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仕切り魔様の憂鬱  作者: 森埜林檎
第一章
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仕切り魔様と駄目男

 

「もう別れようぜ」


 自宅近くの古びた喫茶店。

 目の前に座る彼氏は都合が悪い話をする時は何時も此処に私を呼び出すのだ。

 常連客だけのこの空間はボリュームを押さえたジャズが流れる静かな空間で、下手に騒げないだろうとこの男は思っているらしい。


「……今、なんて?」

「だからさ、俺好きな奴できたし。お前とはもう無理だから、別れようって言ってんの」


 目の前で踏ん反り返っている男、河野孝こうのたかしは、会社の同僚であり、私の彼……いや、元彼だ。


 そりゃあね。忙しいからって同居先のマンションに帰って来なくなってから三ヶ月。覚悟はしてたわよ。

 でも開口一番がそれ?

 好きな子うんぬんよりもまず、あたしへの謝罪は無い訳?


「どういう神経してんのよ」


 思わず口をついて出た言葉は残念ながら河野には届かなかったみたいで。

 私が反論して来ないと見たのか、目の前の男はベラベラと自分の言い分をまくし立てている。


「それに、前から言おうと思ってたんだけど。俺、お前みたいなタイプ苦手なんだよね」

「……は?」


 ちょっと待ってよ。


「何てゆーか、その仕切り魔なとことか? 最初のうちは専属秘書みてーって思ったけど、私生活で一々何でも仕切られるのって正直うざいんだよね」


 二年も一緒に暮らしておいて、そんな事、今更……!


「だからさ、いいよな。別れても」

「……っ!」


 正直、腹がたって仕方ない。言い返してやりたい事は山程あるけど、どうせ開き直って言い返して来るに決まってる。

 それよりも、こいつの顔をこれ以上見てなきゃいけないって方が堪えられない!


「……わかった。さっさと別れましょう」

「よしっ!お前ならそう言うと思って--」

「そのかわりっ!」


 思っていたよりも大きな声が出た。河野の方は途中で遮られたから不機嫌そうにしてるけど、別れるって言った途端に嬉しそうな顔したのが余計腹たつ。


 仕返ししてやろうって思った。大人気ないって分かってるけど、最後に今までの鬱憤を少し晴らすぐらいはいいでしょ?


「そのかわり、アナタの荷物は今すぐ引き上げて。何時までも置いてあるのは目障りだわ」

「なっ、お前っ!」

「そうね……これから三時間あげる。アナタの荷物は部屋にある分だけなんだから、時間は充分でしょ」


 アナタの嫌いな仕切り魔ぶりを存分に発揮してやろうじゃないの。



  

「いくら何でもそんなの無理に決まってるだろ!」

「無理じゃないわよ。人手と車は今すぐ手配してあげる。何なら“搬入先”にも私が連絡しておいてあげましょうか?」

「っ!」


 本当に馬鹿ね。バレてないとでも思ってたの?社内どころか同じ部署内で二股なんてかけたら、どこからでも聞こえて来るわよ。

 今回の子は「職場に恋愛を持ち込みたくない」ってあなたの“お願い”は聞いてくれなかったみたいだし?



「もしもし、神木君?吾妻あづまです。おはよう。お休みの所申し訳ないんだけどちょっとお願いがあって……」


 私が会社の後輩へ電話をかけ始めたのを見て、あいつもやっと諦めたみたいだった。

 恨めし気にあたしを睨みつけた後、新たな居候先へ渋々電話をかけている。


「ああ、由美?俺。急で悪いんだけど、今から俺の荷物そっちに入れていいかな?……や、その……」


 どうやら上手い言い訳が思いつかないらしい。まったく、普段良く動く口はこんな時本当に役に立たない。

 しょうがないから、あたしは電話先の神木君に向かって少し大きな声で話しかけた。


「そうなの!えらい急よね〜。何でも大家さんの都合らしくて。河野チーフ最近自宅に帰って無かったみたいでね。今日帰ってみたらお知らせがポストに入ってたんだって!災難よね?」


 私の会話を聞いてたあいつは、電話先にも大袈裟に同じ事を伝えている。あんな下手くそな芝居で相手は納得するのかしら。


「神木君って確かお家が造園業じゃなかった? そうそうトラック。実はそうなの。大きさは軽トラくらいで大丈夫だって言ってたわ。うん、ありがとう。私? 実は出先で河野チーフとばったり会ってね。だから私は手伝いに行けなくて申し訳ないんだけど……うん。神木君が手伝いに来てくれるって伝えとく。じゃあ、後で河野チーフから連絡行くと思うから。ごめんね、じゃあまた」



  

 通話を終えて向き直ると、どうやら向こうも電話を終えていたらしく、物凄く不機嫌な顔でこちらを睨んでいた。よっぽと腹が立っているらしいが、こっちの比じゃないっての。


「後で神木君にちゃんとお礼しときなさいよ?」

「お前のそういう上から物を言う所が嫌だったんだよ!」

「そう?奇遇ね、私も貴方のそういう無神経な所が嫌いだわ。現在進行形でね」


 あとすぐカッとなる所も手に余ったわ。そう言いかけて、これじゃ堂々巡りだと溜息をつく。


「じゃあさっさと神木君に連絡して、しっかり片付けてね。処分する物は置いていったらいいわ。引っ越し祝いの変わりにこっちで全部捨ててあげる」


 そこまで言い置いて、席を立とうと伝票に手を伸ばした所で、パシャンッと冷たい衝撃があった。

 ゆっくり視線を上げると、空になった水のグラスを持って満足気にしている河野の姿。


 ああ、水なのこれ。


 変わりに目の前のアイスコーヒーをかけてやろうかとも一瞬思ったけど、そんな事したらこいつと同じレベルに成り下がる。怒りに震える手で濡れた髪をかきあげ、チラリと時計を見遣り笑ってやった。

 カウンターの向こうからマスターが慌てて出て来ようとするのが見えた。


「後二時間四十五分よ」

「……は?」


 取り乱す様子を見せない私に、逆に向こうが同様している。


「時間が無いわよ。三時間過ぎたら残ってるものは全部捨てるけど、いいの?」

「っこの!」


 余程腹が立ったのか、河野は席を立って私の胸倉を掴み上げる。怖くないと言われれば嘘になるけど、とっくに沸点を超えていた私は自分でも驚く程頭が冷えていた。


「お客様!」


 間に入ったマスターの鋭い静止の声に我に帰ったのか、河野は手を離したが、冷たい目で睨み据える私に腹立たし気にテーブルの上のグラスを払い落とした。


 癇癪持ちの子供じゃないんだから勘弁してよ。


 ガラスの割れる大きな音で、私の頭は更に冴えた。


「弁償も含めて、ここは私が払っておきますよ。河野チーフ」

「くそっ!」


 酷い形相でこちらを睨み据えた後、足音荒く河野は出て行った。


 カラン、と今の空気には不似合いな程軽やかなドアベルが響いて扉が閉まる。

 同時に私も限界だったのか、全身からドッと力がぬけて椅子に深くもたれて動けなくなってしまった。



 

「すみません、マスター。お騒がせして……」


 唐突に、泣きたくなった。


 自分でも驚くくらい覇気の無い声。そう思った途端、怒りや羞恥心、それに悲しいって気持ちが溢れ返って、あんなに冷静だった頭と心の中をぐちゃぐちゃと掻き回す。


 それでも、粉々にされたちっぽけなプライドをかき集めて、必死に目頭に力を入れる。あいつなんかの為に泣くもんかって。


 ふわりと微かなコーヒーの香りが漂った。パンプスの爪先を睨みつけていた視線を上げると、視界がクリーム色の何かで半分程遮られていた。まるで、私の周りに仕切りを作ってくれたみたい。


 ああ、これ。マスターのタオルだ。


 マスターがいつもカフェエプロンにぶら下げているタオル。コーヒーのいい香りが染み付いているそれは、私の濡れた頭を包みこんでくれていた。


 その優しい仕切りの向こうからマスターの心地いい声が聞こえる。

 


「今新しいタオルを持って来るから。ガラス、危ないからそのまま座っててね」


 そう言って温かな重みが、冷えた頭をタオルごしに撫でて行った。


 まいったな……。ここで子供扱いされちゃうと涙が我慢出来なくなっちゃう。


 そう思って、ぎゅっと手の平を握りしめた時だった。


「使って下さい」


 そう言って、目の前に絆創膏と共に大きな手が現れたのは。


 


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