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上武天禄記  作者: ytaka
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⑧武田信玄、西上州を攻める(関東古戦録上巻P154-156)

小幡憲重:永正十四年(1517年?)~天正三年(1575年?)

上野国国峯城主。妻は長野業政の娘。小幡氏は上野国衆で関東管領の山内上杉氏に仕えていたが、上杉氏が相模国の後北条氏との抗争で衰退すると長野氏との関係が悪化し、さらに一族の内紛が勃発する。永禄二年(1559年)五月、憲重は草津(一説には熱海)温泉に行っている留守をつかれて国峯城を追放されるが、永禄四年に奪還する。

参考・引用:口語私訳箕輪軍記P4-6、中世武士選書4箕輪城と長野氏P135-140、ウィキペディア


小幡景純(図書之助):?~?

上野国国峯城主。小幡憲重の弟。妻は長野業政の娘。永禄二年(1559年)五月憲重の留守中に業政の援助を得て国峯城を奪い取るが、永禄四年に奪還される。

参考・引用:口語私訳箕輪軍記P4-6、中世武士選書4箕輪城と長野氏P135-140、ウィキペディア


 永禄四年(1561年)十一月、信玄は上野国を攻め取らんと一万三千余騎を率いて甲府を出発し、内山峠を越えて西牧の砦に着場した。

 信玄は小幡尾張守憲重(箕輪軍記では信貞)と対面し、「相婿である図書之助(小幡景純又は景定)はどんな人物か」と尋ねた。

 尾張守は「器量見かけは立派でありますが物事にすぐ驚きます」と答えた。

 これを聞いた信玄は、

「小荷駄を運ぶ馬に提灯を二個ずつ付けさせ、馬を引く者にも松明を持たせるよう準備せよ。また、予の旗本では竿頭に提灯を結び付けておいて、国峯城に迫って旗本が提灯を高く差し上げるのを合図として、小荷駄の松明・提灯に火を灯し、城近くの高場の所へ一気に押し上げよ。その時、急に城攻めをして、敵を脅せば城を乗っ取ることができよう」

 と計略を示した。

 そして、信玄は西牧を出て甘楽郡に向かったが、例の計略があるのでわざとゆっくり進み、黄昏に国峯に取り懸かった。旗本が合図の提灯を差し上げるやいなや、内藤修理亮は小荷駄の提灯や松明に火をつけさせて高い所に追いのぼらせ、鬨の声を発した。大手を攻めていた甲兵も同時に鬨を作り、叫んで攻め寄せたので、城方の図書之助はすっかり動転し、しばらくは奮戦して支えたものの、すぐに防戦は不可能と考えて自害してしまった。


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