11.祝福の歌(1)
それは突然の出来事だった。
ニナが王都の街を歩いていると、突然見も知らぬ少女に声をかけられたのだ。声をかけるというよりは、一方的にまくしたてられたと言った方が正しいのかもしれない。
ニナと同じ年頃だろうか。その少女は黄みを帯びた金色の髪をなびかせて、突然ニナの眼前に立ちはだかった。
「わたしは彼の番なの。本当はわたしが彼と結婚するはずだったんだから!」
「えーと、そうなの?」
「そうよ!」
鼻息荒くそう答える少女にニナがあっけにとられている間に、少女は踵を返して駆けていった。
嵐のように去っていった後ろ姿を眺めながら、考え込むように眉間にしわを寄せていたニナは、ハッと顔を輝かせて呟いた。
「あの子雪の精だ!」
思い出せずもやもやとしていたニナだったが、スッキリと思い出せたところではっと我に返ると、今のはなんだったのだろうと首を傾げた。
◇
「ニナさんのご両親はいつまでこちらにいらっしゃいますの?」
向かいに座ったマーリアが、それは優雅にカップを置くとニナに問いかけた。
結婚式の打ち合わせがあるからとラウノに呼ばれ王都に滞在しているニナだったが、ラウノが仕事で遠方へ外出しているのを知ったマーリアが屋敷に招いてくれたのだ。
特に何をするわけでもないが、手入れのされた庭園を見ながら二人で楽しむおしゃべりは至福の時だ。
「こっちでの結婚式の準備があるから来週まではいるみたい。その時に私も一度帰る予定なの」
「ニナさんがお帰りになると淋しくなりますわ」
眉尻を下げてそう言うマーリアが心から寂しがっていてくれることが伝わってきて、ニナの顔が綻んだ。普段は凜としたマーリアが時折見せる意外な表情は、そのたびにニナの胸をときめかせる。
「また、すぐにこちらに来るよ。ラウノはずっとこっちにいればいいって言うんだけど、そうもいかないよね」
仮にもニナは嫁入り前のうら若き乙女である。
いくら番を得た獣人が暴走しがちとはいえ、娘には手順を踏んだ結婚をして欲しいと父親に泣かれたのだ。
そのことをラウノに告げると、一瞬だったがどこからか獣のような唸り声が聞こえた気がした。きょろきょろと辺りを見回すニナに、ラウノは何も聞こえないよと微笑んでいた。
「お待ちしておりますわね。それにしても、お父様が長期不在にされて商会は大丈夫ですの?」
「親戚のお兄さんがいるから大丈夫」
父親はニナに商会を継いでもらいたがっていたと思っていたが、ラウノとのことを相談するとすぐさま従兄を後継にするとニナに告げた。
あまりにあっさりと受け入れられたため、正直ニナは拍子抜けしたものだった。
多少なりとも悩んでいたのはなんだったのか。
「父方の叔父さんの長男でね。次男のお兄さんもだけど、二人には子供の頃から可愛がってもらってるの。とても信頼できる人たちだから、安心してお店を任せられるって」
「それは頼もしいですわね」
ふふっと顔を見合わせて微笑み合うと、そういえばとニナが話を切り出した。
「獣人の番って何人もいるものなの?」
「なぜそのようなことを?」
真顔になったマーリアが、探るような視線をニナに向けている。その変わりように焦ったニナだったが、狼狽えていることを気取られないように平静を装って話を続ける。
「特別な意味はないの。番のことをあまり知らないから少し気になっただけ」
「獣人にとって番というのは崇高で尊いものですわ。出逢える獣人はほんの一握り、出逢えることはこれ以上ないほどの幸運を意味しますのよ。それが複数だなんて番への冒涜ですわ」
「そうなんだね。変なこと聞いてごめんね」
「いいえ。理解していただいたみたいで安心しましたわ」
マーリアの表情が穏やかになったのを見て、ニナはホッと胸をなで下ろした。しかし、眉をひそめたマーリアが、じっと見つめていることにニナは気づく由もなかった。
マーリアの屋敷を辞する頃合になりニナが別れを告げて屋敷を後にすると、マーリアはすぐさま控えた侍女に声をかけたのだった。
結局ニナが家に帰り着いたのは、夕方になってからだった。
ニナの一家は王都に家を持たないため、商会の所有する別邸に滞在している。貴族の屋敷ほど大きなものではないが、客を招く機会も多いためいくつかの客間を備えている。
「あの、ちょっと……」
門扉をくぐろうとしたところで、聞いたことある声が聞こえてきた。
「あ!」
そこにいたのは、数日前に遭遇したあの少女だった。不安そうな表情でニナの出方を窺うように立ち尽くしている。
「こんなところでどうしたの?」
「謝らないといけないと思って……」
「番のこと?」
「そう。……もう話したよね?」
そう問いかける少女の指先は小さく震えている。
ラウノは貴族令息だ。その番だと偽りを告げたことが耳に入れば、一体どんな罰を与えられるのか。
眼前の少女はまるで雪のように白い顔色をしていた。
「大丈夫。何か理由があるんだと思って、誰にも言ってないよ」
小さく震えていた少女は、あからさまにほっとした様子でがくりとしゃがみ込んでしまった。
ニナは少女に手を差し伸べると、ゆっくりと立ち上がるようにと促した。
「あなた雪の精を演じていた子だよね?」
顔を上げて驚いたように目を見開いた少女は、びくりと肩を震わすと警戒するようにニナを見つめている。
「違うよ。調べたわけじゃないから安心して。両親と、あなたの出ていた演目を観に行ったの。雪の精の右端の子がとても可憐で綺麗な声をしてるって母が褒めてたよ」
「……雪の精は三人もいたのに?」
「母は歌劇がとても好きで耳もいいみたい。せっかくだから中でお話ししない? あ、ラウノのことはもう解決してるから心配しなくていいよ」
少女はニナの言葉を半信半疑に受け取りながらも、さりとて拒否もできずに門扉をくぐった。
ベルタと名乗った少女は、ニナに言われるがまま客間に向かうと通いの使用人が茶を淹れ始めた。
「マーリア様からもらったお菓子があるの。あれを出してもらえる?」
「あまり食べるとお食事が入らなくなりますよ」
「大丈夫。お腹は空いてるからどっちも入る」
「だったら、おまけでクリームを添えましょうかね」
「ありがとう!」
気安く話す年嵩の使用人が部屋を出ていくと、逡巡していたベルタが口を開いた。
「番と偽ったことは本当にごめんなさい。劇団ではまだ端役しかもらえないし、住んでる部屋も出て行かないといけなくなって絶望的な気持ちの時に、貴族に見出されたあなたの噂を聞いたの。偶然あなたが目の前を通ったから、羨ましくて嘘をついてしまいました」
ベルタは詫びの言葉を告げながらテーブルに額が付きそうになるほど頭を下げると、そのままニナの言葉を待った。
「そっか。おうちがなくなると大変だよね。気持ちが荒むのも仕方ないよ」
力強く拳を握りながら力説するニナを見ながらあっけにとられていたベルタだったが、ふと我に返って問い返した。
「それだけ?」
「えーとね、番は何人もいないんだって。だから、ベルタちゃんが言ってのは違うんだろうなと思って」
「……わたしが言うのもなんだけど、あなたはもう少し警戒した方がいいと思う」
使用人が菓子と紅茶を用意して部屋に入って来たところで、扉の外にいたニナの母親が部屋の中に視線を向けた。
ニナと見知らぬ少女がいることに気づいた母親は、少し部屋の中に歩を進めるとニナに声をかけた。
「あら、新しいお友達?」
「そうなの。お母さん、ベルタちゃん。分かる?」
ニナに言われてベルタの方を見た母親は、あっと驚いた顔をして破顔した。
「雪の精の右側の子ね」
当てたことを自慢するかのように、誇らしげな表情にした母親がニナに正解を促す。
「当たり! 偶然お知り合いになったの。それでね、ベルタちゃん住んでるところを出ないといけなくて困ってるの」
「だったら、うちに泊めてあげたらいいじゃない」
「ありがとう! ベルタちゃん良かったね」
自分の介在できないところでどんどん話が進んでいくことについていけないまま、ベルタの身の処し方は決まってしまったようだ。




