1
異世界転生、異世界トリップ…そういったものが流行りとなったこの時代。漫画でも小説でもよく見かけるようになった。書店に寄れば必ず一冊以上はある。最初は気が向いたら読もう位にしか考えて居なかったが、ある夜「行方不明者が三年振りに姿を見せた」と言うニュース速報から全てが変わった。その行方不明だった女性が言うには「別の世界に連れ去られた。そこで死んだ友達に会った」と言うのだ。それからその女性は精神鑑定か何だか知らないがそういうものを受けたらしい。しかし主張は変わらなかったそうだ。
そして更にそれがきっかけ…になったのか定かではないが次々と行方不明者が戻って来た。加えて、恐ろしい事に皆が皆、あの女性と同じ事を口にした。
「まあこっちには何ら関係のない事でしかない」
それよりも今自分にはやらなければならない事がある。手に持つ封筒を思わず握り潰しそうになって慌てて持ち直す。そうだ、これを叩きつけに行かねば。
日も沈み、うっすらライトのつき始めた目の前の玄関の扉を開けて、店長のいるであろう事務所に向かう。ガラス窓から店長の姿もばっちり見えた。さっさとやる事やってストレスから自由の身にならねば。
事務所に着き、数回ノックをしてなるべく静かに扉を開ける。自分は冷静だ、落ち着いて退職届を叩きつけるんだ。ゆっくりと店長の座っているデスクに向かい、すぐ隣まで来たと同時に退職届を叩きつけた。店長は目を丸くしている。状況が理解出来ていないのだろうか。冗談だろと思った。あんなに嫌味ばかり言い、早朝から深夜まで会社に軟禁して仕事を押しつけたり、同僚達の僅かな失敗を罵倒していたのに。恐らく私が辞める事で次々と辞める人間が増えるかもしれない。もしそうなったら店長には頑張って会社を支えてもらうだけ。もうこっちは知らん。次の職場を探すだけだ。ではさようなら。ニヤつきそうになるのを我慢して足取り軽くドアノブを回して事務所を出た。出た筈だった。
あ、これ動画サイトの広告で見た事ある景色だ。
ほら、あれだ。ドアやら玄関やら開けたら見知らぬ景色ってやつ。狭い会社の廊下に出る筈が…その会社の廊下の何倍あるんだと言いたくなるようなだだっ広い廊下に出た。内装は物語のお城のような洋風の印象。
まず心配なのは会話。悪いがこっちは日本語しか話せないんだが。ああでも漫画や小説だと普通に日本語でOKな事がほとんどだったからそっちに期待しよう。ところで愛車のジムニーはどうなったんだ、ガソリン満タンにしたばっかりなのに勿体ない。それにこの事態に、慌てる心はあるが何と言うか疲れが勝って表だって慌てる気力がない。
「まあいいや、歩きますか…」
その辺彷徨けば誰かに会えるでしょ。そうしたら事情を話して保護してもらえばいい。前に見た漫画だと優しいイケメンに保護されたりしてたし誰かしら助けてくれるんじゃなかろうか。いいじゃないか、それ位期待をしても。
「ただなあ…私個人がお世辞にも頭良くないんですよねえ…」
チート無双したくても頭脳が残念だし何よりもチート能力を授かってる感覚も何もない。どうやら異世界転移しても平々凡々なままのようだ。一生に一度位チート無双したかったなあと思ってしまうのも仕方のない事。まあ、ないものねだりをしてしまうのは世の常だ。とはいえ、異世界転移した者の特権とも言えるような鑑定能力位は授かっててもいいよね位のノリで私は自分に対して鑑定の言葉を口にした。
すると目の前にステータスと思わしき単語と数字が浮かんできたではないか!
「は!?レベルが1で体力が10!?いやちょっと待って最近のゲームでももうちょい体力オマケしてくれてますけども!?」
ワンパンで倒される数値ではないだろうか。そうか、そんなに貧弱だったか。悲しい。もうちょい体力あるもんだと思ってたのにな。
しかし体力に気を取られすぎたが魔力もこれまた極端だった。測定不能、そう表記されていた。これは一体どういう意味だろう。測定出来ない位魔力がないのかその逆か。まあ体力の数値がアレだったので魔力の数値も期待は出来ないだろう。
その他素早さやら知性やらの数値も軒並み期待出来そうなものではなかった。酷くないですか。
「死ぬまで雑魚ですかそうですか。つら」
「ここまで悲観的な人間も初めて見たなー、俺」
ぬっと、私の顔の真横にそれは現れた。ファンタジーもので見かけそうな騎士の兜。しかし目の部分には光の一つも見えず真っ暗闇。思わず短い悲鳴を上げて飛び退いた私は悪くない。
「あっ、そのリアクションは俺傷付くなー。怖くないよ?俺怖くないよ?」
そう言って両手を広げる鎧の騎士。改めて見ると体躯は私の倍位はあるんじゃなかろうか。ガタイ良すぎでは?兜のせいか表情はまったく持って分からない。声のトーンで判断するしかない。
「えっ、あー…もしかしてこの兜が怖いとか?悪いがこれ脱げなくってな。勘弁してくれ!」
「兜が怖い訳では」
「ん?」
「や、死ぬ覚悟決めた方がいいのかなって思いまして」
「いやいやいや!危害なんて加えないよ!?俺そんなに怖そうに見える!?」
「そうではなく、その、自分の貧弱さにこれからやっていける気がしなくてですね」
ワンパンですよワンパン。
肩を落とす私に、騎士はなんのこっちゃと言いたげに首を傾げた。しかし私の悲しみは感じ取ってくれたらしくゆっくりとこちらに近付いてわざわざ目線を合わせるように膝を折ってくれた。
「騎士だ…」
「いや俺騎士よ?騎士様よ?逆に何だと思ったのよ」
「騎士の格好をした何か」
「がくーっ!いやいや!俺以上に騎士っぽい騎士なんて他に居ないから!ほんとに!アッ、その疑いの眼差しやめて!傷付くから!アッでもちょっとドキッとしちゃう!」
「やべーお人だあ…」
少女のように頬の辺りを押さえて顔を逸らす騎士。仕草についてどうこう言うつもりはないが最後のセリフについてはちょっとだけ引いた。
それに気付いたのか、騎士は引かないでと若干泣き声で縋ってくる。
「人間は保護対象だから!ちゃんと身柄は保障するから!ねっ、信じて!」
「あ、それ。そうそれ。私を人間って言うけどそちらさんは人間なんです?てか他に人間っているんです?」
聞いておかなければならなかった事を思い出し騎士に問いかける。こちらの問いに騎士はうーんうーんと唸り始めた。どうやらどう説明したらいいか考えているっぽい。今更どんな説明を貰っても驚かない。体力値10の衝撃に比べたら。
「俺、と言うかこの国なんだけどな」
「はい」
「首無し騎士の国なんだよ」
「ファッ」
「怖くないよ!?皆紳士だし俺はその最たるだから!」
「嘘を言いよるこの騎士様」
「嘘じゃないもん!!」
紳士だもんとプンスコする騎士。可愛いとでも言われたいのだろうか。言わないけど。
彼の話を聞くにここは首無し騎士の住まう国で、世界にはいろんな種族の国があるそうだ。そしてこの世界には時折異世界の人間が現れるらしい。死んでから訪れる転生タイプと生きたまま訪れる転移タイプがいるそうだ。しかし人間が現れる理由や原因は分かっていないとのことだ。ただ現れる人間には何かしらの特殊な能力が授けられているらしい。
「へえー…特殊な能力ねえ…いいなチート能力私も欲しかったなあ…」
「羨ましがらなくてもお嬢さんだって授かってるんじゃないのか?」
「授かってたらこんなに落胆してないと思いません?」
「…!そうだ分かった!」
「何がですか」
「俺のハートを撃ちぬ「さようなら」ちょっとふざけただけだから!」
背を向けて去ろうとすると私の服の裾を大きな指で摘まむようにして握り追い縋る騎士がどこかおかしく見えてしまい思わず、そう思わず足を止めてしまった。外見も性格も決して褒められたような物ではないと自負している私が他人様を射止める事なんてある訳がない。冗談でもそういう事は言わないで頂きたいものだ。
「能力があろうとなかろうと俺達の対応は変わらないから心配は要らない。だから俺を信じて保護を受けてくれないか?」
先程までとは打って変わって真面目な声で言ってくる騎士。嘘を言っているようにも見えないので私はその言葉を信じる事にした。これで失敗したら今後自分の勘は信じない事にしようと決めた。