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再びタクシーで移動し、チャンピーノ駅に辿り着いた三人は、次は電車でローマまで移動した。テルミニ駅で降車した後、ベネツィア広場の方へ向かう。
「こ、こちらが、二つ目の現場となります!」
細い路地の角でセラが立ち止まる。そこには一軒の店があった。規模は十畳程度の小さなもので、店頭に飾られる大きな看板には、イタリア語で
「回路屋」と記されていた。
やることは一件目と変わらない。中に入って状況を確認する。今回はついでに店主から話を聞く予定だ。ミノルは早速、店に足を踏み入れる……前に、セラへ声を掛けた。
「あのさ、そんなに緊張する必要はないぞ。俺たち、実際はただのろくでなしだから」
「そ、そんな、ろくでなしだなんて!」
ブンブンと顔と腕を左右に振るセラに、ミノルは溜息を吐く。セラの緊張は未だに解けていなかった。道中の、右手と右足を同時に出して歩く彼女の姿が思い出される。
「ううむ……ろくでなしかどうかは兎も角、緊張を解すという点では妾も同意見じゃ。偉大なる妾に恐れ戦くのは無理もないが、その……なんじゃ。こうも目に見えて緊張されると、こっちもつられて緊張してしまうのじゃ」
ヤコが言いにくそうに告げる。するとセラは、酷く落ち込んだ。
「す、すみません……」
「ああ、いや。責めてるわけじゃないんだが。歳も多分、同じくらいだよな? だったら敬語は使わなくていいぞ。俺もタメ口にさせてもらうし」
落ち葉色のワンピースの裾を摘まみ、涙目になっている少女へミノルは言う。
暫く待っていると、セラが覚悟を灯した瞳を浮かべた。両手を上に伸ばし、たわわに実った胸を揺らしながら何度も深呼吸する。最後に唇を窄め、軽く息を吐いた。
「……話し方は癖ですので、お気持ちだけ受け取っておきます。お騒がせして申し訳ありません。少し、落ち着けました」
言葉遣いは変わらなかったが、態度が軟化した。行動を共にして、不便を感じないという点においてはこれで十分だろう。
「そりゃ良かった」とミノルは安心して告げる。
「改めて、私はセラ=ハギリと言います。気軽にセラと呼んで下さい」
「ミノル=フジサキだ。ミノル……と、呼び捨てにするかどうかは自由だが、取り敢えずエリクさんみたいに様付けで呼ぶのは止めてくれ。正直、恥ずかしい」
「わかりました、ミノルさん。後で兄さんにも、それとなく伝えておきますね」
後ろ髪を掻くミノルに、セラはクスクスと上品に微笑んだ。
「セラも落ち着いたことだし、店の中に入ってみるか」
「はい」
気を取り直し、捜査を再開する。
二件目の事件現場は、個人で精霊回路の売買を行っている商店だ。
精霊回路は若者のマニアックな趣向の対象とされることがある。扱いとしては電子回路に近い。元が人間の体内から摘出したものであるため、日本では不謹慎との声も多々あるが、どうやらこの国は寛容らしい。……実際、精霊回路の技師は世界的に見ても人手不足であり、場所によっては国が主導で回路を用いた創作を推し進めていることもある。
「盗まれた回路の一覧です」
店主に事件について窺ったところ、カウンターの奥に仕舞われていた一束の書類を渡された。受け取ったミノルは早速、中身を読んでいく。リストには商品名の他に、入荷日や出荷予定日、当時の在庫状況、値段、そして質や状態などが事細かに記述されていた。
「うちのような小さい店ですと、こういう想定外の出費が何より痛いんです。犯人、まだ捕まってないんでしょう? 巷では風化しつつある事件でも、私たちにとってはまだまだ大きな問題ですよ。……早い内に解決して下さい。お願いします」
「……善処します」
手渡されたリストからは、何が何でも犯人を捕まえて欲しいという店主の熱意が伝わった。しかし、その熱意に必ずしも応えられるとは限らない。向こうも理解しているのだろう、曖昧に言葉を濁すミノルに対し、店主は小さく首を縦に振った。
「一応、訊きますが……抵抗はしなかったんですか?」
「相手は魔術師、対し、私は一般人ですよ。貴方は私に死ねと?」
「いや、そういう意味では……」
人的被害が出なかったのは幸いか。苛立つ店主に苦笑して、リストへ目を通す。
ミノルがリストと睨めっこする間、セラとヤコは店内を観察する。陳列されている精霊回路は、それぞれ透明な瓶に詰められていた。回路は色とりどりで、いずれも淡く発光している。その美しい造形からは、確かに芸術的価値を見出しても無理はない。きっと目の前の店主も、ロレンツィオほどでは無いにせよ、精霊回路が好きなのだろう。
「情報提供ありがとうございます。こちらの一覧によりますと、奪われた回路に規則性は見当たりませんね。質も状態もバラバラですか……」
「ええ。まあ正直、うちは陳列が雑ですし、質や状態とは関係なく、中央の棚からごっそり持って行かれた感じです」
精霊回路には二種類の状態がある。それが、成長状態と打ち止め状態だ。
どちらも読んで字の如く。前者は変化の只中にある回路であり、後者は二度と変化しない固定された回路のことだ。この二種類の状態は、回路が宿主の身体から切り離されても独自の法則に従って継続、および変化する。
店内には、どちらの状態の回路も陳列されていた。成長中であれば光が流動し、打ち止めであれば色も流れも変わること無く、静かに光るのみ。
「ご協力、ありがとうございました。このリストは貰ってもいいですか?」
「ええ。そのために作ったんですから。是非、持ち帰って力にして下さい」
愛想良く会釈して、ミノルは店から出る。
「何か分かりましたか?」
ヤコと一緒に歩み寄って来たセラに対し、ミノルは斜め上を仰ぎ見ながら答えた。
「そうだな……まだ情報が不足しているが、犯人は単に、大量の回路が欲しかっただけなのかもしれない」
「む? 何故そう思ったのじゃ?」
「他人の精霊回路なんて、そんな使い道があるわけでもないだろ。基本的に成長状態の回路なら動力化で、打ち止め状態の回路なら医療分野だ」
結論のみを掻い摘まんで説明したつもりだが、ヤコは首を傾げてしまった。反対に、意味を理解したらしいセラは、まるで自分の理解を深めるかのように補足する。
「ええと、確か、成長中の回路は、出力の高低という概念があるから、動力化には向いていますけど、影響力が強すぎる分、医療分野には向いていないんですよね。……対し、打ち止め状態の回路は出力が安定していますから、医療分野などといった安全性に関わるところでは活躍する……で、あってますか?」
「ああ、その通りだ。よく勉強しているな」
「えへへ、これでも座学は得意なので」
ちらりとヤコの様子を見ると、ふむふむと頷いていた。
セラの言う通り、回路は状態によって用途を絞れる。これらは魔術と科学が融合した新たな文明だった。恩恵は大きいが、代わりにまだまだ発展途上。現状、精霊回路を用いた産業として成功しているのは、回路の動力化を利用した、兵器開発くらいである。
精霊回路を用いた道具が人々に新たな恩恵をもたらすことは誰でも知っている。しかし本格的な実用段階にまでは至っていない。医療分野で例えるならば、レーシック手術に近いかもしれない。今はまだ、眼鏡をかけている医者がレーシックを勧めている段階だ。
「それで今回の場合は、どちらも無作為に奪われているから、犯人は用途に固執していないことが分かる。……或いは、目的を悟られないようカモフラージュしているかだ」
もしも後者だとしたら、また手掛かりはなしだ。三件目の事件現場でも情報が手に入らなければ、一先ずは前者を仮定して捜索した方が良いだろう。手詰まりになれば、そこで改めて取り残した別の可能性を模索すればいい。
「なるほど……うむ、理解した! セラの説明は分かりやすくて助かるのじゃ! ミノルはいつも言葉足らずじゃからのぅ」
「言葉足らずじゃない……この説明、前にもしただろ! お前がしょっちゅう忘れているだけだ!」
「はて、そうじゃったか」
「こいつ……っ!」
今すぐにでも懲らしめてやりたい気持ちを、すんでのところで抑え付ける。往来のど真ん中で恥を晒すわけにはいかない。
「でも、打ち止め状態の回路については、ちゃーんと覚えていたのじゃ!」
その時、ヤコが自然に、そのような台詞を吐いた。
「そうなんですか?」
「うむ。それは――」
「ヤコ。余計なことは喋るな」
先程とは打って変わって、ミノルは静かな物言いで告げる。ヤコもまた、上機嫌に笑っていた表情を硬くして、小さく
「すまんのじゃ」と謝罪した。
二人の様子にセラが首を傾げる。追求されるより早く、ミノルは口を開いた。
「他に、手掛かりは何もなさそうだな。……セラ、現場は三つあるんだよな?」
「はい」
「よし。なら最後の場所へ案内してくれ」
「わかりました。えっと、次はフィレンツェですね」
「確かそこも有名な街だったよな」
「そうですね。都会ですので、色々ありますよ」
そう言ったところで、セラはふと、何かに気づいた。
「あ、ただ、肝心の、現場となる施設が……」
足を動かすよりも先に、言い淀むセラ。
ミノルとヤコは、揃って首を傾げた。




