14.祝福の歌(4)
昼を少し過ぎた頃、ラウノの乗った馬車がニナの家へとやって来た。
すでに準備を終えていたニナは、白い厚手のコートを羽織ると飛び出して行く。
真っ白な婚約者が駆けてくるのを見たラウノは、両手を広げて笑顔でニナを受け止めた。
ニナは抱き寄せるラウノの背中に手を回すと、こぼれそうなほどの笑みを浮かべてラウノを見上げる。
「お仕事終わったの?」
「終わったよ。ニナに逢いたくて必死に頑張ったよ」
「お疲れ様。なんだか久しぶりだね」
ラウノが不在にしていたのはほんの数日間だったはずだが、随分と逢えていなかったような気分だ。
学園に在籍中は休暇期間中はそれぞれの自宅に帰るため、逢わない時間は今より長かった。今回はそれよりも短い時間のはずなのに、殊の外長く感じられた。
ラウノに手を引かれて馬車に乗り込むと、隣に座ったラウノがニナの頬を優しく撫でた。手袋を外したラウノの温かな手にニナは頬を寄せる。
「まるで雪の精みたいだね」
「ふふっ。そう? お父さんが寒いから着て行きなさいって」
「よく似合っていて可愛いよ」
ラウノは相変わらず、歯の浮くようなことを躊躇いもせず口にする。
確かに全身が白くはあるが、雪の精だなんてと考えたところではっと思いついた。
「そういえば、うちに雪の精がいるんだよ」
「……それは、歌劇団の歌手?」
ニナが少し得意げにラウノに告げたところ、真顔になったラウノがいつもよりも低い声でそれに応えた。
ラウノの思いがけない反応に驚いて一瞬思考の止まったニナは、小さく口を開けてラウノを見つめる。
「なんで知ってるの?」
「番を騙る女が出たって、どうして僕に報せてくれなかったの?」
険しい顔をしたラウノは、ニナの表情の変化を少しも逃さないようにと瞬きすらしていない。
「ベルタちゃんの勘違いだと思ったからだよ。ラウノに言ったら、女の子に恥をかかせることになるからね」
「偽者の気持ちなんか慮ることないよね。一瞬でも疑われたかと思うと、僕はその女が許せないよ」
「疑ってないよ」
「え?」
「一瞬も疑ってないよ。もし、他にも番の子がいたらラウノは私に話してくれるよね? それに、マーリア様から番は一人きりだって教えてもらったから、やっぱりねとしか思わなかったよ」
ニナの頬に触れたまま、なにかを葛藤してるように強ばっていたラウノだったが、ちゃんと分かってたよと破顔したニナの頬に唇を寄せると大きな安堵の溜息をついた。
「僕を信じてくれたの?」
「信じるもなにも、ラウノはそんなことしない人だよね」
一欠片の心配もしなかったというのに、ラウノはなんの心配をしているのだろう。
連絡をすればラウノはすべてを放り出してでもニナのところに来てくれただろう。そう分かっていたため、些末なことを告げて仕事の邪魔をしたくもなかったのだ。
そもそも、わざわざ言うほどのことではないと考えていた。
向かい合っていたラウノがニナを強く胸に抱きしめると、感極まったように掠れた声でささやいた。
「早くお嫁においで。少しでも早くニナと結婚したいよ」
「どうして?」
「え?」
「なんでラウノはそんなに早く結婚したがるの?」
ラウノの腕の中から顔を上げたニナが、ラウノを不思議そうな顔をして見つめている。
寒さからではない寒気が全身を襲ってくる。
血の気が引くとはこういうことかと、ラウノは今まで体験したことのない恐怖を感じていた。
「……ニナは僕と結婚したくなくなった?」
顔色をなくしたラウノが不安そうな声をあげた。
「違うよ。私とラウノは友人の時間の方が長いよね? だから、恋人の時間も新鮮で楽しいし、とても大切だと思ってるの」
どこかに出かける日は互いの家で準備をし、約束の時間に待ち合わせをする。
窓から外を見てラウノはまだかなと到着を待っている間は、わくわくと期待に満ちて胸が高鳴る。そして、遥か向こうに見える小さな馬車の姿を見つけると更に心躍るのだ。
そこまで話したところで、馬車は貴族街に差し掛かった辺りでゆっくりと止まった。御者が外から扉を開くと、ラウノが先に降りすぐさま振り返ってニナに手を差し出す。
いつもよりも冷たいラウノの指先に手を載せると、ニナはゆっくりとステップを降りた。
先ほどまでの喧噪が嘘のように静まった街路に、聖堂まで続く灯火が道標のように続いている。
女神を祀る聖堂では、聖なる日を祝うための白い花が用意されている。参列した者は、厳かにベールを被った女神像にその花を贈って祝うのだ。
「……マーリア嬢が心配してたよ」
言うか言うまいか迷った揚げ句に、伝えることを選んだラウノは自分らしくないなと考えながらそれを伝えた。
「やっぱり情報元はマーリア様か。なんで分かったんだろう。我ながら完璧に隠し通せた自信はあったんだけどね」
ただの世間話を装って、知らないことを聞いただけという体を貫いた。顔にも出ていなかった自信はある。
「マーリア嬢は腹のさぐり合いが常の社交界で、女王然として君臨している人だよ。純粋なニナの考えていることなんて、一目で読みとるに決まっている」
マーリア様に似つかわしくない言葉ばかりが、ラウノの口から飛び出してきている。
なんだかラウノの中のマーリア様は、どこぞの悪の親玉のみたいな人物になってるね。実際のマーリア様は繊細で綺麗で優しくて、全然そんな人じゃないのに不思議。
その時、ニナの頭上を白いものが舞い始めた。
「ラウノ雪だよ!」
「どおりで寒いはずだ」
「ラウノ、雪を取って!」
ラウノの腕を掴んでニナが楽しそうに飛び跳ねている。素早く落ちてきた雪を掴むと、ニナに向けて手を差し出した。
「これでいいの?」
ラウノが広げて見せた手のひらをぎゅっと握りしめたニナは、嬉しそうに顔を上げた。手のひらの雪はとっくに溶けて、残っているのは小さな水滴だけだ。
「今年初めての雪に触れた恋人たちは、ずっと一緒にいられるんだって」
冷たくなっていたラウノの手を温めるようにニナの手で包むと、ふたりの体温が混ざり合って溶けてしまいそうだ。
「だったら、これでずっと一緒にいられるね」
「ずっと?」
「ずっと!」
鼻先がくっつきそうになるほど顔を寄せ合ったふたりはふっとどちらともなく笑うと、手をつないで聖堂への道を歩き出す。
「恋人の間にしかできないことを、今はラウノとたくさんしたいよ」
「たとえば?」
舞う雪で先の見えない高台を指さしながら、秘密でも打ち明けるようにニナが言う。
「聖堂の高台にある鐘を一緒に鳴らしたら、恋が実るんだって」
「もう実っていたら?」
「もっと実って花が咲くかもね」
他愛もないことを話していると、聖堂の開放された門扉が見えてきた。普段は固く閉じられている門だが、この期間だけは来訪者に向けて開放されている。
「他にも色々あるんだけど、ラウノは何か知ってる?」
庶民の間に伝わるお遊びにようなものだ。貴族のラウノは知らないかもしれないなとニナは考える。
「そんなにたくさんあるの?」
「そう、恋人に纏わる謂われある場所が各地あるんだよ。想いが通じるとか永遠に一緒にいられるとか。前は永遠なんて大袈裟だなと思ってたんだけど、今なら永遠を願う気持ちも分かるよ」
教会関係者から手渡される花を受け取りながら、聖堂を訪れた人々の後に続く。
「永遠に一緒にいたいね」
花を持っていない方の手を強く握られたニナは、同じくラウノの手を握り返した。
「永遠に一緒にいようよ」
永遠なんて無理だと分かっていても、一緒にいたいという気持ちを分かち合えるのは幸せだと思う。
これからもずっと続くふたりの未来を、手のひらに消えた雪に願った。




