月光と手
ズルリと伸びた手が、角から姿を現した。
月のない夜にも関わらず、はっきりと視認できるほどの白さ。
マフラーのように信号機に巻き付くのは、その長さを誇るためか。
事実、手の主はいまだに角を曲がっては来ない。
すべての形状が、その手が異常な存在であることを示していた。
「フ、フゥ。フ、フ、フ」
姿を見せない手の主。だがその卑しい笑い声だけは鮮明に聞こえてくる。
耳のなかに直接空気を吹き込まれたような不愉快極まりない体験だった。
「……ウッザ」
犬のように首を振ると、多少は気がまぎれた。
だがこんなのは気休めだ。根本的な解決にはならない。
「やっぱり、根元から絶たないとな」
「フゥ、フゥ、フゥ」
「興奮すんなよ。気色悪い」
眉根を寄せながら、ポケットに入れていた掌を外に出す。
ジャラリという、肉が発するにはあまりに硬質的な音色が響いた。
もちろん、指や肌が発した音ではない。正体は鎖だ。
五指につけられた鎖が掌と共に現れ、そして死んだ蛇のように地面に垂れ落ちる。
その色はまるで月光。闇夜においては、それ自体が光を発しているようにも見えた。
いや、事実、光っていた。
「隠れてないで出てきやがれ。照らしてやるよ」
「フゥッ、フゥッ、フゥッ!」
その挑発に怒ったのか、それともまさか欲情しているのか。
なんにせよ手の呼吸は荒くなり、そして連動するかの如く腕には力が込められる
マフラーのように緩やかだった渦巻は万力のように力み、そして巻き付かれていた信号機は容易に……。
首をへし折られた。
「フゥッ……フッ!」
「……!」
瞬時に片手側転を繰り出し、飛来した信号機製の槍を回避する。
だがそれは回避を見越した囮の一撃。天地逆転した視界には、すでに迫りくる白い手の姿があった。
「ウフゥッ、フフッ、フッ、フッ!」
息遣いが一層荒くなる。
見えていなくてもわかるのだろう。自らが迫っているその肌の美しさが。
童話か幻想かと見間違うような輝かしい銀髪が。
それに触れられる。掴める。思うがままに嬲ることができる。
手にとってそれは至高の戯れなのだろう。やめられない行為なのだろう。
その結果、相手が死んでしまおうと。そんなことはどうでもいいのだろう。
「そんなんだから、お前は今夜死ぬんだ」
三日月が五つ、光る。
それが弧を描いた鎖だと気づいたときにはもう遅かった。
「ン、フゥッ……!?」
月から竜巻へ。指の動きひとつで姿を転じた銀鎖は、病的な白腕へと巻き付き、動きを封じ込める。
柔肌に触れるには指先を伸ばすだけ。そんな生殺しの位置で。
「フゥーッ! フゥーッ!」
ドドドと、何かが走る音が見えない場所から聞こえてくる。
おそらく危機を感じた手の主がこちらに向かっているのだろう。
だが、もう遅い。ありとあらゆることが。
「月光に戻れ。地上にお前らの居場所はない」
「フゥゥゥゥゥーーーッ!」
車を踏みつぶし、街路樹を喰らいながら、その『かぐや』は姿を現す。
銀鎖の輝きが、真っ白な腕が幾重にも重なった醜悪な姿を闇夜に晒す。
『かぐや』に取り込まれ、白く変色し始める犠牲者たちの腕も一緒に。
「……遅くなってごめんな」
銀の閃光。そして断末魔。
それらが収まったとき、都市から怪物の姿は完全に失われていた。
代わりとばかりに、空にはいつの間にか月が浮かぶ。
侘し気に漂う天体球。それが放つ銀白光は、いつもよりどこか寂し気である。
反省点
・お題は「手」なのに月、月光が中心のないようになってしまった。