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白いこんぺいとう

作者: 如月おと

 こんぺいとうが、転がった。

 大切な、大切な白いこんぺいとうが。

 私は右手をゆっくりと伸ばし、親指と人差し指でつまんだ。

 そして、口の中へ――。

 少しも甘くない、白いこんぺいとう。

 口の中で水分を得ると、それは半透明になり、まるで宝石のように鈍く光っている。

 ……綺麗。

 この瞬間のために、私は白いこんぺいとうと手鏡をいつもそばに置いていた。

 鏡の中の自分に微笑みかけ、わずかに開いていた口を閉じる。

 そして――白い宝石を、がりっと噛み砕いた。


 朝になり、部屋の中に母がやってきた。

「あら、また白いこんぺいとうばかり残して……」

 いつも通り、私の身の回りにあるものを整える音が聞こえてくる。

「また新しいものを買ってこないとね。灯子とうこは本当にこんぺいとうが好きね」

 反応しない私に、母は毎日同じ調子で話しかけてくる。

 耳のすぐ傍で、からん、と瓶の中のこんぺいとうが鳴った。

 瓶を持ち上げ、私を見つめている母の気配がする。

「それじゃ、またお昼にね」

 おそらく寂しげな表情をしているのだろう。

 母の声にわずかな震えが感じられた。

 ふすまが閉まる音を合図に、私はそっと瞳を開いた。


 私はあらゆるものから自分を遮断していた。

 母が部屋に来る時間は決まっている。

 だから、その時間は眠ることにしていた。

 私の眠りは浅いから、母が来るといつも途中で目が覚めた。

 彼女は私を起こしたいのかもしれない。

 わざと大きな声で話かけているのかもしれない。

 けれど、私は決して瞳を開かないでいた。

 たった一人、私に会いに来てくれている母に対しても……。


「灯子、こんぺいとうを買ってきたわよ」

 昼になり、母が私の枕元に新しいこんぺいとうの瓶を置いた。

「残っている白いこんぺいとうは、たくにあげるわね」

 母は弟の名前をつぶやき、白いこんぺいとうが入った瓶を手に取る。

「拓は灯子と反対で、白いこんぺいとうが好きだからね……」

 母の言葉の語尾がまた揺れているのを感じた。

 私も拓も、もうとっくにこんぺいとうを喜ぶ年ではなかった。

 私のせいで――時が止まり、気持ちが留まり、空気が苦くなって。

 日の光を避け、闇を見つめるばかりの生活。

 もうどのくらいこうして過ごしているのだろう。

 ふすまが閉まると、私はまたゆっくりと瞳を開いた。


 拓が白いこんぺいとうを好きだった。

 拓は私のことが好きだったから……。

 私が選んで白いものばかりを食べていたから、それをよく真似をしていた。

 そんなことを思い出しながら、私は新しいこんぺいとうの瓶を手に取った。

 すっかり細くなった腕に思いっきり力をこめて、蓋を回す。

 ――からん。

 勢いよく開いた蓋が、畳の上に落ちてしまった。

 同時に、色とりどりのこんぺいとうが小さな音を立てて様々な方向へと転がっていく。

 ……ああ、音を立ててしまった!


「灯子?」

 私の音に敏感に反応して、母がふすまを開いた。

 おそらく母の目には、畳の上に散らばったこんぺいとうが映っているのだろう。

 拾いきれなかったこんぺいとうたちは、暗い部屋の中、ふすまの向こうから漏れる光を集めて反射しているだろうから。

 私はいつもと同じように眠ったふりをしていた。

 そして、ひたすら母が去る時を待っていた。

 しかし――。

「灯子、お願いよ……」

 母の静かな泣き声が響く。

「お願い。私に目を見せて……! 声を聞かせて……!」

 かすれた声で泣き続けている。

 それでも、私は決して瞳を開かなかった。

 開くわけにはいかなかった。

 反応すれば、母を苦しめるから。

 母を苦しめれば、拓を悲しませることになるから。

「灯子……」

 私の名を優しくつぶやく母。

 私はあなたを愛しているから。

 私は拓を愛しているから。

 だから、私をそっとしておいて。

 私は二人をなくしたくないのだから……。


「灯子姉さん!」

 拓の声がした。

 彼が部屋に来てくれたのは、かなり久方ぶりだった。

「姉さん。父さんが死んだのは、姉さんの目のせいじゃなかったんだ」

 拓は落ち着いた声で、私に向かって話している。

「父さんは心臓の病で死んだんだよ。突然だったのは発作が起きたからで……これを調べるのに、何年もかかってしまったよ」

 ……何年も?

「母さん、ただいま。たくさん待たせてごめん」

「拓……!」

 母が拓に抱きつく音が聞こえた。

 衣擦れの音で、拓が抱きしめていることもわかった。

 だけど――拓の言葉の意味だけがわからない。

 私が鬼だから。

 鬼の瞳に変わってしまったから、父は死んでしまったというのに……。

「姉さんのせいじゃない。姉さんは化け物なんかじゃなかったんだ。だから、安心して僕たちに顔を見せて。目を開けて、僕たちを見て……」

 畳の上を歩く音が止むと、大きな手が私の頬を包み込んだ。

「姉さん、ほら……」

 優しい拓の声に誘われて、私はついに――瞳を開いた。


 白い光が、まるで瞳に刺さるように、細かく降り注いでくる。

 ぼやけた視野の中、愛する二人の顔が映り込んできた。

 白い髪が多くなり、少し痩せた母の姿。

 背が高くなり、泣き笑いの表情で私を見つめる拓の顔。

「おか、さん……た、く……」

 久しぶりに発音するからか、声がかすれ、途切れてしまう。

「大丈夫。僕たちは姉さんの目で死んだりしないから」

 そう言って、拓は私の体を抱きしめた。

 ……温かい。

 手には母の手が重なり、涙で濡れた瞳が私の瞳を貫くように覗いていた。

「灯子の瞳は綺麗よ。綺麗な紅色。人を殺めるような、そんな物騒なものなんかじゃないわ」

 母の声はいつも聞くものとは違い、力強いものだった。


 私の瞳が紅く染まった日――父は私の目の前で亡くなった。

 すると、皆が口を揃えて言った。

 灯子が鬼になった、父をその瞳で殺したんだ、と。

 恐ろしくなって、泣きながら家に入った。

 部屋に閉じこもり、悲鳴のように叫んだ。

 母も、拓も、そんな私には近づけなかった。

 自らを壊すように、とにかく泣いて、叫んでいた。

 やがて――。

 声も、涙も枯れ、暗闇と静寂が私を包み込んだとき、私はそっと瞳を閉じたのだった。

 

「人の話なんて、気にしなくていいのよ……」

 母がもう一度、言った。

 拓が私の体から離れ、畳に落ちたこんぺいとうを拾った。

 白いこんぺいとうを。

「姉さん、白いこんぺいとう、好きだったよね」

 そう言うと、拓は私のてのひらにこんぺいとうをのせた。

 私はそれを口の中へ――。

 少しも甘くない、白いこんぺいとう。

 口の中で水分を得ると、それは半透明になり、まるで宝石のように鈍く光っている。

 ……綺麗。

 手鏡の中には、紅の瞳の自分と白い宝石のようなこんぺいとう――そして、優しく見守る家族が映っていた。

 鏡の中の自分に微笑みかけ、わずかに開いていた口を閉じる。

 そして――白い宝石を、がりっと噛み砕いた。




(完)

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