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別に大したことじゃねぇ・・・いつもなら、簡単に割り切れるはずなのに、柊は、何とも言えない後味の悪い思いを噛み締めていた。
体中から力が抜けて、イヤなだるさだけが自分を包み込む。
何であすこまで言ってしまったんだろう、そして、何でこんなにも後悔してるんだろう。
どーでもいーじゃねーか、あんな女・・・いくらそう思おうとしても、このイヤな感じがどうしてもぬぐい去れない。
そこへ、橘がやって来た。
「よっ。」 「おー」
柊は橘を見ないで宙をながめながら言った。ヤツが自分の横にドサッと座る。
「ふー。やっと終わった。悪かったな、待たせちまってよ。
そういや今、水野さんとフロアですれ違ったけど、
何か様子が変だったなぁ。お前、きのー彼女と何かあった?」
橘が怪訝そうな眼で見ている。
きのーじゃねーよ・・・たった今、やっちまったんだって・・・俺。
「別に何も。」
柊はごまかした。
「そっか・・・なら、いいけど。」
橘は煙草に火をつけ、ため息と一緒に煙を吐いた。
「おまえさぁ、水野さんの事あんまよく思ってねーだろ?」
「え?」
何言い出すんだよ、橘・・・。
唐突に言い出す橘の言葉に、柊は内心激しく動揺した。
「顔に出てんだよ。いっつも。あれじゃあ、彼女も気が付いてるかもな。」
あっそ、だから何だっつーんだよ・・・柊は心の中で言った。
こうなったら破れかぶれだ。
「水野さん可哀相な人なんだから、お前、あんま露骨な態度すんなよ。」
ヤツの言葉にムッとしてしまいそうで、それが顔に出てしまいそうで、それをごまかすために、煙草に火をつけた。
「かわいそうって、なにが?」
柊はなんとなく、あの悲しげな彼女の表情を思い出しながら言った。
「お前知らねーのか?」
橘が驚いたように身を乗り出す。
「まぁ、ムリもねーよな・・・お前、ここに来てからそんな日経ってねーもんな・・・」
ヤツは勝手に一人で納得している。
「一年は経ったぞ。」
柊はムキになっていった。なんだか悔しい。
「彼女、未亡人なんだよ・・・あの若さで。
俺もひとづてに聞いた話だけどよ。
三年前に、だんな亡くなったらしいぜ。」
ウソ・・・だろ?柊は橘の言葉に耳を疑った。
俺、ついさっき彼女に、年中喪中なんて言っちまった・・・
「何で死んだんだよ・・・」
ボー然としながら、橘に聞いた。頭の中だけは、グルグル回っている。
「だんな、刑事だったらしいぜ。そいで仕事中に殉職したんだってよ・・・」
「マジかよ・・・」
知らなかった。彼女のあの悲しげな瞳の中に、そんな出来事が隠されていたなんて・・・
『もう三年も経つんだから、新しい人見つけたら・・・』
美怜の言葉を思い出す。そういやそうだ・・・美怜さんは、ああ言っていた。だけど俺は彼女の指輪を見て、何かショックで腹が立って・・・
よくよく考えりゃ、そーだと思うのに、悔しくて彼女を傷つけたいって・・・
俺、何てこと言っちまったんだ・・・
人には言っていい事と、言っちゃいけない事があるじゃねーか・・・
知らなかったとはいえ、最低だぜ・・・
どーすんだよ・・・俺・・・
何か頭までクラクラしてきた・・・彼女に謝んなきゃな・・・
だからって今はとてもじゃないけど出来そうもない。
どのツラ下げて会えっていうんだ・・・
どーしよう・・・ヤベーよな・・・絶対・・・イヤ、かなり・・・
「俺、帰る。」
そう言って、柊はふらふらとその場を去った。
部屋に辿り着き、柊はドサッとソファーに倒れこんだ。
宙をあおぐ。
さつきの悲しげな表情を思い出す。
あんな風に悲しみに耐えながら生きてる人もいるんだな・・・事の真相を聞いて、今なら何もかも納得できる。
俺は・・・柊は自分の現状を思った。
俺は、カメラ以外には、情熱を注げない。それ以外には、何も感じない。
ただ、惰性で日々が過ぎていくだけ・・・他人にも、あまり関心がない。
どー思われたって、別に平気だ。だから、干渉されるのもキライだ。
付き合った女でさえ、めったに部屋にも入れなかった。
あれこれ勝手にいじくられて、生活をかき乱されるのがイヤだった。
大体その女だって、愛していたのかと聞かれれば、どうかと思う。
そんなことも面度くさくなって、ここ一年は、女も作ってない。
全てが褪せて見える・・・シラけて感じる・・・
いつも、渇いた心を持て余している。
だけど、それが何によって満たされるのか、どんな事なら満たしてくれるのか、それさえも解からない。
そんな自分に苛立って、バイクを走らせる。
バイクは俺が抱えているわずらわしさを全て忘れさせてくれる・・・。
柊は、無造作に置いてあるカメラに目をやった。
カメラだけだ・・・カメラを手にしている時だけだ、熱くなれるのは・・・
ファインダーを通してみれば、世界はあんなにもキラキラと輝いているというのに・・・
全てが色濃く、違って見えるのに・・・
性格わりぃのは俺だ・・・いつだって自分のことばっかりで、人を思いやるとか、そんな事考えもできねぇ。
イヤだと思うと露骨に顔に出す。
平気で相手をキズつける・・・
柊はさつきを思った。
あの人は大人だよな・・・あんなこと言っちまった俺にでさえ、けなげに笑顔を見せたんだから。
つくづく自分がやったことが、幼稚に感じられる。こんな風に日々を送る自分がたまらなく下らなく感じる。
何でこんな風になっちまったんだろ・・・
解かってる・・・
まだ、引きずってるんだ・・・
柊はもう一度、さつきを思った。
俺は、あの人を傷つけちまった・・・
『そうね・・・あなたの言うとおりだわ・・・』
悲しい眼をしたさつき・・・
バイクに乗せてやって、あんなにも無邪気にはしゃいでいたさつき・・
物憂げな表情で、煙草をふかしているさつき・・・
柊は大きくため息をついた。
俺、サイテーだ・・・
心底落ち込んだ。
あの人は十分キズついてんだ。
何も今さら俺みてーなくだらない人間にキズつけられる必要なんてないんだ・・・
あの人にあやまんなきゃ・・・何としても・・・
柊は、自分でも意外なほど素直に後悔しながら眠りに落ちていった。