〜命の灯火を揺らす者12〜
草木の生えていない、尖った岩肌の目立つ道をミラを先頭にシエル達は歩いていた。
鋪装されていない道は足場が悪く、たまにリーリアが転びそうになりながらも皆は歩を進めていく。
しかしその中にロンの姿は無く、シエルやエルラの表情は明るくない。
「天蓋峠とはその昔、切り立った左右の絶壁の上に木々が覆い被さるように生えていたから付けられた名前ですの。けれどこの近辺を統治していたある貴族が、生えていた木々に希少価値があるのを知り私利私欲の為に全部切ってしまいましたの。お陰で今は絶壁が左右に広がる普通の峠になってしまいましたが、惜しんだセンガの人々が名前だけは残そうと、この名を今まで語り継いできたんですのよ」
ミラの歴史講座をベルやリーリアが熱心に聞く中、二人の少女は黙々と歩き続ける。
シエルはミラに話しかけづらく、エルラは先ほどからある頭痛に耐え、ロンの事を聞けていなかった。
「――おい」
と、黙ってエルラの後ろを歩いていたレイが早足になりミラに近付くと、表情険しくミラに話しかける。
「何ですの、レイ?」
「本当にロンの事……放っておいてよかったのか?」
レイの曇った顔を見て、ミラの表情は僅かにだが強張る。
それを気取られぬように、いつもの調子で返事する。
「ロン様の所在が分かりませんし、何より今のあの方に……このメンバーはキツいはずですわ」
「それはつまり、私達がロンに嫌われたという事か?」
「ふん、男に嫌われるのは僕はまったく構わないが、特待生君も輪を乱すにも程があるだろう。自分勝手な男は嫌われるだけだというのに」
「う~ん、私からすればベルの方が自分勝手だと思うよぉ」
和気あいあいと、シエルの『力』の顕現を見た後とは思えない柔らかい雰囲気がそこにはあった。
仲間に馴染んでいないのはシエルとエルラだけ。
足りないのは、ロンだけ。
「――――ふん」
鼻で笑ったのは、元から仲間と思ってもいなかった、一人の少女。
金色の瞳を愉快そうに、不愉快そうに細め、口の端を軽く持ち上げる。
「元々ロン様に適応能力を求めるのは酷ですの……あの方の事を少しでも知ったら、自ら合わせてあげるのは当然の事のはず。それに皆様にロン様は――心を開かない。開けないですの」
少しでも知っていたら――その意味の分かるシエルはハッとし、同時に疑問が浮かぶ。
もしミラがロンのあの事を言っているのなら、何で、知っているの――
「前から思ってたけどぉ……ミラってロンに対して優しくない~?」
不満と訝しげな声はリーリアのもの。
それに合わせるように、ベルの言葉も放たれる。
「ミラ嬢が優しいというのは分かったけど、それは些か過度じゃないかな? 僕みたいに優しさは平等に振りまかないとそれは相手に、まして自分の為にもならないよ」
その言葉に、ミラはとうとう冷笑を浮かべた。
見た事のない彼女の表情にベルとリーリアは寒気が走り、何かに押しつけられるような重圧感にのし掛かられる。
「……まぁこれくらいなら言ってもいいでしょう。私は昔、ロン様と面識があるんですの。皆様よりも、主人のシエルさんよりも、私はあの方の事を知っていますわ」
本人の忘れてしまった事まで――その声にはどこか、哀しみが宿っているようだった。
「あの方は多くを求めない。普通の『人間』の一生だけ過ごせたら、それが何よりも幸せになる。……その気持ち、皆様に分かりますか? 普通の皆様に、普通じゃないあの方の気持ちが。何も語らないのは――何も、語れないからですのよ」
「なら、それを教えて……」
ミラの言葉を聞いて尚、歩み近付いた者――エルラは頭痛に顔をしかめながら、それでもミラを見据えて喋る。
「私達がロンの事を知らないのは、認める。あなたがロンの事を知っているのも、認める。ロンが心を開かないのも……分かってる。だけど――」
息を吸い、弾む呼吸を整えるエルラ。心無しか動悸が早くなり、頭痛も増してきたよう。
「――私はロンに、近付きたい」
「……その想いが、ロン様を一層傷付けていくと分かってもですか?」
「――――それなら」
聞こえたのは、弱々しい少女の声。
桃色の髪を風になびかせる、とび色の瞳の少女。
虚勢である意思強そうな顔をして、虚勢を本物にしようとして、二人の会話に加わる。
だって、想いは、語るためにあるのだから。
「それなら、その傷だって治してみせる、包み込んでみせる。何を知っても、何を言われても、気持ちは変わらない――揺らがない」
「……現実は」
二人の少女の言葉は、しかしミラには届かない。
耳を塞ぐのは、心を塞ぐのは、人間達の醜い部分。
それとロンへの、独占欲。
人を信じて傷付くのはもう嫌だ。
人を頼って裏切られるのはもう嫌だ。
そんな思いをロンにだけは、させたくない。
醜い世界でロンを助けられるのは自分だけ……こんな、会って幾許も経たない少女達ではない。
――そうであって、ほしかったのに。
「現実は……二人のいう程甘くないですの。あの方を想うのなら、近付かないのが一番――」
「なら」
エルラは頭痛で目まいがしてきた。
それを察したレイが素早く駆け寄るが、エルラの頭痛は一層激しさを増す。
「――ならどうして、ロンは笑ってないの?」
その言葉に、ミラの堪えていた感情が反応する。
溢れる心の杯から漏れた感情は口をつき、言葉になって体外に出る。
「笑えなくなったのは……あなた達『人間』のせいですわ」
漏れ出たそれは、負の感情。
まるで何百年も蓄えられ、押し固められ、塗りつぶされたように濃く、強く、恐ろしくも哀しいものだった――
「レンネ様。天蓋峠に到着しました」
翼に拘束具を付けられた飛竜の引く竜車の運転手はそう言い、レンネは閉じていた目を開ける。
頭が少しクラクラするのは、まだ『意識を飛ばしていた』事が関係しているのだろう。
意識のみを切り取り任意の場所に飛ばす――危険で難易度の高い禁魔法を行なったその顔には疲れが滲んでいた。
(…………咎人、か)
ゆっくりとした足取りで竜車を降りる。
冬の淡い日差しが視界に入り、細く切れ長の目は更に細められる。
入り組んだ地形のせいか強い風が度々吹き、レンネの白衣は暴れるように揺れ灰色の髪は無造作に弄ばれる。
風を鬱陶しく思いながら二、三歩歩き、ふと何かを見つけて立ち止まった。
「……時間より早いわね」
「ぐはは、早く新しい『化け物』が欲しいからな!!」
入口から程遠くない場所には男が立っていた。
盛り上がった筋肉と無精ヒゲ、着ているものはボロボロでありながら、男の指や首に付けられた装飾品は異彩を放っていた。
きらびやかな、明らかに男と釣り合っていない装飾品は風に揺れジャラジャラと音を鳴らし、レンネは頭痛にも似た痛みを覚える。
(薄汚い……盗賊め)
嫌悪感を丸出しでレンネが視線を送ると男は肩をすくめ、その場で声を張り上げる。
好かれていない事を知っているので、せめて近付かないのが男なりの礼儀なのだろう。
「アイツらは確かに凄いがすぐに死んじまうなぁ! せめて一ヵ月くれえ生きるのを売ってくれよ!!」
「……それが嫌なら私達は売るのを止めていいのよ。大体、魔物ではなく幻獣、更に詳しく言えば飛竜という種族よ」
「そんなの知っても意味ねぇよ。俺達が欲しいのは強ぇ商品だけだ! 名前とか知識は要らねぇ、メイジだってぶっ殺せるのが必要なんだよ!!」
「…………」
嫌悪感は頭痛に変わり、こめかみを押さえレンネは溜め息をつく。
元から人間に良い感情を持ってはいなかったが、この『盗賊』という人種には殺意を覚えてしまう。
自分勝手で傲慢無礼で、品性の欠片すら感じられない者達。
まるで人間の汚い部分を寄せ集めて作られたような者に、レンネはしかし関わらなくてはいけない。
それが仕事。自分に課せられた、あの方からの命令。
自分の人間に対する感情を知ってなお関わらせようとする、あの方の無邪気な悪意。
それでも逆らう事は、できない。
あの方の貪欲な好奇心と、自分の願いが叶うまでは、吐き気のする人間とも関わらなければいけない――
「その拘束具を付けられた竜は売ってくれねぇのか? いつもより金を出しても構わねぇぞ!!」
「……戯言を」
それでも、沸きおこるこの殺意はどう処理すればいいのか。
レンネがそんな事を考えていた時、突如として飛竜が顔を上げた。
はるか上空を見やるように首を伸ばして、鋭い歯をむき出しにしながら唸りをあげる。
怯えと恐怖、そんな感情を感じ取ったレンネは訝しげに飛竜の見ている上空を見るが、見えるのは薄い雲の広がる曇った空だけ。
(どうしたのかしら……まさか、脳に埋め込んだ制御チップの故障?)
その場合は研究所に戻り細かな検査が必要であるが、故障しているにしては様子がおかしい。
今までの故障ならばまず、脳神経が焼き切れて飛竜は死亡し、その後制御チップの作用により動く屍――腐竜へと変貌するはず。
そうなる場合は事前に分かりやすい変調が見られるはずであり、何より怯えなどの『感情』を、制御チップを埋め込まれた今持っているはずがない。
「……すぐにその飛竜にスクウェアス・テレポートをかけて研究所に送りなさい。制御チップは一時停止し、鎮痛剤を打って隔離房に入れておいて」
運転手だった男にそう命令すると、不潔なヒゲ面を掻きながら立っている男に声を飛ばす。
「緊急事態が起こったのでここで商談を終わらせましょう。こちらの提示した金額を渡しなさい。そしたらこちらも商品を――」
その瞬間、一陣の風が天蓋峠に吹き荒れた。
あまりの強風に目をつぶったレンネは、そして風に乗った一つの『感情』を感じた。
――明確な、おぞましい程の殺意を。
黒くて暗くて重苦しいそれは一瞬で身体をすり抜け、身体の芯を震わせたまま彼方に消えていく。
《………………この》
――しかし。
《この……屑どもめがっ》
吹き荒れた殺意を発した主は、憤怒の声を漏らしながらレンネの目の前へと降り立った。
黒に緋色の混じった濃い血を思わせる骨の鎧。
二つが同時に響くような心と身体を畏縮させる威厳ある声。
黒と赤に彩られた、畏怖と恐怖を植え付ける瞳。
僅かに垂れる血は――その者の心の涙のように。
《貴様らに弄ばれた同胞の恨み……命がいくつあっても足りないと思えっ!!》
叫ぶ声は雄叫びのように強く勇ましく、大気を震わすように響き渡るのであった――
「……この、声」
最初に気付いたのはエルラであった。
次いでミラもハッとした顔をし、天蓋峠のある方角を見る。
ミラの独白を聞いていたシエル達は何事なのか分からず、ただただ二人の見る方角に視線を向ける。
「ど、どうしたの?」
シエルの問いに返ってきたのは、張り詰めたエルラの声。
「……悲鳴が聞こえる。これは人の――違う、竜の悲鳴が風に乗って聞こえてくる」
「レイ! すぐに竜型に戻って天蓋峠まで飛んでですの!!」
いきなりミラは怒声にも似た大声でレイに詰め寄る。
剣幕に押されそうになるがレイは主人たるエルラの方を見、指示を仰いだ。
「……私も気になるから、いいよ行こう」
エルラの言葉にレイは頷く、と、その場に突然に激しい風が舞う。
粉塵を巻き上げ視界を遮り、それが晴れた時、レイの姿は竜へと変わっていた。
硬く鎧のような青銅色の鱗が全身を覆い、鋭く吊り上がった瞳はサファイアが埋め込まれたように美しく、恐ろしい。
エルラとミラがその背に乗り、シエルもそれに続く。
ベルとリーリアが続こうとした時、ミラが無言で杖を二人に向けた。
「えっ?」
「なな何の真似だいミラ嬢!? いくら僕でもその想いには応えられないよ!!」
当然のように杖を向けられた二人が困惑したが、同時にシエルとエルラも困惑する。
なぜなら、ミラの顔にはいつもの余裕ある笑みも、誘うような妖艶な笑みも浮かんでいなかったから。
冷たい氷のような、本当にこのまま魔法を放ってしまいそうな、そんな雰囲気があったから。
「……お二人は来ない方がいいと思うですの。これはお二人の為でもあるんですの」
「そ、そんな事言われても付いてくわよ! 私達は仲間なんだし!!」
「そうだよミラ嬢。君が僕を危険な目に合わせたくないのは分かるが――大丈夫、偉大な神姫様に誓って君達を守ると宣言しよう!!」
「ミラ、この二人は馬鹿だけど魔法の腕は折り紙付きよ。役になら……私より立つわ」
「……急がないの?」
四人に見つめられミラは険しい顔つきながらも杖を納めた。
しかしその顔には苦悩の色が見てとれ、その目線はシエルに向けられる。
「仲間、ね。今から行く場所に今から行く者がどんな反応をするかその目でよく見るんですの。『人間』の、その目で――」
冷たい視線は刺すように向けられ、シエルの頬を嫌な汗が一筋垂れる。
目指す峠の頭上にはぶ厚い灰色雲が広がり、行く末を不安にさせる。
それでも向かわなければ、全ての物事は進まない。
選んだ選択に苦悩しても、引き返す事はできないのだ。
(仲間なのに……何でいないの?)
頭に浮かぶ少年の姿は、今はまだどこにもない――
空気を切り裂くような轟音を響かせ、一匹の風竜は猛スピードで空を飛んでいた。
青い流星が空を渡るが如くその速さは瞬きの間に掻き消え、人の認識できる範疇を超えたもの。
それでも背中のシエル達が落ちずにいられるのはエルラの唱えた魔法のお陰だった。
『エア・ウォール』――通常なら前方のみに展開する防御魔法なのだが、彼女はそれを丸い半球体に展開して皆を囲み、受ける突風を防いでいた。
「やはり凄いなミス・ペンサードは。ますます恋い焦がれてしまいそうだよ」
「風系統はいいなぁ。私がファイア・ウォールをこんな使い方しようと思ったらもの凄く難易度上がっちゃうよ~」
「あんた息が荒いけど、まさか無理してるんじゃないの?」
「……これは、別の要因の、せい」
息も切れ切れで言うエルラに皆心配のまなざしを向けるが、ミラだけは進行方向を見たまま以前険しい表情をしていた。
「あんたが無理させてるんだから、少しは心配しな――」
「着きましたですの!!」
シエルの文句と同時にそう叫ぶとミラは風竜の背中から飛び降りる。
岩肌粗い地面に着く直前『レビテーション』を唱え、そうして降り立ったのは天蓋峠の入口。
蜘蛛の巣のように数多くの道が多方向に広がる、その一つへとたどり着く。
(血の臭いと『闇』の気配が濃い……やはりロン様はここにいるみたいですの)
険しく前方を見やりながら懐から取り出したのはインクリス魔法学院を出発した際に配った栞に似たもの。
それに杖の先端を軽く当てると、栞は宙に浮き青白い炎に変わる。
そのままミラの近くを浮遊し、歩く足並みに合わせて漂い続ける。
入口へと歩を進め、天蓋のごとき双璧そびえる峠道に足を踏み入れた――瞬間。
「っ!?」
バチッと乾いた音が鳴って、ミラは驚きと痛みに顔を歪める。
よろめくように数歩下がり足を見れば、魔力の込められた繊維で造られたブーツに穴が空き、その開いた隙間からは赤く爛れた皮膚が見える。
(結界ですって!? ちゃんと通行証は用意したのに!)
浮遊しているであろう青白い炎を探してみるがどこにも見当たらず、と、地面に焼け焦げた紙屑のようなものが落ちており、風に吹かれて散っている。
「まさか……誰かが結界を別種のものに変異させたんですの?」
言って、自分で信じられなくなる。
そもそもこの天蓋峠にかけられた結界は、メイジの持つ魔力にのみ反応する魔力結界である。
昔から貴重な魔石の採れるこの地域を王国騎士団が秘密裏に保護監視しようとかけられたその結界は、メイジに絶大な威力ながら平民や商人などには作用しないようになっている。
もしメイジなど魔力を持つ者がこの天蓋峠を通りたい場合は、この地域を統治する貴族に承諾をもらい通行証として小さな栞を受け取らなければならない。
その栞があればどんな者、例えば野党や盗賊のように落ちぶれたメイジであってもこの峠を越えられる。
しかし今のは、栞に関係なく魔力結界が作動した。
そしてその威力は桁違いに強力になっており、生身で受ければタダでは済まないようなもの。
確実に誰かが手を加えたはず――しかし。
(王国騎士団の施した結界、更にはオバ様が強化魔法をかけたと言っていた結界に上書きが出来る者なんて……)
そんな実力を持っている者がそうそういるとは信じられなかった。
自分と『同じ種族』ならいざ知らず、ただの人間にビネノアの強化魔法を凌ぐ魔法を使えるのは数少ないはず。
今の状況でそんなものが現われるなど、最悪のタイミングと言うしかない。
『――悪意とは、偶然を装い襲いかかってくるんだよ? 肝に銘じておかないと痛い目にあっちゃうかもね』
「……そういえば昔に会った白衣の子供に、こんな事を言われましたね」
まさしく今に嵌まり込むような言葉のそれが、なぜ甦ってきたのか分からない。
ただ、この結界をどうにかしなければロンの元にたどり着けない事だけは分かる。
見落とさず、見失わず、目を逸らさずに。
構える杖の先に称えた凶暴な光はまるで彼女の感情のように瞬いて、いつしか消えるもの。
見えていても掴めない、けれど諦められない――これをきっと、『恋』と呼ぶのだろう。
「叶わぬ恋……本当、私に似合いのストーリーですわね」
ロンと結ばれるのは、きっと彼女。
なら、自分がこんなに頑張る意味は――
「あら……」
チカッと目の前が瞬いたと思った瞬間『ソレ』は現れ、魔法の残滓を光の粉にしながら、辺りにまるで蛍火のごとく撒き散らす。
「あの方の『元婚約者』は、それなりの役割をしないといけないですのね」
世界の中心が自分でない事を知っている少女は、哀しい笑みで光の中から銀色の懐中時計を取り出した――




