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柊は20分程走って、自宅マンションへと辿り着いた。
いつの間にか、雨は止んでいる。メットをはずし、バイクを降りるとちょうど携帯がなった。
誰だろ・・・さつきさんかな・・・“非通知”
「もしもし?」
「もしもし、柊か?」懐かしい声。
「藤田さん?」
「ああ。」
「どーしてたんすか?ちっとも連絡取れなかったけど。」
柊は嬉しさを抑えきれず、はしゃいだ声で言った。
「ああ、ちょっといろいろあってな・・・お前、今から出て来れるか?」
「いいっすよ。」
「俺、今綾瀬の駅前にいるんだが・・・」
「じゃあ俺、そっち行きます。」
「そうか?じゃあ待ってる。」
柊は再び走り出した。
何だよちょうど藤田さんの話してたら連絡あったじゃん。久しぶりだな・・
成長した俺の姿、見てほしーな・・・話したい事が山ほどあるぜ・・・
急いで駅へと向かった。久しぶりの再会に、胸躍らせていた。
程なくして、綾瀬の駅前に着いた。
どこに居るんだよ・・・はやる気持ちを抑えながら辺りを見回した。
「柊!こっちだ。」
名前を呼ぶ方へ振り向くと、そこにはみすぼらしいだけのオヤジが1人立っていた。
「藤田さん?」
「ああ、そうだ。」
俺は目を疑った。俺の知る藤田さんはエネルギッシュで豪快で、いつもニコニコしている人だった。
だけど目の前にいるこの人って・・・見る影もない。
「とりあえず、どっか入るか。」
俺達はファミレスに入った。無精ひげに小汚い格好の藤田さんを見ていたら、言い知れぬ失望感と一緒にムショーに腹が立ってきた。
「柊ワリーな、急に呼び出しちまってよ。さっそくでワリイんだが金、少し用立ててくんねーか?」
落ち着きない様子で水を飲みながら、藤田さんは言った。
「金っすか?」
何言い出すんだよ・・・
「ああ、困ってんだよ・・・ヤベーとこから金借りちまって・・・」
俺は別人と話してる気分だ。どーしちまったって言うんだ・・・
全然納得がいかない。今すぐ全てを問いただしたい。
「なんで?何でそんな風になっちまったんすか?」
いきどおった思いが、語意を荒げる。
「ああ、お前が独立してからすぐ、女房が出て行っちまって・・・ヤケになった俺は酒やらギャンブルやらに手出して・・・気が付いたら借金まみれで・・・」
「もう、カメラやってないんすか?」
俺はムカムカしながら聞いた。
「ああ、もう二年になるかな・・・」
どーでもよさそうに言う藤田さんを見て、俺はすごく裏切られた気がして情けなくなって、ブチ切れた。
「藤田さんどーしちまったんすか!カメラ捨てるなんて・・・
俺、藤田さん尊敬して、ずっと目標にしてやって来たってのに。俺の知ってる藤田さんは、こんなんじゃない。
俺にカメラ捨てるなって言ったの、藤田さんじゃないっすか!しっかりして下さいよ!なんでこんな・・・
俺のあこがれを、あなたにあこがれて頑張ってきた俺の気持ちを、踏み躙らないで下さい!」
「柊、そんな事より金貸してくれよ・・・たのむよ・・・」
「冗談じゃない!俺は貯金だってそんなねーし、第一今の藤田さんに貸す金なんか、一銭だってありませんよ!」
俺は席を立った。
こんな、人生捨てたような、浮浪者みたいになっちまった情けないこの人なんか、これ以上見たくない。俺が知るこの人はこんなんじゃない。
自暴自棄になっていた俺を救ってくれたあの人は、こんなんじゃない。
俺にカメラを捨てるなと言ってくれたあの人はどこへ行ってしまったんだろう・・・
「そんな事言わねーで・・・な?たのむよ。少しでもいいから。柊・・・」
俺にすがりつく藤田さんを見て、たまらなく、悲しい気持ちになった。
何でだよ・・・あこがれだったのに・・・俺は財布に入っていた全財産を藤田さんに渡した。
「10万か・・」
金を数えながら奴が言う。
「これじゃダメなんだよ、柊。あと40万、40万でいいから貸してくれ。」
「そんなこと言ったって、もう銀行やってねーし・・・」
「コンビニで下ろせんだろ。な、たのむよ。」
「解かりました。ちょっと待っててください。」
俺は事務的にコンビニで金を下ろして、奴に渡した。
「ありがとう、ワリーな、柊。」
卑しげな笑顔を浮かべるこの人に、もう何の未練もない。
激しい憤りだけが心の中を支配していく・・・
「もう二度と、俺の前に現れないで下さい。」
そう言って、俺は立ち去った。
なんでだよ・・・おれ、あんたを尊敬してたのに。あんたを目標にがんばってたのに・・・
それから数日は、何もやる気が起こんなかった。
憧れた人があんな風になっちまって、俺のやる気は一気に削ぎ落とされた。
いつかあの人を抜いてやるって、頑張ってきたのに・・・
21だった俺は、ある出版会社に入社した。
報道カメラマンになりたかった俺は、夢が実現して希望に満ち溢れていた。
一丁前に真実を報道する、なんて意気込んでいた。
そうやって、生きていくはずだった。
だけど、あんなに憧れた報道の世界が俺にもたらした物は、言いようのない空しさと、むき出しの人間の醜さだけだった。
いつものように俺は、ターゲットの出待ちをしていた。
殺人事件の容疑者と思われる男の、自宅の前だ。
他にも沢山のカメラマンがそこに集まっていた。
みんな少しでもいいアングルで撮ろうと必死だ。
刑事が4・5人やってきて、男の家に入っていった。
逮捕の時だ。
その男の家の、玄関のドアが開いた。一斉に、フラッシュがたかれる。
俺も、シャッターを押した。
しかしそこに現れたものは、刑事に両脇を固められて出てきた犯人と、その後ろで「パパー」と泣き叫ぶちいさな男の子を泣きながら止める母親の姿だった。
皆はリアルな写真が撮れると、シャッターを押しまくっていた。
俺はその子の泣き声と、母親の惨めな姿があまりに痛々しくて、それ以上シャッターを押す事が出来なかった。俺の中で、何かが壊れた瞬間だった。
俺はこんな奴らと、同じことをやっていたのか・・・
真実を報道する・・・それは、基本的には正しい事だ。
ただそれが、いつも正しいとは限らない。
正義の名において、罪のない人を傷つけていることだってある。
俺は、人間のあさましさを知った。
確かにその男のやったことは、許される事じゃない。
被害者の家族のことを思えば、当然の報いなのだと思う。
そういう社会的制裁があるからこそ、身内の人間に迷惑をかけるからこそ、大抵の人は犯罪を犯さないし、モラルも保たれているのだろう。
そんな事は解かっている。
だけど・・・だけどやっぱり、あんな小さな子供を、犯罪者の子供に生まれてきてしまったというだけの罪のない子供をもさらし者にしてしまう・・・
そんなことを平気でやってのける人種の人間には、俺はなることが出来なかった。
目隠しをして載せればいいとか、そういう問題じゃない。
その行為自体に、俺は激しく失望していた。
俺が求めていた真実の報道とはなんだったんだろう・・・
それが解からなくなった俺は、出版社を止めた。
なにもかもがむしゃくしゃして、日々飲んだくれていた。
公園に座り込み、思いっきりカメラを地面に投げつけた。あちこちに破片が飛び散る。
「あーあ、可哀相なことしあがって・・・」
そう言う声のする方を振り向くと、1人の男が立っていた。
「お前、見た事ある顔だな。何でこんなことするんだ?」
何度か張り込み先で一緒になったことのあるその男は気さくに笑った。
藤田さんとの、出会いだ。
俺は一連の流れを話して聞かせた。
「そうか・・・でもお前、カメラが好きなんだろ?捨て切れねーんだろ?
だったら捨てる事なんてねえ。報道する事だけが、カメラマンじゃねえさ。
人生角度をかえりゃ、いくらだって方法はある。だから大事なのは、投げ出さないってことだ。何があったって、あきらめちゃイケねえ。
好きなことを簡単に手放すんじゃねえ」
その言葉に、俺は救われた。気持ちは冷めたまんまだったけど、カメラは捨てずにすんだ。
2年半も藤田さんに付いて仕事をやった。そしていろいろな事を学んだ。
俺は、あの人を心から尊敬していた。
あの人をいつか超えてやる・・・その事だけが俺の生きがいだった。




