6.獣化(1)
「急にごめんね。ニナちゃん」
「どうしたんですか?」
ラウノの家の豪華な馬車がニナの家の前に停まっている。
先触れした通り少し困ったことが起きたからと、ラウノの従兄アンテロがニナを迎えに来た。以前、ラウノの屋敷を訪ねた時に、兄弟同然に育った人だと紹介された人だ。
ラウノよりも三歳年上で、落ち着いた雰囲気の男性だ。従兄だけあって顔もよく似ている。
両親に外出の挨拶をして手を引かれながら馬車に乗り込むと、柔らかい座面に腰を下ろした。
「ラウノに何かあったんですか?まさか病気とか!?」
「いや、怪我とか病気ではないんだけどね。なんと言うか、ニナちゃんに一緒に来て欲しいんだ」
矢継ぎ早に問いかけるニナに、向かい側に座ったアンテロが歯切れ悪く答えた。
「そう言えば……」
ラウノに起こったことを話してくれるのかと思えば、ニナとラウノの学園生活について話を振ってくる。
「学園でラウノはどうだった?」
「優しかったですよ。私は級友に相手にしてもらえなかったんですけど、ラウノだけは唯一友達でいてくれました。でも学園を卒業したら、元級友の人達から声をかけてもらえることが増えました。思春期特有のなんかだったりしたんでしょうか?」
ニナの言を聞いたアンテロはうなだれて、申し訳ないと声を詰まらせた。
どこに謝られる要素があったのか、さっぱり分からない。ラウノは人間ができた素晴らしい人だと褒めたつもりなのに。
「ラウノの家の人は、誰も私達の結婚を反対しないんですね」
ラウノの結婚相手なら貴族のご令嬢など、相手は他にもっといたのではないかと思う。
「人は血筋を尊ぶけれど、獣人は本能を大切にするからね。番と心を通わすことのできたラウノは幸せだと思うよ」
それなら良かったとニナの頬が緩む。
「アンテロ様に耳とか尻尾はないんですね」
「うちの家系は見た目に獣人の特徴が出にくいんだ」
少し考えたアンテロが居住まいを正すと、一呼吸してニナにようやく突然の来訪について説明を始めた。
「実はラウノが獣化してしまったんだ」
「獣化!」
近所のお姉さんの赤ちゃんを思い出して、ニナの興奮が最高潮に達する。
ピコピコの耳、ふさふさの尻尾、可愛い肉球!
「見たい!」
「うん。思った以上の反応で嬉しいよ。驚いたりはしないんだね」
ほっと安堵の息を吐いたアンテロが、苦笑いをしてニナを見ている。
「驚きました。まさかラウノの獣姿が見られるとは思いませんでした。私見てもいいんですか?ラウノ嫌がりません?嫌がってるならこっそりと見たいです。ばれないようにするから大丈夫です」
「ちょっと落ち着こうか、ニナちゃん」
アンテロが言うには、ある日目が覚めるとラウノが獣化していたというのだ。獣人が獣化することはあり得ることだが、ラウノが獣化するのは赤ん坊の頃以来だという。
何が原因で獣化したのか分からないが、ニナに会いたがっている素振りを見せるのだという。何かのきっかけになるかもしれないので、アンテロがニナを迎えに来たというのだ。
◇
馬車を降りて案内された部屋に入ると、ニナの背丈よりも随分と大きな獣と目があった。
「わあ、格好いいね!」
ニナを見つけた獣は一目散に駆け寄ると、ニナを前足で抱き込んで鼻先をニナの頬に何度も擦り付けた。尻尾はご機嫌にぱたぱたと左右に振れている。
アンテロはこんなに上機嫌な従弟の姿を見たことがなく、呆気にとられていた。
「耳!耳動かして。ピコピコだ!尻尾!尻尾はふさふさだね。おお!肉球はだいぶ大きいね。爪がちょっと伸びてるよ。切ってあげようか?」
ニナが獣のラウノの耳や尻尾、色んなところに手を伸ばすと、ご機嫌なラウノがニナに向けてその場所を差し出す。自分の身長よりも随分と大きな獣を恐れることなく、むしろ意気揚々と獣を構い倒している。
なるほど、これはお似合いの二人だとアンテロは感心していた。
「ニナちゃんは怖くないんだね」
「怖い?え?怖がるようなものなんですか?もしかして獣の時の主食は人だったりとかするんですか!?」
「違うから!」
獣のラウノが牙をむき出しにして、何を言っているんだとアンテロに怒りを露わにしている。
ほら、怖いじゃないか。
「いつ元に戻るんですか?」
「それが分からないんだ。ラウノはうちの家系でも獣人の血が濃い方でね。一族の成人が獣化したのを見るのも久しぶりなんだ」
「そうなんですね」
「ラウノも赤ん坊の頃は獣化することもあったんだけど、成長するにつれてできなくなったんだ」
「不思議ですね」
「大きいから怖がるかと思ったんだけど、大丈夫みたいだね」
「大きいですよね。これだけ大きいと私が乗っても大丈夫なのかな」
「乗ってみたいの?」
「私、乗馬得意です」
満面の笑みでニナが誇らしげに言う。馬扱いされた獣は特に気分を害した様子を見せず、ニナに尻尾を振っている。むしろ背に乗れとでも言っているようだ。
ラウノは伏せのような格好で床に座っているが、その前足でニナを抱き込んで離さない。ニナもふかふかの毛並みが満更でもないようでされるがままだ。
ニナと獣は日がな一日、獣をクッションにして昼寝をしたり、ブラッシングしたりして過ごす。
「実家のお店ね、従兄のお兄さんが継ぐことになったんだよ。元々支店を任されていた人だから、安心して任せられるってお父さんが言ってた。頭のいい人だしね」
そして心配性だ。本当に貴族に嫁ぐのかと、何度も何度も確認された。しかも、お前が失敗するとこっちにも影響があると、失礼なことを言っていた。
「近所のお姉さんの赤ちゃんね、走り回るようになって目が離せなくて大変なんだって。前はよちよち歩きで可愛かったけど、元気に走り回るのも可愛いよね」
ラウノとはどうにも合わないようだが、会う度に成長する赤ちゃんは見ているだけで楽しくなる。
「ヘンリのお店で美味しいお菓子をもらったの。持ってくれば良かったね。今のラウノもお菓子食べられるのかな?」
ヘンリはとうとうお嫁さんを探し始めたとおばさんが言ってた。素敵なお嫁さんが見つかるといいな。
ひとりでしゃべるのニナに、獣がすりすりと頬ずりする。ニナはくすぐったいと笑って、獣の眉間を何度もなでると気持ちよさそうに獣が目を閉じる。
学園では一日中ラウノと話をしていたので、ひとりだけでしゃべっているのは変な感じがする。
-----
ニナが屋敷にやって来て数日が経った頃、ニナがいない隙をついてアンテロが獣に問うた。
「……お前さ、本当はもう元に戻れるだろう?」
アンテロをじっと見た獣がぷいっと顔をそらす。これは図星だなとピンと来た。
「ニナちゃんがべったり一緒にいてくれるからって、わざとそのままでいるだろう?」
ニナと早く結婚したいのに、ニナの父がのらりくらりと時期を延ばす。強く出てニナの家族と揉めるのも避けたい。
そんなことを考えていたら、ある日獣になっていた。
獣のままでいればニナがずっと側にいてくれるのが嬉しくて、恐らく戻れると分かっているのにあえて戻らずにいる。
「獣姿も格好いいけど、そろそろラウノと話がしたいよ。一緒におしゃべりしようよ」
いつになく元気のないニナが獣に顔を埋めている。明るくて元気なニナが意気消沈しているのを見て、獣の胸が痛んだ。
ここら辺が潮時か。
獣は名残惜しそうにニナの肩口に鼻先を埋めると、小さく息を吐いた。
翌日、アンテロが朝食を取っていると、何事もなかったかのように、人の姿のラウノが食堂に入ってきた。
やっぱり戻れたんじゃないか。
人が心配して屋敷に泊まり込んでいるというのに、ラウノは涼しい顔をして知らないふりをしている。
「……ニナちゃんは?」
「また眠ってるよ」
目が覚めたニナは、人に戻ったラウノに狂喜乱舞して獣といた時のようにずっとラウノに話しかけ続けた。