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店を出た俺は、腹わたが煮えくり返りそうだった。
ほんとはガツンと言ってやりたかった。
この、ムナクソ悪い気分をどこに吐き出せばいいんだろう。
「柊くん、ありがとう。助かったわ。すごく、大人なんだね。」
彼女が優しい、そして何ともいえない微笑みを俺に向けた。
俺、この笑顔に弱いんだよな・・・
彼女の微笑みは、いつだって俺をすぐ穏やかな気持ちにしてしまう。
こんなイラ付いた気持ちなんて、あっという間に何処かへ吹き飛ばしてくれる。
「そんな事・・・」
「ううん。私、あのままあの人がしつこかったら、ガツンて言ってやろうかって思ってたの。」
「さつきさんが?マジで?」
俺は笑った。
「うん。そんな事絶対しちゃいけない相手だけど、あーいう人って、好きじゃないっていうか、むしろムカつく。」
「俺も。ほんとはぶん殴ってやろうかって思ってた。」
「でも柊くん、すごく大人だったよ。私なんかよりずっと。すごく・・・かっこよかった。」
彼女の眩しすぎる笑顔の前に、俺は言い知れぬ自信みたいな、満足感みたいなものが湧き上がった。
「さつきさん、ちょっと気晴らしにどっか寄ってこーよ。」
俺は言った。そして、バイクを走らせた。
「ありがとう。私を守ってくれて・・・」
さつきは聞こえるはずの無い小さな声で、柊の背中にそう言った。
今日も風は心地いい。
彼は何て頼もしくなったんだろう。気むずかしそうで短気な感じだったけど、急に大人の男に成長した気がする。というか、これが彼の本質?
だとしたら、本当はすごくふところが深い人なのかもしれない・・・
さつきは、そんな風に思わずにはいられなかった。
そして、久しぶりに感じた男の人に守られるという感覚に、嬉しい様な切ない様な複雑な気持ちになった。
二人は今日は直帰という事にして、有楽町の街を歩いていた。
さっきのうっぷんを晴らすかのように綺麗にディスプレイされた。
ショーウィンドウや何かを、あれやこれやといいながら見て回った。
「柊くんてさぁ、こういうカッコも似合うんじゃない?」
さつきがシンプルな形の茶色いセーターを取り上げた。
「そーかなぁ・・・」
柊が微笑む。
「ほら、いいじゃない。」
さつきが柊にセーターを当てている。
「うん、いい感じ。俺、買ちゃおっかな。」
彼女の見立だ。柊は嬉しくなって思わず買ってしまった。
彼女と居ると、こんなにも全てが色鮮やかに見える・・・
そして、何て穏やかな気持ちになれるんだろう。
彼女は、俺のかわきを全て満たしてくれる・・・
俺、すんげー人見つけちまったのかも・・・いや、こんな気持ちになれる人に、やっと出会えたんだ・・・
柊は隣を歩くさつきの横顔を見ながら、そんなことを思っていた。
柊はさつきを行きつけのシルバーというバーへ連れて行った。
ちょっとしたデートみたいになっていたから、もう少し、彼女と一緒にいたかった。
店に入っていくと、マスターがいつもと変わらず温かく迎え入れてくれた。
だけどさつきを見て、少し驚いたような顔をして、そしてニッコリと微笑んだ。
二人はカウンターに並んで座った。
こーいうとこにくるんだ・・・さつきは思った。柊の行きつけの店だと聞いていたから、もっとゴチャゴチャと、やかましい所かと思っていた。
だけどここは・・・静かにジャズが流れ、落ち着いていてとてもいい雰囲気の店だった。柊はいつものごとくバーボンをたのみ、さつきは弱いカクテルを頼んだ。
「いい所ね。」
さつきは言った。
「そーだろ。」
柊が微笑む。
「ありがとうございます。」
マスターが静かに、でも誇らしげに言いながら、二人に飲み物を差し出した。
「ほんとにステキなお店ですね。」
「お気に召しましたらいつでもお越しください。」
「はい、そうさせて頂きます。」
そんなマスターとさつきのやりとりを、柊は優しい瞳で見ていた。
プルル、プルルさつきの携帯が鳴った。
「ちょっとごめん・・・」
さつきは外へと出て行った。
「ステキな方ですね。」
マスターが柊に言った。
「え?ああ・・・」
柊ははにかんだ。柊が女の人を連れてくるのは初めてのことだった。
ここでも、いくら言い寄られても女性と二人きりで飲んだ事は無い。
その事を示唆した上で言ったマスターの一言だったから、柊は少し恥ずかしくなった。
「とてもお似合いですよ、苑田さんに。どんな女性を選ぶのか、ちょっと興味あったんですけど、あんなステキな女性がいたんじゃ、誰に言い寄られても興味ないですよね。」
マスターが洒落た感じで微笑んだ。
その言葉が半分お世辞だと解かっていても、素直に喜んでしまう柊だった。
さつきが戻ってきて、二人は静かに語らい出していた。
「苑田さん、今日もいらしてたんですか?」
声に振り向くと、そこには美久が立っていた。熱っぽい視線を柊に投げかけた後、さつきを挑発するようにチラッと見た。
さつきはその女の態度を見て、彼女が柊に気がある事がすぐに解かった。
「何か用?」
この間の事を根に持っているんだろうなと思いながら柊は言った。
「別に用って訳じゃ・・・それより、この方、お姉さんか何かですか?」
彼女の視線は再びさつきへと向けられた。その視線は激しいジェラシーで一杯だ。
ちょっと勘弁してよ・・・そんなんじゃないんだから。
私には関係ないわよ・・・
だけどお姉さんなんて、イヤミな言い方。あんたみたいなおばさん彼にふさわしくないって眼で言ってるわ。そりゃあなたみたいな若いコからみれば、私はオバさんなんだろうけど・・・
そう思いながらも、さつきは意味無く微笑んだ。
「んな訳ねーじゃん。兄弟でこーいう店に来るかよ、普通。」
柊はあからさまにムッとしながら冷たい視線で彼女を見た。
「そうですね・・・」
彼女がバツが悪そうにうつむく。
「俺、この人と飲んでっから、用が無いなら悪いけど、邪魔しないでくれる?」
そっけなく、とどめを刺す。彼女は悔しそうに行ってしまった。
こーいう一面もあるのね・・・さつきは思った。
そうよね。そういえば、彼は元々こんな人だった。
だけど自分へと注がれる彼の視線はとても優しく、一緒にいる彼は別人のように穏やかだった。
そして今日見た彼の男らしい頼れる一面・・・
どっちの彼が本当の彼なんだろう・・・
「何かイヤな思いさせちゃったかな・・・」
さつきがそんな風に思っていると柊が柔らかくほほ笑みながら言った。
「ううん、そんな事無いよ。」
柊のあまりの態度の違いに戸惑いながらも、さつきはそう答えた。
私だけに優しいのかしら・・・やーね、私ったら高飛車だわ・・・
こんな年上の、夫に先立たれたような女なんて、相手にしないわよね、普通。
私は仕事上の付き合いだからうまくやっていこうと思って気を使ってくれてるのよね・・・
それにいろいろあったし・・・
さつきはふと、あの夜のキスを思い出した。
でもあれは、男と女っていうよりは、人間として心が通った・・・って感じの、違う意味のキスだった様に思える・・・そうに決まってる。
あんな大変なときに、私を頼ってくれたんだから。
それに、実際彼と私の間には信頼関係は成り立っている・・・
あの子が気に入らなかっただけね・・・そうは思うけど、若くて美人な彼女の、どこが気に入らなかったんだろうとも思う。
実際彼女を見て、年増な自分が惨めになった事も、確かだから。
彼女はいないみたいだけど・・・あー私ったら何をゴチャゴチャ考えてるんだろう・・・
でも、自分を見つめる彼の瞳・・・この瞳が、全てを物語っている様な気もする。だけどさつきは、何となくそれを、認めたくはなかった。




