13.祝福の歌(3)
ベルタはニナの父親の執務室へと誘導され、勧められるがまま対面に腰をおろした。ベルタがこの屋敷に住むことをニナとその母親は諸手を挙げて喜んでいるが、決定権があるのはあくまで父親だ。
いわば屋敷に迎え入れられるための面談のようなものなのだろう。緊張のあまりベルタはごくりと唾を飲み込んだ。
「君がベルタさんだね。妻とニナから事情は聞いているよ。突然自宅を出ないといけなくなったそうだとか」
「おふたりの厚意に甘えて、何日も滞在してすみません」
「どうにも彼女たちは人を信用しすぎるきらいがあってね」
ニナの父親は苦笑いすると、ベルタをじっと見つめている。
見透かされているような気になりびくびくとしているベルタに、ニナの父親は苦笑いを浮かべる。
「取って食うつもりはないからそんなに緊張しなくてもいいよ。一応ニナにも事情を聞いたんだけどね、なんだか要領を得なくて。だったら当事者の君の口から事情を聞きたくて」
ベルタは膝の上に置いた手をぎゅっと握ると、俯いていた顔を上げた。
きっとニナの父親の言うとおり、ニナはベルタとの出会いを話していないのだろう。
黙っていればきっと今後もニナは庇ってくれると確信できた。しかし、婚約者の番などと卑劣な嘘を口にしたベルタを、温かく招き入れてくれたニナにこれ以上顔向けできないようなことはしたくない。
ニナの父親に罵倒されようと、これ以上自分を守るために偽りを述べることだけはしないと決めていた。
「申し訳ありません。本来はわたしはこの場にいられるような者ではありません」
深々と頭を下げるベルタに、ニナの父親は少しも表情を崩さなかった。
「それはどうして?」
「わたしは嘘をついて、ニナさんの大切な人を疑わせるようなことを言ってしまいました」
嘘だったことを詫びようとニナを待っていたら、怒るどころかベルタの事情を汲んで家に招き入れてくれたこと。
図々しくもその言葉に甘えて何日も滞在してしまったことを、ベルタは何度か言葉に詰まりながらも話し終えたのだった。
白くなるほど強く握りしめた拳は、小刻みに震えている。堅く唇を噛んだベルタは、ニナの父親の言葉を待っていた。
「君のしたことはあまり褒められたことではないね」
「……はい」
「ただ、それはニナにとっては取るに足らないことだったんだろう」
ベルタの告白を聞いたニナの父親は納得したように頷くと、微かに笑みを浮かべながらそう告げた。
「え?」
罵倒されることを覚悟していたベルタだったが、あまりにあっさりと言うニナの父親に驚きを隠せない。ニナの父親は楽しそうに目を細めるとニナについて話り始めた。
「僕は人からよく物を見る目があると言われていてね。意識しているわけではないけど、それなりの審美眼があるらしい。そのお陰で、今まで大きな損害もなく商会をやって来れたんだ。娘のニナは人を見る目があってね。あの子が仲良くなりたがる相手に悪人はいないんだよ」
だからニナが連れて来たベルタであれば、何も反対はしないよとニナの父親が言った。
「わたしはお金を持っていません。歌手を目指していますが、まだまだただの雑用です。こちらに置いてもらっても何もお返しできるものがありません」
「僕は商売人だからね。君を招き入れることには打算があってのことだ。妻はニナの結婚を喜んでいるけれど、それでもやはりニナが家を出ていくのは寂しいらしい」
夫の目から見ても、妻と娘の仲は非常に良好だ。
ニナの母親は娘が心から愛する人と結婚することを、誰よりも喜び祝福していた。まだ早いのではないかと溜息交じりに言う父親を、困った人ねと呆れながら窘めている。
「君をニナの代わりにするというわけではないが、ニナ不在の場所に贔屓の歌姫がいれば、妻も少しは気が紛れるだろうと考えてるんだ」
「歌姫だなんて。わたしは舞台にも満足にでられないような下っ端です」
「歌劇団員の生活は楽ではないと聞いている。歌だけでは生活できず、副業をしなければ生活が成り立たないと」
「……はい」
それはベルタが考えなければならない未来だった。
歌劇団に所属していても、売れて高額な報酬を得ているのはほんの一握りだ。
劇団員の中には生活費のために苦渋の選択で体を売る者もいる。貴族に見初められ、支援を得られた歌手は運がいい方だ。
「君はニナの友人であるし、何より妻が君の歌声をとても気に入っている。うちは商会を営んではいるが、底なしに財があるわけでもない。皆を助けることは到底無理だし、そこまでする義理はない。だが、わが家は君の後援をしようと思う」
驚いて顔を上げたベルタにそう告げる顔は、父親の顔をしていた。
「だから、生活のためにと悲しい選択をしてはいけないよ。何よりニナが悲しむ。だったら、この家で暮らしなさい。だが、次に僕の家族に悪意を向けたら容赦はしない。分かったね?」
ニナの父親は、娘と妻の前とはまったく違う顔をしている。
これが大商会の会頭の顔なのだろう。厳しい物言いをしているが、ベルタに告げた内容は労りに満ちたものだった。
執務室から出てきたベルタをニナが待ちわびていた。
「お父さんの話なんだった?」
「……初めて仕事をもらえたわ」
放心したようにその場に立ちすくんだベルタがそう呟いた。
ベルタがこの家に住むにあたって、父親からの多少の小言はあるかもしれないと考えていた。しかし、ベルタから帰って来たのは思いもよらない答えだった。
「仕事? ベルタちゃんは歌手なのに、まさか商会の仕事をしてもらうの?」
困り顔のニナを見て、ベルタはぷっと吹き出した。
「きっと考えていることとは違うわ。ニナの結婚のお祝いをするから、その席で私に歌って欲しいって」
眦に涙を浮かべたベルタはニナに抱きつくと、小さく嗚咽をあげ始めた。
「初めて歌のお仕事をもらえたの。どうしよう、ニナ。私、嬉しい!」
「ベルタちゃんが、私のために歌ってくれるの?」
そんな素敵な計画があるなら、先に教えてくれたら良かったのに。
お父さんは案外秘密主義なんだよね。
目の前で嬉しそうに涙を浮かべているベルタを見ていると、ニナは小躍りしたいような気分になってきた。
「その時にはあのとっておきのドレスを着るわね」
虹色に舞うドレスを着たベルタが、ニナへ向けて祝福の歌を歌う。そんな未来が、涙で滲んだベルタの目には浮かんでいた。
ニナの声を聞きつけた父親が部屋から顔を出した。
「さっきラウノ様の使いの方がいらっしゃってね。明日の午後、ラウノ様がニナを迎えに来られるそうだよ」
そう言うとニナの父親は、ラウノからの封蝋された封筒を渡した。
受け取りながらニナは軽く首を傾げると、ゆっくりと蝋を割って封を開ける。そこにはラウノの几帳面な字で聖なる日を一緒に祝おうと書かれていた。
女神が降臨したと伝えられる聖なる日から前後数日間は、女神を祝う人々で国中がお祭り騒ぎになる。
ニナの住んでいた街でも賑わいを見せていたが、王都の盛り上がりは比べものにならないほどだ。至る所で女神を顕す白い花が飾られ、普段は闇に紛れる時間帯であってもこの期間は明々とした灯に照らされている。
「明日までお仕事あるって言ってたのに、予定が変わったんだね」
入っていたカードを見ながらご機嫌なニナをよそに、ニナの父親はなんとも言えない顔をした。しかし、すぐに元の表情に戻ると、暖かい格好をして行くようにと付け加えた。
ニナの父親の懸念をベルタも感じ取ったようで、その場で強ばった顔をしたまま固まっていた。
「大丈夫だよ。ラウノ様のことはニナに任せよう」
「……はい」
不安そうな顔をしたまま、ベルタは頷いた。




