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歩きながら話すにしては、些か重い話題だ。辺りを見渡したミノルは、先日、セラに教えて貰ったバルという形式の店を見つけた。彼女の言う通り、看板にはBARと記されているが、中身は喫茶店のようだった。外の席が空いていることを確認すると、ミノルは目的地へ向かう足を、その店の方へ向けた。
「少し、休憩しよう」
店に入り、小さなカップをそれぞれが受け取ると、三人は外のテーブル席に向かう。白い円形のテーブルを挟み、それから砂糖を一袋入れて、ミノルは喉を潤す。
「知りませんでした」
カップを傾けるミノルに、セラは小さな声で呟いた。
唇についた珈琲を舐めて拭い、ミノルは苦笑する。
「まあ、基本的には隠しているからな。セラも、黙っていてくれよ」
硬い表情でセラが頷き、ミノルは話を続けた。
「別に、バレたところで、俺自身に実害のある話じゃないが……俺も一応、家の名前を背負った魔術師だからな。藤崎の家なんて、魔術社会じゃ大して有名でもないけれど、俺みたいな奴が代々現れるというレッテルだけは避けたいから、この件は秘匿している。
まあ、そのせいで、日本の連中は、未だに俺のことを天才扱いしてるんだがな。俺の通っていた学院に至っては、昔から何も変わっていない。生徒も教師も、俺を見るなり、盲目的に尊敬してくる。……もう、その資格はないのにな」
思い出したくない記憶を掘り返したからか。自然と、身体が力んだ。
救いであるのは、ここ最近になって、少しずつ首を傾げられるようになったことか。なにせ三年前にB級精霊と契約し、それから一向に進展がないのだ。疑いの目こそ向けられていないものの、彼らのミノルに対する評価は「ただの天才」から、「天才にも関わらず、何故か未だにB級精霊と契約し続けている変わった奴」と変化しつつある。
「本来、精霊回路の打ち止めは、こんなに早く起きることじゃない。打ち止めは大体、七十歳から八十歳前後で起きるのが普通だ。……その歳なら納得できたかもしれない。けど俺の場合は……早すぎた。俺はもう、魔術師として成長することができない。この歳で既に完成してしまったんだ。後は下がるか、横ばいになるだけ。これじゃあ俺が納得したとしても、周りや、家族が納得してくれない。……だから俺は、日本から逃げたんだ」
魔術の強さ。契約できる精霊の等級。これらは全て、精霊回路の状態に依存する。魔術師の生涯は、この回路の研磨に費やされると言っても過言ではない。強力な魔術を使うためにも、より頼もしい精霊と契約するためにも、精霊回路の成長は必ず付いて回る問題だった。故に――それが叶わないミノルには、一切の可能性も残されていない。
色々と、セラの中で繋がった筈だ。ヤコが打ち止め状態の回路についてだけ知っていたのは、当事者だからである。ミノルがこの国に永住する可能性を示唆したのも、これが海外への異動ではなく、母国からの逃避だからである。全ての違和感が、解けた筈だ。
「昔は神童なんで呼ばれていたけどな。実際はただ人一倍、成長が早かっただけだ。成長が早ければ衰えるのも早い。まあ、道理だな。……第三許可証を手に入れられたのも、単にタイミングが良かったからだ。まだ誰も、本格的に成長していない時期に、俺だけが人一倍成長していたから。相対評価で認められただけのこと。時が経ち、周りもそれなりに成長してきた今ならば……絶対に、手に入らない」
当時は学院の中でもぶっちぎりの優秀な成績だった。だが今は、どうだろうか。五本の指には入るだろうが、一番になれるかと問われると、その自信はない。ヤコと契約した三年前から、少しずつ、確実に、ミノルの実力は周囲に追いつかれている。
ミノルの吐き出す言葉を、セラは沈痛な面持ちで聞き届けていた。
やはり優しい娘だ。そんな顔をさせるつもりは無かった。
「笑ってくれてもいいぞ。俺がこの国にやって来たのは、要するにただの現実逃避だ。周囲の期待に耐えきれず逃げてきたんだよ」
かつて学院で執拗に褒め称えられたことが、ミノルのトラウマとなっている。魔術学院で吐き気を催したのはそのためだ。ヤコが悪口を吐き続けることで回復したが、あれは荒療治とは言え確かに役に立っている。賞賛を浴び続けた当時のミノルには、他者からの酷薄な評価が――自分の弱さを肯定してくれる存在が、足りていなかった。
「ミ、ミノルは悪くないのじゃ!」
自嘲気味に語るミノルを庇い立てるように、ヤコが口を挟んだ。
「こんなの、理不尽なのじゃ。誰だって期待されたら多少は嬉しくなる。それに応えようと努力する。でも、ミノルはその努力が報われなかった。それは決して、ミノルのせいではない。……期待を裏切られたのは、他ならぬミノル自身なのじゃ!」
「ヤコ」
「それでも、誰かに原因があるとすれば……何か、切っ掛けがあるとすれば、それはミノルの回路が打ち止めになる直前に、契約した、妾しか――」
「――ヤコ。そんなことはない」
少し強めの声音で、相棒の名を呼ぶ。
「魔術師が成長しないということは、契約した精霊も、成長しないということだ。……こんな俺の傍にいてくれる精霊は、ヤコくらいだ。お前には、感謝してもしきれない」
「そ、そんなこと、無いのじゃ」
主を慮る相棒に対し、ミノルは優しく微笑みかける。たとえ運命や、神を恨もうと、ヤコを恨むことはない。彼女の責任でないことくらい、目に見えている。
「ミノルは……本当に、努力したのじゃ……死に物狂いで、我武者羅に、誰よりも、ミノルは頑張ったのじゃ。なのに、なのに……っ」
心底悔しいのはヤコも同じ。彼女の言う通り、ミノルは自らの呪われた運命に立ち向かうべく、出来る限りの努力をした。だが――現実は凄惨だ。ミノルの回路は……成長は止まったままだった。そして、それを知らない周囲の人間は、一心不乱に努力するミノルの姿を見て、それが成長に繋がっていないにも関わらず「流石神童」と褒め称えた。
過去。真実を語ろうとしたことがある。自分はもう成長が止まっているのだと、それとなく伝えたこともある。だが、返ってきたのは身を案ずる言葉だけだった。「そうとは知らず、負担をかけてごめんなさい」ではない。「変な夢でも見たのか?」と言われた。
本当の自分は凡才だ。それを誰にも認められない重圧に、ミノルは負けた。
そして、次は最初から誰にも期待されないよう、ミノルはイタリアで過ごすつもりだった。日本では誰にも明かさなかった精霊回路の打ち止めだが、他国ならば、多少は束縛も薄れる。セラにあっさりと教えたのはそのためだ。
言ってしまえば――種を、蒔いたのだ。
どこからともなく沸いてくる期待を喰らい、失望が現れるよりも先に冷たい現実を突きつける。残酷ゆえに安寧を与える、無関心という名の種を。
「期待に応えられないという気持ちは、私にも、わかります」
不意に、セラが告げた。
「同情なんてしなくてもいい。こう言っちゃなんだが、俺はもう慣れている」
「同情ではありません。私も、似たような症状ですから」
似たような症状。その一言が耳に引っ掛かった。
伏し目がちだったセラの瞳が前を向く。それは先程までのミノルと同様、覚悟を帯びた瞳だった。――醜悪な自分を語って聞かせる決意だ。
「私がイタリアの魔術学院に入れなかった理由、覚えてますか?」
「……ああ。確か、神聖術が苦手だから試験に落ちたって」
「あれ、嘘です。本当は……神聖術だけじゃない。私は、魔術そのものが苦手なんです」
それは、どういうことだろうか。疑問を抱いたミノルに、セラは回答を述べる。
「私は、魔術師としての欠陥を抱えているんです。疑問に思いませんでしたか? どうして、私は精霊を連れていないのか」
あぁ、確かにそれは――ずっと、疑問に思っていた。
今の時代、精霊を連れない魔術師なんて滅多に存在しない。いるとすれば、それは九割九分が魔術師ではなく、魔術を囓っただけのアマチュアだ。
今回のように、公的な仕事の受発注ができるのは、プロの魔術師たちに限られる。だからセラがアマチュアでないことは明らかだが、それでは矛盾が生じてしまう。
「才能が、無いんですよ」
この上なく単純に、セラは自らの欠陥を述べた。
「精霊回路が、他の人たちと比べて小さいんです。ただ、それだけのこと。ですが、それが私の魔術師としての活動を、ことごとく失敗に終わらせます。
私は、精霊と契約することすら出来ません。精霊と契約した魔術師は、精霊がこの世界に存在出来るよう、定期的に体内に眠る力……魔力を精霊に分け与えますよね。ですがその魔力は精霊回路によって生み出され、回復するものです。回路そのものが脆弱である私の場合、精霊を満足させられるほどの魔力を用意できない。加えて、一度身体の外へ魔力を放出すると、元の状態に回復するまで、人一倍長い時間を要します。……魔力は、魔術の源にもなる力です。私はろくに、魔術を行使することすらできないんです。
私の場合、回路を成長させることは一応、できました。ですがやはり、才能の壁というのはどうしようも無いですね。……私の回路は成長がとても遅い。精霊と契約せずに、そのほんの一部の力だけを借りて行使する魔術――旧魔術なら辛うじて使えるようになりましたが、それも、実用レベルには至っていません。
分家とは言え葉桐の血筋に生まれた私は、当然のように周囲から期待されました。それは私に才能が無いと分かっても、暫く続きました。回路が小さくても他の分野に優れているのではないか。出力が劣っているだけで他に秀でた点があるのではないか。……私はそうした期待に応えるべく、必死に努力を続けましたが……やはり、失敗に終えました」
魔術は才能が物を言う世界である。それが原因で科学に破れた文明なのだ。才能のない魔術師は、そもそも魔術師になろうと思わない。魔術を囓っただけの素人という境遇に甘んじて、本業はまた別のものに関わろうとする。それが……普通だ。
だが、きっとセラは、その選択肢を与えられなかったのだろう。葉桐家の一員であるから絶対に魔術が使える筈だと、周囲から圧力を掛けられてしまった。それを拒むことは居場所の喪失を意味する。だから彼女は、必死に応えようとして――結果、失敗した。
「今となっては、私も兄さんも葉桐家から勘当され、家の敷居を跨ぐことを禁じられています。期待に応えられなかった結果、私たちは葉桐家に捨てられたんです」
長い語りだった。しかし、一度たりとも流麗には語れていなかった。
結局、彼女は居場所を失ってしまったのだ。努力が報われない気持ちはよく分かる。
訥々と続けられた話を最後まで聞いたミノルは、そこでふと違和感を覚えた。セラに才能が無いことは分かった。だから葉桐家に認められなかったというのも理解できる。ならエリクは? 何故、彼も葉桐家に認められていない。
答えは、容易に想像できる。
「……そう言えば、エリクさんも精霊を連れていないな」
「お察しの通り。私の兄もまた、私と同じ欠陥を抱えています」
「それは、聞いても良かったのか?」
「はい。協力者ですから。下手に隠し事をして、ミノルさんたちを危険な目に遭わせるわけにはいきません、私も兄さんも、最初から自分たちのことを話すつもりでした」
一度決めた覚悟を、覆さないと誓うように、セラは語り続ける。
「葉桐家から追い出された私たちは、まずお金の問題に直面しました。母は葉桐家の言いなりですし、父は……私たちに興味すらない。コーニュにいる祖母に頼っても、それだけでは心許なかった。ですから私たちは、術師保護法の庇護下で過ごしてきました。……ミノルさんも、知ってますよね? 未成年かつ学院に通っていない魔術師には、一定の資金援助が許される。私たちは葉桐家の意向に従って日本国籍を取得していましたから、この法律の恩恵を受けることができました。将来性が無いことから、初等部で学院を退学させられた私たちは、長い間、二人分の資金援助を受けることで食いつないできたんです。ですが……二年前。兄さんが二十歳になったことで、保護法の資金援助も私一人の分だけになりました。だから私は、日本を発つことにしたんです」
「……そう言えば、あったな。海外転入したら支援を受けられる仕組みが」
閉鎖的な日本人の気質に変革をもたらすべく、生まれた制度だった筈だ。日本に所属する未成年の魔術師が、海外の学院へ転入すると資金援助を受けることができる。期間は卒業するまでの間で、金額は確か、学費の二、三割。但し、最初の三ヶ月だけ、学費を上回る金額が支給される。……極端な話、三ヶ月だけ学院に所属して、その後すぐに退学すれば、学費との差分で幾らか儲けることができる。
「私はそれを入手するために、イギリスの魔術学院へ転入することにしました。一方、兄は昔から続けていた研究の成果がイタリアの結社に認められ、そこへ雇われることになりました。……そうして、今に至ります。術師保護法を悪用していると言われれば、その通りかもしれません。ですが、当時の私たちは、これに縋るしかなかったんです」
別に悪用ではない。保護法の庇護下である以上、追加の資金援助を得ることは当然の権利だ。というかそれ以前に、あの制度は、セラのようなケースで使用されることも想定されている。あの制度は、引っ込み思案だった日本の魔術師を、どうにか海外へ出すために生まれたものだ。向こうとしては、たとえ金目当てだとしても、三ヶ月もの間、海外へ出ているのだから、十分目的を果たすことになる。一人でも海外に出れば、帰ってこようと帰ってこなかろうと、後は口コミなどで魔術師の他国に対する関心が広まるに違いない。
いわば無料お試し期間だ。気に入って頂き、定期購入してくれたら重畳。そうでなくとも一定の宣伝効果が期待できる。
それでもセラが罪悪感を抱いているのは、金目当てでの利用を、不純な動機と考えているからだろう。悪事かと問われれば、ミノルは即座に首を横に振る。だが、不純か清純かと問われれば、残念ながら前者を選ぶことになる。恐らく誰か他にも似たような真似をしている輩はいるだろうが、そんなこと言っても慰めにはならない。誰が何と言おうと、セラがそれを悪いと判断するならば、少なくともセラの中では紛れもない悪なのだ。
「今は、兄さんのお陰で私も多少、安定した生活が出来ています。ですが正直、これがいつまでも続くとは限りません。三ヶ月経てば資金援助の金額も下がりますし。……本当はこんなの、続けたくない。早く、一人前の魔術師になりたいと思うばかりです」
強い意志を感じた。 ……それと同時に、疑問を抱いた。
「ひとつ、訊いてもいいか?」
セラの沈黙を肯定と受け取り、ミノルは続ける。
「何故、そうまでして魔術に拘る。……昔はともかく、今は家柄の束縛も無い筈だ。魔術以外にも、稼ぐための仕事なら幾らでもある。どうしてそっちに――」
どうしてそっちに、逃げない。最後の一文は、口に出来なかった。
葉桐家の束縛から逃れた今、彼女の逃避を咎める者はいない。それでも、逃げずに向き合うということは、きっと何かが鎹となって、彼女を留めているのだ。
セラはゆっくりと、唇を震わせた。
「それは、好き、だからです。……或いは、これしか無いから、と言うべきかもしれません。私が今まで、夢中に何かを学ぼうとしたのは、魔術しかないんです。……葉桐の家系は、皆、優秀な魔術師ですから。私は幼い頃から嫌と言うほど、魔術の魅力を見せつけられてきました。……憧れ、なんです。立派な魔術師になることが。
勿論、生活するためにはお金が必要です。流石にそれを犠牲にしてまで、憧れを追い続けるような真似はできません。ですが許される限り、私は努力を続けようと思います。本音を言うならば、イギリスの学院にも、卒業するまで通い続けたい」
自らの覚悟を確かめるように、セラは落ち着いて、はっきりと告げた。
そして彼女は、真っ直ぐな瞳でミノルを見据える。
「でも、それは……ミノルさんも同じですよね」
「え?」
「何があっても――魔術の世界からは、離れない」
暫く、その言葉を理解することができなかった。
完全に――意識していなかった。期待から逃れるために、イタリアに逃げて。下らない仕事を受けることで食い扶持を稼ごうと思っていた。ただ、どうしてか。魔術そのものから逃げようとは、考えたことすら無かった。確かに魔術師は命に危険が及ぶものの、食うには困らない。定期的に霊獣を討伐していれば、生涯、金に困ることなく過ごせる。しかし、そのような損得勘定、これまで一度たりとも考慮したことが無かった。
――そうか。俺は、魔術師である自分が好きなのか。
魔術師を止めて、ただの一般人として生きる自分が、これっぽっちも想像できない。
少なくとも、損とか得とかでは、割り切れないものがあった。幼少期から慣れ親しんだものであり、自分がそれなりに得意とする世界であり――そして何より、ヤコがいる。
「ああ、そうだな。その通りだ」
訥々と、肯定するミノル。しかし最後は力強く頷いた。
今、はっきりとした。どうやら自分は、魔術を嫌っているわけではないらしい。嬉しいことだ。これまで嫌というほど辛酸をなめる思いをしてきたが、それらは必ずしも唾棄すべきものではなかった。一握りくらいは、誇りとしてこの胸に残っている。
「なんだ、俺たち、似た者同士なんだな」
「そうみたいですね」
似たもの同士だ。周りに期待され、それに応えようと努力したが上手くいかず、それぞれ辛い思いをした。それでもいつの間にか、魔術師としての誇りだけは持っていた。
不器用な生き方だった。
「ただ、ひとつ違うことがあるとすれば、それは私たちが過去、ミノルさんに助けられたということですね」
過去を懐かしむように柔和な笑みを浮かべて、セラは言った。
「それ、なぁ……思い出せないんだよなぁ……ヤコ、お前はどうだ?」
「ううむ……セラには悪いが、分からないのじゃ」
「仕方ありませんね。では正解を教えましょう」
どこか申し訳ない気持ちと、興味深い気持ちが混在する中、ミノルたちはセラの言葉の続きを待つ。セラは、普段よりも明るい口調で告げた。
「私と兄さんがお二人に助けられたのは、二年前の夏。東西戦役の最中です」
その一言が、煩雑な過去の記憶に、ひとつの整然とした道筋を立てた。
東西戦役。それは端的に述べるなら、日本魔術連盟の内部抗争だった。連盟の関東支部と関西支部は、飽きることなく、もう何年も前から利権争いを続けている。その延長線上で行われる、大規模な魔術師同士の決闘を、日本では東西戦役と呼ぶのが慣例だ。
舞台は大阪府と東京都の二箇所で、形式はサバイバル。それぞれのチームは攻撃組と防衛組に分かれ、攻撃組は敵の本拠地にて殲滅戦を仕掛ける役割。そして防衛組は自チームの本拠地にて、ひたすら生き残ることが役割だ。
ミノルは当時、関東勢の防衛組として、東西戦役に参戦していた。
「覚えていなくても、無理はありません。その時のミノルさんは、見るからに大忙しでしたから。……多分、私たちの他にも、色んな人を助けていたんだと思います」
残念そうにセラが言った。ただ、ミノルは彼女の言葉を無視して、記憶を探ることに集中した。記憶に道筋は立てられた。後は、ただひたすら掘り起こすだけ。
心当たりは――――見つかった。
「……五反田の駅前か」
「お、覚えていたんですかっ!?」
「小心者だからな。自分の功績は、ちゃんと記憶しているんだ」
嬉しそうに目を輝かせるセラへ、ミノルもまた笑みを浮かべて答えた。
ああ、そう言えば、そんなこともあったなと。懐かしい気持ちを抱く。
きっと色んな人を助けているのだろうとセラは言っていたが、なにも助けた人の顔を忘れるほど、常習的に人助けはしていない。人から感謝を向けられたら素直に良い気になるし、記憶にも残る。英雄とはほど遠い、ただの凡人らしい感性の持ち主だ。
「妾も思い出したのじゃ! ハンバーグ屋の近くにいた二人組じゃ!」
「……お前、絶対ハンバーグで覚えていただろ」
「うむ。あれは…………A級じゃった」
何故か残念そうにヤコが呟いた。
この幼女、A級グルメよりB級グルメの方が好きなのだ。
「でも、どうしてセラたちが戦役に? その、言いにくいが、あの戦役のメンバーは連盟の上層部が厳正に審査していた筈だ」
ミノルが訊いた。
東西戦役は、いわば互いに面子を賭けた勝負。それ故に人選には拘られる。先程の話を聞いた限り、セラたちがメンバーに選ばれるのは不自然だと思った。
「その上層部に命じられて、私たちは参加したんです」
「命じられて?」
「はい。その……私たちは、とにかく影を薄くして生活してきましたので。ある日、偶然私たちの存在を見つけた連盟上層部の方が、きっと私たちを葉桐家の隠し球とでも思ったのでしょう。私たちも、最初は断るつもりでしたが、その、勢いに流されて……」
「…………分かるぞ。その気持ち。俺も、殆ど強引に参加させられたから」
「ちょっと、必死過ぎますよね、あれは」
「ああ。というか、あの戦いに進んで参加している魔術師って、いないだろ」
そもそも利権争いをしているのは連盟の二大支部だけであって、そこで働く魔術師たちには関係のないことだ。魔術師はあまり働く場所を固定するメリットがない。だから関東と関西を行き来する者も多い。下手に戦役に参加して、どちらか一方から恨みを買ってしまうと、それこそ自身の活動に支障をきたす羽目となる。
「戦いに参加したものの、私たちは精霊すら出せない落ちこぼれです。当然、あっさりと敗北してしまいました。それで、どうにか追手から逃れようとしているところ――」
「俺たちが、助けたと」
「はいっ!」
まるで子供の頃の夢を語るようなセラの様子に、少し恥ずかしい気分を抱く。あの時は無心だった筈だ。けれど少女にとっては、とても大きな出来事だったらしい。
「あの時のミノルさんは本当に格好良かったです! 敵の魔術を一瞬で斬り伏せたり、降り注ぐ瓦礫を炎で溶かしたりっ! 息一つ切らさずに、戦局をあっという間に塗り替えて! 私、それまで魔術が、あんなにも強力だなんて知りませんでした!」
「よく言う。あの程度、葉桐家なら出来る奴もいるだろ」
「いえ! そんなことはありません!」
あまりにはっきりと告げるセラに、ミノルは目を瞬かせた。
「先程のミノルさんの話を聞いて……その上で、言わせて貰います。ミノルさんほどの魔術師は、葉桐家にもいません! 私、これだけは自信を持って言えるんです! 確かに葉桐家には、B級精霊もA級精霊もいますが、それでも戦いになればきっと、ミノルさんの方が強いと思います! 私、こればかりは撤回しません!」
勢いに乗ったセラの言葉に、ミノルは反応を詰まらせた。
納得するのは難しい。根拠の分からない主張だ。けれど、妙に自信に満ちている。口を噤んだミノルを見て、少し落ち着いたのか。セラは頭を悩ませながら、説明した。
「その、なんと言うんでしょうか。ミノルさん……いえ、ミノルさんとヤコさんは、他の魔術師たちよりも、ずっと、ええと……深い、戦い方をしているんです」
「深い……?」
「はい。初めて見た時も、昨日の霊獣との戦いでも、そして先程の試合でも。改めて思いました。なんでしょう……とても、安定しているというか。それでいて、何者にも変化できるような…………すみません、やっぱり、上手く話すことができないです」
「……いや、いい。褒め言葉ならなんだって嬉しいから」
「安い奴なのじゃ」
「お前の方が嬉しいくせに」
「なのじゃーっ!」
ミノルに頬を摘ままれたヤコが、呻き声を上げる。
セラの発言は、こちらの機嫌を良くするための冗談、とは思えない。だが結局のところ本人でも説明できないものらしく、ミノルは追求をやめた。
二人を微笑ましい様子で見ていたセラが、再び口を開く。
「私たち葉桐家に勘当された切っ掛けも、この東西戦役でした。……まあ、勝手に戦役に参加して、その上で無様な醜態を晒しましたから。仕方ないんですけれどね」
「そうか……大変だったな」
「ミノルさんに言われたくないですよ」
「ああ。……俺も、大変だった」
笑みを浮かべるセラに対し、ミノルも思わず吹き出した。
暫し、言葉の生まれない時間が流れる。静寂は存外、居心地を悪くはしなかった。
お互い、想像以上に相手のことを知った。お互い、予想外の話を聞かされた。頭は話を理解することで精一杯で、心は途端に縮まった距離感を把握することで精一杯だった。
そして、今だからこそ、伝えなくてはならないことがある。
「ヤコ」
「うむ」
ミノルとヤコは、それぞれ目を合わせる。そして、ほぼ同時に頭を下げた。
「申し訳御座いませんでした!」
「申し訳御じゃ……ざいませんでした、なのじゃ」
この局面で噛むという最低最悪のことをしでかしたヤコ。ミノルは目にも留らぬ早さで手刀を放ち、ヤコの頭頂部に一撃あてた。その様子をセラが、呆然とした様子で見る。
「謝りたいのは、今までの、仕事の取り組み方についてだ」
額をテーブルにつけたまま、ミノルは言う。
「今回引き受けた、精霊回路強奪事の解決という仕事だが……実は、俺たちはこれを、本気で達成しようとは思っていなかったんだ」
「えっ」
「この仕事は元々、俺たちが日本から出るための建前として、引き受けたんだ。だから別に、引き受けさえすれば、後は達成してもしなくても、どうでも良かった。……態々、協力してくれたっていうのに、今までやる気がなくて申し訳なかった。
でも、もう大丈夫だ。セラのお陰で……その、気づいたから。俺はやっぱり、魔術師としての自分が好きだ。だから、引き受けた仕事はきっちり達成する。コンプレックスだらけだけど、これでもプロの魔術師なんだ。仕事はちゃんと、こなさないとな」
途中で恥ずかしくなってきたが、それでも言葉を止めることはなかった。額をテーブルに押しつけたまま、意識だけをセラの方へ向ける。
「許します。でも、これからは頑張ってください。私も精一杯、協力しますから」
そんな彼女の一言を聞いて、ミノルはゆっくりと頭を上げた。
「私の方こそ、先程は無神経なことを言ってしまい、申し訳御座いませんでした。……ふふっ、なんだか不思議です。あの時、出会ったミノルさんと、こんな風に話せるなんて」
「ああ、俺も……こんなに腹を割って話せるのは、久しぶりだよ」
ミノルが笑って応える。するとセラは、意を決したかのように、背筋を伸ばした。
「私、ミノルさんのファン辞めます」
唐突に、セラが告げる。それは先程の話を聞き、失望したからだろうか。そう思い、ミノルは彼女の表情を一瞥した。予想とは裏腹に、セラは破顔していた。
「これからは、友達になって下さい」
やや遅れて、ミノルは声を発す。
「友達?」
「はい。だって私たちはもう、お互いの秘密を話し合った仲ですし。今更、仕事だけの関係というのもおかしいじゃないですか。……それに、きっとファンのままだと、ミノルさんとこんな風に会話できないですから」
「……そうだな。以前みたいに、下手に緊張されても困る」
「うむ。あの時のセラの緊張っぷりは、妾もはっきりと覚えておるのじゃ」
ミノルとヤコが、似たような人の悪い笑みを浮かべる。
「『私はスェッ……セラと、申します』」
「『そんな、ろくでなしだなんて!』なのじゃ」
「そ、それはもう忘れて下さい!」
えらく緊張していた頃のセラの物真似をすると、当の本人が恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にして怒った。友達というのだから、このくらいの冗談は許されるだろう。
「セラ」
「むー、なんですか?」
「よろしく頼む」
膨れっ面をしたセラへ、ミノルは言う。セラはどこか不満気な様子だったが、すぐに溜息を零し、そして再び唇で弧を描く。
「はい、よろしくお願いします。……ふふっ、欠陥同盟、結成ですね」
「傷の舐め合いにならないよう気をつけよう」
「なりませんよ。どちらも吹っ切れてるんですから」
その通りだ。現に、先程までの会話の間、ミノルもセラも、一度たりとも悲しみに顔を歪ませることはなかった。どちらも傷は既に舐め終え、固まっている。今更、ほじくり返して悲痛に叫ぶほどではない。過ぎた話だ。互いに納得した現実である。
「妾もじゃ! 妾もセラと友達になるのじゃあ!」
「勿論です。よろしくお願いします」