8
「さて、そうと決まれば、事件の方も本腰入れないとな」
そう言って、残り少ないコーヒーを一気飲みした。
「じゃが、手掛かりは何もないままなのじゃ」
「そうだな。学院で手に入れた情報は貴重だが、犯人を特定できるほどではない。……そう言えば追加の情報を貰ったって、エリクさんが言ってたな。連絡してみるか」
データでやり取りするか、それとも直接やり取りするか、その辺りも含めて話し合う必要がある。近年、大抵の情報はデータで保存されているが、一部の国ではまだそれも普及していない。ミノルは過去、何度も実物での応酬を余儀なくされたことがあった。
日本魔術連盟より支給された、最低限の機能と最低限の費用を兼ね揃えたスマートフォンを用い、エリクとの通話を試みる。
数回のコール音が響いた後、通信は繋がった。
『はい』
「すみません、エリクさん。ミノルです」
『ミノル様ですか? ……では、気が変わったということですね?』
「あ、いえ。そうじゃなくて……」
そう言えば元々この連絡先は、気が変わった時に――自分を強くするというエリクの提案を受け入れると決めた際に――使うよう、教えられたものだった。
「今回は、事件について相談があったのでご連絡しました」
『ああ、そうですか……すみません。早とちりしました』
少し残念そうな声が聞こえた。
『それで、相談とは?』
「新しく貰ったという書類なんですが。もう整理はできましたか?」
『クライアントが追加で送ってきたものですね。ええ、概ねは出来ています。ただデータ化の作業がまだ残っていまして……いっそ、直接渡した方が早いかと』
「そうですか……なら、俺たちがそちらに向かいましょうか」
『いいのですか?』
「はい。まあ、ヤコも観光したがってますし」
ミノルがそう言うと、話を聞いていたヤコの表情がみるみる明るくなった。同時に、エリクの小さな笑い声が聞こえてくる。
『そうですね。ヴェネツィアはイタリアでも特に有名な観光名所ですから。……分かりました。そちらは今、フィレンツェでしたか?』
「はい」
『では夕方五時頃、メストレ駅の周辺で合流しましょう』
了承の意を伝えて、通話を切る。
スマートフォンをポケットに仕舞った途端、ヤコが飛びついてきた。
「ミノル! ヴェネツィアじゃ! ヴェネツィアに行くのじゃな!」
「そのつもりだけど、落ち着け取り敢えず。目立ってる、目立ってる」
「しかし、ここからヴェネツィアですと、特急を使っても二時間強は掛かりますね。観光するなら、少し急いだ方がいいかもしれません」
「急ぐのじゃ! イカスミパスタが妾を待っておる!」
「お前、本当にグルメ情報にだけは詳しいよなぁ……」
できればその頭を他のところにも使って欲しい。
ヤコとセラが、仲睦まじく肩を並べる。ミノルはそれを、優しく見守っていた。セラやエリクと出会えただけで、イタリアに来たのは正しかったと言い切れる。
「ちょっといいかしら」
その時、後方から声を掛けられた。
聞き覚えのある声だ。ほんの少し前まで聞いていた。だから振り向きながら、ミノルは即座にその人物の名を言い当てる。
「いつからいたんですか、ソフィーさん」
「学院を出たところから、ずっとよ。つけるつもりは無かったんだけど、中々話しかけにくい空気だったから。……聞いちゃったことは、謝るわ」
「……黙っていてくれたら、それでいいです」
どうやらミノルの、回路打ち止めの件について、話を聞いていたらしい。反省の色は見えないが、一応は謝罪するソフィーに対し。ミノルは溜息を零すだけで済ませる。
「用件は何でしょう」
「確認したいことがあるのよ。……ねぇ、貴方。この手紙に見覚えはある?」
一枚の封筒を差し出すソフィー。ミノルはそれを見て、首を横に振った。
「無いですね。中を読んでも?」
「ええ。そのために渡したんだから、ちゃんと見て頂戴」
許可を貰い、ミノルは手紙の内容を読む。
そして思わず、手紙を持つ指に力が入った。
「……なんですか、これ」
くしゃり、と手紙に皺が入る。だがそんなことを気にする余裕はなかった。
手紙の内容は、まるで政治家の言い訳のように迂遠なものだった。けれど、最初から最後まで読めば意図は伝わる。これは――ゴーランたちを、侮辱するものだった。
書いてあることは二つ
ひとつは、プロの魔術師が学院に赴くため、準備を整えろということ。
そしてもうひとつは、学院の教師陣は、そのプロの魔術師の命令を全て聞き入れるようにといった、あまりに上から目線の指示だった。こちらはプロであるから、協力するのは市民の義務であるとか。そういった腹立たしい文言がつらつらと並べられている。
「昨夜、それが学院に届けられたのよ。だから私たちは、貴方のことを敵視していた。でも、その様子だと……貴方の仕業じゃあ、無いようね」
「断じて違います」
「学院に訪れるプロの魔術師なんて。直近だと、貴方しかいなかった。なら、その手紙は間違いなく、貴方の訪問を前提に用意されたものよ。……お互い、嵌められたわね」
「でも、何のために」
「さぁね。ただ、まあ、うちの相棒はあんな性格だから。色んな人に恨み買っちゃってるし。これを用意した人は、ひょっとしたら貴方を利用して、あの人を懲らしめたかったのかもしれないわね。……結果は逆になったけど」
「……だとしても、それならこれを書いた奴は、俺の実力を知っていることになる」
ゴーランが何故、ああも自分たちを敵視していたのかは理解できた。誤解が解けて良かったとは思う。だが謎は深まるばかりだ。
「それ、あげるわ。私としても、嵌められたままってのは気分悪いし。貴方たちが追っている事件とは関係ないかもしれないけれど、犯人を見つけたら捕まえておいて」
「……わかりました。ありがとうございます」
挑発的な手紙を読んでしまったからか。ミノルは反射的に、必要以上に畏まった態度で頭を下げた。元より、ソフィーは自分より格上の存在だ。見下すなんて有り得ない。こうして丁寧に腰を折る方が、よほど自然と言えるだろう。
しかし、そんなミノルの姿を見て、ソフィーは言う。
「解せないわね」
ソフィーの言葉に、ミノルは首を傾げた。
「貴方、『到達者』でしょ?」
思わず目を見開いた。その反応こそが肯定を示しているが――隠したって意味はない。
精霊は人間よりも、絆や、契約に対する認識が強いと言われている。だから、感じたのだろう。言い当てられたミノルは、素直に首肯した。
「だから、何ですか」
「試合中、どうして全力を出さなかったの」
「全力って……馬鹿なことを。俺はあくまで、B級の魔術師ですよ。たとえ『到達者』の力を使っても、A級の魔術師には適わない」
「なら、それ以上の力を出せばいいじゃない」
「……は?」
本気で意味の分からないことを言われた。つい、眉間に皺を寄せて睨む。
それ以上の力だって? ――そんなものはない。
「貴方、最後に踏み留まったでしょ。それはどうして?」
「どうしてって、言われても……すみません、何のことか分かりません」
「そう。自覚、無いのね。……まあいいわ。人間はそういうのに疎いみたいだし。でも精霊は気づくわよ。私も、あの狐の子もね」
要領を得ないソフィーの言葉に、ミノルは少しだけ苛立った。
「あんまり怖がっていちゃ駄目よ。魔術師の遠慮は、精霊にとっては毒だから」
最後にそう告げて、ソフィーが去って行く。
ミノルの頭の中で、何度もソフィーの言葉が反芻した。――最後に踏み留まった。それはあの、得体の知れない拒絶感のことだろうか。
あれは、分からない。確かに、何かを拒んだのは間違いないが――ソフィーのお陰でひとつだけ気づいたことがある。
あれは、確かに恐怖だった。自分は、何かに怯えていたのだ。
「……参ったな。問題が山積みだ」
前方で、ミノルがついてきていないことに気づき、セラとヤコが振り返る。こちらを急かすヤコの叫び声に苦笑しつつ、ミノルは歩き出した。