〜命の灯火を揺らす者11〜
薄暗く、冷たい空気に充満した石造りの室内。
唯一の光を放つ壁に付けられたスクリーンは、しかし光量が充分とはいえず、部屋の隅などは暗闇に包まれていた。
そのスクリーンを見ながら立つのは白衣姿の女性。
腰まである灰色の長髪はヒモで縛り後ろに一括りにして、切れ長の髪と同系色の瞳は驚きに見開かれていた。
「これは……一体」
暗闇に吸い込まれるように消えた声は、別の声からの返事をもらった。
「……咎人だね。しかも、かなり上位種との」
その声は幼い子供特有の中性的な声色をしていながら、なぜか機械的に聞こえてきた。
と、女性の横にいた毛布の塊のようなものがモゾモゾと動きだし、開いていた隙間から声の主が姿を現す。
「ていうか寒すぎるよこの部屋! 暖房入れよう暖房!」
「駄目です。今月は節水と節電月間なんですから」
「む~~」
先ほどの声に合った子供がそこから顔を出し、次いで寒さに身震いする。
肌は透き通るように白く、肩口までの髪も白色。
その中で、黒い眼だけが別種の存在感を醸し出す。
光の灯らない、死者のように澱み混濁した眼だった。
文句を言う毛布の塊と化した子供を女性は溜め息混じりに見た後、先ほど言われた言葉を訝しげに聞き返す。
「竜の骨格――竜鎧を出しているのを見るに竜の咎人というのは分かりますが、しかしあの色」
女性は眉を寄せ再びスクリーンを凝視する。
画面に映し出されているのは、緋黒色の骨に包まれて異形を思わせる出で立ちをした――ロン。
涙を流し、何事かを喋りながら、背中に生えた一対の骨を軋ませる。
「……火、水、風、土、雷、それと光。今まで確認したどの属性の竜の咎人とも違う骨の色ではありませんか?」
「漆黒の骨は濃い血を思わせる緋色も帯び、その禍々しさは見る者に絶対的な、絶大的な、絶望的な恐怖を与える。見られた者はただただ頭を垂れるしかなく、押し潰す程の威圧は同じ竜族――『神竜』でさえ、逆らう事の出来ないもの……」
子供は淡々と喋りながら、不意に唇を三日月型に曲げる。
――その笑みは、子供などには到底見えない寒気を感じさせるものであった。
「まさか実験材料を探しにいって、こんな素晴らしい『闇』のサンプルが見つかるなんてね」
「……もし本当に私達が探している『消された属性』の者なら素晴らしい事とは思いますけど、しかし咎人ですか」
純粋に喜びを示す子供とは対照的に、女性はためらうような表情をしていた。
それに気付いた子供は目を細め、口を開かぬまま聞こえる機械のような声で愉快そうに言う。
「変な感傷はしないようにね? たとえ『似た存在』でも、君に何かを決める権利は無い」
「――分かっています、六王博士」
「分かってるならいいんだ。それより今日は確か取り引きのはずじゃなかったっけ?」
「……はい。港町センガの近くにある天蓋峠という場所で、野党達に『商品』を渡しに行く予定です」
六王博士と呼ばれた子供は屈託ない笑顔を女性に向ける。
「あんな失敗作でも資金の足しにはなるから、頑張って高値で売ってきてね?」
その笑顔に無言の圧力を感じ、寒気が女性の全身を舐め回した。
彼の満足いかない結果を持ち帰れば、例え助手である彼女でも殺される。
幼く無垢な『偽り』の外見とは裏腹に、彼の中にはドロドロと欲望が蛇のように渦を巻き、他者を食らおうと鎌首をもたげているのだ。
逆らえば死、従ってもいつ殺されるか分からない、恐怖。
そんな重圧を受けながら、それでも女性が彼の側に居続けるのはなぜか。
その答えが分かるのは、彼女自身だけ――
「何してるんですの?」
宿屋へと戻ってきたミラは開口一番そんな疑問を飛ばしていた。
目の前の光景は入口の扉に掴まり必死の顔をしているシエルと、それを笑顔で引っ張るリーリアというもの。
エルラとレイは我関せずを貫いているが、その行く末は見届けたいのかその場に佇んでいた。
「やぁ。綺麗な薔薇が咲いてると思えばやはりミス・ダブルアーツだったんだね。さっきから姿が見えなくて心配していたんだよ?」
「できればミラと呼んでほしいですの」
ミラの後ろからガッサガッサと音を立てそう話しかけてきたのはベルだった。
音の原因といえる大量の薔薇を両手に抱えながら、わずかに見える顔からウインクを飛ばす。
ミラの言葉を聞いて『それは失礼』とベルは謝り、髪に差していた薔薇を頭ごと振る。
そうすれば両手の薔薇は瞬く間に消え、遂には手の平に収まる程の小瓶に変わってしまう。
その中にはドロリとした液体が入っており、身体に悪そうな赤紫色をしていた。
「ならそう呼ばせてもらうよ。ミラ嬢は一体今までどこに行ってたんだい?」
「……あら、私の事より今は『別の誰か』の方が気になるのではないですの?」
ミラの言葉に、しかし皆よく分からないといった顔をした。
それを見て、ミラは思っていた予想と現実に食い違いがある事に気付く。
あれを見て、なぜ何事もなかったように接していられるのだろう?
恐怖は畏怖は、ないのだろうか?
だが、自分の考えていた予想に反するものだとはミラは思いたくない。
――そんなにも、世の中が不公平だとは思いたくなかった。
「ああ、何だあの事か」
訝しげにするミラを見て、レイは思い出したように声を上げた。
その言い方自体が軽いもので、ミラはますます疑念を大きくする。
「シエルの『力』なら、私達は別にどうも思ってない」
「可愛い薔薇にトゲはつきものだからね」
「ていうか~シエルちゃんを嫌いになるような人は最初からここにいないよぉ」
さも当たり前のように言う皆の言葉に、扉に掴まっていたシエルの手が僅かに緩まる。
「今だぁ!!」
大声一閃、できた隙を見逃さずリーリアが目一杯に引っ張りシエルを引っ剥がした。
そのままこれでもかと言わんばかりに強く抱き締める。
「むぎゅっ!?」
空気の抜けたような音の後、シエルの動きが鈍くなる。
しかしリーリアはそれに気付かず、というかシエルを抱き締めた事実に狂喜乱舞していて周りが見えていない。
ちょっとヤバい――エルラがぼそっと言った一言で慌ててレイが二人に駆け寄った。
「………………」
そんな中、ミラは険しい表情をしていた。
誰もこちらを見ていないからか、隠さず露になる負の感情はいつもの彼女からは想像のつかないもの。
空気さえも濁らせそうなそれは恐ろしく、哀しく感じられる。
(人間は人間同士、という事ですのね。どんな事実も、同族ならばそうそう嫌いになる事はない――その代わり、ロン様や『私達』は畏怖や恐怖、蔑みの対象にされる)
「……本当、不公平で薄汚い世界ですの」
「何か言ったかいミラ嬢?」
ベルがミラの方を振り向いた時にはもう、彼女の顔は微笑に、完璧に作られた仮面に変えられていた。
「別に。それより、皆さんは連れだって今からどこかに行くんですの?」
するとリーリアが花の咲くような笑顔で答えてくれた。
「温泉よぉ! 学園長が言ってた温泉に今から行くの、しかも効能は美肌・若返りらしいし~!!」
そういえばそんな事も言っていたなと思い、そこでミラはふと思い出す。
先ほど、町長に説明がてら聞かされた話を。
「実は源泉のお湯が出ないと、先ほど町長さんに教えてもらったんですの。だから残念ですけど、温泉には入れないと思いますの」
「えぇ!?」
不満声を出すリーリアの腕をレイに助けてもらい振りほどき、難を逃れたシエルが安堵したような顔をする。
ちょっと着崩れた制服を直しながらミラを見やり、視線が合わさりそうになると逸らす。
(あら、だいぶ嫌われましたみたいですの……まぁ別にいいですけど)
気付いていたが何も言わず、ミラは落ち込んでいるリーリアへ優しい笑みを向けた。
「引いてる源泉は天蓋峠にあるらしいので、事件が何か関係してるのかもですの。だから解決したらもしかしたら――ですわ」
やや不満顔ながら、それならば仕方ないと渋々承諾しリーリアは黙り込む。
その間にシエルはエルラへと近付き、ためらうように小声で話しかける。
「あの、さ……あいつは?」
「――見てない」
淡々と答えるエルラ。
しかしシエルは気付く。
彼女の表情が曇っている事を。
分かるのは過ごした時間のお陰か、それとも想い人が同じだからか。
自分も、きっと、今こんな悲しそうな表情をしているだろう。
「そう……」
――寄り掛かれるものが出来たから、心に幾許かの余裕ができた。
途端、私の握り締められ震えていた手は彼を求め、伸ばし、捕まえようともがき出す。
自分は弱いままなのに、誰かを守れる強さは無いはずなのに、それでも私は、私の手は必死になる。
離されるのが怖い自分の中から、彼を、彼の心を守ってやりたい自分が姿を見せる。
本当の気持ちなんて分からない、怖がりで臆病な気持ちが厚く上塗りされているから。
――――だけど。
守られ、抱き締められるしか出来なかった私に。
泣いて、へたりこむしか出来なかった私に。
あなたの弱さを受け止める強さが、あって欲しいと今は願う――
「…………」
薙ぎ倒され、削られ、見るも無惨な姿を晒す森の一角。
青々と生い茂った木々は元の姿を思い浮かべぬ程酷く、地面も深く削り取られていた。
そんな場所に、ロンは一人で立っていた。
目の前に広がる光景を見ながら、無言で、無表情で、立ち尽くす。
不意に風が吹く。
それに煽られた前髪が揺れ、隠れていた瞳が露になる。
瞳には、哀しそうな光が灯っていた。
「これが、シエルさんの力」
独り言は、風に運ばれるように周りに消え入る。
誰もいないからか、彼の心は言葉として、開いた扉の隙間から漏れ出す。
「この力を……皆はどう思うんだろうか」
受け止めるにはあまりに突然で、大きな事。
もしかしたら、彼女も畏怖と恐怖の対象になるかもしれない。
自分と同じような、人の悪意を受ける存在に。
そうなれば自分と彼女は、同類として一緒に……
「――馬鹿か!!」
叫んだロンは腕を振るうと木に打ち付けた。
轟音が響き、次いで殴られた場所から木が倒れてゆく。
見れば、彼の瞳は、黒と赤に彩られ始めていた。
「そんな事にはさせない! なっちゃいけない! あの人は、幸せにならないといけない!!」
だって、彼女は優しくしてくれたから。
自分の正体を知っても、変わらず接してくれたから。
「……哀しむのは、僕だけでいいんだっ」
血の滲んだ拳を握り締めながらロンは俯く。
彼の周りに浮遊しだした血は、まるで一人ぼっちの少年を守るように、辺りを包んでいた。
それはまるで、我が子を守る親の愛のように。
「!?」
途端、ロンは顔をあげた。
見開かれた瞳には驚愕の色があり、その驚きと呼応するように背中が歪に膨らんでいく。
「この……臭いは」
血とオイルが交ざった特有の鼻をつく臭い。
全身を総毛立たせ、頭の中に警鐘を鳴らすそれを、初めて嗅いだのはあの時――全ての業を背負うと決め同族を殺した、『あの日』
「う……あぁ……」
この臭いは、抑えを効かなくする。
怒りで暴れ出した身体の中の『力』が、怒号と共に人間を憎しみだす。
この世界を蹂躙する人間の狂気と、生み出された哀しみを背負った自分の中の『竜』が、肉の鎧を突き破ろうとする。
「――――っ」
自分を……抑えられない。
《――――っ》
そして、ロンの背中に緋黒色の骨が一対、現われた――




