表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/5

後日談 偽りの栄光、その成れの果て

ドンッ!!

重苦しい音と共に、石造りの巨大な扉が完全に閉ざされた。

わずかに残っていた希望の光――外界へと続く隙間が消失し、あたりは深淵のような闇に包まれた。


「う、嘘だろ……? 開けろ! 開けてくれよ!」


ガレオスは石扉にすがりつき、焼けただれた手で何度も叩いた。

だが、扉はびくともしない。

まるで山脈そのものと一体化したかのような、絶対的な質量を感じさせる。

爪が割れ、指先から血が滲んでも、彼は叩くのをやめなかった。


「アルト! アルトぉぉっ! 悪かった、俺が悪かったから! 謝る! 土下座でも靴舐めでも何でもしてやる! だからここから出してくれぇぇぇ!」


喉が裂けんばかりの絶叫。

だが、返ってくるのは冷ややかな静寂と、背後から迫り来る獣の息遣いだけだった。


「ひっ、ひぃっ……!」


魔導師リリアが腰を抜かしたまま、ジリジリと後ずさる。

彼女の視線の先、暗闇の中から無数の赤い瞳が浮かび上がっていた。

ミノタウロスの荒い鼻息、スライムが這いずり回る粘着質な音、そして空気を震わせるイービルアイの羽音。


「来る……来るわよ! ガレオス、なんとかして!」

「う、うるせえ! 俺に命令するな!」


ガレオスは扉から背を向け、剣を構えようとした。

だが、その手にはもう愛用の大剣はない。

先ほどの逃走劇の最中に酸で腐食し、刀身の半ばから折れてしまっていたのだ。

残ったのは、ただの鉄塊と化した柄だけ。


「くそっ、くそっ! なんで俺がこんな目に……! 俺はSランク勇者だぞ! 選ばれし存在なんだぞ!」


自己暗示のように叫ぶが、震える足は正直だった。

目の前のミノタウロスが、巨大な戦斧を振り上げる。


「ブモオォォォォォォッ!!」


咆哮と共に、死の一撃が振り下ろされた。


「うわあああああっ!?」


ガレオスは無様に横へ転がり、間一髪で回避する。

戦斧が石床を粉砕し、破片が顔に突き刺さった。


「逃げるぞ! こいつらとは戦えねえ! 脇の通路だ! あそこならデカい魔物は入ってこれねえ!」


ガレオスは仲間を顧みることもなく、狭い通気口のような横穴へと飛び込んだ。

そこは本来、人間が通るための道ではない。

ダンジョンの排気ダクトであり、汚水と瘴気が溜まる不浄の穴だ。


「待って! 置いていかないで!」

「わたくしも! わたくしも連れて行ってぇぇ!」


リリアとソフィアも、なりふり構わずガレオスの尻を追って穴へと潜り込む。

背後でミノタウロスの戦斧が入口の岩を砕く音がしたが、狭すぎて追ってはこられないようだ。

彼らは泥と汚物にまみれながら、暗闇の中を必死に這い進んだ。


***


どれくらいの時間が経っただろうか。

数時間か、あるいは数日か。

真っ暗な横穴を抜け、彼らがたどり着いたのは、ダンジョンの中層付近にある古びた資料室のような場所だった。

かつては冒険者の休憩ポイント(セーフティエリア)として機能していた場所だが、今は見る影もなく荒れ果てている。


「ハァ……ハァ……ッ。ここなら、少しはマシか……」


ガレオスは腐りかけた木の床に大の字に倒れ込んだ。

全身が痛い。

スライムの酸で焼かれた皮膚が化膿し始め、ズキズキと脈打っている。

空腹と渇きが限界を超え、意識が朦朧としていた。


「水……お水……」


ソフィアが掠れた声で呟く。

彼女の美しい金髪は泥と油で固まり、顔色は死人のように青白い。

自慢の聖女としての輝きは、どこにもなかった。


「ソフィア、回復魔法だ……。俺の怪我を治せ……」

「む、無理ですわ……。魔力が……一滴も残っていませんの……」

「役立たずがっ!」


ガレオスは苛立ち紛れにソフィアを蹴り飛ばそうとしたが、足が重くて上がらなかった。

そんな体力すら残っていないのだ。


「ねえ……どうするのよ、これから」


リリアが膝を抱えて、虚ろな目で呟いた。

彼女の指先は震えており、爪を噛む癖が止まらない。


「どうするもこうもねえ! 出口を探すんだよ! アルトの野郎が閉めやがった扉以外にも、どこかに抜け道があるはずだ!」

「抜け道なんて、あるわけないじゃない……。今まで私たちは、アルトが作った『安全なルート』しか通ってこなかったのよ? 本当の地図なんて、誰も覚えてないわ」


リリアの言葉が、鋭い刃となって空気を切り裂いた。

そう、彼らは知らなかったのだ。

自分たちが歩んできた道が、いかに整備された「花道」であったかを。

そして今、彼らが迷い込んだこの場所が、地図上のどこなのかさえ分からなかった。


「……アルトさえいれば」


不意に、ソフィアがポツリと漏らした。


「アルトさんがいれば、こんな時すぐに綺麗な水を出してくれましたわ。傷薬だって、いつも余分に持っていたし……美味しい干し肉だって……」

「言うな!」


ガレオスが怒鳴った。

だが、その声には以前のような覇気はない。


「あいつの話をするな! あんな陰気な荷物持ちのことなんか!」

「でも事実じゃない! あいつがいた時は、こんな惨めな思いしなかった! 泥水をすすることだってなかった!」


リリアがヒステリックに叫び返す。


「あんたが! あんたが調子に乗って追い出すからよ! 『報酬がもったいない』とかケチくさいこと言うから! あいつ一人分の取り分なんて、たかが知れてたじゃない!」

「なんだと!? お前だって賛成しただろうが! 『目障りだ』って言ってたのはどこの誰だよ!」

「私はあんたに合わせただけよ! リーダーが言うなら仕方ないって!」


醜い責任の押し付け合い。

極限状態の中で、彼らのメッキは完全に剥がれ落ちていた。

そこにあるのは、友情でも信頼でもない。

ただの利害関係で結ばれていた、薄っぺらな繋がりだけ。


「……お腹すいた」


ソフィアが再び呟いた。

その視線が、ふと部屋の隅に向けられる。

そこには、干からびたネズミの死骸が転がっていた。

普段なら悲鳴を上げて逃げ出すような汚らわしいもの。

だが今の彼女の目には、それが「食料」に見えてしまっていた。


「や、やめろソフィア! 腐ってるぞ!」

「でも……死ぬよりは……」


ソフィアが這いずってネズミに手を伸ばそうとした時。


カタン。


部屋の奥から、小さな音がした。

三人はビクリと震え、音の方を振り向く。

そこには、古びた宝箱が一つ置かれていた。

埃をかぶっているが、装飾は立派だ。


「……宝箱?」

「もしかして、ポーションが入ってるんじゃ……」


希望という名の毒が、彼らの脳を麻痺させる。

罠かもしれない。

いや、罠に決まっている。

これまでの道中で、散々痛い目にあってきたのだから。

だが、渇きと飢えが理性を凌駕した。


「あ、開けるぞ……。俺が開ける」


ガレオスがふらふらと立ち上がり、宝箱に近づく。

リリアとソフィアも、固唾を飲んで見守る。

もし食料が入っていれば。水が入っていれば。


ガレオスが震える手で蓋を持ち上げた。


ギィィィ……。


錆びついた蝶番が悲鳴を上げる。

箱の中には――。


「……紙?」


入っていたのは、金銀財宝でもポーションでもなく、一枚の羊皮紙だった。

そこには、流暢な文字でこう書かれていた。


『おめでとう。この隠し部屋にたどり着く確率は0.002%だったよ。君たちの悪運の強さには感服する』


それは、見慣れたアルトの筆跡だった。


「あ、アルト……! あいつ、こんなものまで……!」


ガレオスが紙を握りつぶそうとしたが、続きの文章が目に入り、手が止まる。


『せっかくの再会(一方的だけど)だ。君たちにプレゼントを用意した。この部屋の床下には、ダンジョンの廃棄物を処理するための貯水槽がある。そこにはたっぷりと水があるはずだ』


「み、水!?」

「水があるのですか!?」


ソフィアが狂喜し、ガレオスの手から紙を奪い取る。


『ただし、その水は強力な溶解液を希釈したものだ。飲めば内臓が溶けるかもしれないし、溶けないかもしれない。まあ、今の君たちなら、そのくらいのギャンブルは楽しめるだろう?』


「……ふざけるなッ!」


ソフィアが羊皮紙を地面に叩きつけた。

希望を持たせてから突き落とす。

アルトの底意地の悪さに、彼らは戦慄した。

彼は最初から、自分たちがここに逃げ込むことを予測していたのだ。

そして、この絶望的な状況を、どこか高みから見下ろして楽しんでいるに違いない。


「……でも」


リリアが震える声で言った。


「『希釈したもの』って書いてあるわ。もしかしたら……飲めるかもしれない」

「はあ!? 正気かリリア! 内臓が溶けるって書いてあるだろ!」

「でもこのままじゃ干からびて死ぬだけよ! イチかバチか試すしかないじゃない!」


極限の選択。

目の前に水がある(かもしれない)という事実は、彼らの判断力を狂わせるのに十分だった。

ガレオスは唾を飲み込もうとしたが、口の中はカラカラで何も出てこなかった。


「……やるしかねえか」


ガレオスは床板の隙間に指をかけ、無理やり引き剥がした。

下からは、鼻を突くような刺激臭と共に、湿った空気が上がってくる。

暗がりの中に、チャプン、と液体の揺れる音が聞こえた。


「俺が……先に飲む」


ガレオスはリーダーとしての責任感からではなく、単に一番に喉を潤したいという欲求から、這いつくばって顔を突っ込んだ。

手で液体を掬い、一気に煽る。


ゴクリ。


喉を通る冷たい感触。

それは至福の瞬間だった。

だが、その数秒後。


「ぐ、がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」


ガレオスが喉を押さえて転げ回った。

焼けるような激痛が食道を駆け下り、胃袋の中で爆発する。


「熱い! 痛い! 腹が、腹が焼けるぅぅぅ!」

「ガ、ガレオス様!?」


ガレオスの口から、血の混じった泡が吹き出す。

アルトの言葉は嘘ではなかった。それはやはり、汚染された劇薬だったのだ。


「ひぃっ、いやぁぁぁ!」


リリアが悲鳴を上げて後ずさる。

飲まなくてよかったという安堵と、唯一の水源が絶たれた絶望が同時に押し寄せる。


ガレオスは数分間、た打ち回って苦しんだ後、ピクリとも動かなくなった。

死んではいないようだが、気絶したらしい。

呼吸は浅く、ヒューヒューという異音が混じっている。喉が潰れたのだろう。


「……終わった」


リリアが力なく呟いた。

リーダーであるガレオスがこのザマだ。

魔法使いと聖女だけの二人で、このダンジョンを生き抜けるはずがない。


その時、部屋の入口――彼女たちが潜ってきた横穴から、ズルリと何かが入り込んでくる気配がした。

振り返ると、そこにはスライムがいた。

一匹ではない。

次々と、液状の体を細く変形させて、穴を通り抜けてくる。


「嘘……ここまで追ってきたの?」


この隠し部屋は安全ではなかったのか。

いや、アルトの手紙があったということは、ここも彼の「管理下」だということだ。

つまり、彼はわざとここまで彼女たちを誘導し、希望を与えてから絶望させた上で、トドメを刺しに来たのだ。


「あ、あぁ……」


ソフィアが壊れたような笑みを浮かべる。


「神様……これは罰ですか? わたくしが、アルトさんを馬鹿にした罰ですか?」


彼女は十字を切ろうとしたが、指が震えて形にならなかった。

スライムたちが、じわりじわりと包囲網を狭めてくる。

その体液は、ガレオスの鎧すら溶かした強力な酸だ。

生身の彼女たちが触れればどうなるか、想像するだけで気が狂いそうになる。


「嫌よ……こんなところで死ぬなんて……嫌ぁぁぁっ!」


リリアが杖を振り回すが、魔法の出ない杖はただの木の棒だ。

スライムの一匹が飛びかかり、彼女の足に張り付いた。


「ギャアアアアアアッ! 熱い! 痛い! 誰か、誰か助けて!」


彼女の悲痛な叫びがこだまする。

だが、誰も助けには来ない。

かつて彼女たちを影から守っていた「最強の盾」は、もういないのだから。


***


――それから、どれほどの時が流れただろうか。


ダンジョンの深層にある「実験区画」。

そこは、魔王軍が捕獲した生物のデータを採取するための施設だ。

薄暗い部屋の中に、三つの培養カプセルが並んでいた。


中には緑色の液体が満たされており、それぞれに「何か」が浮かんでいる。

かつて人間だったモノたちだ。


真ん中のカプセルには、筋骨隆々とした男。

だが、その喉元には機械的な装置が埋め込まれ、四肢の一部は魔物のパーツに置換されている。

ガレオスだ。

彼は意識を失ったまま、定期的に微弱な電流を流され、筋肉の収縮データを採取され続けている。

「強靭な肉体サンプル」としての価値だけが、彼に残された唯一の存在意義だった。


右側のカプセルには、小柄な女。リリア。

彼女の脳には直接、魔力回路の端子が接続されていた。

「魔力枯渇状態における精神崩壊のプロセス」を観察するための検体。

彼女は夢の中で永遠に、スライムに襲われる恐怖を追体験させられている。カプセルの中で時折、音のない悲鳴を上げるように口が動くのが哀れだった。


そして、左側のカプセル。ソフィア。

彼女の状態が、一番残酷かもしれない。

彼女は意識があった。

カプセルのガラス越しに、部屋の中を行き交う魔族の研究員たちを、虚ろな目で見つめている。

彼女の役割は「聖女の祈りが魔族に与える影響の測定」。

毎日、強制的に祈りのポーズを取らされ、回復魔法を試させられる。だが、その対象は傷ついた魔物たちだ。

かつて魔物を浄化するために使っていた力が、今では魔物を癒やすために使役されている。

その屈辱と自己矛盾が、彼女の心をゆっくりと、確実に磨り潰していた。


プシュー……。


自動ドアが開き、一人の男が入ってきた。

漆黒のローブを纏った、黒髪の青年。

魔王軍参謀、アルト。


彼はタブレット状の石版を片手に、カプセルの前で足を止めた。

その視線は、かつての仲間たちに向けられているが、そこには憎しみも憐れみもなかった。

ただ、壊れた道具を見るような無関心さだけ。


「……データの採取は順調だな」


アルトが独り言のように呟く。

その声に反応したのか、ソフィアの目が動いた。

ガラス越しに、アルトと目が合う。


(ア、アルト……さん……?)


液体の中で、彼女の口が微かに動く。

助けて。ここから出して。もう二度と逆らわないから。

そんな懇願の言葉が、泡となって消えていく。


アルトは彼女に気づいたようだった。

彼はカプセルに近づき、ガラスに手を当てた。


ソフィアの目に、一瞬だけ希望の光が宿る。

まだ情が残っているのかもしれない。

彼なら、この地獄から救い出してくれるかもしれない。


アルトは、ニッコリと笑った。

それは、かつて彼女たちが「頼りない荷物持ち」に向けていたのと全く同じ、見下すような嘲笑だった。


「いいザマだね、ソフィア。君の回復魔法、アンデッド兵士たちの維持にとても役立っているよ。やっと『役に立つ』存在になれてよかったじゃないか」


ソフィアの目から、光が消えた。

絶望という名の闇が、彼女の瞳を塗り潰していく。


「せいぜい長生きしてくれよ。君たちは貴重な『リソース』なんだから」


アルトは踵を返し、興味を失ったように部屋を出て行った。

自動ドアが閉まる直前、彼は背越しに手を振った。

まるで、ゴミ捨て場に別れを告げるように。


残されたのは、機械の駆動音と、液体の流れる音だけ。

ガレオスは夢も見ずに眠り続け、リリアは悪夢に苛まれ、ソフィアは正気と狂気の間を彷徨いながら、永遠に終わらない贖罪の日々を送る。


Sランク勇者パーティ『栄光の剣』。

その輝かしい名前は、ダンジョンの深い闇の中に飲み込まれ、二度と歴史の表舞台に出ることはなかった。

ただ、「慢心した冒険者の末路」という教訓として、名もなきデータの一部に残るのみ。


カプセルの中で、ソフィアが一粒の涙を流した。

だが、その涙もまた、緑色の培養液に溶け込み、誰にも気づかれることなく消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ