けた側に属していたからと言っても、逐電した下級武士に追手を寄こすなど…
「肝の小さいことだ。」
思わず毒づくが、心当たりがない訳ではない。単純に殺しすぎたのだ。
身寄りのない自分を拾い、取り潰される寸前だったが、養子先の世話までしてくれた親とも言える人、その人に言われるがまま殺しに殺した。
戦ではもちろん、暗殺や処刑まで人の命を奪うことばかりに時間を費やした。
育ての親と袂を分けた後も、戦場で、処刑場で、路上でありとあらゆる場所で、借りものの理想のために殺した。
出生がまともならもう少し正当な評価がされたかもしれない。ただ、出自が孤児では活躍しても妬みと恐れしか生まなかった。
いや、敵だけは評価をしてくれたか。付いた渾名も物騒なものばかりだが、そこには確かな評価があった。有り難くはないが…。
敵に命を狙われ…味方だった人間にも疎まれ…いや、疎まれるだけならまだいい。刺客には味方だった人間も含まれている。俺の首を引き渡せとでも要求されたのだろうか?
この世に自分の味方はいないのではないかと思うほど…詰んだ状況だ。こんな状況では寝れるはずがなく、心と体は磨耗していく…もう疲れた。
どれくらい歩いただろうか?雪が肩に積もり始めた頃、いつの間にか囲まれていた。
戦が終わってから何人返り討ちにしたか…それすらも覚えていない。戦で殺した人数より多いのではないかと考えてしまうほどだ…。
ただ、今までは多くても数十名程度だった追手が、今回は百名以上はいる。これだけの人数をこちらに気付かれず配置し、包囲する手管は見事だ。指揮官が優秀なのだろう。
加えてこちらの状況も芳しくない。何ヶ月も追われ続け、疲れ切った身体で数時間もこの寒空の中で歩き続けたのだ…普通ならまともに戦える状況ではない。時機を見計らってやったのならたいしたものだ。
それでも、相手が並みの相手であれば問題にしない自信があった。生まれてから人殺しかやってきていないのだ。そう、並みの相手であれば…十人いようが、百人いようが一緒だ。
斬りかかってきた二人の攻撃を避け、一人の右手首を切り落とし、もう一人の首を斬りつける。まるで約束稽古のように人の命を奪っていく。
ただ、ここに来て異変に気付いた。相手の一人一人が恐ろしく手練れであると…一人殺す度に増える手傷がそれを証明していた。それでも問題はないと考え相手を殺す作業に没頭する。
「っあーぁああ!腕が…腕が。」
腕を失い叫ぶ男にとどめを刺し、仲間の血を見て怯んでいる…男を逆袈裟に斬りつける。
ドサッという音と共に上半身が地面に落ちた音を聞きながら、次に斬りかかってきた男の攻撃を避け、首に刀を突き立てる。
「化け…ぐごっ」
剣先が喉に突き刺さり、血が喉に詰まったのか水気を帯びた呻きをあげて四人目の男は動かなくなる。刀を引き抜くと血が吹き出て、頬を赤く染めた。
――何人斬り伏せただろうか?10人を超えた辺りから数えるのをやめた。死体を数える気にもならない。雪は赤く染まっていた。
「フーフー」
獣のように肩で息をしながら三度笠を被った指揮官らしき男が目に入る。あと一人
ドンッ!ドン!ドン!ドン!
後方に気配を感じて、慌てて身を翻すが腹に焼かれたような痛みが走る。
「鉄砲かぁ…」
警戒していたつもりだったが、伏兵に気が付けなかった。やはり…感覚が鈍っている。
ここで、鉄砲とは…はじめに見せられていれば警戒しただろう。偶然だろうか?
いや、おそらく集中力が切れ、身体の動きが鈍くなるのを待っていたのだろう。しかも、確実に当たる距離まで待つ徹底ぶりだ。
(思惑通りに動いてたってことか…)
だが、自分は死んでいない。間合いの近い鉄砲撃ちなど良い獲物だ。至近距離での発砲は悪手となった。
自分の身体から血が抜けていくが…それでも一気に間合いを詰め、次弾を込めようとしている撃ち手達を斬り伏せる。
「フーフー…おえんな…これは」
飛び道具…中でも鉄砲は嫌いだ。そんなことを考えながら、唯一生きている男を見る。刀も抜かず佇む男…その男にゆっくりと近づく。もう結果は見えている…それでも指揮官は逃げ出さない。
腹からの血が止まらない。急速に体から熱が奪われるのを感じる。
それでも、賢しいだけの、ここに来て刀さえ抜いてない相手なら万全である必要などない。そう考え、間合いに入った。
瞬間、気配と三度笠の隙間から見える顔が見知ったものであることに気づく。
相手は抜刀術の達人、自分が殺すことを失敗した男…老境に差し掛かりつつあるとはいえ、万全でも殺せるか分からない相手…自分を育て、剣を教えた男…
思えば、敗戦後に少数で継続的に襲撃されたのも、今の百人近い手練れの集団が…鉄砲の配置が…全て自分の力を削ぐための伏線…これが狙いだったのだ。
そして、タチが悪いのはこの男が生き残るつもりがないことだ…ゴクリ…思わず唾を飲む。
「人斬り狂八…覚悟!」
言葉とともに相手の刀が抜き放たれ、まっすぐ自分に向かってくる。自分も構え直そうとするが…悴んだ手と冷え切った身体は上手く動かすことができなかった。
間に合わないーー
自分に迫る刀を見て気がついた。ああ…そうか…俺は…
自分の視点があるべき位置から低いところに移り、相手の胸に自分の刀が刺さっていることを確認したところで、意識が暗転する。
「ごめ…とう…」
それが、人斬り狂八と呼ばれた男の最後の言葉だった。
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気がつくと、真っ暗な空間にいた。辺りを見回すが何もない。ふと、落とされたはずの自分の首を触る。首が繋がっていることを確認していると、突然声が掛けられた。
「困るんですよね。こんなことされると」
凛と透き通るような声に後ろを振り向くと、何もなかったはずの空間に一人の女が座っていた。人…?いや、人と言うには美しすぎる。妖の類か?神仏の類か?夢か?
そこにいたのは、銀色の髪と白磁の肌を持つ絶世の美女であった。
「…こんなことって何のことだ?」
「自殺ですよ。自殺!まったく…ただでさえ魂が足りないのに…こんなことされたら困るんですよ。」
「自殺?ああ…やっぱり死んだのか…夢かと思った」
自害したつもりはないので…言っている意味は分からないが取り敢えず、死んだことはわかった。
「ええ…人斬り狂八さん…いえ、八乃介さんとお呼びした方がいいですか?あなたは亡くなったのです。」
随分懐かしい呼び名に感じる。それは、育ての親が自分につけた名だった。
「別に…呼び方はどうでもいい…で?あんたは何なんだ?脱衣婆か?閻魔か?…どちらにせよ罪の重さを計るなり、裁くなりしてくれ。どう転んでも地獄だろうが。」
自分の人生を振り返れば、成した善行など何もない。借り物の理想を掲げ人を殺してきただけだ。弁明する気すら起こらない。あの狸爺を殺せなかったのが心残りだが…仕方がない。
「バ…婆?…そんなのと一緒にしないでください!私はこれでも、この世界の管理を任されている管理者です…神とでも言いますか…あーでもあなた方は多神教徒ですから…神と言っても理解しにくいかもしれませんね。どちらかといえば、この世界に限れば一神教のそれに近いのですが…以下略」
何が気に障ったのか?女は畳み掛けるように何かを口走った。何のことを言っているのか分からないが、俺の行き先を早く決めてほしい。
「…悪いけどどうでもいい、早く地獄にでも送ってくれ。」
「それはできません。」
「?…殺した数もわからないほど殺してきた俺がまさか天国行きとはいわねぇよな。」
「天国にも行けません。そもそも地獄も天国も存在しません。善人も悪人も等しく輪廻の輪に戻るだけです。」
「そうか…救いのねぇ話だな。なら早く輪廻とやらに戻してくれ。」
「それも無理です。」
「……おい?」
「あなたは、自殺して自らの意思でこの世界を拒否しました。規定違反なのでこの世界の輪廻に戻ることは出来ません。」
「自殺したつもりはねぇが…で?…つまり…どうなるんだ?」
「はい、この世界以外に行ってもらうことになります。」
「この世界以外…?」
「本来…自殺した魂は消滅させていました。しかし、管理者…神が生み出せる魂の数には限りがあり……っと…こんなこと説明しても無駄みたいですね。」
俺が理解を早々に放棄したことに気がついたらしい。
「端的に言います。あなたには、現世とは全く異なる世界に…そのままの姿で行ってもらいます。当面、必要な物はお渡しします。転生先の世界の文明程度に応じて武器もお渡しします。あと…
「あーもういい…要は島流しみたいなもんだろ…説明はもういいから、その別の世とやらにさっさと送ってくれ。」
「ちょっと待ってください。これから役目とか持っていくものの説明に…一応、話す決まりになってるんですよ。ちゃんと聞いてください!」
「いらん!役目なんて果たすつもりはない。刀さえあれば何処へ行こうと変わらん。」
「はぁ…わかりました。どうせ、すぐに死んでしまうでしょうし…本人の希望なら、そうしましょう。それでは、お送りします。あなたが役目を果たせる様に祈っていますよーーーー」
すぐに死んでしまう?その言葉に疑問を感じていると…事務的な女の声が急激に遠ざかる…そして、再び意識が暗転した。
「まぁ、行ってもほとんど死んでしまいますから地獄と言っても間違いではないかもしれませんが…」
真っ暗な空間に一人残された。女神は寂しげにそう口にした。