12
黄色のオープンカーに乗って、ミノルたちは、エリクが所属しているという結社へと向かっていた。メストレ駅からほぼ一直線に道を進み、リベルタ橋を超える。
サンタルチア駅周辺にある駐車場に車を預け、後は徒歩での移動となった。
「そう、ですか。まさか、ミノル様にそのような不幸が……」
道中、ミノルは自身の欠陥について、エリクに語っていた。普段なら他人に言うものではないが、既に妹のセラには話したし、それにエリクは自分のために何か研究の成果を宛てがおうとしているのだ。役に立つかもしれないと思い、打ち明けることにした。
「では伸び悩んでいるという表現は、不適切でしたね」
「まあ、そうですね。もう伸びないことが、分かっているので。……回路が打ち止めになった以上、俺はもう、あれ以上の力を出すことができません」
「とは言え『到達者』であることは誇らしく思ってもいいでしょう」
エリクの励ましの言葉に、ミノルは苦笑した。
「『到達者』の数が少ないのは、皆、より強い精霊を求めているからですよ。……単純な話、同調率を高くすることよりも、強力な精霊と契約を結んだ方が、魔術師としての成長に繋がりやすいですから。C級の同調率一〇〇%は、B級の同調率七〇%に相当すると言われています。となれば、B級とA級の関係も、然り、です」
A級精霊と契約した魔術師なんて、探せば幾らでも見つかるだろう。ミノルがB級精霊と契約して注目されたのは、当時十二歳という極めて若い世代だったからだ。年を取るに連れ、少しずつ肩を並べる者も現れ始める。
わかりやすく言えば、ゲームのキャラクターだ。弱く、成長限界が早いものほど、簡単にレベルが上がる。だが、そんな弱いキャラクターを、娯楽でなく本気で最高レベルまで鍛え上げるプレイヤーは希有だろう。大抵のプレイヤーは、たとえ最高レベルまでの道のりが長くとも、より強いキャラクターを育てる。
ふと隣を見ると、ヤコが暗い表情をしていた。
「別に、お前のせいじゃないぞ」
「……妾はまだ、何も言っておらんのじゃ」
その態度に違和感を覚える。
こんなこと、とうの昔から知っている。ミノルもヤコもとっくに乗り越えた現実だ。普段なら笑って済ますところだろう。だが、今のヤコは珍しく落ち込んでいる。
何か他に、気になることでもあるのだろうか。考えてみたが、思いつかない。
一方。話を聞いたエリクは、神妙な面持ちでありながら何処か満足気な様子だった。不謹慎であると自覚したのか、エリクは吊り上がった口角を掌で隠して言う。
「いえ、失礼。少々、過去の自分を褒めていました。……私は貴方がB級の精霊に拘っていることを知っていました。その理由については知りませんでしたが、貴方がその拘りを捨てずに強くなる方法についても、一通り模索したことがあります。どうやら、その研究が無駄にならずに済みそうです」
それはまた、ピンポイントな研究だ。それだけ、ミノルに恩返しをしたかったということだろう。気恥ずかしさを覚えるミノルに、エリクは説明を始める。
「精霊が蔓延り、それに適応した現代社会は、一つだけ国民に嘘をついています。それは何か……ミノル様、分かりますか?」
「……いえ」
「ヒントは同調率です。ミノル様、貴方は同調率の限界についてどう理解していますか」
暫し考え込んでから、ミノルは答えた。
「同調率の限界は、精霊との完全な同化。数値にして一〇〇%です。俺たち魔術師と精霊は、互いの存在を重ねることで、より深く、お互いの力を引き出せます。なので、完全に重なった状態こそが到達点です。それ以上は、何も起こらない」
一+一は二だ。それが三になったり四になったりはしない。そう思い、出題者の顔を窺う。エリクは、その回答を待っていたと言わんばかりの得意気な笑みを浮かべていた。
「それが、魔術師たちの常識です。ですが……それこそが、嘘なのです」
銀縁の眼鏡の位置を正し、エリクは言う。
「エイジス=キャラルという人物をご存知で?」
「はい。確か……『到達者』にして、『二重契約者』。世界に十人といない、希有な才能を持った魔術師です」
「その通り。そして彼こそが、この社会の嘘を暴いて見せた。
考えたことはありませんか? どうして魔術師は、複数の精霊と契約できるのか。同調率一〇〇%とは、ミノル様が仰ったように、人間と精霊が完全に一体化している状態のことです。つまり『到達者』とは、人でありながら、精霊でもある。
ここで矛盾が生じます。ミノル様もご存じかと思いますが、精霊と精霊は同調できません。なら、精霊と化した人間が、他の精霊と同調するのも不可能である筈です。にも関わらず、世の中には、一体の精霊と同調率一〇〇%で契約しながら、更に別の精霊とも契約できる者がいる。エイジス=キャラルは、まさにその一人です。
私を含み、そうした疑問を抱いた者たちは秘密裏に研究を進め、そしてある結論に至りました。同調率の限界は、単一の精霊に対する最大値ではない。全ての合計値なのです」
「合計値……じゃあ、同調率は、一〇〇%を超えられると?」
「ええ、その通りです。『到達者』は、魔術師の終着点ではない。同調率一〇〇%の壁を越えた、選ばれし者。我々はそんな逸材を、『超越者』と呼んでおります」
初めて聞く単語だった。――『超越者』。その名が、記憶に刻まれる。
同時に、ぶわり、と。閉じられていた心に新風が吹き込んできた。まるで、閉ざされた視界が途端に広がったかのように。
新たな可能性だ。鼓動が激しい。
「そういう意味では、先程戦ったあの男は、『超越者』ではありません。合計値というのは、あくまで同調率の限界を表わす指標です。我々が思う『超越者』とは、一体の精霊に対し、一〇〇%を超えた同調率を発揮する者のことです」
限界値が幾ら高かろうと、そこに至っていなければ意味がない。もし、あの男が本当の意味で『超越者』であれば、『到達者』であるミノルは太刀打ちできなかっただろう。
「でも、どうしてそれを、国が秘匿するんですか」
「簡単に言うと、パワーバランスの問題です。まだ『超越者』が現れる前の時代。各国は格の高い精霊たちを分割管理することで、争いの抑止力を生み出すことにしました。そしてその体制は今でも続いています。……そんな中、『超越者』の存在が表に出れば、国の関係は一気に崩壊するでしょう。格の高い精霊を保持していれば安全であった筈が、いつの間にか、それを超える存在が現れてしまった。あらゆる国が、精霊と魔術師のヒエラルキーを誤認していたのです。……今、自国の『超越者』を表に出せば、夥しい数の糾弾を浴びせられ、おまけに没収されるでしょう。そしてそれはあらゆる国が察しています。
表では今まで通りの体裁を繕っていますが、その水面下では各国が独自に、新たな抑止力と成り得る兵器を開発している。……その兵器こそが、『超越者』なのです」
所謂、裏の事情だ。魔術社会が隠している事実。これまでそれに触れたことすらないミノルは、運が良いと言うべきか、それとも悪いと言うべきか。
「ですが、それだけ畏れられている『超越者』にも、欠点はあります」
道案内を続けながら、エリクは言う。
「一度でも同調率一〇〇%を超えてしまうと、魔術師と精霊は、より密接な関係で結ばれるようになります。具体的には、魔術師の精霊回路が、その精霊専用のものへと変化するのです。精霊の身にも、同様のことが起きると考えられます。つまり、『超越者』となれば最後、魔術師も精霊も、他の相手と契約することが出来なくなるのです」
他の精霊と契約できなくなる。それは、魔術師にとっては確かに欠点である。相棒を固定すると、戦術もまた固定することになる。早い話、対策を取られやすいのだ。
とは言え、それは誰もが通る道。いつまでもコロコロ契約相手を変えていると、同調率は一向に上がらないし、魔術師はいずれ相手を固定するものだ。
「どうですか? 私が示す可能性について。理解して頂けたでしょうか」
「……はい。それはもう、確かに」
エリクの質問に対し、ミノルは思わず弾むような声で応えた。
声が弾むのも仕方ない。なにせ――漸く、見つけたのだ。自分たちが、更に高みを目指すための手段を。実感はない。……そのくらい、心が浮き足立っている。
「ヤコさん? どうかしたんですか?」
ふと、セラの声が聞こえた。ヤコを心配するその声に、ミノルも視線を横に移す。見ればヤコが、青褪めた顔をしていた。ミノルの視線に気づいた途端、慌てて普段通りの笑みを浮かべようとするが、非常にぎこちないものとなっている。
「どうした。調子でも悪いのか?」
「だ、大丈夫じゃ。なんでもない……なんでもないのじゃ」
明らかに狼狽するヤコに、ミノルは首を傾げる。どこか、今までに無い不穏な気配を漂わせる相棒に、何と声を掛ければ良いのか。悩んでいる内に、エリクが声を発した。
「着きましたよ」
立ち止まったエリクの前方には、地下へと続く大きな階段があった。先導するエリクに続き、ミノルたちも階段を降りる。大きな扉を開くと、巨大な地下空間があった。
光を反射する藍色の床と壁。テーブルの上に散在する書類とティーカップ。壁に掛けられた白衣のポケットは、試験管や筆記用具、或いは煙草で膨れ上がっていた。
「此処が、私の所属する結社、ギフト・ギブです。名前の由来は、才能の譲渡。これは結社の理念に基づいています。……ギフト・ギブの理念は『在るべき所へ』。メンバーはこの理念に従って、集めた憑霊器や、開発した魔術兵装を、それを使いこなせる天才たちに与えているのです。……分かりやすく言えば、天才の援助ですね」
「天才、ですか」
「厳密には、何かしらの才能を持つ方です。……いえ。才能の有無は関係ありません。その人の成長した姿が見たい。そう思えるような方であれば、我々は支援します」
貴方のようにね――案にそう告げるエリクに、ミノルは苦笑する。
説明を聞き、それから周りを見て、ミノルは質問した。
「他の人はいないんですか?」
「基本的に、ギフト・ギブの仕事は外回りが多いですから。当分は私一人ですよ」
「営業みたいなこと言うんですね」
「まあ、似たようなものです。理不尽に苦しみ、日の目を見ない天才たちへ『力が欲しいか?』と囁き続けるのが私たちの仕事ですから」
「それは……夢を叶える仕事ですね」
主に中高生の夢を叶える仕事だ。
「ミノル様。貴方に、是非とも見せたいものがあります」
どうぞこちらへ、と案内される。ミノルは密かに期待を抱いて従った。
エリクが首に下げていたセキュリティカードを手に取り、扉前のカードリーダーに翳した。短い電子音がなり、扉が自動で開く。
扉の先にある部屋。そこには――無数の、憑霊器が並んでいた。
「こ、れは……」
息を呑む。これだけ膨大な数の憑霊器を、一度に見たのは初めてだ。
頑丈なラックに、ひとつひとつの憑霊器が余裕のある間隔で陳列されている。小さいものだと茶器や鉢植え、仮面など。大きなものだとアンティーク調の椅子や、絵画まで。実に多種多様な憑霊器が、この部屋には保管されていた。
中にはB級は愚か、A級精霊が眠っている憑霊器まである。国公認の結社とは言え、A級の憑霊器を預かるということは、相当信頼されている証拠だ。
「ミノル様が、どうすれば強くなれるのか。その続きを語りましょう」
圧巻するミノルへ、エリクは言う。
「私は先程、ミノル様が更に強くなる方法を提示しました。それが、同調率一〇〇%の壁を越えること。つまり『超越者』になることです。ですが、残念なことに、それだけでは世の中のA級やS級の精霊には適いません。より強く、より魔術師として高みに上りたいならば――厳選するべきです」
そう言って、エリクは真正面からミノルを見据えた。
「B級精霊と言えど、その実力は一概には言えません。世の中にはA級と渡り合えるB級精霊も存在します。例えばこちらの精霊カルロスは、一定範囲、凡そ五〇〇メートル圏内に存在する水の、五割を支配するといった能力を持っています。環境次第では、A級を超えることも可能でしょう。こちらの精霊ロンソは、《幻惑》と呼ばれる魔術を司るものです。絡め手となりますが、使い道によっては絶大な効果を発揮するでしょう。更に――」
「ま、待って下さい」
流暢に語るエリクに、ミノルは慌てて口を開く。
話の流れが変だ。『超越者』を目指せと言われて、しかし『超越者』となれば二度と他の精霊と契約できないと説明を受けて。そして今、どうして新たに精霊を紹介される。
いや、違う――今だからこそ、エリクは言っているのか。
「厳選って、それは、つまり――契約する精霊を、選ぶということですか」
「ええ。何か変ですか? 魔術師なら、誰しもが通る道だと、聞いていますが」
「で、でも、俺には既に、ヤコが――」
「はっきり言って、この精霊は、貴方に相応しくありません」
ヤコを指さして言うエリク。
嫌な予感が的中した。
「ミノル様。当然ですが、同格の精霊にも上下という概念はあるのです。最初の一歩を踏み誤ってはいけませんよ。確かに『超越者』になれば、精霊の階級を超えられるほど強くなれます。ですがそれは――そこの雑魚精霊では意味がない。今の貴方が求めるべきは、高い同調率よりも、より強い精霊です。そして、その候補は此処に、幾らでもあります」
両手を広げ、エリクは言った。
周囲には数え切れないほどの憑霊器がある。B級精霊だけで一体、どのくらい保管されているのか。……ミノルも馬鹿ではない。エリクの言葉が正論であることくらい分かる。
頭が真っ白になった。どうして? 他の精霊と契約する気なんて、全く無かった筈だ。
それが今になって、動揺を生んでいるということは――見て見ぬ振りをしてきた、ということなのだろう。他の精霊と契約する。その可能性からずっと、目を逸らしてきた。
硬直するミノル。その背後から、駆け足が聞こえた。
「――ヤコっ!」
背中を向け、一目散に離れていく少女を、ミノルは呼び止めようとする。しかしヤコは脇目も振らずに部屋を飛び出た。足に炎を纏い、狐の尾と和服を揺らしながら、階段を一気に跳び越えていく。ヤコが傍にいないため、普段活用している炎の魔術が使えない。代わりに、見ず知らずの精霊を呼び出し、旧魔術を行使しようとしたが――小さな後ろめたさを感じて止めた。今は、ヤコ以外の精霊から力を借りたくない。
「くそっ!」
自らの足だけで、ミノルはヤコを追って部屋を出た。
「兄さん!」
ヤコが部屋を出て、ミノルがそれを追うと同時、セラは兄に向かって叫んだ。
「今のは、幾らなんでも――っ!」
言葉にならないくらい、セラの心情は混乱していた。
元々、兄が研究熱心で、そのためなら多少の犠牲も厭わない性分であることを、セラは理解している。だが、それでも、まさかこれほど非情になれる人とは思わなかった。
友人を傷つけたことに対する怒り。信頼を裏切られたことによる怒り。同じ感情ではあるが、根本が異なるため、うまく混じり合わない。だが、少なくとも、これほど激怒する自分を放って、傍にある机の書類整理を始める兄には、本気で失望した。
「セラ」
「何っ!?」
荒々しく返すセラに対し、エリクは三十枚ほどの紙束を手渡そうとする。
「これを。ミノル様が欲しがっていた、事件に関するデータです。大体がクライアントから渡されたものですが、私が独自に集めたものも幾らか入っています」
紙束を見て、一瞬、はたき落とそうとしたが、それでも辛うじて堪えた。震えた手で書類を受け取り、セラは兄を睨み付ける。申し訳なさそうな顔でもすればいいのに。まるで後悔はないと言わんばかりに、エリクは真剣な眼差しを浮かべていた。
そんな顔を見て、言葉が出なくなったセラは、踵を返してミノルたちの後を追った。残ったエリクは小さく息を吐き、そして、三人が出て行った部屋の扉を眺める。
「そうか。やはり、そうだったか」
自分だけに向けた言葉の羅列が、虚空に吸い込まれる。
くつくつと、エリクの口元から笑みが零れた。




