5−1: 州政府
放送から16時間が過ぎようかという頃、ラジーニは書斎にいくつかのディスプレイを据え、それぞれにいくつかのチャンネルを映していた。音量は控えめに。それらの映像と音声を背景に、ラジーニは最期を書いていた。
何台かの車が家の前に停まる音がした。
書斎の窓辺に寄り、見てみると、パブのバーテンが率いていくつもビンやカンの箱を下していた。二人か三人、見慣れない顔もあった。
「トムが言ってた連中か?」
そう呟いた。二、三人ということはないのだろう。少なくとも数倍の人数をトムは貼り付けているのだろう。あるいは、住民の友人かもしれないが。
ラジーニは机に戻ると、続きを書き始めようとした。そこにポンと着信音が鳴った。
キーボードを叩き、受信した。ウィンドウが開き、見知らぬ顔が現われた。
「テイガー博士? 州政府の者です」
その言葉と同時に、ウィンドウの右下にその認証を示す通知が表われた。
「昨夜から州政府の委員会が開かれていたのですが、そこでの決定をお知らせいたします」
「州政府?」
「はい」
ラジーニは正面のディスプレイも、横の、そして後のディスプレイも眺めた。何かが映っていると思ったわけではなかった。数秒、考える時間が欲しかった。だが、思い当たる用件はなかった。
「どういう決定ですか?」
正面に向き直り、答えた。
「あなたの、いわゆる "The EAD" ですが、それと昨夜公開された、そのいわゆる結論ですが、撤回していただきたい」
「撤回?」
「えぇ」
「えーと。どういうことですか?」
「今、述べたとおりです」
「あぁ、それはそうとして、理由は?」
ディスプレイの中の顔は、ラジーニの後を見た。
「言うまでもなくご存知だと思いますが。州に限らず、国においても、地球においても犯罪が急増しています」
「そのようですね」
「その発端となったのは、あなたの "The EAD" だということは明らかですね?」
「ふむ」
ラジーニはディスプレイに "The EAD" と、昨夜公開した結論を表示し、それらの表示を向こうにも表示するようにキーボードを叩いた。
「"The EAD" の本編が公開されたのは一週間前だ。それから増加していると?」
「委員会はそう結論しています」
「ふむ」
ラジーニは州警察のチャンネルにアクセスした。その表示を向こうにも表示するように操作した。
「見てわかるとおり、この一週間で増加したとは言えないと思うが?」
「ですが、委員会はそう結論しています」
「ふむ」
ラジーニはさらにこの24時間の犯罪発生件数を表示した。
「増加したというなら、この24時間以内だと思うが?」
「では、犯罪の増加に関与しことは認めるのですね?」
「一週間で増加したのか、24時間で増加したのか、どっちなのかな?」
「そこは問題でないことは明らかでしょう。"The EAD" が関与しているという事実と結論が重要なのです」
「事実? どこをどう見て事実だと言っているのか教えて欲しいな」
ディスプレイの中の男は溜息をついた。
「では委員会の命令に従わないということですか?」
「従う、従わない以前のことを問題としているのだけどね?」
ディスプレイの中の男はもう一度溜息をついた。
「よろしいですか、テイガー博士。委員会は規則と法律に従って、あなたに命令を下しています。もしあなたがそれに従わないということであれば、別の方法を取ることもありえます」
「ふぅん。規則と法律だって? それが今、何の役に立つんだい?」
「昨夜の番組で、あるいは "The EAD" において、あなたは知性の重要さを訴えていますね?」
「あぁ。読んでくれたのか。ありがとう」
「規則や法律はその知性の集大成ではありませんか? それをご自身で否定なさるのですか?」
ラジーニは首を振った。
「いいか、考えろ。知性の集大成が規則だって? なら、君たちは人間であることを放棄するんだな? 初歩的な人工知能の段階さえ放棄するんだな? 誤った「事実というもの」に従えば、誤った結論しか出てこないぞ」
「事実は、犯罪発生数が増加しているということです」
「いいかね」
ラジーニは一旦言葉を区切った。
「事実とは目の前にある綿飴だ。口にすれば甘いし、何かを口にしたと思うだろう。だが、綿菓子を握ってみろ。残るのは何だ?」
「何を……」
ディスプレイの中の男はそう言いかけた。それにラジーニは人差し指を左右に振り答えた。
「綿飴は、そこに残るものも、あるいは綿飴の向こうにあるものも覆い隠してしまう。見えないことすら、見えないと気づかないことすらある。残るもの、その向こうにあるものを何と呼んだらいいのかは知らないが」
「つまりあなたは私たちも委員たちも侮辱するのですか?」
その言葉にかまわず、ラジーニは続けた。
「それを事実だというなら、それでかまわないだろう。だが事実などは問題じゃない。事実の向こうにあるものこそが問題なんだ」
「この通話は録画されており、後に委員も見ますが?」
「そして私はそんな事実とやらで充分だとは判断しない。綿飴で満足している人間を、どうすれば、そんな人間を信用できる? そんな人間が何を言っていると思えばいい?」
ディスプレイの中の男は少し間を取って答えた。
「後ほど、担当の者が伺うと思います」
そう言い、通信は切れた。
ラジーニは窓辺に寄り、窓を開けて大声で行った。
「あー、どうやら面倒なお客さんが来るらしい」
家の周囲に集まっていた人々は、手を挙げて応えた。




