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「――霊獣じゃっ!」


 その叫びを聞いたと同時、ミノルはヤコの身体を片腕で担ぎ、横へ飛び退いた。次の瞬間、先程までミノルのいた場所に巨大な何かが覆い被さり、そして豪快な破壊音が鳴り響いた。地面が捲れ上がり、瓦礫の破片が放射状に飛散する。

 ミノルたちの目の前に現れたのは、一匹の、ライオンのような獣だった。白い体毛は固く跳ね上がり、涎を垂らす口元からは鋭い牙が伸びている。獣らしい獰猛な瞳は真っ直ぐミノルたちを睨んでおり、唸り声は大気を震わせ耳朶に響いた。

 そして獣の全身は――岩の鎧に覆われていた。見れば足下の土は獣の四肢を中心に罅割れ、細かな砂粒が隙間風に乗って獣の鎧へと吸い込まれていく。

 明らかに普通ではない。

 その特徴は――精霊に酷似している。


「ちっ、なんでこんなところに……」


 獣を刺激しないよう注意を払いながらも、ミノルは焦燥に駆られ悪態をつく。

 これこそが、魔術でのみ対処できる災害――霊獣。それは、精霊のもう一つの姿とも言われている。当然、危険度も並の獣ではない。


「言っている場合じゃあ、無さそうじゃの」


「だな。……仕方ない、やるか」


 ヤコの一言に同意する。ミノルは、その少女の小さな掌に自らの掌を重ねた。互いに指を組み、温もりを感じながら意識を集中させる。

 そして、二人は調和の意志を紡いだ。


「『劫火ゆえに影は無く、鋭利ゆえに情は無し。愚かにも滾る華よ、永遠に燃え続けるがいい。我等は刃にして焔。語るに足らぬ――《狐火》なり』」


 刹那、二人が組み合う手を中心に、真紅の炎が巻き起こった。

 ヤコの左手とミノルの右手。その手に灯った炎は奔流と化し、辺り一帯に溢れ出た。やがて、膨大な熱量を宿した炎は、燃え盛りながらも収束していく。焔が姿を隠した時、そこにヤコの姿はあらず、代わりにミノルの右手には一振りの刀が握られていた。

 焦げた銀のような柄。半月を描き、丹精な模様が拵えられた血色の鍔。片刃の刀身は鮮やかな赤色で、幅が広く、日本刀と比べれば短い。それは柳葉刀と呼ばれる武器だった。


『相変わらず、謙虚な詠唱なのじゃ』


「身の程を知った素晴らしい詠唱だろ」


『できれば変えて欲しいのじゃ』


「死ぬまでこのままだ」


 どこからか聞こえるヤコの声に、ミノルは短く返す。

 ミノルの握る刀が鈍く光を反射した。ふて腐れた時の反応だ。

 これが、現代における魔術だった。魔術師は相棒である精霊を武器とし、あらゆる奇跡を人の身でありながら起こす。かつて人は精霊から、ほんの一部の力を借りるだけで魔術と称していたが、今やその域は時代遅れ。精霊そのものと手を組み、精霊と共に戦場を駆け抜けることこそが、この時代における一人前の魔術師である条件だ。


「くそっ、逃げてくれたら助かったのに……」


 こちらが魔術師としての力を発揮したのに、霊獣は一向に去る気配を見せなかった。心底残念そうにミノルは溜息を零す。そして、油断のない目で獣を睨んだ。


「――来い」


 ミノルが告げる。直後、霊獣は床を蹴り飛ばした。

 猪よりも大きな図体が、狼の如き俊敏な動きで迫り来る。対し、ミノルはそれを真正面から迎え撃つべく刀を構える。

 獣の動きを見極め、ミノルは重心を右にそらす。その突進に触れるか触れないかくらいまで引きつけた瞬間、右方向へ流れるように身体を翻し、刃を立てた。こちらへ迫る獣に力任せの一撃は不要。すれ違いざま、ミノルはただ刃を獣の軌道上に置いた。

 切りつけたわけではない。だが、刀を握る腕から返ってきた手応えに、舌打ちした。


「硬っ……」


 腕に痺れが残る。岩の鎧が予想以上に硬い。霊獣が振り返るよりも早く、もう一発入れるが、その斬撃も鎧に弾かれる。火花を散らして振動を返す刀に、ミノルは後退した。


『なにをしておる! もっと力強く振るうのじゃ!』


「んなことしたら、反撃されるだろ!」


 どちらの言い分も正論。だが、そうして行われた応酬が隙となる。


『来るのじゃ!』


 ヤコが警告すると同時、霊獣の四辺に複数の石礫が浮かぶ。獣が纏う鎧と、辺りの瓦礫が吸着して、それはあっという間に人間の頭部ほどの大きさとなった。

 霊獣の咆哮と共に、無数の礫が飛んでくる。


「ヤコ――斬れッ!」


『それはミノルの、腕次第――じゃっ!』


 術師の意志に、精霊の気概が感応する。刃に焔が走った。飛来する礫を、最小限の動作で回避し、斬り落としていく。如何せん場が悪い。この範囲攻撃を室内で避け続けるのは至難の業だ。間断なく放たれる獣の攻撃に、ミノルは大きく刀を振りかぶる。


「そら――っ!」


 足下から巻き上げるような一閃。放たれた焔は上昇気流を生み出し、砕け散った瓦礫と砂塵の嵐を起こした。飛来する礫を相殺した刹那、ミノルは霊獣のもとへ疾駆する。


『ミノル、術を使うのじゃ!』


「応。……ちゃんと加減しろよ」


『うむ! 任せておけ!』


 荒れ狂う気流を切り裂いて走るミノルは、獣の影を捉えた直後、部屋の天井スレスレまで跳躍。そして、その手に握る刀に力を込めて――唱えた。


「燃えろ――」


『《狐火》――なのじゃっ!』


 ミノルの内側にある力が、腕へ伝い、柄を通り、鍔を介し、そして刀身の鋒へと向かうと同時。ヤコはその力を膨大な炎へと変換する。

 現れた奇跡は単純にして明快。

 巨大な火の玉が、霊獣目掛けて放たれた。

 火球が破裂し、ミノルたちの目の前で爆炎が炸裂した。燃え盛る炎の渦中、霊獣の鎧が崩壊していくのを確認する。そして、安堵に胸を撫で下ろした。


『うむ! やはり、妾とミノルの手にかかれば、どんな奴もイチコロじゃのう!』


「さあな。ただ、今はそんなことより――」


 嬉しそうな声で告げるヤコに、ミノルは曖昧な返答をする。

 そして、激しく怒鳴った。


「――加減しろって言ったじゃねぇか!」


『ぴいっ!?』


 驚きのあまり奇声を発す相棒。だがミノルは一切動じぬ怒りを、その手に握る刀へとぶつけた。額に青筋を立てたまま辺りを見渡す。そこは薄暗い室内だった筈だが、いつの間にか開放感溢れる、ただの広場となっていた。廃墟を通り越した、解体後の景色である。

 魔術とは魔術師である人間の力を、精霊がうまく処理することによって生じる奇跡のこと。……ミノルはそれほど力を与えていない。この精霊が、余分に力を吸い上げたのだ。


『ち、違うのじゃ! 妾はただ、その、なんと言うか…………つ、つい』


「つい、で加減を間違われて堪るかよ……ちっ、これじゃ捜索も打ち切りだな」


 証拠品という証拠品は、恐らく今の一撃で根刮ぎ吹き飛んでしまった。

 相棒の適当っぷりに頭を悩ませ、ミノルは深く溜息を吐いた。脅威は去ったが、代わりにストレスが蓄積する。本当の脅威は、隣の少女かもしれない。

 などと、下らない冗談を浮かべていると――異変に気づいた。

 一面、瓦礫だらけになったその場所に、先程の霊獣の姿がない。


『木っ端微塵にしてしまったのじゃ?』


「まさか。そんなわけ……こんな圧勝、俺たちらしくない。どこかに潜んでいる筈だ」


『ううむ、ネガティブじゃ……でも、事実じゃ……』


 落ち込んだ声を漏らすヤコを無視してミノルは捜索を続ける。

 その時。ごろり、と。後方から、瓦礫の崩れる音がした。


『後ろじゃ!』


「――っ!?」


 こちらが背を向ける瞬間を虎視眈々と狙っていたのか、霊獣が飛び掛かってくる。先程の応酬で鎧は殆ど剥がれ落ち、自慢の鬣も焦げている。しかし、その口元に、一本だけ欠けることなく鋭さを保った牙があった。


「くっ!?」


 獣の接近を止められない。刀を振り抜き、ミノルがその首をかっ切るのが先か、逆に獣がミノルの頭蓋を噛み砕くのが先か。勝利を確信できない賭けの場へと誘われる。

 瞬間――迫り来る獣の横っ面を、見えない弾丸が撃ち抜いた。


「なっ!?」


 小気味良い音と共に霊獣が吹き飛ぶ。その光景を目の当たりにし、ミノルは驚愕の声を上げた。霊獣への警戒を解くことなく、弾丸の出所を探る。

 そこには、茶髪の男女がいた。


「まだ生きています!」


 オリーブ色のコートを纏う、眼鏡を掛けた青年がミノルに告げる。彼はすぐさま、隣の少女へと顔を向け――。


「――セラ!」


「はい、兄さん!」


 名を呼ばれた少女が、手際よく足下の鞄からひとつの宝石を取り出し、それを青年へ投げ渡す。受け取った青年が宝石を柏手で砕くと、その掌に青白い光の粒子が浮かんだ。光は風に攫われることなく、青年の腕に巻き付くように陣を描く。


「ちっ!」


 舌打ちと共に、ミノルも応戦する。起き上がり、もう一度こちらを噛み殺さんと飛び掛ってきた獣に対し、紅蓮の刃で袈裟斬りを放った。鎧が剥がれ落ちたい今、刃は抵抗することなく獣の皮を引き裂き、内側の肉へ到達する。

 ミノルが迎撃に成功した直後、再び青年が魔術を行使した。

 青年の腕に巻き付いた、幾何学模様の魔法陣から光の矢が放たれる。青白い尾を描くそれは、再度ミノルを横切って霊獣を射貫いた。呻き声を上げ、獣が地面に倒れ伏す。

 その身体がもう動くことのない肉塊……死骸と化したことを確認する。


「危ないところでしたね、ミノル様」


 そう言って、茶髪の青年が声を掛けてきた。

 この場にいて、かつ自分の名前を知っている。となれば、彼らの正体は――。


「貴方が、現地協力者の――」


 ミノルの疑問を、青年は首肯する。


「エリク=ハギリです。初めまして。そして、こちらが私の妹の――」


 エリクが視線を斜め後ろに向ける。その先にいる少女が、怖ず怖ずと前に出てきた。


「は、初めまして。わ、私は、スェッ……セ、セラと、申します……」


 か細い声で名を告げられる。聞き間違いじゃなければ、多分噛んでいた。

 顔を真っ赤にするセラを見て、兄であるエリクは苦笑した。


「……申し訳ありません。セラは昔から貴方の大ファンでして。今は少し緊張しているようですが、これでも少し前までは、それはもう感極まる様子で貴方の話を――」


「に、兄さん!」


 兄の口を止めるべく、セラが必死に飛び跳ねる。仲の良い兄妹だ。ミノルは面食らうこともなく、ただ二人のやりとりを見届ける。どちらもウェーブの掛かった茶髪で、透き通るような碧眼をしていた。事前に知らされた情報通りだと、エリクは今年で二十二歳。長身痩躯で理知的な面構えをしており、確かに佇まいからは場数を踏んできた落ち着きが窺える。一方、その隣に立つセラと呼ばれていた少女は、自分たちと同い年――つまり十五歳だった筈だ。髪はヤコと同様、腰まで伸ばしている。背はミノルよりも低い。まあ年相応だろう。しかし体格は、少し不安になるくらい華奢だった。

 セラと目が合う。彼女は分かりやすく緊張し、慌てて顔を伏せた。

 どこか――懐かしい気持ちになった。

 かつては、誰もがセラのような、畏まった態度でミノルに接した。

 今はそれも減ってきた。――良い傾向だ。行く行くは、完璧に無くすつもりである。

 きっと目の前の少女も、これから行動を共にする内に、その態度を崩すだろう。そして後悔する筈だ。こんな下らない人間に頭を下げた自分が恥ずかしい、と。


「ミノル=フジサキです。で、こっちが――」


「精霊、ヤコじゃ!」


 刀と化していたヤコがその姿を解き、元の幼女の姿となって告げた。

 頷いたエリクが、微笑しながら口を開く。


「しかし、集合場所に来たら、いきなり建物が爆発しましたから、驚きましたよ」


「ここは、あんな霊獣が、よく出現するんですか?」


「まあ、人の少ない田舎ですし。多少は出現するようですが……あのクラスは、少々珍しいですね。見たところ、低く見積もってもB級です」


 つまりミノルたちと同じ実力を持つ霊獣だ。

 霊獣にも魔術師と同様、等級が存在する。B級となれば、本来なら群れを形成し、その統率者として君臨するほどの実力である。基本的には手足となる部下を働かせ、本体は滅多に動かない筈だが……珍しいこともあるものだ。

 魔術師たるもの、想定外の事態はつきもの。ミノルは思考を断ち切る。

 そして、失礼だと思いながらも、少しエリクたちの容姿に注目した。現地協力者とは聞いていたが、その割には顔立ちが日本人らしい。かといって、そのブラウンの髪は、染めたものではなく地毛に見える。碧眼も、まさかカラーコンタクトではないだろう。


「ところで、エリクさん。ハギリというのは、あの葉桐ですか?」


 ミノルの問いに、青年エリクは、含みのある笑みを浮かべた。


「ええ。私たちは、あの葉桐家の者です。……まあ、分家ですがね。その血は二分の一しか受け継いでいません。もう半分は、この国のものです」


 ということは、イタリア人と日本人のハーフだ。

 先程の笑みに浮かんでいた感情。それが自虐的なものであると理解したミノルは、早々にこの話題を切ることにした。

 葉桐家は、日本の魔術界隈では有名な一家だ。その扱いは、中世ヨーロッパの門閥貴族にも引けを取らない。要は魔術に関する名家なのだ。葉桐の血が流れた者は、皆、例外なく優秀な魔術師であると言われている。……ただ、ハーフの事情については聞いたことがない。彼らの様子からして、デリケートな問題なのだろう。

 しかし、そうして悩むミノルの傍で、ヤコは何一つ考えることなく口を開いた。


「うぅむ……よく分からんが、お主たちが日本人であることは妾にも分かったのじゃ!」


 まさかこいつ、葉桐家を知らないのか……。

 相棒の非常識な様に戦慄し、ミノルは顔を引き攣らせる。


「……すみません。こいつ、わりと世間知らずな精霊で」


「ははは、いえいえ。流石はミノル様の精霊です。葉桐家のことなど気にも留めない器なのでしょう。……ミノル様の武勇伝と共に、ヤコ様の話も良く耳にしますよ。葉桐家が所有する精霊でも、貴方を上回るモノは滅多にいないでしょう」


「ふふん。ま、当然じゃな! 妾は超強いからのう!」


「滅多にって言ってるだろ。一応いるんだよ、お前より強い精霊」


「………………………………そう、なのじゃ?」


「え、ええ、まあ……一応」


 屈託のない笑みを浮かべていたヤコが、途端に真顔になってエリクに訊いた。あまりの温度差に鼻白んだエリクは、訥々とだが、肯定の意を示す。先程までの元気な表情がまるで嘘だったかのように、ヤコの顔はみるみると青ざめていった。

 自身を誇示するかのように広げていた耳と尻尾を、限界まで縮こまらせ、ヤコは摺り足でミノルたちから遠ざかろうとする。


「わ、妾のことは、気にせずに話を進めてくれ。妾はその、散歩でもしてくるのじゃ」


「駄目に決まってるだろ。ここで一緒に説明を受けろ」


「嫌なのじゃ! A級が! A級が襲ってくるのじゃ!」


「襲わねぇよ! いいから大人しくしてろ!」


「ぎゃんっ!?」


 逃げようとするヤコの尻尾を強く引っ張ると、彼女は奇声を発して飛び上がった。ミノルは流れるような動作でヤコの耳を鷲掴みにして、強引にエリクへと頭を下げさせる。ミノルも同時に頭を下げた。その態度からは、これまでの苦労が滲み出ている。


「お騒がせしました」


「い、いえ……賑やかな精霊で良いことです」


 エリクが可哀想なモノを見るような目をしていた。


「では、そろそろ本題に入りましょうか」


 そう言って、エリクはセラに目配せした。アイコンタクトの意図を察したセラは、地面に下ろしていたショルダーバッグを持ち上げ、中から一冊のファイルを取り出す。

 ファイルを手にしたエリクは、パラパラとページを捲りながら語り出す。


「念のため、前提の摺り合わせをしておきましょう。……今回の私たちの仕事は、昨年六月から計三回ほど起きた精霊回路強奪事件、その犯人の調査および捕縛です。クライアントは国家治安警察隊(カラビニエリ)。報酬は前報酬と成功報酬の二種類あり、内五割を私たちが頂きます。前報酬は一〇〇〇ユーロ。成功報酬は五〇〇〇ユーロです」


「相違ありません。続けて下さい」


「食費、宿泊費、その他交通費等は全て前報酬に含まれています。……この件に関しましては、確か、五〇〇ユーロを充てるということで話が纏まった筈ですね」


「はい。メールで話した通りです」


 簡潔で事務的なものではあるが、ミノルたちは事前にメールである程度、相談をしていた。エリクが述べた通り、前報酬の半分は任務達成のために使用する予定である。


「そして期間は――無期限と」


 確認を取るべく、エリクがこちらに視線を寄越す。ミノルは平然と応えてみせた。


「本場の警察が何時までたっても解決できていませんからね。犯人の潜伏能力の高さも問題ですが、それ以前に警察だって、ひとつの事件に執着出来るほど暇じゃあない。半年も経てば他に追わなければならない事件も現れます。……この件については、犯行も三度目で急に途絶えていますし、緊急性はあまり無い。……俺たちも善処しますが、そもそもクライアントが事を急いでいませんので。まあ、長期戦になるとは思います」


「薄々と思っていましたが……随分と、損な仕事を掴まされましたね」


「はははっ、ろくに調べもせずに安請け合いした結果ですよ。……エリクさんとセラさんには、ご迷惑をお掛けします。二人を巻き込んでしまって申し訳ありません」


「いえ、貴方が謝罪する必要はありません。私たちは、全て知った上で協力しているのですから。……まあ、それでも仕事の成功は願いたいものです」


 ええその通り。仕事が成功すればいいですね。――なんて、適当に相槌を打つ。

 ろくに調べもせずに安請け合いした結果? そんなの真っ赤な嘘だった。ミノルは数ある仕事をひとつひとつ丁寧に精査した末に、自らこの仕事を選択したのだ。

 報酬は全て合わせても、たったの六〇〇〇ユーロ。日本円にして約八〇万円だ。これを四人で分けるのだから、一人頭はたったの二十万円となる。本場の公的機関が遂行できなかった仕事を、たったその程度の報酬で成功させねばならないのだ。エリクの言う通り損な仕事である。これなら他の小さな仕事を堅実に受けた方がマシだ。

 だが、そのクズみたいな待遇に、ミノルは着目した。

 ポイントは、現場が日本以外の国であること。そして――期間が無期限という事実から透けて見える、クライアントのやる気の無さだ。

 建前(・・)に丁度いい。そう思ったから、ミノルはこの仕事を受けることにした。


「続いて、現状について。まずは私たちが今居る一件目の現場ですが……」


 エリクが、周囲の状況を一瞥して言葉を失った。


「……すみません。うちの馬鹿が全部、吹き飛ばしてしまって」


「い、いえ、その……力強い精霊で、良いと思いますよ」


 怒られるどころか気を遣われてしまう。ミノルは再び、ヤコの両耳を鷲掴みにして無理矢理頭を下げさせた。エリクはただ苦笑する。


「一件目については、ある程度は俺たちの方で確認させて頂きました。……被害者であるロレンツィオ、および犯人の手掛かりは、探した限りでは見つかっていません。強いて言うならば、犯人は高ランクの魔術を放ったのではないかと推測できます」


 高ランクの魔術師ではないかもしれない。けれど、高ランクの魔術を放ったのは間違いないだろう。恐らく、先程のミノルの《狐火》と同等の力だ。


「まあ、こちらの警察も過去に何度か捜索済みですからね。元から殆どが崩れ落ちていましたし、めぼしい手掛かりは最初から無かったのかもしれません。……ああ、それと。予定通り、私たちの方はロレンツィオから話を聞いてきました」


「何か情報はありましたか?」


「核心を突くような情報は何も。ひたすら恨み節を聞かされました。……ただ、そうですね。ひとつ気に掛かったことと言えば、犯人はどこか挙動不審だったそうです」


「挙動不審?」


 妙なことだ。ミノルは訊き返す。


「ええ。どうもその犯人、確かな実力を持っているにも関わらず、動きがぎこちなかったとか。変な話ですが、緊張でもしていたのかもしれません。つまり犯人は、この手の行動に慣れていない可能性があります」


「俺たちも丁度、これが初犯ではないかと考えていました。……前歴のない、優秀な魔術師を虱潰しにするのは非効率的ですね。もう暫くは情報収集を継続しましょう」


「わかりました」


 エリクは頷いて、ファイルのページを更に捲る。


「奪われた精霊回路の数は、全部で六十八個。ロレンツィオは五個、奪われています。回路の状態は、成長状態、打ち止め状態、ともにバランス良く盗られていますね」


「見境無いですね」


「ええ、いまいち規則性が見えません。……その回路が契約していた精霊に関しても、バラバラです。中にはヤコ様と同種の精霊、妖狐と契約していたものもあります」


「……俺たちのこと、よく知っているんですね」


「私も貴方のファンですから」


 相好を崩すエリクに、ミノルは脱力した。今回の依頼は、やりにくくなりそうだ。

 言葉を詰まらせるミノルを他所に、エリクは説明を続ける。


「それと、急な話ではあるのですが、今朝クライアントから追加の情報が届きました。今時、データではなく書類で来ましたで、少々整理に手間取りそうですが、こちらも活用して頂ければと思います」


「分かりました。その書類は今どこに?」


「今は私の仕事場にあります。なにせ量が量ですので……こちらで整理した後で渡そうかと考えていたのですが、すぐに用意した方がよろしいでしょうか?」


「……いえ、できれば整理した後で、お願いします」


 自慢ではないが、書類仕事の類いには慣れていない。何時までも甘えるわけにはいかないが、それは今、対応することでもないだろう。


「分かりました。では追加の書類については、暫く私が管理するということで」


「すみません。負担をかけてしまって」


「いえいえ。クライアントとの仲立ちも、現地協力者の務めですから」


 クライアントにやる気が無いとは言え、それは今における話。事件が起きた当初は警察も本気で捜査していたし、それから積み重なった無数の調査記録がある筈だ。それらの整理には確かに時間も掛かるだろう。埃を被った膨大な資料ほど、扱い辛いものはない。


「長くなりましたが、私からの情報共有は以上で終了です。他に何かありますか?」


「いえ、ありません」


「それでは次は、二件目の現場へ移動ですね。……申し訳ありません、ミノル様。予定していた街の案内についてですが、私は少々、用事が入ってしまいましたので……続きはこちらのセラが引き継ぐことになります」


「用事ですか?」


「ええ。私の所属する結社は魔術関連の研究を行っているのですが、これからその応援に行かなくてはなりません。二足のわらじを履くようで申し訳ありませんが、こちらも生活が懸かっていますので……」


 どうやら、またしてもデリケートな話題のようだ。深追いはしないでおく。


「こちらの仕事に差し支えがない範囲なら大丈夫ですよ。お互い、生活が壊れない程度に頑張りましょう。……というか、多分、それがこの国では普通なんですよね」


 ふと、ミノルは思い出した。確かこれは、魔術師における文化の違いだ。


「普通と言うべきかはわかりませんが……まあ、イタリアでは良くあるスタイルですね」


「俺も日本を発つにあたって、この国、というか海外の文化について、色々と調べたんですが……依頼を請ける度に学校や会社を休むのは、日本人だけらしいですね……本業ならともかく、普通、臨時で請けた依頼は、そこまで優先順位を高くしないって」


「良くも悪くも適当なのですよ。この国では平然とストライキも起きますし。電車とかタクシーとか、飛行機まで、しょっちゅう止まりますよ」


「飛行機も止まるんですか」


「ええ。他にも、イタリアは古代の伝統が栄える街と言われていますが、実際はその伝統も風前の灯火です。建物の設計とか、よく見れば滅茶苦茶ですよ」


「そうなんですか」


 雑談か、愚痴か。有意義そうで無意義でもありそうな会話を繰り広げる。その最中、先程から一言も声を発さないセラを一瞥した。どうもまだ緊張しているらしい。この後は彼女に案内をしてもらわねばならないのだが……大丈夫だろうか。


「ともかく、別行動を許して頂きありがとうございます。資料の整理に関しては並行して進めておきますので、ご安心を。元々、そのつもりで仕事場に送って貰いましたので」


 話の接ぎ穂を失ったところで、エリクは改めて感謝した。ファン云々はともかく、協力者としては頼もしい存在だ。几帳面で信頼できる。


「では、最後にひとつ。ミノル様に、どうしても伝えたいことがあります」


「はい? えっと、なんですか」


「私たちが、貴方の協力者として申し出た理由についてです」


 先程よりも更に真面目な態度を取るエリクに、ミノルは目を瞬かせる。


「む? それは、お主らが、ミノルのファンだからじゃ無いのじゃ?」


「まあ、それもあるんですが。私には別の目的があります」


 そう言って、エリクは真っ直ぐ、ミノルを見た。


「単刀直入に言いましょう。ミノル様。私は、貴方を魔術師として、より強く、更なる高みに導くことができます」


 どこか信念を秘めた瞳に射貫かれ、ミノルは口を噤む。強くする。高みに導く。その言葉の意図が分からず混乱するミノルに、エリクは続けた。


「貴方にとっては身に覚えがない話かもしれませんが、私もセラも、過去に貴方の活躍を間近で見たことがあります。……いえ、私たちは、貴方に救われた(・・・・)ことがあるのです」


 迂遠な表現は不要と判断したのか。エリクは言い直す。


「あの瞬間、私はミノル様の強さに敬服し、いつしか貴方の力になりたいと思うようになりました。その思いは今も変わりません。私は、貴方に恩を返すための機会を、ずっと待っていたのです。だから、この仕事を引き受けました。

 しかし、今は少し違います。最初は純粋に、この仕事を手伝うことで、貴方に恩を返そうと思っていましたが……貴方を派遣した連盟から話を聞いて、考えを改めました。具体的な原因まではお聞きしていませんが……彼らの言葉を要約すると、ミノル様は今、伸び悩んでいるとのこと。これは、事実でしょうか?」


「……ええ、事実ですよ」


 本当は、伸び悩んでいる、なんて生易しいものではないが……。

 日本の魔術連盟が、所属する魔術師の悪口を言うとは考えにくい。そんなことすれば自らの株を下げるだけだ。……恐らく、認識の齟齬が表に出たのだろう。ここ最近のミノルを知らないエリクにとって、ミノルは優秀な魔術師だ。しかし連盟にとって、ミノルは大した魔術師でもない。下手な期待をさせないためにも、連盟はミノルの現状を、正直に語ったのかもしれない。保身が上手なようで、何よりだ。

 どうせなら、伸び悩む、ではなく。素直に才能が無いとでも言えば良いものの。

 なんて皮肉を内心で呟くミノル。しかしエリクは、対照的に安堵の笑みを浮かべた。


「そうですか。では、尚更、今の私ならば力になれると思います」


 そんなエリクの一言に、ミノルは目を点にする。


「貴方に救われてから、私は自身の適性もあって、魔術の研究に勤しんできました。そのため、実戦における実力ならともかく、専門知識という面では、高度なものを身につけている自信があります。……確実に力になれるとは思っていません。ですが、きっと私にしか出来ない助力があります。どうでしょう? 私を、頼ってみませんか?」


 熱意の込められた言葉を聞いて、ミノルは唇を引き結んだ。複雑な感情が渦巻く。あまりに真っ直ぐな瞳に、思わず顔を伏せた。


「……か、感動なのじゃ」


 その時、隣からヤコの涙ぐんだ声が聞こえた。


「ミ、ミノルと妾の戦いが、こうも人の心に火を点けるとは…っ! さあ、ミノル! 此奴の恩返しを受けるのじゃ! それが、英雄たる妾たちの義務というやつじゃ!」


「誰が英雄だ、誰が」


 一人で興奮するヤコの様子を眺めていると、ミノルは冷静になることができた。確かに過去、人助けは幾度となく行ってきた。その内の何人かは、今のエリクのように恩返しをしたいと申し出てきたこともある。だから、エリクの考えは別に珍しいわけではない。

 ――後悔される前に、断った方が良い。

 もう、いい加減、疲れている。ミノルは大きく頭を下げた。


「申し訳ありませんが、遠慮しておきます」


「ミノルっ!?」


 ヤコが慌てた声を発す。しかしミノルは頭を下げ続けた。

 エリクは、そんなミノルの返答が予想外だったのか、目を瞬かせながら訊き返す。


「遠慮? 何故? 私の記憶では、貴方は誰よりも強さに焦がれていた筈です」


「それは……昔の話です。今の俺に、強さを求める理由はありません」


 事実だった。自分はもう、強さとか、成長とか、そうしたものに興味が無かった。

 半笑いで誤魔化すこともなく伏し目がちに告げるミノル。彼らと同じように、ミノルにもまたデリケートな部分が存在するのだ。できれば、追求して欲しくない。

 何かを悟ったのか。エリクは人の良い笑みを浮かべて、引き下がった。


「そうですか。なら、せめて連絡先の交換はして頂いてもよろしいですか? 私は暫くこの国に滞在します。気が変わったら、いつでもご連絡下さい」


「……まあ、そのくらいなら」


 アドレスと番号の記された名刺を、ミノルは受け取る。こちらも渡そうとしたが、手元に無いことを思い出した。名刺は肩書きを記すもの……過去の肩書きを捨てたいミノルにとって、それは不要なものだ。日本を発つ際に、その手のものは全て破棄してある。


「それでは、私はこれで失礼します。仕事が終わり次第、またご連絡致しますので」


 そう言って踵を返したエリクは、路駐していたらしい黄色い車に乗る。エンジン音を鳴らしながら走り去る車を見届けて、ミノルは茶髪の少女に視線を移した。視線に気づいたのか、あからさまに動揺する少女。なるべく落ち着いた声音で、ミノルは語りかける。


「……案内、頼めますか?」


「は、はいっ! ただいま!」


 妙にぎこちない返事が放たれる。

 まあ、やる気だけはありそうだ。……一抹の不安を抱き、ミノルは苦笑した。


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