第6話 その日から、俺だけのアイドルになってくれた
黒川大智は昨日の事について考え込んでいた。
今日学校に登校し、いつも通りに過ごし、そして今、放課後を迎えていたのだ。
クラスメイトの高島葉月は用事があると言って帰宅してしまった。
金曜日の今日、他の人らも忙しいらしく、すでに教室には大智だけが残っている状況だった。
学校にいても特にやる事はなく、帰宅してもいいのだが、席から立ち上がりたい気分ではなかった。
早く今後の事について考えるべき事が多く、物凄く昨日から悩んでいた。
愛奈と葉月。
その二人のどちらかと付き合うべきか、その結論が昨日から出ていないのだ。
そういった事について考えすぎなところもあってか、体が怠く感じる。
やはり、睡眠不足が玄以なのだろう。
大智はため息をはいた後、机に突っ伏すのだった。
「いつまで、そこで休んでるの?」
え?
刹那、声が聞こえてきた。
その声は天使のような口調だった。
それは大智が好きだったアイドルの声そのものだったのだ。
だから、夢を見ているのではと思いながらも、希望を抱きつつも顔を上げる。
一瞬だけ、昔応援していたアイドルが、目の前に佇んでいると思った。
綺麗な衣装に身を包み込んでいる、天使のような存在が――
「なに? どうかしたの?」
「え? い、いや、な、なんでも……」
よくよく目を凝らしてみると、そこにいたのは、クラス委員長の佐久間愛奈だった。
あの子ではなかったのだ。
というか、まだ帰っていなかったんだ。
「あなたの頬に、涎がついてるよ」
「え?」
大智は頬についているであろう涎を左手で拭う。
左手が汚れてしまったが、持参していたハンカチで拭いておくのだった。
「他の人はもう帰っているけど、大智は帰らないの?」
「いや、今から帰ろうと思ってたんだけど。この頃少し寝不足で、ちょっとだけ休んでから帰ろうと思って」
大智はあくびをしそうになったが、我慢しながら眠そうに答えた。
「そうなんだ。寝れないの?」
愛奈は心配そうな顔を浮かべ、素直な口調で話題を振ってくる。
「そういうわけじゃないけど。ちょっとね」
「悩みごとがあったりする?」
「ま、まあ、それは、一応関係あるかも」
「そうなんだ、じゃ、相談に乗ってあげるよ。だって、付き合うことになったんだものね。彼女として相談に乗ってあげるってこと」
彼女は大智の前の席の椅子に座って、大智と目線を合わせてくれていた。
愛奈と二人っきりの環境でやり取りする事になり、大智は次第に目が覚めてきたのだ。
相談するにしても、今ここで葉月の話題を出すのはまずいと思った。
一先ず深呼吸をしてから、何を言うか考える事にしたのだ。
「悩みって言っても……昨日の件なんだけどね」
「昨日?」
「アイドルのこと」
教室には誰もいないのだが、大智は彼女にだけ聞こえるように話す。
「もしかして、私がアイドルだってこと信じてくれなかったの?」
「そうじゃないけど。あまりにも現実味がないというか」
大智は慌てて言い直す。
「まあ、あの頃と比べて私、見た目も全然違うし。信じてくれないのも無理ないよね」
愛奈はため息をついた後、大智の顔をまじまじと見つめてきた。
「じゃあ、ちゃんとした証拠を見せる?」
「証拠? どんな?」
「それはここでは見せられないけど。じゃあ、別の場所に行こっか」
愛奈は席から立ち上がる。
すると、彼女は自身の席から通学用のバッグを手に教室から出ようと提案してきたのだ。
学校を後に二人は隣同士で通学路を歩いていた。
すると、愛奈の方から距離を詰めてきたのだ。
「ど、どうしたの?」
「何となく。でもさ、付き合うことになったら、くっついたりするでしょ? 手を繋いだりとか、腕に抱きついたりとか?」
愛奈は恋人として立ち振る舞いたいようだ。
急に距離感を縮められても、対応に困る。
今までの人生、女の子と恋愛的な関係になった事が殆ど無く、どうすればいいのかわからず、頬を紅潮させてしまっていた。
「そ、それより、証拠を見せてくれるんでしょ?」
「そうだよ。でも、ここだとまだダメかな。そうだ、あっちの方に神社があったと思うから、そこに行こ」
愛奈は学校では見せない笑顔をしており、突然、大智の手を掴んできたのである。
神社のところに到着すると、意外と誰もいなかった。
ただ、そこにはベンチがあり、大智は彼女と共に、その席に座る事にしたのだ。
「証拠になるかはわからないけど。これを見てほしいの」
愛奈は自身のスマホを操作して、一枚の画像を見せてきたのだ。
それは可愛らしいアイドルの衣装を身に纏う、一人の女の子だった。
大智が好きだったアイドル本人の写真である。
だが、それは誰から撮影してもらったモノかもしれないし、一般人として訪れた愛奈が、そのアイドルを撮影したモノかもしれない。
断定的ではないし、ハッキリとした証拠には繋がらないが、よくよく見てみると、やはり、そのアイドルと愛奈の雰囲気が似ている。
目元や口元の位置が、ほぼほぼ同じなのだ。
今の愛奈は黒髪のショートヘアで、写真に写っているアイドルな彼女は黒髪のロングヘア。
本当に好きだったアイドルかもしれないと、そう言った可能性が見えてきたのだ。
「私、覚えていたの」
ベンチに座っていると、愛奈はスマホをバッグの中に戻すと、過去を懐かしむように、優しい笑みを大智にだけ見せてくる。
「え? 何を?」
「昔、私がアイドルだった時にライブに来ていたでしょ?」
「う、うん」
昔、握手会に行ったことがあった。
その時の事を彼女は覚えてくれていたらしい。
という事は、本当に彼女は、あのアイドルなのか?
「ファンレターも送ってきてくれていたでしょ?」
かなりコアな話題だった。
「そうだね。随分前だけど」
「私、あなたのファンレターが印象的だったから覚えていたの。本当は、あなたと直接会話したくて。そんな時にね、あなたが入学する高校を教えてくれる人がいて。だから、あなたと同じ高校に入学する事を決意したの」
彼女は大胆にも、すべてを曝け出すように、話してくれている。
そこで話してもいいのかと逆に驚いてしまうほどだ。
「そ、そうだったのか……でも、君の自宅は別の県なんでしょ?」
「んん。元々、この街が地元だったの」
「え?」
「公式には都会の方になっていたけど。小学二年生の頃までは、この街で過ごしていたわ。両親の仕事の都合で、中学卒業まで都会で過ごしていただけで」
「へ、へえ、知らなかった。そういう事だったのか」
今まで気になっていたことが、少しずつだけど、わかってきた。
意外と最初っから身近にいた存在だと知り、正直驚きの連続だった。
「今年になって、同じクラスになれて。でも、立場的にも皆がいる前では、君には話しかけられなくて」
愛奈は自身が抱えていた悩みを打ち明けてくれていた。
「だから、これからはもっと君とは遊びたいし、もっと恋人として思い出を作っていきたいの」
愛奈から真剣な想いを伝えられる。
それに、目の前にいるのは、正真正銘な、自分が好きだったアイドル。
今、自分だけのアイドルになってくれたのである。