〜命の灯火を揺らす者③〜
「あっ、ミス・メサイアとミス・ハンニアースはちょっと残ってください」
授業が終わり生徒達が退室を始めた頃、先生にそう言われシエルとリーリアは歩みを止める。
なぜ残らなければならないのか見当がつかず、しかし言われたので仕方なく先生の近くまで行く。
「もうお昼休みですけど~何か用ですか先生~?」
リーリアが高圧な感じで聞く。
自分より大きな胸を反らし言ってくる生徒に先生は何とも言えない顔をし、次いで溜め息を吐く。
「……あなた達、前回のテストが赤点だった事は覚えてますか?」
そう言われた途端リーリアは首を傾げる。
確かに前回のテストでは二人共、赤い数字を大きくテスト用紙に書き込まれていた。
しかし、その事を今更なぜ今言ってくるのかが分からない。
この学園は、言い方は悪いがお金を払い続けていれば卒業できるので、赤点を取っても気にする者はあまりいないのだ。
良い点を取るに越した事はないが、だからといって悪い点でも別に構わない。
生徒達が欲しいのは有名な魔法学院を卒業したという箔であり、好成績ではないのだから。
「あら~そうでしたっけ? 私あんまり成績を気にしないので忘れてました~。シエルさんもそうですよね?」
リーリアがキツめの目線でシエルを見る。
朝の一件の時、崩落はしなかったが部屋は修繕が必要になり、なおかつネグリジェ姿を廊下にいた大量の生徒達に見られた事が、リーリアがシエルにキツい目線を送る事に繋がっている。
だがしかし、シエルは意に介した様子もなく、ただ窓の外をぼんやりと眺めていた。
「?」
いつもと少し様子が違うと思いリーリアは訝しんだが、その時先生から再びの溜め息が吐かれた。
「はぁ……あなた達、自分の成績をまったく理解してないでしょう。なんと入学から前回まで赤点ですよ! こんな生徒はあなた達だけです!!」
それは凄い、とまるで他人事のように驚くリーリアと、ぼんやりとしたシエル。
先生はこめかみを押さえつつ、『とりあえず』と前置きして話し出す。
「さすがに卒業まで赤点を取られたら、我がインクリス魔法学院始まって以来の大恥になります。この事を学院長に話したらあなた達に特別補習を用意するとおっしゃっていました。放課後、二人は学院長室に行くように」
「え~嫌です先生ぇ」
「拒否権はありませんよ。もし行かなかったら、毎日私の『みっちり五時間補習コース』を受けてもらいますからね?」
更に嫌そうな顔をしたリーリア。
だがシエルは、やはり聞いているような聞いていないような、ぼんやりとし外を眺めているだけ。
「……ミス・メサイア、聞いてましたか?」
先生は聞くが少女は答えず、どうしたのかとリーリアと顔を見合わせ首を傾げる。
(何考えてるのよ……あの馬鹿)
シエルには、先生の話やリーリアの文句など頭に入っていなかった。今、頭を埋め尽くしているのはある少年の事だけ。
――自分の、使い魔の事だけ。
(エルラも、いくら好きだからってやり過ぎってものがあるでしょう……)
――あの『事件』の翌日、エルラはさっそくロンをデートに誘おうとシエルの部屋を訪れた。
その時はまだロンの部屋は決まっておらず、使い魔なのでシエルと同じ部屋になるか、生徒として扱いロン用の部屋を用意するか、またその他諸々の事を決める為、ロンは学院長に呼び出されて不在であった。
もちろんシエルはデートに猛反対し、お互い一歩も引かない口論を続けていた。と、そこにロンが戻ってくる。
デートに誘おうとするエルラを黙らせ、何の話だったのかシエルが聞くと、ロンは話し出した。
――気のせいか、シエルはその声が沈んでいるように聞こえた。
(授業に追い付く為の自主勉強をエルラが手伝うのは別にいい。私じゃ無理だろうし……部屋だって、本当は主人である私の部屋の隣りにしたかったけど、そこを折れて、一つ隣りの部屋で納得した。昼食の時だって、一応エルラには恩があるから別のクラスなのに、私のクラスのテーブルに来てロンの隣りに座る事も許している。こんなに寛大にしてるのにあの馬鹿は……)
窓の外は薄く伸びた雲の広がる青空と、元気のない草木が広がるばかり。
シエルの目線は外を見ながら、しかし映るのは脳裏に焼き付いた少年の事ばかり。
(あいつ……今頃何してるのかしら?)
こうして相手を想う事が、ある『感情』の始まりだと、少女はまだ気付いていない――
「やっと見つけた!!」
放課後、生徒達が各自の部屋に戻ったり、様々な場所で談笑をしている中、本塔と西塔を繋ぐ渡り廊下でそんな少女の声が響いた。
ロンが聞き覚えのある声の方を見れば、案の定そこにはシエルが立っており、怒ったように眉を吊り上げている。
そうして、ロンに近付いてゆく。
「今までどこ行ってたのよ! 授業にも出ないし食堂にも現れないし部屋にも戻ってないし――何してるのよあんたは!!」
「……すみません」
目線を合わせず言ったロンにシエルは更に怒りを覚え、少年の真新しいシャツの襟首を掴むと力ずくで引っ張る。
「色々言いたい事があるけど、とにかく来なさい! 私の用事に付き合った後、たっぷり話すからね!」
「…………すみません」
それしか言わないロンに、シエルはもうそれ以上何も言わなかった――
二人が学院長室に行くと、そこにはもうリーリアが来ていた。
それと、なぜかエルラもおり、そしてその隣りには見知らぬ女生徒が一人。
学院長の姿はなく、質素ながら荘厳な部屋の中には五人の生徒が集まっている。
「何であんたがいるのよ」
「……学院長に、呼ばれたから。そっちこそ、どうしてロンがいるの?」
「私の使い魔なんだから当然でしょ。あと目を離すとどこ行くか分からないしね……」
睨むように見るが、ロンは下を向いたまま目線を合わせはしない。
シエルはそれが反抗の意思表示だと思い、ますます怒りを募らせる。
そんなロンの様子を見つめる、一人の女生徒。
赤に近い桃色の髪を揺らし、外見に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべる。
「……そういえば、あなた誰?」
女生徒の視線に気付きエルラはそう問い掛けた。女生徒は目線をエルラに向け喋ろうとした時――
「すまない、待たせな皆。少し職員達を黙らせるのに苦労してな」
扉を開ける音がし、そんな言葉と共にビネノアが入ってきた。
手には数枚の羊皮紙と、小さな革袋を持っている。
「さて、全員そろっているな? 少し長い話になるから、まぁ適当に座ってくれ」
置かれていたソファに生徒達が座るのを確認しビネノアは杖を振るう。
するとどこからともなくティーセットとお菓子が現れ、宙にしばらく浮いた後テーブルに着地した。
「紅茶が嫌いな者はいるか――いても、これ以外は用意しないがな」
そう言って快活に笑った後、ビネノアは一人掛けのイスに座り羊皮紙を配り出した。
「まずはこれを見てくれ」
「……これは」
最初に声を出したのはエルラであった。
羊皮紙の上に走る文字。その最初の行に書いてあった『特別補習』という文字に少しだけ眉を寄せる。
「特別、補習……」
「ああそれはミス・ペンサードには関係ない。関係あるのはそこの赤点二人組だ」
指差されたのはリーリアとシエル。
まったく気にした様子のなかった二人であったが、エルラから無表情な目で見つめられると何だか居心地が悪い。
「……可哀相」
「「なんですって!!」」
二人がハモって文句を言った直後、くすくすと小さな笑い声が聞こえた。
声の方を見ると先程からいる女生徒が笑っており、さも馬鹿にしたような目で二人を見ていた。
「一体~何なのかしらあなたは?」
「初対面の人を笑うなんて、結構な根性してるわね」
「あら、気に障ったのなら謝るですわ。ただ赤点を取るなんて……ふふふ」
堪えられなかったのか再び笑い出す女生徒。
それを見てこめかみが痙攣しだした二人を余所に、女生徒はビネノアを見て話しかける。
「確かに私が付いていった方がいいみたいですわね、オバ様?」
「あ、ああ」
何の事かと他の者が訝しむと、察したのかビネノアは説明を始める。
「紹介が遅れたが、この子はミラと言って皆と同じ二年生だ。今回のミス・メサイアとミス・ハンニアースの特別補習に『付いて』いってもらう事にしてもらった。ミス・ペンサードを呼んだのも、ミラと同じ理由だ」
ミラと呼ばれた女生徒は立ち上がり、スカートの裾を手で小さく摘むと、上品に膝を曲げての会釈をした。
その姿には高貴さがあり、思わず皆が見とれた程。
「先程オバ様が言った通り、私はミラ。皆様と会うのは初めてですけれど、これからどうぞ宜しくですわ」
「オバ様って、もしかして~……」
リーリアが言い終わる前にミラは笑顔で答える。
「私はインクリス魔法学院、学院長の娘ですわ。ただそんな事気にしなくていいですわよ。肩書きなんて気にするのは、自分に自信がない証拠」
その言葉に、ロンは伏せていた顔を上げた。
それをまるで見越していたかのように、ミラは、ずっとロンを見つめていた。
「肩書きよりも大事なのは、いかに自分の心と向き合うかですわ。そう思いません? ロン様」
突然話を振られたロンは驚き、また、何やらミラから既視感のようなものを感じた。
前にも一度会ったような、そんな感じが――
「……まぁあなたの事は別にいいんだけど~、それで、私達の特別補習って一体何なのです?」
「……ミス・ハンニアース。質問するのはいいんだが、まずはちゃんと読んでからにしてくれ」
まぁいいか――と紅茶を飲み、そしてビネノアは持ってきていた革袋をシエルに差し出す。
「実はハグルーニ地方の港町、センガの町長から手紙が来てな。それによると、近くにある『天蓋峠』という場所で最近事故が多発してるらしい。町長とは昔ながらの知り合いである事から、何とかしてくれと頼まれたのだが私は忙しく行けない……だから、君達には代わりにセンガまで行き問題を解決してきてほしいのだ。これは必要になるだろう金銭だ。出発の際は――」
「ちょちょっと待ってください学院長! 事故が起こってる場所に、まさか本当に私達を行かせるつもりですか!? 生徒ですよ私達!!」
いつもの口調を忘れリーリアが反対の言葉を叫ぶが、ビネノアは革袋を受け取らないシエルに無理やり渡し、エルラとミラを見ながら大丈夫だと呟いた。
「聞いた話ではそこまで危険な様子ではない。それに、トライアングルクラスのミス・ペンサードや、同じトライアングルクラスのミラも付いて行かせるから、戦力としては充分なはずだ。……それに危なくなったら、無理をせず帰ってきてもいいんだ」
「あらオバ様? そんなの私が付いて行くのですから、それは有り得ませんわ。行くのなら解決までするつもりですわ」
自信ありげに笑うミラにビネノアは何か言おうとしたが、結局は何も言わず、まだ文句のありそうなリーリアの頭を無遠慮に撫でるとイスから立ち上がった。
「詳しい事はそこに記載されている。出発は三日後の明朝。何か質問があるなら今聞くが?」
誰も何も言わない事を確認し、よし――とビネノアは両手を合わせると笑顔を見せる。
「心配するな。ミラはこんなだが魔法に関しては私も舌を巻く程。それにセンガの町長もいい人だし、何よりハグルーニ地方は温泉が有名らしい。特別補習がてら入ってくるのもいいだろう」
『温泉なんて滅多に入れないぞー』と笑いながら、しかしビネノアの顔は僅かに曇っていた。
その顔をミラは、ただ何も言わずに見つめる。
「ならもう戻っていいぞ。ミス・メサイア、金銭は無くさないようにな。きちんと保管しているんだぞ?」
渋々なリーリアを先頭に皆が出て行く中、ロンだけは動かなかった。
シエルはそれに気付くと声をかける。
しかし――
「……少し、学院長と話したい事があるんで先に行っててください」
愛想笑いも浮かべず、ロンの表情は沈んだまま。
それを見て、シエルは無性に憤りを感じた。
ロンは結局、何も変わっていない。
誰にも心を開かないまま、一人で何もかも、抱え込もうとしている。
そうして、まるで、自分が潰れるのを待っているかのように。
――それだけ深く澱んだ闇が、まだロンの心を覆っているのだろうか。
(……何も話さなければ、何も分からないじゃない!!)
そうして、シエルは何も言わずに部屋を出た。
それを見た後、ロンはビネノアに向き直る。
「……言いたい事は大体分かっている」
「なら――お願いします」
ロンは頭を下げた。
隠れた顔はどんな表情をしているか分からず、しかし声の哀しさだけは伝わってくる。
「……僕のここでの肩書きを、全て無くしてください」
「…………少し、質問していいか?」
ロンの言葉に驚いた風もなく、ビネノアは小さく息を吐くとそう言って紅茶を淹れ直す。
「君の正体……『咎人』の事を気にしてる者は誰もいない。それに、ここには君を必要としている者がいる。大切に思ってくれる者がいる。心配してくれる者がいる。……ここは、嫌いか?」
優しげに笑うビネノアに、ロンは辛そうに瞳を細める。
そうした出された声は、まるで泣きそうな子供のような声。
「……だから、なんです。必要とされればされる程、大切に思われれば思われる程、心配されればされる程……僕は、ここにはいられません」
――上げられたロンの表情は、笑っているような、泣いているような、哀しみを称えた淋しいもの。
「だって僕の命は……あと『少し』なんですから」
――哀しみを背負った少年は、脆く、か細く、儚げに。
寄りかかる事を知らない独りの心が、身体と共に崩れる音を奏で始める。
自身に伸ばされた手がある事に、少年はまだ、気付いていない――




