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愚かしくも愛おしき  作者: 宮沢弘
第二章: はじまり
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2−4: パブにて

 ラジーニは自動車を教院に置いたまま、二つ向こうの通りのパブに向かった。まだ早い時間ではあったが、数人の客がいた。夜ほどに騒がしくもなく、教院の礼拝堂ほどには静かでもなく、心地良かった。静かであれば、ただ考えそうだった。

「めずらしいね」

 カウターの止まり木の向こう側から、バーテンが声をかけてきた。

「ちょっとね。少し考えたくて。ビールでお願いできるかな」

 バーテンはカウンターの脇にあるサーバからビールを注ぎ、ラジーニの前に置いた。

「考えるなら静かなところがいいんじゃないか?」

「静かだとね、悪い方にしか考えが向かないような気がしてね」

「あんたのとこの夫婦仲の話は聞かないし。仕事関係かい?」

「あぁ」

 バーテンはグラスを手に取ると磨き始めた。

「あんたの記事は、たまには読んでるよ。詳しい話はわからないけどさ。啓蒙記事とかはわかりやすくて、面白く書いてあるよな」

「興味を持ってくれば嬉しいよ」

「こんな話をしていたら邪魔かな?」

 ラジーニはビールに口をつけた。

「いや、むしろ助かるかな」

 バーテンは別のグラスを手に取った。

「だけど、こないだの粒子と場の話はわかんなかったな。広がっているものと粒が同じっていのは」

「あぁ、まぁ、そこはそういうものなんだ」

「それでヒッグスってのが書いてあったが。それがそんなにマズいってのがどうもな。昔ニュースで聞いたことがあるが、それでの世界はできているんだろ?」

「あぁ。まぁ、できていると言えばそうだ」

「その相転移だっけ? それがどうしてマズいのかがからないんだ」

 テーブルの一つから注文の声があがった。

 バーテンは手早く調理し、テーブルに届けた。

「そうだな。あんたに馴染みの氷で言うと、こうなるかな。あぁ、氷を一つもらえるかな」

 冷凍庫から氷を取り出し、バーテンはラジーニの前に置いた。

「ほら。こうやってすぐに溶けてくる」

 ラジーニは氷の周りにできた水を指で撫でた。

「熱を吸収して、氷から水になっている。これが相転移だってことはいいよな?」

 ラジーニはバーテンの顔を見た。バーテンはうなずいていた。

「ホーキングが言っていたのは、これとは逆のような話なんだ」

「逆ってのは、水を冷やすと氷になるってことだろ?」

 バーテンは手を拭い、また別のグラスを取った。

「あぁ。だけど、その言い方だと、水に何かを加えているように聞こえる。実際には熱を奪っているんだ」

「まぁ、それはわかるよ」

「それで問題は、もし水が自発的に氷になったらどうかということなんだ」

「ならないだろ?」

「あぁ。普通はならない。だけどなったとしたら、その水は氷になる分の熱を放出する」

「そのあたりからだなぁ。そうしたら、その周囲の水の温度が上がるだけじゃないのか?」

「水の場合ならね。それとある範囲ならだ」

「熱が一定以上加わったら沸騰するだろ? そこもわからないんだよな」

「それは水だからだな。まぁ面倒な話もあるんだよ。だけど沸騰したとしても結果だけは同じようなことにはなるんだろうが」

 また別のグラスをバーテンは取った。

「だけど、今のヒッグスってのが水だとしたら、全部氷になっちまうって話じゃないか」

「あぁ。そうだな、ちょっと不安定になるんだ。そして、もしかしたらやっぱり水に落ち着くかもしれないし、もっと安定した氷になるかもしれない。その時に出る、まぁ熱が周りのものを不安定にし、それがまた氷になり、その際にまた熱出しというのが連鎖的に起こる。そういう仮説だ」

 バーテンは気になるようにカウンターの上の氷と、それが溶けた水を眺めた。

「でもヒッグスってのは残るんだろ? それが破滅に繋がるってのはどうしてなんだい?」

「ヒッグス粒子やヒッグス場の影響を受けているものの動きが変わってくるんだ。軽いカップかなんかあるかな。底が、テーブルにつく側にへこみがあるのがいいな。それとお湯も」

 バーテンは後の棚から条件に合いそうなカップを取った。

「お湯は?」

「注いでくれ」

 そうしたカップをバーテンはラジーニに渡した。

 ラジーニはそれをカウンターに置いた。

「今、こういう状態だとしよう」

 そう言い、カップをつついた。

「まぁ、動かない」

 バーテンはうなずいていた。

「だがね……」

 ラジーニは氷を退かし、残った水の上にカップを置いた

「こうすると」

 ラジーニはまたカップをつついた。カップは水の上を静かに滑った。

「まぁ、実際にどうかは知らないが、似たようなことが起こるんだ」

「大変なことになりそうだってことは、何となくわかるかな」

「それで充分だよ」

「そういう類いのことが街の加速器で起こるのかい?」

「いや、まぁ起きないだろうな。起きたとしても、すぐにその影響を受ける。とくにこの街なんかはすぐ近くだからね。そうなれば、何が起きたのかもわからないだろうな」

「そりゃぁ、よかった。どういう意味でも」

 ラジーニは氷をバーテンに手渡した。バーテンはそれを流しに放り込むと、カウンターの水を拭いた。

「なぁ、だけど、そういうことが、あるいはそれに似たことが起きたらどうする?」

「そう言われてもな。食うために仕事をして、その金で食って、寝て。あとはカミさんと話して。そんなものだろうな。世の中ってのはそんなもんだろ?」

「あぁ、そうかもな」

 ラジーニはぬるくなったビールを空けた。

「ビール一杯で悪かったね。でも話せて助かったよ」

「役に立ったなら、嬉しいね。どう役に立ったのかはわからないけどな」

 ラジーニは立ち上がり、バーテンに手を振って、パブから出て行った。


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