5−4: 老夫婦
老夫婦は、朝から数時間、街の中を歩いていた。時々、休憩をし、お茶をしながら。昼食は公園で食べた。家で作ってきたサンドイッチだった。
「想像していたのに比べれば、ずいぶんと静かだな」
夫がポツリと言った。
「えぇ。本当に」
妻は水筒から、お気に入りのブレンドのお茶をカップに注いだ。
「だが、あと一週間か? その間に状況は悪くなるだろう」
夫はカップを受け取った。
お茶を飲み、夫は遠くに目をやった。
「今朝、会ったあの男」
「クラーク・レイモンさんね」
「あぁ、そいつだ」
夫は肩からかけているバッグから、スレートを取り出し、その名前を検索した。冒頭に "The EAD+・クラーク・レイモン" が現われた。それを突き、しばらく中身を見ていた。
「あいつはあいつなりに何とかしようとしている」
夫は、また一つの動画を突いた。
「クラーク・レイモンです。集まった情報を見てみると、強奪などの件数は少ないようです。それよりももっと単純な、普段なら胸の内で燻らせて終るような、ちょっとした諍いが、今は大事になっているようです」
そこで夫は再生を止めた。
「私たちが見た限りでも、そのようだったな」
妻は横でうなずいていた。
「さて、私はこの男に、私にできることをやると言ってしまった」
「えぇ。それにセヴァロとラジーニにもね。もう二人とも観たかしら」
「かもしれないな」
そこでまた夫は遠くに目をやった。
「私にできることは何なのだろうな」
「それは、あなたでないとわからないわね」
夫は妻に目を戻した。
「その私が、何ができるのかわからないのだがね」
妻は軽く笑った。
「ずっとやってきたことをやればいいんじゃないですか?」
「ふむ」
「あなたに、他のことなんてできないでしょう?」
夫はサンドイッチのバスケットとカップを妻に戻した。
「あぁ。もっともだ」
妻はそれらを包み、バッグにゆっくりと入れた。
「セヴァロは、あなたが言っていたことを "The EAD" に書いていましたよ」
夫もスレートを自分のバッグに押し込んだ。
「あれだけの分量を書けるなら、それくらい当然だろう」
「えぇ。えぇ」
「だが、今必要なのは、そういう分量じゃないだろう」
「そうですね」
妻はバッグの口を閉じながら答えた。
夫は、妻がバッグの口を閉じ、それを肩にかけるのを見てから立ち上がった。
「さて、私にできることか」
夫は、バッグから一本の帯を取り出した。それを首から肩、そして腰へとかけ、流した。
それから、老夫婦はまた街の中を歩いた。
午後になると、午前中よりも諍いが増えて来ているように思えた。
老夫婦は諍いを仲裁しながら、歩いていた。諍いに出会うと、夫は息を吸い、首からかけた帯を両手で前に払い、胸を張ってそちらに歩き出した。
「教父さんは黙ってな」
諍いの片方、あるいは両方がそう言った。
夫はそれに答えるように、右、あるいは左の帯の端を持ち上げた。
「これでもかね?」
そこに刺繍された紋章を見ると、誰もが一旦は息を飲んだ。
「見たことがあるはずだね。それもつい最近」
夫はゆっくりと言った。
そこから先は、夫に怒鳴る者、泣く者、さまざまだった。
「ラジーニ・テイガーとセヴァロ・ハザウェイが書いたことに、あるいは書こうと考えたことに、私も少しは責任がある」
怒鳴る者にも、泣く者にも、夫は優しく言葉を続けた。
「どうかこの老人を悲しませないではくれないだろうか。この老人の愛弟子たちの行動は、信念を持って行なったことであり、その信念はあなたがたのありかたをも信じているのだから」
またしばらく歩いた頃、老夫婦はスーパーの前に着いていた。正面に車が着けられていた。
「始まってしまうのか」
夫はそう呟いて、様子を見ていた。
スーパーの中から、二人の若者が歩いて来た。だが、その手にはスプレーと缶が抱えられていた。
一人は脇により、どうやら動画を撮り始めているようだった。そしてもう一人は、スーパーの入口近くに何やら大きく書き始めた。
"They Watch You"
"TWY"
若者はそう書くと、老夫婦に振り向いた。
老夫婦はその二人に歩み寄った。
「違う。違う。違う」
夫は、そう言っていいながら、若者たちの前に立った。
「そうじゃない。貸してみろ」
夫は右手を、スプレーを持って、今書いていた若者に差し出した。
驚き、呆気にとられた様子で、その若者はスプレーを夫に渡した。
スプレーを受け取った老人は、既に書かれた文字の横に、大きく "T" とだけ書いた。
「これでいい」
夫はそれを見てうなずいた。
録画している若者に向き直り、言った。
「皆に伝えなさい。Theyであり、Theeであり、君自身の主格であるThouだ」
スプレーを返し、老夫婦は立ち去って行った。
最後のところは、"V"というドラマの1シーンから。




