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「成る程。――魔術学院か」


 ローマから一時間半。特急列車ユーロスターに揺られて三人が辿り着いたのは、ローマに並ぶイタリアの主要都市、フィレンツェだった。

 夕暮れに染まる大きな学び舎は、何処か幻想的で、非日常を感じさせるものだった。丁度、フィレンツェにはヴェッキオ宮殿と呼ばれる観光地が存在するが、イタリアの魔術学院の外観は限りなくそれに近い。石畳に鎮座する校舎はとても大きく、その頂点には大きな針時計が掲げられていた。壮麗な光景を前に、暫し見とれる。


「こういう事情なので、内部までの調査は許可を取らない限り難しいかと」


 納得したミノルに、セラは説明する。

 魔術学院は部外者の出入りを強く禁じる風習がある。これは魔術の技術漏洩を防ぐためだ。たとえ相手が警察だろうと、学院は平気で門前払いする。


 時は三月半ば。今は日本で言う春休みの期間だ。イタリアに春休みの概念はないが、魔術学院だけは例外らしい。このような長期休暇を利用して、魔術師は自らの研究に没頭する。普通の学生と違って、魔術師は講師の教えを理解するだけでは意味が無い。

 講義があるなら、今頃は丁度、放課後。生徒たちの賑わう時間だろう。しかし目の前のグラウンドは閑散としており、道中の人通りも並だった。


「大丈夫だ。ちょっと待ってろ」


 そう言って、ミノルは後ろポケットから一枚の書面を取り出した。


「それは……」


「第三術師渡航許可証。聞いたことくらいあるだろ?」


 セラは驚愕を露わにした。どうやら知っているらしい。

 第三術師渡航許可証とは、国が術師に発行する渡航許可証の一つである。

 渡航許可証の基本的な効果は海外への渡航を許可することだが、中でもこの第三許可証と呼ばれるものは、未成年の魔術師の自己研鑽を支援するべく、自由に海外の施設を利用できるといった効果を持つ。似たような効果を持つ書面は、他に第七許可証もあるが、こちらは成人に渡されるものだ。第三許可証と第七許可証は、他の許可証と比べると審査の基準が非常に高い。となれば必然、未成年に発行される第三許可証は、第七と比べても数少ない希少なものとなる。巷では実在が疑われ、都市伝説扱いされているほどだ。


「実在、したんですね……」


「審査は厳しかったがな」


 海外を自由に飛び回り、更に様々な施設を利用できるとなると、それは最早、世界各国から信頼を寄せられている証と言っても過言ではない。

 早速、ミノルはその許可証の力と共に、校門前の守衛と交渉しに行った。最初は怪訝な顔をしていた守衛も、許可証を見ればすぐに様相を一変させる。

 五分どころか、三分と経たない内に、ミノルは戻った。


「どうでしたか?」


「許可は得た。……が、今日は止めた方が良さそうだ」


「む? どうしてじゃ?」


 ヤコが訊く。


「肝心の事件の関係者が今日はもう帰ったみたいだ。まあ時間も遅いし、仕方ない」


 辺りを見渡せば、既に橙色の陽光が地面を這っている。これから事情聴取というのも迷惑な話だ。それに……若い女性を夜遅くまで連れ回すのも、好ましくない。


「セラ、今日の宿泊先は決めているか?」


「いえ、落ち着いてから探そうかと……」


「慌てて探すのも面倒だし、今日はもう切り上げよう。学院の方には、明日の昼過ぎに捜査協力を取り付けてある。向こうもそれまでには資料を用意してくれるらしい」


 何も急を要する仕事ではない。――どうせ建前だ。気楽にやればいい。


「じゃあ、ここからは――観光なのじゃ!」


「しねぇよ」


「何故じゃっ!?」


「疲れた」


 夕暮れに染まるフィレンツェの町並みは美しく、見れば観光客も、まだまだ元気に歩き回っていた。ただ、ミノルの体力が厳しい。ヤコと違ってミノルは、ここ数日分の交通ルートや食費の計算、エリクとの仕事関係のやり取りなどで、心身共に削られている。

 何より、昼頃の霊獣との戦闘が辛かった。折角、日本を発ったというのに、自分たちはまたしても厄介事に巻き込まれてしまうのかと、少し運命を呪った。

 そんなミノルの心情を他所に、ヤコは悔しそうに唸る。


「ぐ、ぐぬぬ、まだローマも満喫しておらんというのに……ちょ、ちょっとくらい良いではないかっ! 折角の海外じゃぞ! 妾、もっと遊びたいのじゃ!」


「永住するかもしれないし、別に今じゃなくてもいいだろ」


「永住……?」


 うっかり出てしまった言葉にセラが反応した。気づかなかった振りをして話を進める。


「とにかく、今日はもう遅いし、観光はまた今度にする。いいな?」


「いーやーなーのーじゃーっ!」


「だーめーなーのーじゃー」


「ふしゃあっ!」


「おっと」


 腕に噛み付いてくるヤコを回避する。ヤコは耳と尻尾を逆立てて威嚇していた。


「あ、あの。でしたら夕食くらい、少し豪華なものでも食べませんか?」


 その時、セラが絶妙な提案をした。ミノルもヤコも言い争いを止めて考え込む。


「豪華なものか……」


「はい。ヤコさんも、それならいいですよね?」


「むぅ……まあ、いいじゃろう。但し、妾のチョイスは絶対じゃぞ!」


「勿論ですっ」


 明るく、楽しそうに。セラは弾むような声で言った。ミノルも首を縦に振り、問題ないと伝える。延々と振り回されるのは嫌だが、食事くらいならいいだろう。


「あ、でも私、お金足りるかどうか……」


 心配そうな声を漏らすセラ。そんな彼女へ、ミノルは言った。


「大丈夫だ」


「へ?」


「ヤコの好みに合わせるなら、金の心配はいらない」


 ミノルの言葉に、セラは首を傾げた。

 凡そ十分後。彼女は、理解する。



「ふっふふーん。ふふふふーん。……んふふー♪」


 フィレンツェの街を歩いて暫く。ミノルたちはヤコのリクエストに従い、パスタを取り扱っているレストランへ入った。メニュー表に乗る値段はどれも手頃で、客足も並。豪華なディナーでなければ、ゲテモノというわけでもない。


「……ふ、普通のところに来ましたね」


「言っただろ? こいつは、庶民の手の届く範囲でしか、飯を食わないんだ」


 お手頃で予想通りの味。それがヤコの求めるB級グルメの鉄則らしい。要は普通のレストランだ。他の客には観光客もいるし、現地の人もいる。

 ヤコはパスタだけ食べたいそうなので、ミノルとセラも単品で頼むことにした。イタリアのレストランで食べる夕食と言えばコース料理が定番だが、この店は観光客に慣れているのか、嫌な顔ひとつせずに応えてくれる。


「お待たせしました」


 ご機嫌に鼻歌を奏でるヤコへ、店員が料理を三人分運んできた。


「おっ、おお! これが、本場イタリアの、パスタ……なの、じゃ?」


 何やら目をぱちくりさせているヤコに、ミノルも料理に視線を向ける。


「ペンネか。まあパスタの一種だな」


「ペンネ、ペンネか。うむ、よし……ではペンネよ。お主が妾の舌に合うか、もといB級であるかを、今はっきりとさせてやろう! ……むっ!」


 ペンネを一口頬張った直後、ヤコの脳に電流が走った。


「濃厚! このカルボナーラ、超、濃厚なのじゃ! このこってり感は間違いない! 妾はこれを――はっ! ま、待て。ミノル、このパスタの値段、いくらじゃった……?」


「十ユーロだ」


「ぬ、ぬぬぬ……高い。こ、これは、B級と呼んで、良いものなのか……っ!?」


 全人類、誰一人として理解できない悩みが始まった。こうなると長い。ミノルはヤコのことを無視して、自分も目の前の料理に舌鼓を打つことにした。

 ふと、視線を感じて顔を上げる。セラが顔を綻ばせていた。


「楽しんでいるようで何よりです」


「悪いな、付き合わせて。セラにとっては食べ慣れてるものだろ?」


「いえ。家で作るものと店で作るものは、味が違いますから」


「イタリア人って、毎日パスタを食べているのか?」


「そうですね……わりと頻度は高いですね」


「まあ、穀物だもんな。日本人にとっての米と同じか」


 言いながら、ミノルは初めてセラと普通の会話をしたような気がした。情報の伝達とはまた違う。他愛もない雑談。思えば今まで立て込んでいて、彼女とはマトモに話していない。ヤコに感謝する。お陰様で程よく気を抜ける時間が作れた。


「しかし、この国はバーが多いな。ここに来るまで、もう十軒近くは見たぞ」


「あれはバルって言うんです。BARでバル。勿論、お酒を出している店もありますけれど、ミノルさんが言っているのは、多分、カフェの方ですね」


「カフェ?」


「はい。イタリアでは、短い休憩や時間潰しで、コーヒーを立ち飲みすることが良くあるんです。立ち飲みだと席料も掛りませんし、一杯二ユーロ前後で済みますから」


「安いな」


「飲み方もちょっと変わってますよ。……頼んでみましょうか」


 そう言ってセラが手を挙げて店員を呼んだ。慣れた動作でエスプレッソを注文する。

 目当てのコーヒーはすぐに現れた。卵一個分くらいの、非常に小さなカップだ。


「イタリアではエスプレッソが主流です。それで、この砂糖を一袋、全て入れて……」


 小さなカップに、一袋の砂糖を全て入れるセラ。思わずミノルは声を発した。


「い、入れすぎじゃないのか?」


「これが普通です。……うん、美味しい。ちょっと飲んでみます?」


 差し出されたカップを、ミノルは恐る恐る受け取る。それから、ゆっくりとカップを傾け、厚い縁に唇をつけた。甘い。しかし、甘ったるいわけではない。


「……美味いな。なんていうか、濃いけれど、飲みやすい」


「お口に合ったようで何よりです。レストランで頼むと、ちょっと高いんですけどね」


 メニュー表に記載された値段は五ユーロだった。セラは高いと言うが、それでも日本のカフェでコーヒーを頼めば、四百円から五百円くらいは取られる。さして変わらない。

 満足してカップをセラに帰す。ふと隣からの視線を感じ、顔を向けてみれば、ヤコがニヤニヤと、嫌な笑みを浮かべながらこちらを見ていた。


「ほほーう。これはこれは、いわゆる……間接キスというやつじゃな」


「なっ!?」


 吹き出すセラ。対し、ミノルは溜息を吐いた。


「良かったのぅ、ミノル。遂にお主にも、春が来たのじゃ」


「あのなぁ……セラに失礼だろ。変なことを言うな」


「んんー? さてはお主、照れておるのかー?」


「ちっ、うぜぇ……ませてんじゃねぇぞ。幼女の癖に」


「なんじゃと! 妾はこう見えても、ええと、な、七十年くらい生きてるのじゃ!」


「人間だと年寄りだな。……で、妖狐の世界だと、何歳になるんだ」


「…………な、七歳くらいじゃ」


「幼女じゃねぇか」


「のじゃー!」


 幼女にからかわれるほど、ミノルも馬鹿でない。悔しげに睨んでくるヤコを無視してペンネを頬張る。咀嚼する最中、ミノルは何故かセラにも睨まれていることに気づいた。


「ん、どうした、セラ?」


「いえ、別に。……ミノルさんは全然動揺してないんですねー」


「はい?」


「ま、そうですよねー。別に何とも思ってませんからねー」


「はぁ……」


 わけのわからないことを言われ、曖昧に返す。機嫌を損ねてしまったらしいが心当たりがない。とは言え本気で怒った様子はなく、暫くすればまたそれぞれ元の状態に戻った。


「ミノルさんは、どうしてこの国に来たんですか?」


 ペンネの山を崩し、フォークが硬い皿に触れるようになった頃、セラが訊いた。脈絡のない質問に、ミノルもヤコも目を丸める。


「あ、ええと、すみません。変な質問しちゃって」


「いや、いい。参考までに、どうしてそれを訊きたいんだ?」


「その……少し、不思議だなと思って」


 訥々と、セラは語った。


「第三許可証を発行できるほどの優秀な魔術師なら、日本でも引く手数多な筈です。それに、ミノルさんは下調べもせずに仕事を選んだからと仰ってましたが、そもそもこういう条件の悪い仕事はあらかじめ連盟が審査して、高ランクの魔術師には知らされない仕組みだったと思います。で、ですからその、ミノルさんたちがイタリアに来たのは、本当は何か、深い意味でもあるんじゃないかって……」


 セラは、ミノルたちがこの仕事を選んだのは、偶然ではなく必然ではないかと疑念を抱いたらしい。――大正解だ。思わず、隣のヤコと顔を見合わせる。ミノルと違って、ヤコは本心を隠すのが得意ではない。今の彼女の顔を見れば、セラの推理の真偽くらい、容易に察せられるだろう。ミノルもまた、困ったように笑みを浮かべた。

 そして、簡潔に答える。


「無い」


「うむ。深い意味の有無を問うならば、全くもって無いのじゃ」


「まあ、その辺はいつか、話せる時がきたらいいな」


 堂々と黙秘権を行使するミノルに、セラはそれ以上、追求しなかった。

 魔術師が仕事を引き受ける理由は色々だ。単に金が欲しいか。自身の研究の一助と成り得るのか。恩があるのか。裏の意図でもあるのか。……いちいち、気にしてられない。


「そういえば、セラは今、どこに住んでいるんだ?」


 次はミノルから話題を提供する。純粋に気になっていることだった。思えば普通に日本語で会話していたが、現地の協力者である以上、彼女はイタリアに住んでいる筈だ。何処で日本語を学んだのか。どういう背景があるのか。ミノルは全く知らない。


「今はダオスタにあるコーニュに住んでいます。北西部の小さな村です。母の実家がそこなので。……兄は、ヴェネツィアにある結社に住まわせてもらっています」


「エリクさんとは別居してるんだな」


「はい。ですから、今回の仕事で久しぶりに行動を共にしました」


 そう告げるセラは、何処か嬉しそうに見えた。


「……慕ってるんだな、エリクさんのこと」


「そう、ですね。昔から私のことを守ってくれた、頼もしい家族ですから」


 はにかむ少女に、つられてミノルも微笑する。兄妹仲睦まじいのは良いことだ。


「日本に住んでいた経験はないのか?」


「ありますよ。というか葉桐の家柄上、殆ど日本に住んでいました。私がこっちに来たのは、ほんの一年前のことです」


「え、そうなのか」


「はい。ですから実は、私もそれほどイタリアに詳しいわけじゃあ、ありません。……まあ、兄さんは私よりも更に一年早くこっちに来ていましたので、また別ですが。ちなみに私たちがミノルさんに助けられたのも、日本でのことです」


「……まあ、そりゃそうだよな。俺たちが海外に出たの、これが初めてだし」


 一件目の現場でエリクが言っていた。彼の話によると、自分たちは過去にセラたちを助けたことがあるらしい。顎に指を添えて、ミノルは記憶を探る。


「エリクさんも助けたとなると、今から二年以上前の話ってことだよな。……駄目だ、思い出せない。もう少しヒントをくれ」


「ふふっ、駄目です。言ったらすぐバレちゃいそうですから」


「別に隠すほどでもないだろ」


「できれば思い出して欲しいんです」


 雑談の甲斐あってか、セラが親しみを込めた、悪戯っ子のような表情をする。


「ほほーう、それは所謂、乙女心というやつじゃな」


「なっ!?」


「ヤコ」


「のじゃっ!?」


 性懲りも無く調子に乗るヤコの頭を手刀で叩く。そして硬直するセラに軽く謝罪した。

 結局、店を出てからも、ミノルがセラたちを助けた件を思い出すことはなかった。



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