3−4: お茶会
ラジーニはウーラの先に立ち、ミーティングを行なったセヴァロの部屋へとエスコートして行った。
「ありがとう、ウーラ」
お茶を用意してきたウーラを見て、ナオミはセヴァロの隣から声をかけた。
「セヴァロから聞いたけど。セヴァロも私たちも感謝しているわ」
ウーラはセヴァロの机に盆を置き、カップにお茶を注ぎ始めた。
「どうってことないけど。ナオミ、あなたも私と似たようなものでしょ? 小さい頃に少しこの街にいたとがあるって言っても」
「確かにそうね」
そう答えながら、ウーラが差し出したカップをナオミは受け取った。
セヴァロとラジーニもカップを取り、各々が手近な椅子に腰を降ろした。
「セヴァロと話したんだけど」
ナオミが皿とカップを腿に置いて言った。
「セヴァロも私も恐いのは、天の書トリロジーと、結局はそれに基づく法律も、意味を持たなくなるということ」
「あぁ、それはウーラとも話した」
ラジーニはお茶を飲み、応えた。
ナオミはその言葉にうなずき、続けた。
「最後に頼れる神も法もなくなるわ。だけど、命に関することがらだけが残るでしょうね。戒めの順序とは違うけど、法律や慣習も考えると、残るのは命に関することがらだけ」
「えぇ。そのためなら奪うでしょうし、人を殺めもする」
ウーラはうなずいた。
「そして、その鎮圧のために警察も、もしかしたら軍も出るだろう。市民警備団、州軍、連邦軍も。それで納まる話じゃない。ただ混乱が残るだけだ」
ラジーニは、カップを眺めながら付け加えた。
「救いがあるとすれば、いつ起きるのかもわからないし、起きないのかもしれないということか。起きない場合、私たちはそうとう叩かれるだろうが」
セヴァロはやはり悲しそうな目でラジーニを見た。
「私たちじゃないよ。私だ。そうなるようにする」
「結局、神の戒めが今になっても法律の基盤だ」
セヴァロは何も映っていないディスプレイを見た。
「天の書トリロジーが書かれた時代、帝国はあったが。それは失なわれたからね。それにこの文化圏だけでもない。どこでも似たような文書が存在し、同じようなことが書かれている。生存が第一だとね。それがあらゆる戦争を引き起こし、また引き起こし続けている」
セヴァロは溜息をつき、続けた。
「だが、これはそれを一切無にするものだ。社会はどうなる?」
「社会なんてものは、もう残らないよ」
ラジーニが呟いた。
「消える前の一瞬だとしても、混乱が起こるだろうことは賭けてもいい」
セヴァロのその言葉にラジーニは笑った。
「教父が賭けていいのか?」
「こうなればね」
「実際私も賭けていいわ」
ナオミが応えた。
「神も法も意味を持たないなら、あとは自分だけが生きる根拠になる。だけど、教院では、他の教院では、そして法律もそういうふうにはできていないもの。どう言えばいいのかしら。基準を外に置いているの」
「その言い方はうまいわね」
ウーラが応えた。
「神が見ている。法が見ている。結局はそれだわ。法も権利も何もかも、そんなものは存在するのかしら。ないものについていくら書こうとも、やはり何もないままよね。法や権利という天使は、針の先で踊れるのかしら。セヴァロと話していると、そういうおかしな事も考えるわね」
ウーラはそう言い、セヴァロに目をやった。
「それに、わざわざ書き出さなければならないことは、他にもあるわね。そうでないと、人間は何をするかわからない。本当にそうなのかしら」
「何をするかわからないとは、私は思わないけれど。実際にはそうなんだろうな。うん。何もないままか。天の書トリロジーがあったって、そういう神はいやしないしな。どういう意味でも存在しないものがすべての根拠か。それが人間なのかもな。10万年か? ずっとだ」
そう言い、セヴァロはやっとカップに口をつけた。
「先代もね、教会とまではいかずとも、周囲の教院には働きかけていたんだ。私もだがね」
セヴァロはもう一口飲んだ。
「ただ、私には説得する根拠がなかった。いや、先代もそれを根拠、いや根拠と言うには弱いが、これを材料に働きかけてはいた。結局無理だったんだが」
「何か方法が?」
ラジージはセヴァロを凝視めた。
「あぁ。私にできる唯一の説教はこれだろうな。つまりは戒めの順番の話なんだ」
そう言うとセヴァロは机の上でキーボードを操作した。ディスプレイには神の戒めが表示された。
1: 神は唯一であり、すべてである
2: 偶像を作ってはならない
3: 神の御名をみだりに唱えてはならない
4: あなたは、労苦を逃れようとしてはならない
5: あなたは、労苦を与えるものを敬わなければならない
6: あなたは、神の祝福の日をよろこびとしなければならない
7: あなたは、自らを殺めてはならない
8: あなたは、人を殺めてはならない
9: あなたは、姦淫をしてはならない
10: あなたは、盗んではならない
11: あなたは、隣人のものを欲っしてはならない
12: あなたは、隣人を偽ろうと試みてはならない
13: あなたは、神を偽ろうと試みてはならない
14: あなたは、神を試そうとしてはならない
15: あなたは、神に頼ろうとしてはならない
「便宜上、番号と、あと空行を入れてある」
皆がディスプレイを凝視めた。
「4が7より先に書かれているということだ。それと5の与えるものが何なのかが書かれていないこと」
「それで?」
ラジーニが促した。
「昔は、いやまぁ今もそうなんだが、労苦を与えるものは神であり、社会の序列において上位のものと解釈されてきた」
皆がうなずいた。
「だが、それは今となっては違う。それは自分自身であるとするんだ。そうすれば、7にもうまく繋がる」
「つまりどういうこと?」
ウーラがセヴァロを見て言った。
「つまり、4と5における『労苦』とは、与えられるものを指しているのではなく、生きかたなのだと考える。そして自分自身のあり方こそを殺めるのは問題だろう、先代は言っていたんだ。結局は、ナオミとウーラが言ったように、戒めの全体として、自分が何者なのかは、自分で決めろということかな。まぁ、この街以外では結局受け入れられなかったが」
「それは、そんなに問題なのか?」
ラジーニはお茶を飲み、ディスプレイを眺めてから言った。
「あぁ。ここでは、あるいは少なくとも僕たち二人には何の問題でもない。先代から、結局はそう教えられて来たから。私にできる唯一の説教はこんなところだろうな。どういう意味でも存在しないものを根拠とするよりは、はるかにましだ」
セヴァロはそう言って溜息をついた。
「その説教が役に立てば、だけど」
四人とも、ディスプレイを見て、黙っていた。