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イタリア横断グルメ旅。次の目的は、独特な香り漂うイカスミパスタ。
今回の旅をそんな面白可笑しい企画と考えているのはヤコだけで、ミノルは明るい夕焼けに染まった空を、少し疲れた表情で眺めていた。
「……今日は資料を読むだけで終わりそうだな」
特急に揺られて二時間。ミノルたちは十分ほど前――午後四時半頃に、メストレ駅へ到着していた。集合時間より早く着いてしまったので、今は軽く散歩している。
「ミノル! 何をしておる!」
「あ、待って下さいヤコさん! そっちに行くと――」
「ぬおっ、く、車が邪魔で通れんのじゃ!」
考え込んで、いつの間にか足も止めてしまったらしい。前方から聞こえるヤコとセラの掛け合いに、ミノルは顔を綻ばせて歩みを再開する。
バンパーとは周りの車を押しのけるための部品である。……それが常識らしいイタリアでは、至るところで隙間の無い縦列駐車が見られた。適当に車を避けて歩くだけでは、ヤコのように、車の壁という行き止まりにぶち当たる可能性がある。
ボコボコのバンパーの間を、どうにかヤコが潜り抜けた。
「ふぅ……身体が小さくて良かったのじゃ」
「幼女で良かったな」
「なんで言い換えるのじゃ!」
ヤコがパンチを放つ。だがミノルは微動だにしなかった。
「しかし、気になりますね。その手紙」
隣で歩くセラが、ミノルの持つ手紙を見て言った。
ソフィーから受け取った手紙については、既にセラとヤコにも話していた。当然ながらどちらも心当たりはない。ソフィーは、この手紙がミノルたちの追っている事件とは無関係かもしれないと言っていたが、ミノルはそうは思っていなかった。
「このタイミングだからな。手紙の目的が、ゴーランさんではなく、俺を嵌めることだとしたら……もしかしたら、回路強奪の件と関係があるのかもしれない」
「犯人は、私たちの動きを妨害したかったのでしょうか」
「その可能性はある」
だが、もしそうならば、もっと他にも手はあった筈だ。こんな遠回しな方法を取らなくとも、例えば寝首を掻いてくるなど、やり様は幾らでもある。
エリクとの集合まで、まだ時間はある。それまでにもう少し情報を整理したい。
「中々、点と点が繋がらないな。……せめて、奪われた回路の使い道が分かれば、犯人像も一気に見えてくるんだが……」
「態々、罪を犯してまで回路を手に入れるなんて。目的は何なのでしょうか」
「そこなんだよ……」
精霊回路を掻き集めたところで、何か使い道があるとは思えない。荒稼ぎだけが目的なら、それは既に果たされている筈だ。緊急性は低い。
「そう言えば、ミノル。ふと思い出したんじゃが、学院にいた頃、き、きーま、きーまへいそー、というのを習わなかったか?」
「は? きーまへいそー?」
キーマカレーの亜種か? 眉を潜めるミノルに、ヤコが続ける。
「う、うむ。確かそんな名前だったのじゃ。なんでも、大量の精霊回路を必要とする、危険な代物じゃと……」
そこまで言われて、ミノルはヤコの思い当たったものを察した。
「……禁魔兵装か」
おお、それじゃ、とどこか嬉しそうに騒ぐヤコを無視して、ミノルは神妙な面持ちをする。もしそれが事実だとしたら――拙いことになりそうだ。
「禁魔兵装って、確か、あの、戦争でも使われた……」
「ああ。第二次世界大戦で、初めて使用されて……日本が負けた原因にもなった、正真正銘の殺戮兵器。確かに、その材料は大量の精霊回路……と言われている」
「そんな、もしそれが、目的だとしたら……」
セラが戦慄する。それが犯人の目的で、果たされるのだとしたら――天変地異が起きるだろう。禁魔兵装は、恐らく個人が手に入れられる最強の戦力だ。それが故意によって生み出されるのだとしたら、再び戦争が起きてもおかしくない。
しかし――。
「多分、ない」
「え?」
「禁魔兵装を製造するためには、最低でも数万の精霊回路が必要となる。それほどの数を二年や三年で集められるとは思えない。それに禁魔兵装の製造は、世界共通で大罪だ。製造には大規模な工場が必要だし……そんな目立つものを、警察が見逃す筈がない」
「そ、そうですか。……良かったです」
セラが安堵に胸を撫で下ろす。
だが、彼女を安心させたミノル自身は、一層深い思考に没頭していた。
「あ、電話……兄さんから? すみません、ちょっと出ます」
セラが兄からの電話を受け取ったらしく、少し離れた位置へ移動する。
スピーカーから僅かに放たれるエリクの声を聞きながら、ふとヤコが近寄ってきた。
「どうしたのじゃ、ミノル。不安そうな顔じゃのう」
「いや……さっき言ってた、禁魔兵装の話なんだが。まだ引っ掛かっててな」
「むぅ? じゃが先程、お主は自分で、それは無いと言っておったじゃろう」
「ああ。禁魔兵装は多分ない。しかし……禁魔兵装でなくとも、それに近い効果を持つ武器なら、作れるかもしれない」
禁魔兵装は魔術兵装の一種だ。ミノルは魔術兵装に詳しくないため、禁魔兵装というものが、どういった工程で製造されるのか分からない。だが、もしその技術に応用が効くのだとしたら……下位互換の製造という目的は、十分有り得る。
「そ、それは、拙いのではないかのぅ」
「ああ、本気で拙い。……おまけに、捜査の視点も一気に変わるな」
ミノルの言葉に、ヤコが首を傾げる。
「忘れたのか、お前も一緒に授業で聞いただろ。禁魔兵装を製造するには、大量の精霊回路とは別に、もうひとつ大事なものがある」
「……成る程。思い出したのじゃ。それなら、犯人は非魔術師ということになるのう」
「そういうことだ。このご時世、そんなリスクを負う奴がいるとは思えないけどな……」
だが、念には念をだ。幸い、今は魔術に造形の深い協力者が一人いる。
ミノルは、その協力者と通話しているセラに近づいた。
近づくミノルに気づいたセラが、一度電話を中断し、その内容を口にする。
「今、兄さんから連絡があったんですが、道が混んでいるようで、少し遅れるとのことです。できれば駐車できるスペースを探して欲しいとも、言ってました」
「分かった。それと、ちょっと電話を変わってもらってもいいか?」
「あ、はい。どうぞ」
手渡されたスマートフォンを、ミノルは軽く礼をしてから耳にあてる。
『ミノル様ですか?』
「はい。すみません、いきなり。運転中に申し訳ないんですが、ちょっと訊きたいことがありまして。……エリクさんって、魔術兵装に関しても詳しいですか?」
『魔術兵装ですか? どうしてそんなものを……』
「犯人の目的について、少し考えたいことがありまして」
『そうですか。……詳細は後ほど聞くとして。先程の質問に対する回答ですが、魔術兵装に関しても、それなりに造詣が深いという自負はありますよ』
「そうですか。なら、禁魔――」
「ミノル」
本題に入ろうとした、その時。ヤコがミノルの裾を摘み、潜めた声を掛けた。
巫山戯た様子はない。幼い子供とはまるでかけ離れた、冷静で、そして臨戦態勢に入った精霊としてのヤコの姿が、そこにあった。
「どうした、ヤコ」
「気配がするのじゃ」
足を止め、目を細める。
「どっちだ」
ミノルが訊いた。――直後、頭上から複数の人影がおりてくる。
「術師じゃな」
「見れば分かる。ちっ、詠唱は間に合わない――ヤコッ!」
「うむっ!」
両脇の構造物から飛び降りる、真っ黒な外套を羽織った者たち。その手に閃かせる銀色の刃物は、敵意の証明と受け取っても良いだろう。
最優先はセラの保護。しかしどういうわけか、敵はセラを視界に入れず、ミノルとヤコの二人のみに視線を注いでいた。――ある意味、好都合だ。
精霊の力を十全に使う武器化は間に合わない。だが――魔術師の手段は、それだけではない。幾度となく積んできた実戦経験は、適応能力と化して二人の中に残っている。迅速に最善手を導き出したミノルとヤコは、最低限の言葉を交わすだけでそれを実現した。
「四回じゃ、ミノル!」
「十分だ!」
精霊の力。その一部を借りることで行使する旧魔術。それを――少し特殊な形で発動する。ヤコの掌の上で一振りの炎の剣が生まれた。その剣をミノルが受け取る。
「し――ッ!」
迫り来る敵に、炎の剣で斬りかかる。一発目は相手の剣に防がれた。だが二撃目でがら空きの胴に叩き込む。背中から倒れた姿を確認し、振り返ると、後方より飛びかからんとする二人目の敵と視線が交錯した。着地する寸前の足を撫でるように、剣を振るう。炎が移り、相手は藻掻きながら全身を地面に打ち付けた。
「なっ、精霊も使わずに!?」
「使ってるだろ。一応なッ!」
「一応とはなんじゃ、一応とは!」
驚愕を露わにする襲撃者へ、左から右への一閃を放つ。敵は飛び退こうとしたが、それよりも早くミノルが一歩踏み込んだ。炎の衝撃波が黒い外套を焼く。
計四回。ミノルに振るわれた炎の剣は、ガラスのように音を立てて砕け散った。
一応は旧魔術という認識でいいのだろう。精霊本体が傍にいるとは言え、使用したのはその力の一部だけ。つまりヤコが生み出した炎のみだ。ヤコ本人を使っていない以上、これは現代の魔術とは言い表せない。――故に、誰も予測できない一手となる。
「狼狽えるな!」
動揺が走る戦場で、野太い男の声が響いた。
「情報通り、相手は日本人の餓鬼と狐のB級精霊。――このまま攻めるぞッ!」
ちっ、と舌打ちして、ミノルは襲撃者たちから距離を取る。
混乱に乗じて逃げるつもりだったが、あのリーダーらしき男に立て直された。厄介なことをされた。だが同時に、それは彼にとっても苦肉の策だった筈だ。要はあの男こそが襲撃者たちの軸だ。あれを倒せば勝てる。襲撃者たちは、自らの弱点を露呈したのだ。
『ミノル様? どうかしましたか!?』
咄嗟にポケットに入れたスマートフォンから、エリクの声が聞こえる。
「すみません、今、ちょっと襲われて――」
『場所は!』
「えーっと、ピアーヴェ通りです!」
『すぐに向かいます!』
街の案内板から目を逸らし、襲撃者たちを観察する。左右の構造物を巧みに活用した立体機動。間違いなくプロの動きだ。その手に持つ剣も、銃も、槍も、盾も、全て精霊だろう。魔術師同士の戦闘は周囲へ被害が及びやすい。それを、こんな町中でやるなんて。
既に耳目が集まっていた。人通りは思ったよりも少ないが、これ以上、駅に近づくのは危険だろう。背後には無関係な市民が山ほどいる。向かう先は――正面しかない。
「ヤコ、頼めるか」
「勿論じゃ!」
互いの意思を確認し、手を繋ぐ。そして、焔の同調を紡いだ。
「『劫火ゆえに影は無く、鋭利ゆえに情は無し。愚かにも滾る華よ、永遠に燃え続けるがいい。我等は刃にして焔。語るに足らぬ――《狐火》なり』」
赤い、炎を凝縮した刃がミノルの右腕に顕現する。
『ふふっ、血湧き肉躍るのう』
「そうか? 俺は普通に怖いぞ」
『全く、ミノルは本当に冷めておるのう。妾の勇気を見習うのじゃっ!』
「……お前、学院で負けたの根に持っているだけだろ」
『のじゃっ!?』
「同調中なんだから感情は丸見えだ。お前、いつも怖いとか言ってるくせに、本当はA級と張り合う気満々で――」
『へ、へへへっ、変態! ミノルは変態なのじゃ! 見るでない! 見るでないっ!!』
「好きで見てるわけじゃねぇよ。ったく……さっさとやるぞ、負けず嫌い」
相棒との談話はこのくらいにして、襲撃者たちと正面から向き合う。
「何をごたごたと――それが貴様の遺言だ!」
「勘弁してくれ。末代までの恥になる」
左右から魔術が飛んできた。火の弾丸と土の弾丸だ。後者は昨日、事件現場で戦った霊獣の能力に似ている。放物線を描いて迫るそれらを、ミノルは瞬く間に切断した。
爆風に身体を乗せるように跳躍する。そのまま壁に両足をつけ、襲撃者たちの様子を俯瞰しながらミノルは相棒に語りかけた。
「一応訊くが、お前、狙われる心当たりはあるか?」
『全くもって無いのじゃ。というか、妾は基本的にミノルとずっと一緒じゃぞ。妾が狙われるとしたら、それはミノルにも関係することじゃ』
「まあ、確かにな。ちなみに俺にも心当たりはない。と、すると――」
『セラなのじゃ?』
「いや、見た感じ狙われてないし、その線も薄いだろう。だから、あるとすれば――」
すうっと、多めに酸素を肺に含んで、ミノルは大声を発した。
「すみませーん! もしかして、人違いしてませんかー!」
返ってきたのは、冷徹なる一閃だった。
「ま、そうだよなぁ……」
横合いから伸びる刃を避けて、ミノルは溜息を吐く。こんな場所に、日本人と狐のB級精霊が二組もいる筈がない。理由はともかく、狙われているのは間違いなく自分たちだ。
「ヤコ。さっきの魔術、見たか」
『うむ、初日の霊獣の能力に似ていたのじゃ。じゃが……』
「ああ。こっちの方が――弱い」
油断はしない。だが客観的な評価は大切だ。
相手は格下。それを踏まえた上で、周囲と自身の安全を考慮した、最善手を導き出す。
「――蹴散らすぞ」
速効で撃破する。導いた結論を遂行するべく、ミノルは足裏で炎を爆発させた。
「来るぞ!」
襲撃者の一人が、仲間たちへ警戒を促す。だが次の瞬間、その男はミノルの刀の餌食となった。爆発を推進力とした高速移動。視線でついてきているのは――二人だけ。内一人は、先程のリーダー格の男である。
「あいつらは後回しだな」
まずは周辺の雑魚を倒し、取り巻きが消えたところで正面からの戦いに持ち込む。教科書通りの戦術だが、その分、安定した効果をもたらす。
丁度、手頃な位置に襲撃者たちが固まっていた。刀を振りかぶり、ミノルは体内の魔力を練り上げる。こちらの意図に気づいた襲撃者たちが、慌てて散開するが――もう遅い。
「――《狐火》」
『――《狐火》じゃっ!』
二人同時に、魔術の名を紡ぐ。
刀から放たれた劫火が大気に唸り、襲撃者たちを巻き込んだ。触れるだけで爛れる灼熱の焔が、刹那に膨張する。三人の人影が、それぞれ三方向へ吹き飛んだ。
「情報通り、固有魔術は《狐火》か。なら――」
こちらを観察していた襲撃者のリーダーが片腕を掲げ、配下に何か指示を出した。
刹那、頭上から新たな襲撃者が現れる。体格からして女。気配を押し殺した足運びは感嘆に値する技量だが――そもそも、こんな奴、いたか? 自分が見落としただけかもしれない。しかし、もしかしたらまだ敵がそこかしこに隠れているかもしれない。
ミノルの疑念を他所に、女は左腕を後方へ引く。漆黒の外套から伸びた細腕の先に、大気中の水という水が収束した。流水は渦を巻いて一本の槍と化す。
「《水槍》か。成る程、相性を突いてきたな」
火の属性は水の属性に弱い。《狐火》の対策として水の魔術《水槍》を用意したのだろう。中々、用意周到だ。
「――まあ、だから何だって話だが」
再度、《狐火》を用意する。次は先程よりも、少し強めに。
まさか、先程の一撃を全力とでも思っていたのだろうか。水の槍を構えた女はミノルの刀に収束する炎塊を見て、一瞬硬直した。外套から覗く顔は焦燥に駆られている。
苦し紛れに投擲された《水槍》。
ミノルの放った《狐火》は、槍もろとも女を吹き飛ばした。
「す、凄い……」
感心したセラが声を漏らす。
死んではいないだろう。しかし、相当、痛かった筈だ。最も、こちらとて命を狙われた身。腕か足か、はたまた脳か。いずれを失っても文句を言われる筋合いはない。
弱点を突いてきた辺り、彼女がこの戦いの要だった可能性は高い。
趨勢は決した。少なくともミノルはそう考えた。
「精霊はB級だが、実力は、ただのB級ではない。――――情報通りだ」
だが、襲撃者たちのリーダーは不気味に笑う。嫌な予感がした。あれは、決して自棄になった笑いではない。確実に、何かある時の仕草だ。
刹那――銃声が響いた。
どこからかは不明。反応は――間に合う。このご時世、鉛弾など有り触れた凶器だ。ただ、今回のそれは、通常の弾丸とは異なるものだった。炎の刀で防ごうとした直後、弾の軌道が逸れる。高速で旋回した弾丸はミノルからセラの方へと矛先を変えた。
「ちっ!」
左足の裏、左肘、左肩から爆炎を起こす。急速に身を翻したミノルの、須臾を刻む一閃
は、今度こそ弾丸を斬り払った。セラは無事だ。安堵すると共に、身体が軋む。強引に肉体を稼働させた反動だ。表情を歪めるミノルに、襲撃者のリーダーは口角を吊り上げる。
「黄色猿、貴様に足りないものを三つ教えてやる」
目の前で語る男に対し、警戒を怠らないまま、銃声がした方向を睨む。
バスだ。前方にある公園のような広場の傍に、一台のバスが停車している。その車体側面にある窓から、無機質な銃口が覗いていた。
同時に、後方から悲鳴が聞こえる。振り返ると、そこには十人弱の黒い外套を纏った者たちがいた。一様に武器を構える彼らは、新手と見て間違いないだろう。
「地の利、数の利、そして――時の利だ」
土地勘の有無を言っているのであれば。戦いに参加している人数を言っているのであれば。作戦を立てる時間を与えられず、応戦を余儀なくされている現状を言っているのであれば。その男の言葉は、まごう事なき事実だった。
「まずいな……」
認めたくないが、完全に向かい風が吹いている。言葉にしなかったが、何より問題なのはセラの存在だ。彼女を狙われると、ミノルの行動の選択肢は一気に狭まる。
先程の攻防が致命的だ。放たれた銃弾がセラに向いた途端、ミノルは反射的にソレを防いでしまった。しかも、多少、身体が痛もうが構わないという気概を見せてしまった。これではセラの実力、そして自分たちの関係を自ら露呈したようなものだ。
「なあ、ちょっと落ち着かないか? 俺たち、命を狙われるほど悪いことをした記憶がないんだ。イタリアに来たのも数日前だし。もしかしたら、そっちのクライアントの手違いってこともある。……一度、話し合ってみてはくれないか?」
「口数が多くなったな。生憎、語り合うつもりはない」
そう言って、男は視線をセラへ移す。
「そこの女を使え。どうやら、人質の価値があるようだ」
そうら、来た――最悪の展開だ。
愉悦に浸った男の笑みが見える。ミノルは即座にセラの元へ駆け寄った。
「セラ。ちょっと跳ぶぞ」
「は、はいっ――って、ひゃあっ!?」
切羽詰まったミノルの面構えを見て、取り敢えず頷いたセラ。だが次の瞬間、ミノルはセラを抱え、地を踏み抜き、壁を蹴り、空高く跳び上がる。突如全身を包んだ無重力の感覚に、腕の中のセラが戸惑いの声を漏らした。
「あのバスも、あそこの車も。駅前から来た連中に、公園にいる連中……くそっ、特殊部隊かよ。どんだけ周到なんだ」
あっという間に趨勢の移り変わった戦場を、改めて俯瞰する。変わったのは数だけではない。襲撃者たちの行動も、ミノルに対する愚直な攻撃ではなく、セラを捕縛することを優先している。これでは攻める隙がない。防戦一方だ。
「ミ、ミノルさん」
「どうした?」
遠慮がちにセラが声を掛けてくる。セラは、訥々と言葉を紡いだ。
「あ、あの人、なんだか変な感じがします」
「変?」
「は、はい」
そう言ってセラが指さしたのは、襲撃者の頭と思しき男だった。
「その、他の魔術師と比べて、波長が読み取りにくいというか……べ、別々のものが重なり合って、途切れたり、膨らんだり、しているような……」
「波長、か……っと。悪い、動くぞ!」
残念ながらセラの疑問はミノルには難しすぎた。だが、この状況下だ。適当なことは言うまい。できるなら熟考したかったが、それは敵が許してくれなかった。
鉛の弾丸が、水の槍が、風の矢が、土の棘が、四方から迫る。明確な殺意、或いは敵意によって生み出されたそれらは、お伽噺の魔法のように彩りに満ちたファンタジックなものではない。無骨で、敵を穿つことだけに特化した、効率性重視の力だった。
「ヤコ、防御!」
『うむ! 《狐火》――《晴天領》っ!』
炎の球を、放つのではなく周囲に張る。持続時間は短いが、全方位への防御が可能となる《狐火》の応用だ。弾丸が溶け、槍は蒸発し、矢は掻き消され、棘は瓦解した。
しかし、展開した炎の幕が消えた途端――更に三発、魔術が迫り来た。
「ぐ――っ!?」
二発、斬り伏せた。だが残る一発が防御も回避も間に合わず、喰らってしまう。左腿を抉る鋭い斬撃に、ミノルは顔を苦痛に歪める。
「ミノルさん!」
腕の中に抱えられたセラが、ミノルの怪我を見て形相を変える。痛みを感じたことによる反射で身体が硬直し、真っ逆さまに地面へと落下した。
「こ、のっ!」
刀の大振りによって生み出される炎。足下に現れた上昇気流で、落下の勢いを和らげることに成功した。だが同時、次は弾丸の嵐が襲いかかる。
今度こそ、それは魔術ではなかった。横殴りの弾丸の雨。その一つ一つが、無機質な鉛の弾で、更に言えばそれは、バスの窓からはみ出した大きな銃口から放たれていた。
「機関銃って、ありかよ……」
ただ一人の魔術師が相手なのだから、いくら何でも過剰な装備に思えてしまう。重機関銃など、魔術師同士の戦いでは滅多にお目にかかれない代物だが……存外、理には適っていた。魔術兵装は値段も高く、非正規の売買は厳しく取り締まられている。ならば旧来の銃火器に頼るのも頷けた。但しそれは――魔術の可能性を探究する、魔術師のあるべき姿ではない。殺すため。駆除するため。そのためだけに精霊と手を組んだ、残酷極まりない人間の証だ。そういう輩は大概、悪人と相場が決まっている。
炎の幕で弾丸の雨を溶かし続ける。吹き荒れる暴風の如く続いた弾丸が、突如止んだと思えば、次の瞬間には両脇から襲撃者が接近していた。
敵の動きを先読みし、まずセラを最適な位置へ移動させる。少女の細腕を引いて、一歩下がらせてから迫る剣を弾いた。続いて、その華奢な背中を押して、距離を取ってから迫る斧を焼く。直後、再び機関銃が轟音を唸らせた。
慌ててセラの傍に寄り、炎の壁を生み出した。弾丸の嵐を防ぐためには、真正面に分厚い壁を作る必要がある。しかし、その状態では視界が狭まる。
――待ち、だな。
思い浮かんだ最善手を、心の中で呟いた。独力で打破するのは厳しい相手だ。かといって犠牲にして良いものなど、この場にはない。警察が来るのを待つか、それとも――仲間が来るのを待つか。耐え忍べば勝機が見える。
逆転の一手が訪れるのを、ただ辛抱強く待った。
それは――想像以上に早く到着する。
「避けろッ!」
襲撃者の一人が、上空を指さして叫んだ。
瞬間、轟音が響く。展開する炎の壁の向こう側で、襲撃者たちの悲鳴が聞こえた。
ミノルの頭上を光の線が通過した。光はなだらかな放物線を描いて辺り一帯を穿つ。その内の一発が、機関銃を操作している男の額へ的中した。
炎の壁を解除して、ミノルは後方へ振り返る。
そこには、オリーブ色のコートを風に靡かせる、長身痩躯の男がいた。
「確かに、私たちには数の利がない。ですが、代わりに質の利があります。地の利に関しても、私の参戦によって並ぶことでしょう。そして――勘違いしないで頂きたい」
青白い粒子を煙のように吐き出す、銀色の拳銃を片手に。
エリクは告げる。
「――時の利は、今、私たちにある」




