Cafe Shelly チョコレート・ラプソディ
とうとうこの季節がやってきた。私の腕の見せどころ、バレンタインが訪れる。さぁ、今年はどんなチョコレートをつくってやろうか。腕まくりをして、ねじりハチマキでやったるぞ。
「で、ちよみ、今年はどんなチョコレートを食わせるつもりなんだよ」
幼馴染のタモツ、2月に入って早々、学校に行く時にそう言われた。思えばこのタモツに小学二年生の時に初めて手作りチョコレートを作ってあげてから、私のバレンタインは始まった。
タモツとは隣同士、生まれた時期も近いことからおむつを履いているときからずっと一緒にいる。保育園、小学校、中学校とずっと同じところに通い、そして高校も同じ。彼氏彼女の関係というよりは、双子の姉弟といった関係に近い。あ、ちなみに私のほうが一ヶ月だけ誕生日が早いので、たまに姉貴ヅラさせてもらっている。
「ふふふ、タモツくん、それは愚問というものだよ。こういうのは渡される当日まで楽しみにとっておくものだよ」
「何が楽しみなもんか。オレはいつもお前の実験台にさせられているだけじゃねーかっ!」
「実験台とは失礼ね。将来は世界に羽ばたくチョコレート職人になるのが私の夢なんだから。そのための土台づくりと言いなさい!」
「何が世界に羽ばたくチョコレート職人だよ。去年のチョコレートなんかゲロ不味くて食えたもんじゃなかったじゃねーか。初めてだよ、甘くないチョコレート食ったのは」
「あー、私の優しさが伝わってないなー。あれはカカオ95パーセントで、材料費はむちゃくちゃ高かったんだぞ。カカオって体にいいんだから。タモツのことを思ってだなー」
「お前、あのチョコレートはちゃんと試食したのか?」
「し、したよ。チョコレートだけに、ほんのチョコっとだけど」
そう言ったら頭をしばかれた。
「ったく、自分でも食えねぇものを人に渡すんじゃねぇ!ちゃんと食えるやつをオレに渡せよっ!んとに、実験台はオレだけにしておけよ。被害が他に出ないうちに止めておかないといけねぇからな」
タモツはいつも私のことを考えてくれている。とてもありがたい存在だ。けれど恋心というのはない。いつも一緒にいるから、ホント家族みたいな感じなんだよね。
タモツは私の夢をバカにしたりはしない。むしろ応援してくれている。だから私も、安心してタモツに愚痴をこぼしたり、いろんなことを頼ったりできる。周りからは不思議な関係だと言われているけれど。でも、タモツ以上の存在はいない。
そんなタモツだけれど、最近ちょっと様子がおかしい。タモツは野球部にいるんだけど、うちの高校はいわゆる弱小野球部。今まで一回戦敗退というのが当たり前のチームだけれど、ふざけているわけではない。ちゃんとした指導者に恵まれていないということがある。
そんな野球部で副キャプテンを努めているタモツ。どうやらキャプテンとの仲がイマイチのよう。練習のやり方に対して、意見が分かれているらしい。
タモツは外部から指導者を呼びたいという希望を持っている。けれど、そういった適任者がこのあたりにいない。キャプテンは今までどおり、自分たちでやっていきたいという。今さら外部の力を借りても、そんなに強くなるはずがない。目指せ甲子園なんて、夢のまた夢。野球を楽しんでいきたいというのがキャプテンの考え。
監督である先生は野球の素人で、生徒の好きにさせている。とても指導者とはいえない。野球部員も適当な練習で、草野球を楽しんでいる程度のメンバーが多い。そのため、どちらかというとキャプテン派に偏っている。
タモツは野球部では孤立した状態。味方がいない中でも、真面目に野球に取り組んでいる。私はそんなタモツが心配でしょうがない。
「ねぇ、タモツ、部活の方はどうなの?」
「どうなのって…お前が心配することじゃねぇよ。まぁ、オレがガマンすればいいだけのことなんだろうけど。でも、やっぱ勝ちたいよなあ…」
万年一回戦負けのチームのまま終わるのが、タモツには許せないらしい。せめて一回戦くらいは勝って欲しい。
「とにかく、きちんとした指導者が現れてくれればいいんだよ。そういった人がいないからなぁ」
指導者か。それは大きな問題だな。
「ところでよ、ちよみもきちんとした指導者から指導を受けたほうがいいぞ。いつまでも自己流でやっていても、一流のチョコレート職人にはなれねぇぞ」
「それはわかってる」
実はこれ、私の悩みでもある。タモツと同じように、この街にはそういった指導をしてくれる人がいない。いや、いないわけじゃないんだろうけど、どうやって探せばいいのかがわからない。
そんな感じで今日という日が過ぎていく。タモツとは登校のときには一緒だけど、下校はバラバラ。私は下校の時に市の図書館へと足を運んだ。もちろん、チョコレートのヒントを探すためだ。これはバレンタインのときだけでなく、よく図書館でチョコレートの調べ物をする。これが私の部活みたいなものだ。
「さてと、今日はどれを借りようかな…」
図書館で探すのはチョコレートの本だけではない。お菓子全般から学び、それをチョコレートに活かすということも考えている。でも、この図書館にあるお菓子の本は一通り読んでしまっている。何か新しい情報はないかな。
本棚の前でちょっと悩んでいると、肩をトントンと叩かれた。
「えっ?」
「突然ごめんなさい。あなた、ここでよくお菓子の本を借りているよね」
声をかけてきたのは、図書館の職員の女性。
「あ、はい」
「将来、お菓子作りの道に進みたいのかな?」
「そうなんです。その中でも特にチョコレート職人になりたくて。だから今のうちからいろいろと研究をしようと思っているんです」
「そうなんだ。実はね、私以前お菓子屋さんだったの。いわゆるパティシエ。そこでケーキやクッキーをつくっていたわ。もちろん、チョコレートも手がけていたの」
あらためてその女性を見る。年の頃はもう四十代って感じ。でも、その笑顔はチャーミングでとても素敵な方だ。
「それでね、あなたがいつもお菓子の本を借りたり、ここで本を読んでいる姿を見て昔のことを思い出しちゃって。それで声をかけさせてもらったの。迷惑だったかな?」
「迷惑だなんてとんでもない!むしろ光栄です。私のことを理解してくれる人って、家族とタモツくらいしかいないから」
「タモツって?」
「あ、私の幼馴染なんです。まぁ、私の実験台ともいえますけど。今まで試作品のチョコレートをたくさん食べてもらって、私のストレートな感想を言ってくれるんです」
「うふふ、なんだかいい関係ね」
タモツのことを人に話したのって、初めてじゃないかな。そして、そう言ってくれるとすごくうれしい。それから少しだけ職員の女性と話をさせてもらった。
その女性、私と同じように子どもの頃からパティシエを目指していて、専門学校を卒業してからはホテルの製菓部門に就職。けれど、そこでの修行は大変だったそうだ。聞けば、お菓子作りの世界って体育会系らしい。上の命令は絶対、どんな理不尽と思えることでも言うことを聞かないといけない。
そこで少しずつ役割をもたせてもらい、お菓子作りの技術を向上させる。また、一つのお店にとどまることはほとんどなくて、いろいろなお店を転々とする人が多いとか。そうして十年ほど経ってから地元であるこの街に戻ってきて独立開業。小さな洋菓子店を開いて、徐々に人気が出てきたとか。
「でもね、パティシエって立ち仕事だから。それで腰をやられちゃってね」
「腰、ですか?」
「うん。思ったように動けなくなっちゃって。それに、一人でお店を切り盛りしていくのが辛くなっちゃって」
「ずっとお一人でやっていたんですか?」
「パートやアルバイトは雇っていたんだけど。職人は結局私一人。理想と現実は違いなっていうのを思い知らされたかな。それでお店は閉めちゃって。今は無理のない仕事をして、お菓子づくりは趣味の範囲で今もやってるかな」
「なんかもったいない話ですね。私が専門学校を卒業したら、ぜひ弟子入りさせてもらうところなのに。私、ずっと独学でやってkたから、ちゃんとしたお師匠さんみたいな人が欲しくて」
「お師匠さんはちょっと無理かもしれないけど、あなたの研究熱心なところを見ていたから、何かお手伝いできることはないかなって。そう思って声をかけてみたの」
「ほ、本当ですか!」
図書館の中で思わず叫んでしまった。この時、周りの視線が痛かったなぁ。
「あはは、喜びすぎだよ。もうすぐバレンタインデーがくるから、私も何か作ろうと思っているの。あなたは土日とか時間はあるのかな?」
「はい、今度の土日も空いています」
「じゃぁ、兄がやっている喫茶店に来ない?ここでチョコレートクッキーを一緒に焼きましょう」
そっか、今まで私はチョコレートといえば生チョコを溶かして型に入れる、そういうのしかイメージしていなかった。けれど、クッキーに応用するという考え方もあるのか。言われればそうだって思うけど、今までそんなことすら気づかなかった。
「はい、わかりました」
そのあと、その人の手作り名刺をもらって、お兄さんがやっているという喫茶店の場所を教えてもらった。
「じゃぁ土曜日の十時にここで、楽しみにしてるね」
「はいっ!」
私も土曜日が楽しみになった。今年はチョコレートクッキーをタモツに渡すことにしようかな。そう考えたらワクワクしてきちゃった。
翌日、私はニコニコ顔。
「ちなみ、おまえなんかいいことでもあったのか?今日はやたらとニコニコしてるけどよ」
「へへーん、ヒ・ミ・ツっ!」
「まぁいいけど。オレにもなんかいいこと起きねぇかなぁ。なんか部活もしんどいし」
めずらしくタモツが弱気になっている。
「タモツ、どこかにいい指導者って見つからないの?」
「そんな人がいれば、とっくに問題は解決しているんだけどなぁ」
こればかりは私は何もできない。
「お前はどうなんだよ?いつまでも一人でチョコレート作っても、腕は上達しねぇだろう」
「そうそう、それなのよ。私にもいい指導者ができそうなの」
タモツに昨日の出来事を話した。
「へぇ、そんな人がいるんだ。今年はマシなチョコレートを口にできそうだな。オレのためにも、しっかりと勉強してこいよ」
そう言って頭をポンポンとたたかれる。えへへ、なんかこういうの、いいな。
タモツの期待に応えるためにも、しっかりと勉強しなきゃ。そしてタモツを元気づけてあげよう。
そうして迎えた土曜日。私は指示された場所へと足を運んだ。そこは街中にある路地。その通りは幅は狭いんだけど、パステル色のタイルが敷き詰められて、とても明るい雰囲気。指定されたお店「カフェ・シェリー」はその通りの真ん中あたりにある。
「あ、ここだ」
黒板にチョークで描かれた看板が目に入る。そこにはこんな言葉が書かれてあった。
「運命の出会いが自分と、そして周りの人を変えてくれます」
運命の出会いか。今日指導をしてもらう図書館の人、ふみえさんと出会ったのも運命の出会いだと私は思っている。ここからチョコレート職人への道がさらに近づいた気がするから。だからとても楽しみ。
目指す喫茶店、カフェ・シェリーはビルの二階にある。トントンと軽快に階段をのぼり、勢いよく扉を開く。
カラン・コロン・カラン
心地よいカウベルの音が鳴り響く。同時に聞こえる女性の「いらっしゃいませ」の声。
「あ、ちよみちゃん。いらっしゃい」
別方向からその声が。声の主はふみえさんだ。ニコリと笑って私を出迎えてくれた。
「あ、この子がふみえさんの弟子なんだ」
さっき、いらっしゃいませの声を発した女性がそう言う。髪が長くて、とても綺麗なお姉さん。
「弟子だなんて。でも、今日はしっかりと私の持っているものをちよみちゃんに教えていくからね」
「はいっ!」
元気に返事をする私。弟子って言われて、なんだか嬉しい。こういう頼れる人がいると、なんか安心するな。
「紹介するね。カウンターにいるのがこのカフェ・シェリーのマスターで私の兄。そしてこちらが兄の奥さんのマイちゃん」
「お、奥さん!?」
これには驚いた。マスターはどう見ても四十代半ばって感じの、いわゆる中年のおじさんである。けれど、マイさんはまだ二十代半ば。今は美魔女とかいるから、ひょっとしたら四十代とか?
「あはは、驚いているようだね。私たちは年の差婚なんだよ」
マスターが笑いながらそう説明してくれる。このお店って、なんだかいい雰囲気だな。
「じゃぁ早速、チョコレートクッキーを作っていきましょう。ちよみちゃんはクッキーは焼いたことがあるの?」
「うぅん、実はクッキーは小学生の頃に一度だけ焼いた事はあるけれど。あの時に黒こげで失敗してから、作ったことがないんですよね」
「あはは、私もそうだったよ」
マイさんも笑いながらそう言ってくれる。
「けれど、それからふみえさんに習いながら、何度も練習したおかげで、今ではこのお店で出すクッキーは全て私が焼かせてもらっているの」
「そうそう、マイちゃんの最初のクッキーって固くてとても食べられたものじゃなかったもんね。実はね、私もそうだったの。小学生の頃に焼いたクッキーで大失敗しちゃって。私の場合は、なんだか生っぽくて。みんな失敗することからスタートしているんだよ。失敗したからこそ、やっちゃいけないこととかやるべきことがわかってくるのよ」
そうなんだ。みんな失敗しているから今は成功しているんだ。なんだか勇気が湧いてきた。
ここからクッキー作りがスタート。今回はチョコレートをどのように入れるんだろう。そこが一番興味が湧くところだ。
「チョコレートクッキーといえば、チョコチップが定番だけど。今回はチョコレートを生地に混ぜ込んだものを作るね」
なるほど、これは参考になりそうだ。しっかりとメモを取りながら、ふみえさんのやることを見ていく。この時にいろいろとプロのテクニックやコツを挟みながら作業を進めていくふみえさん。
「いよいよ型抜きをやるんだけど。今回は定番の丸、ハートの他にもこんなのを持ってきてみました」
取り出したのは動物の型。これは見たことなかったなぁ。
「さすがふみえさん。ワンチャン好きですもんね」
「うん、友達のペットショップのお手伝いもしているからね。マイちゃんはネコが好きでしょ。ちよみちゃんは何が好きかな?」
「えっと、私はこの中でいうと…」
動物の型を一通り眺めてみる。すると、目に入ったのはウサギであった。
「これ、これが好きです」
ウサギの型を手にしてみる。
「じゃぁ、ちよみちゃんの彼は何が好きそうかな?」
「えーっ、ちよみちゃん、彼氏がいるの?」
「彼氏って関係じゃありませんよ。ただの幼馴染です。まぁ、私のことを理解してくれる、大切な人ではありますけど」
照れながらも、動物の型を眺める。すると目に入ったのは馬の型。
「タモツには馬がぴったり合うかな」
「どうして馬なの?」
マイさんが尋ねる。
「タモツ、野球部なんです。根っからのスポーツマンで、足が速いことがタモツの武器なんです。だから馬がピッタリかなって」
「へぇ、彼は野球部なんだ」
「はい。でも、タモツ今困っているんです。うちの野球部って万年一回戦負けってくらい弱いチームなんですよ。でも、タモツはなんとかしたいって思っていて。ちゃんとした指導者がいれば、もっと強くなるはずだって。でも、キャプテンはこのままでいいって方針で。それでタモツはチームの中で浮いちゃっているんです」
「先生はちゃんと指導してくれないの?」
「顧問の先生は野球の素人なんですよ。こんな弱小野球部を指導してくれるような人もいないし」
そんな愚痴をこぼしてしまった。
「そっか、ちゃんとした指導者がいれば、彼の悩みも解決できるかもしれないってことね」
「そうなんですけど…」
そんなことを言いながら、クッキーの型抜きを始めた。
「さぁ、これで一通り終わりかな。あとはオーブンで焼くだけだから。マイちゃん、余熱は終わってるかな?」
「はい。もう入れても大丈夫です」
私は型抜きした生地を天板にのせてお店の奥に運ぶ。
お店の奥には、ちょっと大きなオーブンがある。私の家にある家庭用のものとは違う。やっぱり本格的にやるには、このくらいのものがないとダメなのかなぁ。
「ふみえさん、やっぱりちゃんとしたクッキーを焼くのだったら、いいオーブンを使わないとダメなんですか?」
「そんなことはないわよ。私はお店をやめてから家でクッキーを焼いたりするけど。普通の家庭用でも大丈夫だよ。機材がいいに越したことはないけれど、大事なのは心がけかな。余熱をしっかりとやっておくとか、生地をこねる時にも手を抜かないとか。こういった一つ一つの動作をきちんとやっていくのが、プロと素人の違いとも言えるかな」
一つ一つの動作をきちんとやっていく、か。そう言われると、私ってすぐ手抜きをしてしまうことがある。面倒だなって思って、適当にやっちゃうんだよね。やっぱ、いい指導者につくと今までやっていたことのダメさがわかるなぁ。
「おーい、コーヒー入ったからクッキー焼き上がるまでは一息つかないか?」
カウンターからマスターがそう叫んだ。
「はーい。じゃぁお店に戻ってコーヒーをいただきましょう」
そうして私たちはお店の真ん中にある三人がけの丸テーブル席へと移動した。
「はい、このコーヒーは魔法がかかっているから、飲んだらどんな味がしたのかを教えてね」
マイさんがそう言ってコーヒーを差し出してくれる。魔法ってどういう意味だろう?
「あ、ちよみちゃんはお砂糖とミルクがいるかな?」
「あ、ミルクだけいただけますか?さすがにブラックはきついから」
私はいただいたコーヒーにミルクを入れて、早速飲んでみた。あまりコーヒーって飲みなれていないけれど、そんな私でもこのコーヒーが美味しいのがわかる。インスタントとはぜんぜん味が違う。
コーヒーって苦いってイメージしかなかったけれど、このコーヒーには甘みがある。包み込まれるような温かさも感じられる。まるで今のこの時間そのものだ。今までチョコレート作りって、一人でやってきた。試行錯誤を繰り返し、タモツを実験台にして様々なチョコレートを作ってきた。中には失敗作もある。
けれど、こうやって指導してくれる人がいると、安心してチョコレートづくりに取り組める。うん、私、こんな環境を望んでいたんだ。やっぱり本格的にチョコレート作りを勉強しようと思ったら、ちゃんとした指導者の下でやらなきゃいけないな。できればふみえさんに弟子入りしたいくらいだな。
「コーヒーの味はどうだったかな?」
マイさんの声でハッとさせられた。私、コーヒーを飲んだ後に自分の世界に入っちゃってたみたい。
「あ、おいしいです。今まで飲んだコーヒーの中では一番だと思います。苦いだけじゃなく、甘さが感じられる。それが私を包み込むような感じがして。とても安心できるんです」
「そうか、ちよみちゃんが今欲しいのは包み込まれることによる安心なんだね」
「えっ、ど、どうしてそれが?」
ズバリ指摘されたことに驚いた。さっき自分の世界に入っていた時に、指導してくれる人に包み込まれることの安心感を感じていた。それがマイさんにはわかったのだろうか?
「ふふふ、不思議な顔をしてるね。これがシェリー・ブレンドの魔法なのよ」
「魔法って、なんなんですか?」
「このシェリー・ブレンドは飲んだ人が今欲しいと思っているものの味がするの。人によっては苦い時もあるし、ちよみちゃんみたいに甘いって感じる人もいるし。場合によっては、欲しいものが頭の中に映像として浮かんでくることもあるのよ」
今欲しいと思っているものの味がする。まさにその通りだった。私が欲しいのは指導してくれる人、その人に包み込まれることによる安心感。
「私、今までずっと一人でチョコレート作りやってきました。でも、今日はふみえさんにこうやって教えてもらって。そしてマイさんと一緒になってチョコレートクッキーを作って、とても安心しているんです。しっかりとした指導者に教えてもらうって、本当にありがたいことですよね」
「そうね、私も中学生の頃までは本を見たりして独学でお菓子作りをやってきたな。高校に入った時に製菓コースっていうのがあるところに行ったの。そこではお菓子作りだけでなく、調理のイロハから教えてもらって。それが今も根付いているかな。だからちゃんとした指導者に教えてもらうって、とても大切なことなのよね」
ここでタモツのことを思い出した。やっぱりあの野球部も、きちんとした指導者に教えてもらうべきだ。ただ楽しく野球をやるだけでは発展性がない。本当に楽しくやるためには、きちんとした指導者が必要だと思う。
「ふみえさん、マイさん、タモツの野球部にもきちんとした指導者が必要だと思うんです。でも、どうすればいいのかな…」
「野球の指導者か。誰か心当たりがあれば紹介するんだけど。私の知り合いにはそんな人がいなくて」
ふみえさんは残念そうな顔でそう言う。
「あ、野球の指導者じゃないけど、一人いい人がいるよ」
マイさんがそう言い出した。
「誰なんですか?もしよかったら紹介してください!」
タモツに指導者を紹介したい。一体どんな人なんだろう?
「羽賀さんが前にスポーツのメンタル指導をやっていたことがあるって耳にしたの。羽賀さんだったら誰か知っているかもしれないし」
「メンタル指導?」
「うん、スポーツには技術とかを鍛えるためのフィジカルトレーニングと、心を鍛えるためのメンタルトレーニングの両方必要なんだよ。羽賀さんってコーチングをやっていて、自分も自転車の競技に出ていたことがあって、そこからメンタルトレーニングも指導をしているんだって」
「あ、羽賀さんか。あの人ならバッチリだね」
ふみえさんもそう言うくらいだから、信頼できそうな感じだ。
「でも、羽賀さんって忙しい人だから。そんなにしょっちゅうは指導ができないかも」
「それでもいいんです。とにかく紹介してください!」
思わず叫んでしまった。
「そうねぇ、連絡は取ってみるね。ちょっと待ってて」
マイさんは電話を取り出してかけ始めた。その様子をじっと見守る。果たしてどんな答えが返ってくるだろうか?ドキドキするな。
「…という事情なの。うん、うん、あ、そうだよね。うん、わかった。じゃぁそう伝えておきますね。ありがとうございます」
電話口で話すマイさんの感触からすると、残念ながら断られちゃったかなって感じだな。
「ちよみちゃん、羽賀さんは残念ながら忙しくて、なかなか時間が取れないんだって」
「やっぱりそうですか」
ちょっと残念だな。
「でもね、羽賀さんが代わりにいい人を紹介してくれたの。連絡を取ってくれるらしいから、もう少し待っててだって」
少し希望が見えてきた。
「あ、そろそろクッキーも焼けてくる頃だから。準備しましょう」
ふみえさんの言葉で、私たちは腰を上げて奥のオーブンのところに移動した。オーブンの前ではクッキーの甘い香りが漂っている。とてもいい香りだ。
「じゃぁ開けるね」
オーブンを開くと、さらに漂ってくるクッキーの香り。その中にチョコレート独特の香りも混じっていて、とてもいい雰囲気に包まれる。あぁ、このために私って生きてたんだなって感じられる。
「じゃぁ、これをお皿に並べて冷ましていきましょう」
クッキーは焼きたてよりも、冷ました方が美味しいとのこと。どんな味がするのか、もう少し待ってみないとわからない。
「羽賀さんが紹介してくれる人って、どんな人なんだろう?」
作ったクッキーを袋詰めしながら、ふみえさんがそう言い出した。
「まぁ、羽賀さんが紹介するくらいだから、ちゃんとした人だとは思うけど」
マイさんもよくはわからないみたい。一体どんな人を紹介してくれるんだろう。そう思っていると、入り口のカウベルが鳴り響いた。お客さんがきたみたいだ。
「いらっしゃいませ」
マイさんがそう言いながら表に出ていく。
「あー、唐沢さん。お久しぶりです」
「よぉ、マイちゃん、ご無沙汰」
「今日はどうされたのですか?」
どうやら知り合いがお客さんとして来たらしい。私はできたてのクッキーをひたすら袋詰めしていく。
「どうしたもこうしたも、羽賀のヤツから言われて来たんだよ。お前ならやれるだろうってことでさ」
「やれるだろうって、まさか、唐沢さんが野球の指導するんですか!?」
「まさかってなんだよ。オレはこれでも草野球で慣らしてんだから。中学時代も野球部だったんだぜ。高校の時は進学一筋だったからやめてたけどよ」
「へぇ、驚いた。唐沢さんが野球をやっていただなんて。さ、入って」
どうやら野球の指導をしてくれる人がやって来たらしい。どんな人だろう。
「ちよみちゃん、野球を指導してくれる人がきたよ」
マイさんに呼ばれて、私はお店の方へと移動した。
「初めまして。遠藤ちよみといいます。うちの高校の野球部の指導をやっていただけるということで、すごくありがたいです」
「ちよみちゃんか。よろしく。でもね、まだオレは野球の指導をすると決めたわけじゃないんだ。引き受けるには条件がある」
「条件、ですか?それってやっぱりお金…」
「いや、そうじゃない。その野球部の連中が何を目指そうとしているのか。そこが知りたいんだよ。で、ちよみちゃんはその野球部のマネージャーなのかな?」
「いえ、私の幼馴染のタモツが野球部の副キャプテンをしていて。タモツは野球部に不足しているのは指導者だって言っているんです。でも、キャプテンをはじめ他のメンバーはそれほど指導者を必要としていないらしくて。それで万年一回戦負けのチームなんですよ」
「なるほど、そいつは面白い。それで羽賀のやろうはオレをここによこしたってわけか」
唐沢さん、ニヤリと笑う。
「まずはそのタモツってやつに会う必要があるな。でも、それ以前にもう一つ見たいものがあるんだが」
「見たいもの?」
「ちよみちゃん、君の気持ちだよ」
私の気持ちが見たいって、どうすればいいの?迷っていると、唐沢さんはこんなことを言い出した。
「ちよみちゃんがどれだけ本気でタモツくんのことを考えているのか。その心意気をオレに見せて欲しいんだ。ちよみちゃんはタモツくんのこと、好きなんだろう?」
好きなんだろうって言われて、ちょっと顔が火照ってきた。まぁ、恋愛ってのはあまり意識はしていなかったけど。でも、タモツのことは好き。だからこそ、タモツのいる野球部をなんとかしてあげたいって、そう思っている。
「もうすぐバレンタインデーがやってくるから、そのための愛情表現をオレに見せてくれないかな?」
「で、でも。それと野球部の指導と何が関係するんですか?」
思わずそう反論してしまった。すると唐沢さんはニヤリと笑ってこんな回答をした。
「直接は何も関係ないよ。でもね、ちよみちゃんの本気具合でオレもどれだけ本気になれるかが決まっちゃうんだよね。オレってそういう人間だから」
私の本気具合が唐沢さんを本気にさせる。よぉし、やったろうじゃないか。
「わかりました。じゃぁ、今年タモツにあげるチョコレートを事前に唐沢さんに味見してもらいます。本気で取り組むので覚悟してください」
「楽しみにしているよ。じゃぁ、バレンタインデーの前日にまたここで会おう。あ、当然ながら人のパクリじゃなくオリジナルのものを待ってるからね」
オリジナル、か。さて、どうするか。ここから私のチョコレートの研究がスタートした。今までも色々と研究は重ねてきた。けれど、今回は目的が違う。タモツのため、野球部のため。ここで私が唐沢さんを納得させることができなければならない。今までのは遊び半分だったが、熱の入れ方が違う。
バレンタインデーまであと十日しかない。色々なレシピを試してみるが、そこからオリジナルへと進むことができない。どうすればいいんだ?
悩みに悩んだけれど、何もアイデアが浮かばない。おかげで我が家はチョコレートまみれである。両親もいい加減あきれている。
「あぁ、ダメだ。あと三日しかないのに納得したものが作れない。どうすればいいんだろう」
もう一度図書館に足を運んでみるか。気分転換にもなるし。あ、それにふみえさんにも会えるかも。それを期待して、図書館へと足を向けてみた。
図書館に着いてふみえさんの姿を見つけようとしたが見当たらない。とりあえずチョコレートの本を眺めてみるか。何かヒントがあるといいけど。
「はぁ、やっぱダメだわ。だいたいここにあるチョコレート関係の本は読み尽くしているし。何か新しいヒントがないかなぁ」
そうやって嘆いていると、不意に首筋に冷たい感触が。
「ひゃっ!」
驚いて振り返ると、そこにはふみえさんの姿があった。手にはコーラの缶を持っている。
「あはは、驚かせてごめんね。ちよみちゃんがすごく悩んでいるみたいだったから。はい、これどうぞ」
そう言ってふみえさん、私にコーラを手渡してくれた。この図書館は飲食ができるのがありがたい。
「唐沢さんに味見してもらうオリジナルのチョコレート、何か考えついたかな?」
「それなんですよー。色々と試行錯誤しているんですけど、これっていったものが思いつかなくて」
「やっぱり、そうだと思った。じゃぁ私から一つだけアイデアを伝えるね。そもそも誰に渡そうとしているチョコレートなんだっけ?」
「えっと、唐沢さん…じゃなくてタモツだ」
「そうだったよね。じゃぁ、野球をしているタモツくんが欲しがっているものって、何だろう?」
「タモツが欲しがっているもの?」
「そう、スポーツ選手だってことを頭に描いてみて。そしてそれを描きながらシェリー・ブレンドに答えを尋ねてみて」
そうか、シェリー・ブレンドに頼るってやり方があったか!
「ふみえさん、ありがとう!」
私は急いでカフェ・シェリーへと向かった。
「いらっしゃいませ。あら、ちよみちゃんじゃない。息を切らして、どうしたの?」
「ま、マイさん、シェリー・ブレンドをお願いします。ハァ、ハァ」
ここまで走ってきたので、さすがに疲れた。でも、ここなら何かヒントが得られるはず。
「はい、まずはお冷やを飲んで落ち着いて。オリジナルチョコレートのアイデア、何か思い浮かんだかな?」
「それを求めに来たんです。あと三日しかないから、シェリー・ブレンドを飲んでヒントをもらおうと思って」
「なるほど、そういうことか。もう少し待っててね、今マスターが作ってるから」
カウンターの方に目をやると、マスターがコーヒーを淹れてくれている。この間にもう一度私の求めているものを整理してみる。タモツはスポーツマン。スポーツマンであるタモツが欲しがっているもの。それは何なのか?そこを明確にすることが、オリジナルのチョコレートを作るヒントになるはずだ。
「お待たせしました。熱いから慌てないで飲んでね」
「ありがとうございます」
もう一度心の中で、求めているものを考える。
「よしっ!」
意を決してコーヒーを口に流し込む。そして黙って目をつぶる。一体どんな味がするんだろう?
「んっ、んんっ、なんだ、これ?」
その味はとてもボリューミーな感じ。そして力が湧いてくる。そして頭に浮かんだのは、必死になって野球の練習をしているタモツの姿。とても疲れている。そんな疲れを吹き飛ばすためのパワーが必要。
そうか、そういうことか!
「わかった!」
その瞬間、お店にいたお客さんの視線が私に集まっているのがわかった。はずかしい…。
「ちよみちゃん、何か気づいたかな?」
「はい、タモツにプレゼントするためのチョコレートに必要なもの、わかりました!早速帰って試作してみます」
「うん、じゃぁ三日後は楽しみにしているからね」
「はいっ!」
カフェ・シェリーから家に帰るときに、今までのことを考えた。私、ずっと自分のためのチョコレートをタモツに食べさせてきた。美味しいはずだって思って、私の考えを押し付けていたんだよね。
でも、プレゼントってそうじゃない。相手のことを考えないと。そして今タモツに必要なのはスタミナ、パワー。それにチョコレートをプラスするアイデアを私は思いついた。それをどのように形にするかが問題だ。
「よし、閃いた!」
私は思ったものを形作り始めた。この時にふみえさんから教わった、チョコレートクッキー作りのノウハウが役に立った。さらに私は一工夫して、オリジナルのチョコレートを完成させた。
そしていよいよ唐沢さんに私のオリジナルチョコを審査してもらう日がやってきた。放課後、カフェ・シェリーへと足を運ぶ。
カラン・コロン・カラン
扉を開くと、カウベルの音が鳴り響く。まるで私の心の弾みを象徴しているようだ。
「いらっしゃいませ。あ、ちよみちゃん、待っていましたよ」
「よぉ、オリジナルチョコは完成したかな?」
「はい、これです」
どうせだからと、ラッピングも可愛くした包みを唐沢さんに渡す。
「えっ、以外に大きいな。でもそれほど重たくはない。一体中はどうなっているんだ?」
慎重に包みを開く唐沢さん。私はそれを見守る。そして包みから出てきたもの、それは…
「ちょ、チョコレートパン!?」
「はい、タモツに必要なもの、それはスタミナとパワーです。そうなると、チョコレートだけでは不十分。炭水化物も必要だって思ったんです。練習の合間や試合の時に手軽に食べられてスタミナを補充できるもの。それがこれなんです」
「どれ、味は…」
唐沢さん、黙って私のチョコレートパンを食べる。最初はゆっくりと味わっていたが、徐々に食べるスピードが早くなる。そしてあっという間に完食。
「お味はどうでしたか?」
恐る恐る聞いてみる。すると唐沢さん、突然私の両手を握ってきた。
「これだよこれ、こういうのを求めていたんだよ!」
「唐沢さん、セクハラ!」
マイさんの言葉で慌てる唐沢さん。
「失礼!いやぁ、でも思わず手を握りたくなるくらい美味しかった。食べやすいし、チョコレートの風味もバッチリだ。これは野球選手のスタミナになるぞ」
「じゃぁ、野球部の指導、引き受けてくれるんですね?」
「もちろん。こういったことができる彼女を持つタモツくんは幸せだなぁ」
「やったぁ!」
よし、これでタモツも安心して野球に打ち込める。私もチョコレートで新しい分野を切り開くことができたし。全てがうまくいくぞ。
「ちよみちゃん、一つ質問いいかな?」
唐沢さんが質問をしてきた。
「はい、なんでしょうか?」
「ちよみちゃんの将来の夢は?」
あらためて考えてみた。今までだったらチョコレート職人って答えていたけれど。それに一つ付け加えることにした。
「はい、みんなを笑顔にできるチョコレート職人です!」
<チョコレート・ラプソディ 完>