滅亡前の1ヶ月
1 プロローグ
20XX年6月、地球に超巨大隕石が衝突するとの発表が出された。
隕石の大きさは、直径600㎞を超えるとされ、これまでシミュレーションされてきた隕石の、遥か上をいく大きさである。
これまでの隕石衝突のシミュレーションでさえ、地球は壊滅する、との見方がされてきただけに、今回の発表は、人類にとって絶望的な事実となった。
発見された当初、地球に衝突はさせまいと、各国の技術を結合して、隕石の軌道を変えようと試みた。しかし、凄まじいスピードで接近してくる、600㎞もの物体の力を変える技術力は、まだ人類に与えられてなく、数々の試みは失敗に終わっていった。
そして、いよいよ衝突まで残り1ヶ月となった先日、もう手は残されていない、との発表が出されたのだ。
政府は、残された時間は精一杯生きましょう!まだ希望を捨ててはいけません!、と力強く語っていた。
加えて、犯罪増加を抑えるため、本当かどうかわからないが、今から犯罪を犯した人物は、問答無用で即日死刑に処す、という発表もされた。
最後に、我々は誇り高き生物である。最後まで人間らしく生きましょう、と言って言葉を締めた。
隕石衝突まで残り1ヶ月。
あなたなら、何をして過ごしますか?
2 1ヵ月前
1
隕石が衝突するとの報道を受けて、世界中がパニックに陥っている。
もちろん俺の周辺でも、天地が引っくり返るほどの衝撃が走ったようで、皆一様に、残りの時間はどうしようか?と躍起になっていた。
学校は当然閉鎖となり、会社勤めをする社会人も、多くの人が退職していった、という報道がされた。もう助からないという事を悟ったのだろう。だからせめて、残りの時間は自分のために使いたい、という当然の考えであると思う。
そんな中、俺の父は律儀な人なのか、単に意見の言えない人なのかわからないが、社長に来るな、と言われるまでは会社に行く、と今日も朝7時に家を出ていった。もう給料は入らないのにね、と父を見送る母の表情は、寂しげであったと同時に、こんな人だから結婚したのよ、と言っているようにも見えた。
俺は学校が閉鎖されます、という報告を聞くまでもなく、行かない事に決めていて、その事を母に告げると、普通はそうよね、と笑っていた。2つ下の、来年卒業を控えた中学生の妹は、俺とは違い、最後まで通おうとしていたようだ。
隕石の衝突が、1ヶ月後に迫ったという報道を受けたその日から、テレビ番組は全て、過去の番組を再放送するという形式に変わった。
祖父母を加えた家族6人で、昔大人気だったバラエティ番組を見ながら夕食を取っていると、父がこんな事を言い出した。
「彼女とは上手くいってるのか?直也」
彼女とは、高校で初めてできた同級生の子で、付き合ってまだ2ヶ月しか経っていない関係だ。
俺は、あとどのくらいの時間を一緒に過ごせるのだろう、と考えて悲しくなった。
残り1ヶ月。その時間は両親や友達、そして、大切な彼女と一緒に、悔いのないように過ごそう。
2
俺はこの日、15時過ぎに起床した。パソコンを開いて、ニュースサイトにアクセスした。隕石の衝突が1ヶ月後に起こり、地球は高確率で滅亡します、という事が、でかでかと書いてあった。
俺はニュースサイトを閉じると、いつものように動画サイトを開いて、お気に入りの面白動画やアニメ動画を見始めた。
1時間もすると腹も減り始め、冷蔵庫に入れてあった冷凍の唐揚げと、冷えたご飯を温めた。唐揚げを電子レンジから取りに行く時に、
「祐介、たまには一緒に夕飯食べないか?」
と父に言われたが、素っ気なく、いいよ、と答え、部屋に戻って1人で食べた。
両親はつい先日仕事をやめ、毎日家でテレビを見て過ごしている。
遠く離れた地に嫁入りした姉は、残りの時間はこっちの家族と共に過ごす、と泣きながら電話を掛けてきたらしい。
俺はその話を、部屋の扉越しに母から聞いた。その時も興味なさげに、わかった、とだけ答えた。
俺がこの生活を送るようになってから、もう5年目になる。大学を卒業し、それなりの企業に就職したが、人間関係や仕事が上手くいかず、8ヶ月で退職した。その後、実家に帰ってきて、ずっと自室に引きこもった生活を送っている。
姉の結婚式にも、理由を付けて出席しなかった。こんな俺に、両親は未だに優しくしてくれるが、その優しさが逆に辛かったりもする。
こんな事態になっても、家族と一緒に食事を取る事もせず、1人パソコンの前に座り、1日を終える。
こうして何も変わらぬまま、残り1ヶ月も過ごす事になるだろう。
正直地球が滅亡するという事を聞いた時は、自分にとって願ってもない事だ、と不謹慎にもガッツポーズを取ってしまった。
これで自分の人生も終えられる。
人生勝ち組の奴らざまあみろ、と。
3 2週間前
1
巨大隕石衝突という、人類史上空前の大発表から、2週間が経った。
この2週間の間、昼間は学校の友達や彼女と共に過ごし、帰ってきては家族と夕食を取り、その後しばらく一緒にテレビを見て、部屋に戻って就寝する、といった生活を続けてきた。
この日も同じように、昼間は幼稚園の頃からの親友の家に集まり、同級生5人で、延々と馬鹿話やら昔話やらをしてきた。
つい半年前までは、こんな楽しい時間が、いつまでも続くと思っていた。それが、4ヵ月前に今回の巨大隕石が発見された、というニュースが流れ、2ヵ月前に地球に衝突する軌道だ、とわかり、そして2週間前に激突は避けられない、と発表された。
それからは街中、日本中、世界中が大パニックになった。少しでも安全な地へ逃げようとする人もいたが、どこへ逃げても一緒だという事は明らかだった。
ならばせめて、残りの時間は楽しく、悔いのないように生きよう、という風潮になっていった。
一番心配された犯罪の増加だが、政府の発表が効いたのか、日本人の国民性なのか、予想されたよりは多くないらしい。それでも、以前よりは増えているらしく、テレビ番組の合間には、政治家や有名タレントが登場し、
「犯罪行為はやめましょう。私達は人間です」
と訴える、犯罪抑止狙いのコマーシャルが流れた。
同級生との話は盛り上がり、気付けば18時を過ぎていた。
急いで家に帰ると、既に父も帰宅しており、夕飯が用意されていた。妹に、遅いよもう~、と言われ、悪かったよ、と苦笑いしながら食卓に着いた。
この日は、大好きなハンバーグだった。後1回は食べたいな、などと思いながら箸を進め、3杯ものご飯を胃に流し込んだ。
夕飯を食べ終わり、俺はソファに座って、10年前に放送された料理番組の再放送を見ていた。するとお風呂から上がった祖父も一緒になって座り、神妙な顔つきで話しかけてきた。
「大変な事になったなー」
「うん」
俺が答えると、祖父は少ない髪を、タオルでワシャワシャと拭き始めた。
「オラなんかはいいけど、直也みたいな若い子達はかわいそうだよな」
この地域の方言では、自分の事をオラ、というらしく、昔から面白いな、と思っていた。祖父はリビングを1周見回した。いつも、この時間にはまだいるはずの妹がいないのが、気になったようだ。
「由美はもう寝たのか?」
「部屋で電話でもしてるんじゃない?」
「そうか。由美なんかはまだ15年しか生きてないのにな…… 本当何の罪があるんだか……」
祖父が俯く。
「みんな一緒だから仕方ないよ」
「直也は強いな。もう割り切れてるのか?」
「割り切れてるわけじゃないけど…… どうせ結果は変わらないんだし、だったら最後まで楽しく生きたいから」
「そうか、じゃあオラも最後まで楽しく生きてやるさ。変な話してごめんな。おやすみ」
そう言うと、祖父はタオルを洗濯機の横の籠に入れ、寝室へと入っていった。
その後しばらくテレビを見た後、風呂に入り、22時前に自分の部屋に戻った。そしてベッドに横たわり、早く掛かってこないかな、とそわそわしていると、電話が鳴った。
「起きてる?」
「起きてるから電話に出たんだよ」
いつもの会話から始まる、至福の時間がやってきた。
「今日は何してた?」
「んー、敏行の家に集まって、みんなでバカ話してた。美香は?」
「私は妹と一緒に映画見てきたよー」
「相変わらず仲良いんだな」
「何だよ、いいじゃんかー」
1時間弱、他愛もない話をして、電話を切った。
美香とは2ヵ月前の春から付き合っている。綺麗系の顔立ちに反して、明るく誰とでも仲良くできる性格なので、学校の人気者だった。そんな美香の事を、1年の時から好きだったが、告白する勇気もなく、2年に進級してしまっていた。
今回の事態を機に、どうせ地球が終わるなら、との気持ちで思い切って告白した所、奇跡的にOKを貰ったのだ。
美香と付き合うようになってから、毎日が楽しくて仕方ない。だからこそ、こんな日々が失われるのが、本当は怖い……
出来る事なら、家族や友達、そして大切な美香と一緒に、ずっと生きていたい……
2
今日はいつもより早く目が覚めた。時刻を見ると、昼の12時を回った所。
起きたらまずはパソコンの電源を入れて、インターネットを開く。相変わらずニュースの一欄は、隕石衝突の件で埋め尽くされている。
俺は、例のごとく動画サイトにアクセスして、外人がバカをやる瞬間を捉えた動画を視聴する。
この動画を見つけたのは、隕石が発見された、という発表があってから4日目の事で、以来毎日のように視聴している。
動画の外人は、ロケット花火を尻の穴から発射したり、逆立ちでランニングマシンに乗ったり、エアバッグで自分の体を飛ばしたり、その文字通りバカな事ばかりやってる外人に、いつ見ても笑ってしまう。自分もこんな風に楽しく生きてみたいな、という思いを馳せながら、しばらく鑑賞した。
その後、様々な動画を見て時間を過ごした。普段は押し殺すように、口元で笑いを堪えるばかりだったが、今日は笑い声を気にする必要もない。面白いと感じたら、手を叩いて大笑いし、楽しんだ。
というのも、昨日の夕方から両親は、遠く離れた地で暮らす姉の元へ向かったからだ。もう最後だから、と一応俺にも声を掛けてくれたが、行くわけないだろ、と心の中で思いながら、冷たく断った。
両親は、地元の名物の、動物を象った最中と、孫へ上げるおもちゃをお土産に、2泊くらいしてくる、と告げて昨日の17時過ぎに、家を出ていった。
残された俺は、両親が出ていった瞬間、厄介者が消えたかのような気持ちになり、気分が向上した。こんな日はもうない、との思いから、中々寝付けず、やっと寝れた、と思ったら、すぐに目が覚めてしまったわけだ。
18時前までインターネットをして過ごし、宅配ピザを頼んで腹一杯になった所で、母親からメールが来た。
「夕飯はもう食べた?留守番よろしくね」
返信するのを躊躇ったが、変に心配されても困る、と思い
「大丈夫だよ」
とだけ返信して、携帯を置いた。
1人で過ごせるのは後1日。明日は何をして過ごそうか、と思いながら風呂に入り、珍しく0時前に就寝した。
目が覚めると、時刻は午前7時前。昨日よりも更に早く、会社勤めをしている頃のような時間に目が覚めた。俺はカーテンを開けて外を見る。久しぶりに見た朝日が、眩しく輝いていた。
携帯に目を向けると、メール受信を知らせるランプが光っていた。確認すると、母からだった。きのう俺が送ってから、20分後に返信されていた。内容は、
「それはよかった。お姉ちゃんに最後に伝えときたい事はある?」
というものだった。家族の恥である俺が、姉に伝える事なんてあるわけがない。
俺は母親からのメールを削除すると、ベッドに腰を掛け、何となしにアドレス帳を開いてみた。登録人数は、たったの12件。
両親を抜かした残りの10件は、就職支援センターが3件と、ネットで知り合った女の子が2件、後はよく使う通販会社や古本屋が5件というもので、そこにリアルな友達や知り合いの名前は、1人もない。
自ら連絡を絶つようになってから既に5年。友達や知り合いが今、どのような生活を送ってるか知る由もない。
5年前、会社を退職した俺は、やけになり携帯を叩き壊した。2ヶ月後に新しいものに変えたが、それ以降誰から連絡があっても無視し続け、約3年前に、俺への連絡は完全に断たれた。
最後に連絡をしてくれたのは、26歳の時に、同級生だった鈴木だ。幼稚園から高校まで一緒で、親友だった杉山貴志の父親が亡くなった、という知らせだった。
通夜に参加しないか?というメールだったが、行けるわけがない、と返信もせず、メールを削除した。
そのメール以降、誰からの連絡も来ていない。来るのは迷惑メールと、就職支援センターからの電話と、両親からだけだった。
転職して、人生修正できたら、杉山貴志にだけは謝りにいこう、と考えて、当時は必死に資格の勉強をしたり、面接に赴いたりもした。
しかし月を増すごとに、やる気が減少していき、とうとう1年前からは何の活動もしなくなってしまった。
5年前から、何の状況の変化も得ていない自分に、心の底から呆れ返り、心の底から落胆する毎日だった。自分なんか早く死んだほうがいい、と何度思っただろうか。
今回ようやく、自分とさよならできる、と考えると、死の恐怖より安堵感のが優ってしまっている。
俺は結局、早くに起き、最後の1人で過ごせる日だというのに、朝からパソコン前に腰を掛けて過ごし、気付けば19時になっていた。
夕飯何を食べようか考えていると、またも携帯が鳴った。この時間に連絡してくるのはあの人しかいないな、と携帯を開くと、案の定母からだった。
「明日帰ろうかと思っていたけど、明日は新幹線がものすごく混むという事なので、今日帰る事にしました。帰りは遅くなるので、鍵は閉めといてね」
今日帰って来るのか……
まあ、別に1人になっても、やれる事が変わらないのはわかったし、別にいいか。
俺は言われた通り、玄関の鍵を閉めると、カップラーメンを食べ、風呂に入った。
部屋に戻ってくつろいでいると、早起きしたからだろうか、猛烈な睡魔が襲って来た。俺はそのまま、20時過ぎに眠りについてしまった。
翌朝5時前に目が覚めると、部屋の隅に封筒が置いてあり、中には姉からの手紙と、3万円が入っていた。
俺は手紙を封筒に戻し、押入れの小物入れにしまうと、3万円をサイフに入れ、再び眠りに付いた。
4 1週間前
1
9時40分
俺はバスで、新幹線が停まる地元で一番大きな駅に着いた。
駅前の噴水周辺に置いてあるベンチに腰を掛け、到着を待つ。
待ち合わせの時間には、まだ大分時間がある。1分でも早く会いたい、という気持ちから、少々早く家を出過ぎたようだ。
駅前というだけあって、周囲は賑やかだ。若いカップルから、老夫婦、小さい子供を連れた家族から、高校生くらいの集団の女の子達まで、様々な人が行き交っている。
みんな、あと1週間で自分という存在がなくなるというのに、やけに明るい。そう見えるだけで、本当は自分みたいに、内心怖がってるんだろうな、と思うと、みんな嘘つきに見えてきた。中には俯いて、生きる気力をなくしたみたいに歩いてる男性もいたが、その人のが、自分に正直に生きている、と感じた。
あと1週間しかないのか……
なるべく考えないようにして過ごしたいが、日が近づくにつれ、どうしても頭をよぎってしまう。昨日も早く寝ようと、美香との電話が終わったら、すぐに布団に入ったが、美香とあと一週間で会えなくなるのか、と考えてしまった瞬間、怖くてたまらなくなり、寝付くのに2時間も掛かってしまった。
おかげで今日は少し寝不足だ。しかも今日は、雲一つない快晴で気候も丁度よく、嫌でもウトウトしてしまう。
俺が着いてから15分ほど経った。もうすすぐ待ち合わせ時間だなー、と思っていると、後ろから少し早めの足音が聞こえた。
俺は直感し振り返ると、
「おまたせ、直ちゃん。ちょっと寝坊しちゃったから、走ってきたよ」
笑顔で息を切らした美香が立っていた。
美香は俺とは違い、いつも待ち合わせ時間ギリギリに登場する。そんな美香に対し、
「遅いよ、もうー」
というのが、俺の楽しみでもあった。
2人は、手を繋ぎながら駅前通りを歩くと、美香の行きたがっていたファッションビルに入った。
2時間近く店内を回ったが、結局美香は何も買わなかった。
時刻は12時になり、お腹も空いたので、ファーストフード店に入る事にした。
俺はハンバーガー2個とポテトとコーラ、美香はハンバーガーと烏龍茶を注文した。
ラッキーな事に、禁煙席の一番端っこが空いていたので、そこに座って食べ始める。
朝から何も食べていなかった俺は、勢いよくハンバーガーを頬張り、ポテトを間に摘み、コーラで流し込んでいく。
美香は、そんな俺を笑顔で見つめながら、ハンバーガーを少しずつ千切って食べていた。
「そんだけで足りるの?」
俺が、ポテトを数本鷲掴みにしながら聞く。
「うん。足りるよー」
美香が軽快に答える。
「嘘つけ。そんだけで足りるわけないだろ?」
「アハハ、バレた?実はちょっと太ったから、ダイエットしてるんだよね」
「ダイエット?後一週間しかないのに?」
咄嗟に言葉が出てしまった。一瞬場の空気が澱む。数秒の沈黙が流れた後、
「女の子はさ、最後まで綺麗でいたいんだよ。好きな人に、自分を好きなままでいて欲しいしね」
美香はそう言うと、烏龍茶のストローに口をつけ、飲み始めた。俺は、ごめん、と言って、残りを食べた。
腹を満たした2人は、その後映画を見て、夕方の駅前通りを、用もなくブラブラ歩いた。
「ねえ、私達もあんな風になりたいね」
美香がほっぺたを掻きながら言う。あんな風にとは、先ほど見た映画のカップルのように、という意味である事はすぐにわかった。
映画の中身は、身分の違う男女が、様々な困難を乗り越えながら結ばれる、といったありきたりな内容で、俺は上映中、何度もあくびを堪えるのに必死だった。
美香はというと、最初から最後まで、画面に目が釘付けとなっており、終わった後も、しばらく感傷に浸っている様子だった。
「なれるに決まってるだろ」
このまま時が続くなら……
俺は言葉を放った後に、どうしようもなく寂しい気持ちになった。
顔には出さず、1時間ほど歩いた所で、17時を知らせるチャイムが鳴った。
俺は、美香を駅のホームで見送ってから、バスに乗り、家路に着いた。
家に帰ると、ようやく仕事を辞めてきた、という父が、1個300円もするシュークリームを買ってきてくれていた。
俺は、そのシュークリームを夕食の後に食べると、1番目に風呂に入り、就寝した。
後1週間で、本当に自分が死ぬんだ、という事が未だに信じられないでいた。
2
9時30分
俺は1人電車に乗り込み、目的地に向かった。
電車はあっという間に満員になり、俺の座っていた4人掛けの座席にも、人が座ってくる。到着するまでは外の景色を眺めていようと思っていたが、俯いて寝たふりをしてしまった。
やはり、人目が気になってしまう。誰かが俺の事を見ている、と考えてしまった瞬間、心臓が張り裂けそうなくらい緊張し、上手く話せなくなったり、胃が痛くなったりしてしまい、顔を上げていられなくなるのだ。
おまけに辺りは、何人かのグループやカップルばかりで、俺みたいに1人でいる人間なんかいない。内心、何だあいつ、と笑ってるんだろうな、と思うと、やっぱりこんな時間に外出なんかするんじゃなかった、と激しく後悔した。
今まで、人目を避けて、暗くなってからしか外出しなかった俺が、なぜ今日になって、昼間から外出しようと思ったのか?
理由は、1週間前に姉から貰った3万円で、最後にやっておきたい事があったからだ。
それは、テレビ放映されるまで待っていよう、と思っていた映画を見る事だ。1週間後に地球は滅亡する。だから当然、今上映中の映画が、テレビで放送される事はないわけだ。
最後に見ておかないと後悔が残る、と思った俺は、2日前に見に行く事を決意した。
両親は、外出してくる、と言ったら、驚いた様子で顔を見合わせた。そして優しく、気を付けてね、と送り出してくれた。
自分でも、昼間から外に出る、という日が来るとは思ってもみなかった。最後まで部屋で過ごして、終わりを迎えよう、と考えていた。
こんな気持ちになったのは、姉からお金を貰ったから、という理由の他に、死を受け入れたから、という理由もあると思う。どうせ死ぬんだから、もう人目を気にする必要もない、と。
そういえば死を受け入れた人間は、痛覚が麻痺するという話を聞いた事があるが、今の俺はそんな感じなのかもしれないな、と思っていた。
しかし、いざ外に出てみると、楽しそうな人間ばかりで、もっとどんよりした空気が流れてるだろう、と思っていた俺は、恥ずかしさで、今すぐにでも死にたくなった。
とても痛覚が麻痺した人間とは思えない。人間は死ぬまで感覚が残っているんだな、と寝たふりをしながら思った。
電車は20分ほどで、俺の目的地である、新幹線が停まる大型の駅へと着いた。
着きました、というアナウンスが流れ、人がゾロゾロと降りていく。俺はその流れが収まったのを見計らってから、扉が閉まる寸前で電車を降りた。
駅前に出ると、太陽の眩しい光と、たくさんの人の波に、目が眩みそうになった。
俺は、早い所行こう、と駅前にある噴水を抜け、映画館へ向かう。
その途中、噴水前のベンチに座っていた若い男性の元に、丁度恋人が到着し、お互い笑顔になっている場面を見てしまい、更に気分が落ち込んだ。
映画館に着くと、窓口で今日見る映画のタイトルを伝え、チケットを購入する。
トイレに行った後、館内へ入り、真ん中から少し後ろの、一番左端の席に座った。
映画は、近未来を描いたロボットアニメで、昔から大好きだった。大人から子供まで人気があり、公開されて2ヵ月も経つが、今日も家族連れからカップルまで、様々な層が見に来ている。
俺はなるべく周りを見ないように、上映時間まで待った。自分の隣の席に人が座ると、またお得意の寝たふりをして過ごした。
時間になり、館内が暗くなった。俺は顔を上げ、画面を見つめた。
色んな映画の予告が流れた後、本編の上映が始まった。
俺は身を乗り出した。久しぶりに興奮している。こんな気分が向上したのは、本当に何年かぶりかの事だ。
開始から2時間半、映画は終了した。予想以上に面白くて、終始興奮した。しかし、実は今回の映画は一部目で、来年二部の公開が予定されていた。そのため、エンディングは次回に繋がる終わり方となっていて、館内のお客さんから、惜しむ声が上がっていた。
当然俺も、続きを見たい、という心境に駆られ、面白かった、という満足な気持ちよりも、この続きは見れないのか、という残念な気持ちの方が強かった。
地球が滅亡するのはありがたいが、せめて次回作は見せてくれ、と無茶な願いを心の中で唱えながら、映画館を後にした。
お金も大分余り、お腹も空いていたが、早く家に帰りたかったので、急いで駅に向かった。駅に着くと、まだ14時前。
次の電車は12分後に来る。ベンチに座って待っていると、母からメールが来た。
「久し振りの外出で疲れてない?帰りは何時頃になりそう?」
俺は、もうすぐ帰るよ、と返信して、電車の到着を待った。
時間ピッタリに電車が到着し、来た時と同じように、人がゾロゾロと降りていく。それに反して、乗り込む人は少なく、座席は大分空いていた。
俺はすぐ近くの、2人掛けの席に座った。扉が閉まり、電車が動き出す。
帰りは、行きとは違い、人目も少なく、誰かが隣に座る心配もあまりないので、存分に外を眺める事が出来た。
およそ、10年ぶりに乗った電車から見る景色は、新鮮だった。新しく出来た高層ビルに、改装された洋服店、良く通ってたゲームショップの近くには、大きなシュッピングモールが建っていた。次々と見えてくる昔にはなかった建物に驚くと同時に、潰れたと思われる飲食店や電気店も目立った。
その中に、廃校になったと思われる学校が目に入った。茶色く濁ったプールに、何年もほったらかしにしてるであろう建物の周辺からは、無数の草花が伸びていた。
そういえば、俺が通ってた小学校が、来年で廃校になるらしい。
20年前の小学生だった頃に比べて、在校生が3分の1になったみたいで、廃校もやむをえない、との判断が出たようだ。
あの頃の同級生のみんなは、今どうしてるだろう?
28だから、結婚してる人も多いんだろうな。
親友だった貴志は?同じサッカークラブに入っていたみんなは?好きだったはるかちゃんは?
会いたくはならないが、どうしてるのかは、無性に気になった。
いや、人生順調にいってたなら、本当は会いたくて仕方ない。
でも今の俺には、どう考えても、みんなに合わす顔が見当たらない。
このまま誰とも会わずに、終わりを迎えよう……
自宅の最寄り駅に電車が停まると、俺は急いで降りて、家路に向かった。
家に着いたのは、15時少し前。
俺が玄関を開けると、両親は揃って居間から顔を出し、どうだった?と聞いてきた。
俺は、別に、と冷たく答え、部屋に戻って、ベッドに横たわった。
つくづく自分が嫌いになる。
5 3日前
1
19時
俺は夕飯を食べた後、自宅を出てバスに乗り、30分ほど走った場所にある停留所で降りた。そして歩いて5分ほどの場所にある公園に着いた。ここは、鉄棒が2つと、タイヤで出来た跳び箱が1列あるだけの、小さな公園だ。
俺が着くとすぐに美香がやってきた。
「おまたせー」
相変わらず明るい元気な声で、俺を安心させてくれる。
昨日も会ったばかりだが、今日の朝、目が覚めたら、また顔が見たくなってしまった。夜なら大丈夫との事だったので、美香の自宅から近いこの公園で、短い時間しかいられないが、会う事にしてもらった。
学校に通ってた時は毎日顔を会わしていたから、これでも全然物足りないくらいだ。
しかも3日後には……
「今日は全然待たなかったよ。わざわざ時間取ってくれてありがとう」
「全然大丈夫。私も直ちゃんに会いたかったし」
2人は公園に1つだけ置いてある、青色のベンチに腰を掛けた。
「直ちゃん、夕飯もう食べた?」
「食べてきたよ。美香は?」
「私も食べた。今日はこぼさずに食べれた?」
美香が、いじわるな可愛らしい笑顔で聞いてきた。
美香が、俺の事を直ちゃんと呼ぶようになったのは、2回目のデートの時だ。ファミレスで昼食を取っている最中、俺が注文した料理を上手く食べる事が出来ず、床に落としてしまった。
美香はその様子を見て、何か弟が出来たみたい、と言って笑っていた。
以来俺の事を、ちゃん付けで呼ぶようになり、人前で呼ばれると恥ずかしかったりもした。
2人は他愛もない話を、繰り返し話した。
気付けば、時刻は21時を過ぎていた。
「やばい!もう、こんな時間だ。そろそろ帰らなくちゃ。直ちゃんも、バスがなくなる前に帰らないと」
美香が携帯の時刻を見ながら言った。
バスの最終時刻は21時31分。確かにそろそろ話を終わらせないと、間に合わなくなる。
俺は心を決めて美香を見つめた。
「なあ、美香?」
「うん?どうしたの?真面目な顔になっちゃって」
美香が照れ笑いをする。
「俺、美香の事大好きだ!キスしたい」
言った後、顔から火が出るくらい恥ずかしくなった。
美香が黙ってこちらを見ている。俺は息を深く吸った。
「美香の事が大好きだから、キスさせてほしい!」
真剣な眼差しで見つめて、返事を待つ。
「何?聞こえない。もう1回言って?」
美香が、またお得意の意地悪をする。2回も言ってるのに、聞こえないはずないだろ。
「大好きだ!キスしよう!」
美香が抱き付いてくる。
「うん。いいよ」
そのまま口づけを交わし、抱き合う。
「私のこと好き?」
「大好きだ。美香は?」
「私も大好きだよ」
「よかった。キス……断られるかと思った」
「断るわけないよ。ビックリしたけど、うれしかった」
「この先も、美香とずっと一緒にいたい」
「私も」
幸せな一時だった。このまま永遠にこうしていたい、と思った。
時刻を見ると、バスの時間までに、まだ少し時間があった。俺は美香を家の玄関まで送った後、停留所に向かった。
5分ほど待っていると、バスが到着し、乗り込む。座席に座ると、排気音と共に、バスが発車した。
外の風景を見ながら、バスが到着するのを待つ。その間、頭の中は美香の事で一杯だった。
美香を初めて見た時の事、初めて話した時の事、初めて笑った時の顔。
好きになったのはいつから?
覚えていない。気付いたらずっと好きだった。俺以外にも、美香を好きな男は山ほどいた。それだけ魅力的な女の子だったから。まさか俺なんかが、あの美香と付き合えるようになるとは、思ってもみなかった。
今回みたいな事態にならなければ、告白なんて一生できなかったかもしれない。
自分も美香もいなくなる。
そう思った瞬間、告白しなければ、との思いに駆られ、勢いで告白した。
「はい。よろしくお願いします」
笑顔でそう答えてくれた。美香のその顔を見る事が出来たのは、地球が滅亡するおかげ、というのもある。
そう考えると、複雑な気分だ。
俺はバスを降りると、家までの距離を走って帰った。うれしくなって、体が勝手に動き出してしまった。
付き合ってから、もうすぐ3ヶ月
俺はとうとう、美香とキスを交わす事が出来た。
2
コンコン
11時を少し過ぎた頃、部屋のドアを叩く音がした。
俺はパソコンで見ていた動画を停止すると、ドアに近づき、少し開ける。外にはエプロン姿をした母が立っていた。
「ごめん。起きてた?」
「何か用?」
俺が聞くと、母は茶色の封筒を渡してきた。
「はい。これ」
「何これ?」
俺は封筒を受け取る。封筒は分厚い。その中身が、お札である事は明白だった。
「これは?」
「祐介の今後のために残しておいたお金だよ。まだ奇跡が起こるかもしれなかったから、残しておきたかったんだけど、もうダメみたいだから……最後に好きな事して使いなよ」
少し作り笑いをして言うと、母はじゃあ、と言ってドアを閉めた。
封筒の中身を確認すると、50万も入っていた。
俺はそのお金を見ながら、使い道について少し考えた。もう、既にやっておきたかった事は済んでいる。欲を言えば、まだ買いたい物や食べたい物はたくさんあるが、わざわざ外出してまでではない。あの人波の中、1人歩き回るくらいなら、このまま家で引きこもってた方が、随分マシだ。俺は使う予定はないな、とお金を封筒にしまった。
それが終わると、今度はこのお金が、どれほど大きな額か、考えるようになった。
共働きだった両親は、1ヶ月前まで週5日は家にいなかった。父は去年40年以上働いた会社を定年となり、今年から工事現場で働いていた。母は工場の倉庫で仕分けの仕事をしていた。
このお金を稼ぐために、どれだけ頑張ったのだろう。冬の寒い中、白い息を吐きながら、外を歩く母を見た時は、胸が苦しくなった。
2人とも、もう60を過ぎている。本当なら俺が一家の支えとなり、2人を楽させてあげなければいけない立場だ。
息子はニートのまま、晴れ姿もみられず、この世を去る。
両親は今、どれほど残念な気持ちだろう……
俺が家でパソコンや寝てばかりの生活をしてる間も、働いてこのお金を作ってくれた。
そんなお金を、好きなようになんか、使えるわけがない。
俺は封筒を引き出しにしまうと、再びパソコンの前に座り、動画を見始めた。
時計を見たら、20時になろうとしていた。
あれから、結局パソコンの前で1日を過ごした俺は、何となくテレビを付けた。
昔大好きだったバラエティ番組が放送されている。小学校の頃、毎週欠かさず見ていた番組だ。
俺は懐かしくなって見始めた。が、内容が全然頭に入ってこない。
ただボーっと画面を見つめてるだけで、頭の中は違う世界に入っていた。
この1週間、これまでに考えなかった事をたくさん考えた。
昔の事、同級生の事、両親の事、そして自分自身の事。今まで向き合ってこなかった現実の問題が、嫌でも頭の中に入ってくる。
とうとう3日後には地球がなくなる。それは同時に自分という存在がなくなる、という事だ。
最初に話を聞いた時は、正直うれしい気持ちが強かった。引きこもるようになって、友達とも連絡を絶つようになってから、現実逃避をして毎日を過ごしていた。本当は心のどこかで、社会復帰を諦めてる自分がいた。自分なんか不必要な存在だから、早く死んだらいいと思っていた。しかし、自分で命を絶つ度胸はない。
1人では死ねないが、みんな一緒に死ぬのなら願ってもない、と思って、この1ヶ月過ごしてきた。
しかし、今はどうだ?
会いたい人、話したい人、謝りたい人がたくさんいる。
このまま死んでいいのか?
死んで後悔しないのか?
絶対する……
死ぬ前に、やっておかなくてはいけない事が残されている。
俺は命令されたかのように身体が勝手に動き出し、しばらく開けていない押入れの中を必死に探した。
確かまだ捨ててはいなかったはず。どこかの引き出しに、入れたままになってたはずだ。
あった。
小学校の時の卒業文集。
死ぬ前に、貴志に謝っておきたい。
最後に話したい。
家に……電話してみよう。
もしかしたら、もう実家にはいないかもしれない。でも誰かが電話に出てくれたら、貴志の連絡先を教えてもらおう。
俺は決意して、携帯電話で実家の番号に掛けた。そして、
「はい、杉山ですけど」
若い女の人の声だ。
「あ、あの……貴志君はいらっしゃいますか?」
「はい、いますけど。どちら様ですか?」
「昔の同級生で、浅田祐介と言います」
女の人は、少しお待ちを、と言って受話器を置いた。懐かしい保留音が聞こえてくる。
携帯のなかった小学校時代、良く聞いたっけ。
僅かな時間、懐かしさに浸っていると、誰かが受話器を取った。
「もしもし」
懐かしい声が聞こえた。過去何万回も聞いた声だ。ここ数年は聞いてないが。
「あ、あの……」
「祐介……か?」
「……」
「久し振り」
「う、うん」
「今まで連絡来るの待ってたよ。元気してたか?」
「うん……ごめん」
俺は緊張で、言葉が震えていた。
「さっきの人と、去年結婚したんだ」
「あ、そ、そうなんだ」
「本当は、お前にも結婚式出てもらいたかったんだけどな……」
「ごめん……」
「もう済んだ事だからいいって」
「あ、あと、親父さん亡くなったのに、通夜にも行かないで、今まで連絡しなくて、ごめん……本当にごめん……」
「それも済んだ事だから気にするなって。謝ってばかりだな」
貴志の笑い声が聞こえた。俺は涙が溢れてきた。泣いてるのを悟られないように、必死に隠した。
「今奥さん妊娠しててさ。秋に、産まれる予定なんだ」
「え?」
「男の子か女の子かわからないけど、楽しみだよ」
「そっか……おめでとう」
「産まれたら連絡するから、1度見に来いよ」
「わかった。絶対、行くよ」
「じゃあ、またな」
俺は貴志が受話器を置くまで切らなかった。受話器を置く音が聞こえてから、携帯を耳から話した。
最後に話せてよかった。謝る事が出来て、本当に良かった
長い間引っかかっていた心のもやもやが、1つ消えた。
6 前日
1
俺は起きると、朝ご飯を食べるために、居間に向かった。時刻は朝の8時を回った所だ。
居間に入ると、家族はもう俺以外みんな起きていて、テレビ画面に見入っていた。俺も朝ご飯を食べるのを後にし、ソファに座りテレビを見始めた。
画面を見つめる家族は暗い。誰も一言も発しようとしない。
衝突を明日に控えたこの日、人口衛星が捉えたという隕石の様子が公開された。スローで捉えた巨大な隕石は、凄まじいの一言で、そのまま地球を飲み込んでしまいそうなほどだった。
朝からずっとこの映像が繰り返し流れていて、アナウンサーや評論家などの人間は登場しない。数日前に撮ったであろう隕石の映像を、ただひたすら流している。そしてその画面下には、
もはや滅亡は免れない
と書かれていた。家族はこの文字に言葉を失っている。
父も母も、祖父も祖母も、妹も、茫然としてるといった感じだ。
恐らく世界中誰もが、同じような感じだろう。皆明日という日が来るのを恐れ、悲しみ、絶望し、悟りながら、思い思いの最後を過ごしているはずだ。
今日まで、奇跡を信じて生きてきた人もいるだろう。俺も心のどこかでは、奇跡が起きるのを信じていた。しかし、わかってはいたけど、いざ明日に控えると、恐怖は計り知れない。
色々な出来事が頭を駆け巡り、怖くてたまらなくなった。
その内、祖父が重い空気を変えるため、努めて明るい口調で言葉を発した。
「なあ、今日の夜は何食べる?オラはすき焼きなんか食べたいな」
祖父が懸命に場の空気を明るくしよう、といった意図を、家族も感じ取ったのだろう。続いて父が話し、母がそれに応えたりして、場は若干和やかになり、みんなして食べたいものを上げていった。
その結果、俺が食べたいといったハンバーグと、妹の大好物の寿司に決まった。
普段なら絶対一緒に出ないであろう豪華な夕食に舌鼓を打ち、我が家の最後の晩餐は終わりを告げた。
それが終わったら、最後に会っておきたい人がいる。
俺はシャワーを浴びて身支度を整え、バスの停留所に向かった。しかし、当然バスなど走っているわけがない。俺は気合を入れて、走って一昨日行った公園へと向かった。
どうしても最後に会いたい。
必死に走る事1時間以上。足がパンパンになりながらも、一昨日より少し早くに公園に着いた。美香に着いた事をメールで送り、ベンチに腰を掛けて到着を待つ。すると、
「わっ!」
という声が後ろから聞こえた。俺はビックリして、
「うわっ!」
という叫び声と共に立ち上がってしまった。
「ハハハ、ビックリした?」
振り返ると、無邪気な笑顔の美香がいた。ベンチの裏の木陰に隠れてたみたいだ。
「ビックリさせるなよ」
「ごめんごめん」
「頭に葉っぱついてるし」
「えー、取ってよ」
俺は美香の頭に付いた葉っぱを取ると、2人でベンチに腰を掛けた。
「夕飯食べた?」
「食べたよ。今日は焼肉を腹一杯食べた。直ちゃんは?」
「食った食った。寿司とハンバーグ」
「何それ?贅沢すぎるでしょ」
美香と話せるのもあと僅か。この声が聞けるのも、今日で最後か……
「そういえば直ちゃん少し太ったよね」
「そう?まあこの1ヶ月、好きな物食べてたからな」
「そっか。顔が丸くなったよ」
「だから今日走ってきたんだよ」
「えー本当に?!大丈夫?」
「うん、大丈夫。そういえば美香も太ったよな」
「太ってないよ。失礼な」
「ウソウソ、冗談だよ」
美香との会話は楽しいけど、明日の事を考えると、悲しくなる。
「美香と付き合うようになってから、もうすぐ3ヶ月だな」
「うん。そうだね」
「俺と付き合って、どうだった?」
「どうだったって何?」
美香が口に手を当てて笑った。可愛くて仕方ない。この笑い顔が見れるのも、あと僅か……
「いや、その、毎日の生活変わったかなって。俺は、あの、毎日がめちゃくちゃ楽しくなったからさ」
言葉が返ってこない。美香の方を見ると、俺をジッと見つめていた。俺もそれに応えて美香の顔をジッと見つめた。すると、美香がいきなり、俺のほっぺにキスをしてきた。
「私も毎日楽しくて、幸せだったよ」
そう言うと俺の手を握って、肩に頭を寄せてきた。
この幸せな時間は、もうすぐ終わりを告げる
もっと一緒にいたい……
死ぬなんて嫌だ……
このまま1つになれずに死ぬなんて、嫌だ!!
俺は左手で、美香の頭を自分の方に抱き寄せた。美香はそれを、嫌がる事なく受け入れてくれる。
「なあ美香。いよいよ明日で終わりなんだな」
「……そうだね」
「今日まで明るくしていようって思ってたけど、もう耐えられないや……」
「うん……」
「美香と会えなくなるだなんて、考えたくない……」
「うん……」
「俺、もっと美香と一緒にいたいよ。もっと話したり、遊んだりして、美香と一緒に年を取っていきたいよ……」
「私もだよ。今日で終わりとか本当は嫌だ…… 嫌だよ!」
美香がワーッと泣き出した。こんな姿は初めて見る。いつも明るかったあの美香が。
俺は美香の方を向き、キスをした。美香もそれに応えて、瞳を閉じた。
普通なら、ここでしばらくキスをした後、美香を送り、バスで帰り、寝る前にメールや電話をして、そしてまた次の日に笑顔で会う。そしていつかは……
しかし、今日しかない。俺には今日しかないんだ。
そう思った瞬間、身体が勝手に動き出し、やってはいけない行動を取ってしまう。
俺は美香と1つになりたい欲望を抑えきれずに、美香の胸に手を伸ばした。
しかし、美香も俺を好きだと言ってくれた。俺と一緒にいれて幸せだと言ってくれた。
驚きはすれど、嫌がるはずがない。
そう思った。
だが、次の瞬間。
パーン!
俺の左頬が熱くなった。右手を振り切り、顔を真っ赤に染めた美香が、俺を睨み付けている。
「最低!いきなり何すんの?!」
「だって、もう今日しかないんだよ?最後に美香と1つになりたいよ」
「だからっていきなり…… 今日は私とそういう事する目的で来たの?」
「違うよ。違うけど……」
沈黙が流れる。
「もういい」
美香が俺から背を向け、歩き出してしまった。
嫌だ、嫌だよ。美香とエッチできずに死んでたまるか!
俺は帰ろうとする美香に抱き付き、無理矢理胸を触り、下腹部に手を伸ばした。
「本当にやだ!やめてよ!!」
強い力で突き放され、俺は地面に座り込んでしまった。美香はそんな俺を1度も見る事なく、そのまま走り去ってしまった。
俺は走り去る美香を、茫然と見つめる事しかできなかった。
これまで積み上げてきたものが、音を立てて崩れた瞬間だった。
まあいいさ。どうせ明日、地球は滅亡するんだから。
2
『祐介元気にしていますか?最後にあなたと話したのは、もう何年前になるでしょうか?
最後に話せなかった事が残念で悔やまれます。
どうか最後まで、お父さんとお母さんをよろしくお願いします。
またいつか、家族で会話を交わせる日がくる事を、楽しみにしています』
姉からの手紙の内容はそれだけだった。想像していたより、遥かにあっさりとした文章だったが、心にずっしりと重く突き刺さった。
俺は手紙を封筒にしまい、押入れに戻すと、その後、テレビを付けた。
隕石を捉えた映像が公開されていた。画面下には、滅亡は免れない、と書かれてあった。
隕石の映像は、昔見た、水中カメラが捉えたという、巨大生物が通り過ぎる瞬間の映像を思い出させた。本当に明日終わるのだ、という事を改めて感じ、とてつもない不安感が襲ってきた。
1ヶ月、いや、2週間前までは考えられなかった感情だ。
俺なんかこのまま死んでもいい、から、まだもう少しだけ生きてみたい、に変わっていたのは、もはや疑いようもない事実だった。
俺は少し散歩をしてくる、と両親に告げ、家を出た。両親は笑顔で見送ってくれた。
街は閑散としている。まあこんな時に騒げる奴なんかいないと思うが。
幸せであればあるほど、死ぬのが怖くてたまらないだろうな。つい最近まで死にたかった俺が、こんなに恐怖を感じてるんだから……
俺は家の周りをぐるっと、昔を懐かしみながら歩いた。
貴志が父親になるのか。昔からは考えられないな。
裕紀は今何してるだろうか?昔はよく一緒にバカやったな。
そういえば高山君は医者になったらしい。すごいな。
初恋のはるかちゃんは何してるだろうか?もう結婚してるかもしれないな。
昔からの親友、よく遊んだ同級生、好きだった女の子、様々な人が、俺の頭の中に飛び込んでくる。
また、みんなに会いたいな……
また、昔みたいに、みんなと笑い合いたい。
だけど、今の俺にはそんな資格はない……
両親はこの5年、どんな気持ちだったかな。俺の事考えるの辛かっただろうな。
せめて、最後に心からの謝罪をしよう。それしかできないけど、このまま終わりにはできない。
俺は何かデザートでも買っていこうと、コンビニに向かった。
しかし、当然のようにシャッターは閉まっていた。当たり前か、と思いつつ、一応同じ地域にもう1つあるコンビニへも行ってみた。が、同じく閉まっていた。
仕方なく諦めて、自宅に戻る事にした。
すると、コンビニを少し行った所、小学生の時、通学路だった場所の周辺に、少し明かりが付いているのが見えた。
近づいてみると、そこは俺が、物心つく前からやっている小さい和菓子屋さんだった。もうとっくに辞めていると思っていたのに、あろうことか今日、こんな日に店を開けているなんて。
俺は店の扉を開け、中に入った。カウンターには団子やどら焼き、柏餅などの商品が並んでいる。
少しして、店の奥から、おばあさんとおじいさんが顔を出した。おばあさんが、
「こんな時にお客さんとは嬉しいね」
とにっこり笑うと、おじいさんもそれに頷き、同じくにっこりと笑った。
久しぶりに両親以外の笑顔を見た気がする。
俺は商品を一通り見まわして、その後、店の名物だという苺大福を指差し、
「これを3つ下さい」
と伝えた。2人は紙袋に苺大福3つと、サービスだという柏餅3つを入れてくれた。俺が、
「ありがとうございます」
と頭を下げると、2人は、
「こちらこそ最後にありがとう」
と笑顔で頭を下げてくれた。俺ももう一度頭を下げると、店を出て、急いで自宅に戻った。
自宅に戻ると、居間へ顔を出し、
「大福買ってきたから一緒に食べよう」
と言った。母は嬉しそうな顔をしてお茶を入れてくれ、父は俺が持っている紙袋を覗き込み、ありがとう、と言ってくれた。
こうして3人で何かを食べるのはいつ以来だろう?思い出せない。それほど長い間、俺はこの人達と距離を取っていたのだ。
2人は、実に美味しそうに、そしてうれしそうに、苺大福と柏餅を食べてくれた。
食べ終わると、俺は2人に今までの事の謝罪と、感謝の言葉を述べようと、姿勢を正した。
と、その時、母が俯き、涙を流し始めた。
突然の母の涙に、俺は戸惑い、慌てて父に目を向けた。
父は俺と目が合うと、うん、と頷き、優しい笑みで母を見つめている。
俺は伝えようとした言葉を飲み込み、一度部屋に戻った。そしてパソコンを抱え込むと、再び居間に入った。
母の涙は既に止まっていたが、その目元は、赤く腫れていた。
きっと今まで、俺の知らない所でたくさん泣いていたんだろうな。
俺はパソコンを居間のテーブルに置いた。
「直也何するの?」
「どうせテレビは同じのしかやってないと思って」
俺はパソコンを起動させて、DVDを再生させた。
「おお、懐かしいな」
「本当だね」
2人の声が上がる。パソコンの画面には、今から20年近く昔、食事の時間に、家族でよく見ていたバラエティ番組が流れている。
この日は久しぶりに、家族3人で夕食を取り、昔を懐かしみながら笑い、夜遅くまで一緒に過ごした。
気が付くと、時刻は23時を回っていた。
2人とも、俺が部屋に戻るまで待っていてくれているのか、眠そうに目を擦りながら、画面を見ている。
俺は立ち上がり、
「じゃあ、そろそろ寝るよ」
と言って、パソコンの電源を落とした。父が、じゃあ俺達も寝るか、と言うと、母が、そうね、と頷く。
俺はそんな2人に目を向けながら、パソコンを抱え込んだ。そして
「今までありがとう」
とだけ告げて部屋に戻った。2人の顔を見なかったので、どんな顔をしてたのかわからない。
本当はもっと言いたい事、言わなければいけない事がたくさんあったが、今日はこれしか言ってはいけない気がした。謝るのは、また、いつか……、と心の中で呟いて、布団に入った。
いよいよ明日で終わりか……
怖くないか?
怖い。死にたくない。
後悔はないか?
ある。後悔だらけだ。
悲しくないか?
悲しい。またみんなに会いたい。
最後に何か言いたい事はあるか?
もし、また生まれる事が出来たら、今度は後悔しないように、精一杯生きると誓います。そして今度こそ、両親に親孝行したいと思います。
7 当日
おはようございます。時刻は朝の8時を回った所です。本日は私、小川智治が最後まで実況していきたいと思います。
みなさん、思い残す事はありませんか?
みなさん、悔いはありませんか?
みなさん、今まで幸せでしたか?
今日をもって地球は滅亡する。これはもはや免れない事態でしょう。私も悔しいです。悲しいです。怖いです。
今日の朝まで、この場に来る事を悩みました。しかし、アナウンサーとして仕事を続けて30年。自分の最後はやはりここしかないな、という事で決意してこの場に座っております。
どうか最後までよろしくお願い致します。
隕石はもうすぐ大気圏に突入するとの事です。恐らくあと10分もしないうちに衝突し、我々の命の灯が消えるまで、30分もないでしょう。
もはや人類に逃げ場はありません。
本当に無念でなりません。まだまだ生きて、みなさんの前に現れたかったです。
もし生まれ変わって、またみなさんと同じ時代を生きる事が出来たなら、その時はどうぞよろしくお願いします。
いよいよ、隕石は肉眼ではっきりとわかるくらい接近してきました。
すさまじい速さで大きくなっていきます。もう、すぐそこまで来ています。
みなさん、心の、心の準備はよろしいでしょうか?
今までありがとうございました。
さようなら……
……
(ん?何だ?)
(全然、衝突する気配がないな)
(どうしたんだ?)
なっ!
い、隕石が、隕石が空中で分解しました!
無数の小さな破片となって、地上に降り注いでいます!
なんという事でしょう。信じられない事が起こりました。
我々の死は、確実にすぐそこまで来ていたのです。
しかし、奇跡が、紛れもない奇跡が起こりました。
神はまだ我々を生かしてくれるようです。
みなさん、今日という日を忘れずに、明日からも、いや、今この時から、1分1秒を全力で生きましょう!
最後まで何が起こるかわからないのですから。
8 その後
こんにちは
地球滅亡の危機から3ヵ月が経ちました。
世界は落ち着きを取り戻し、街は活気にあふれています。
季節は秋に入り、暑さも大分和らいできました。
私は来年受験する高校を決め、勉強に追われる毎日です。勉強は大変ですが、合格に向かって頑張ってます。
今日はお父さんが、会社帰りに、大好きなお寿司を買ってきてくれるみたいなので、楽しみです。お兄ちゃんはハンバーグが良いとふてくされてましたが。
お兄ちゃんは大好きだった彼女と別れ、しばらく落ち込んでいましたが、最近ようやく立ち直れたようです。昨日は他校の女子とデートに行くと、自慢げに語ってました。帰ってきた時の様子から察するに、上手くいかなかったみたいですが。
街には様々な人が、今を精一杯生きているのが伝わってきます。
私の目の前に、お腹の大きな妊婦さんと旦那さんが通りました。これから新しい命が産まれるんだな、と考えると私までうれしくなってきます。
そして引っ越しのお兄さんは、汗を流して荷物を必死に運んでいます。頑張ってくださいお兄さん。さっき妊婦さんと一緒にいた旦那さんと、同じ歳くらいかなあ。
日本は今日も平和です。